第472回 『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』橘玲①


ロボマインド・プロジェクト、第472弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
今回は橘玲のこの本『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』の紹介です。

表紙に写ってるのはピーター・ティール(左上)、ヴィタリック・ブテリン(右上)、サム・アルトマン(左下)、イーロン・マスク(右下)です。
ピーター・ティールはペイパルの創業者でシリコンバレーの投資家として有名です。
ヴィタリック・ブテリンは暗号通貨イーサリアムの考案者です。
サム・アルトマンはOpenAIのCEOで、イーロン・マスクはテスラ、スペースXのCEOです。
これからの時代は彼らが作り上げるといっても過言ではないです。
共通点はAIやITといったテクノロジーです。
テクノロジーが世界を変えるのは当たり前のように思いますけど、世界の長者番付の上位を巨大テックのCEOが占めるようになったのはこの10年です。
これはITが儲かるとか、そういうことじゃなくて、必然だと橘玲はいいます。
それは、人類が向かう思想とテクノロジーが結びつくのが必然ということです。
これが今回のテーマです。
テクノ・リバタリアン
世界を変える唯一の思想
それでは、始めましょう!

さて、最初は政治思想を四つに整理します。
政治思想なので右か左かになりますけど、それを根本的なとこから掘り下げて考えていきます。
たとえば心理学です。
心理学といえばフロイトですけど、フロイトには科学的エビデンスは何もないって、橘玲はばっさりと切り捨てます。
たしかに、フロイトが言うには、男の子は母親に性愛感情を抱いて、父親から去勢されるのではと恐れるとかいいます。
「そんなわけないやろ」っていうと、「それは無意識が抑圧してるからだ」そうです。
こんな理論を基に社会設計したらムチャクチャになります。

フロイトの反動で出てきたのは行動主義心理学です。
たとえばベルを鳴らしてからエサを与えると、ベルを鳴らすだけでよだれが出るパブロフの実験とかです。
行動主義は実験で科学的エビデンスは担保されてますけど、それだと表面に現れる薄っぺらな部分しかわかりません。
ベルを鳴らして人をコントロールしようって考えで社会設計してもうまく行くとは思いません。
人を突き動かすものって、もっと心の奥底にあるものですよね。

そこで出てきたのは、たとえばマズローです。
マズローは、人の主体性とか、創造性、自己実現といった側面に注目しました。
一言で言えば自分らしく生きようってことです。
これはなんとなく分かりますよね。
全ての人が自分らしく生き生きと生きれる社会って理想ですよね。
じゃぁ、生き生きと生きるってどういうことでしょう。

参考になる動物実験があります。
心理学者のマーティン・セリグマンは2匹の犬に二つの実験をしました。

第一の実験は、二匹の犬をハンモックに吊るします。
そして犬の足に電気ショックを与えます。
一匹目の犬は、目の前にあるボタンを押すと電気ショックが止まるようにします。
二匹目の犬は、ボタン押しても電気ショックは止まりません。
第二の実験は、さっきの二匹の犬を部屋の床に置いて自由に動けるようにします。

部屋は仕切りで分けられていて、犬がいる床に50秒間電気ショックを与えます。
すると、一匹目の犬は仕切りを飛び越えて電気ショックがない隣の床に逃げます。
ところが二匹目の犬は、50秒間、じっと耐え続けるんです。
一匹目の犬は苦痛から回避する行動を自ら見つける方法を学習したみたいです。
じゃぁ、二匹目の犬は何を学習したんでしょう?

二匹目の犬は、最初、自由を奪われて、どれほどもがいても電気ショックを避けられないことを学習しました。
つまり、何をしても状況を改善できないことを学習したんです。
そうなると、できることはただ耐えることだけです。
二匹目の犬は、何をしても望みはかなわないという無力感を学習したんです。

ここからわかるのは、人生において最も重要なのは自由に動ける環境だということです。
行動していれば、いつか望みが叶う、努力が報われるってことです。
これが人が生き生きと生きれる社会です。
そんな人が増えれば、さらに良い社会になっていくでしょう。
自由を奪われて、何をしても変わらない社会だと人は無気力になります。
そんな人で作られた社会は変わることありません。
無気力な社会が停滞するだけです。

人間に最も大切なのは自由ってことです。
ここは誰も異論はありません。
ただ、誰もが好き勝手自由に行動してたら社会がムチャクチャになってしまいます。
そこで、さらに別の観点を取り入れるとします。
じゃぁ、それは何でしょう?

一つは共同体です。
家族とか仲間とかです。
いくら自由に生きていいといっても、家族や仲間に迷惑をかけたらダメでしょって考えです。
共同体の最たるものが国家です。
個人の自由より国家を大事にするって考えです。
これが保守とか右派の思想です。

もう一つの観点は平等です。
一部の階級の人だけが利益を独占するような社会はよくないです。
大事なのは平等です。
だから、金持ちや儲かってる企業から税金を取って、貧しい人に再分配しようってなります。
その最たるものが共産主義です。
ただ、どんなに頑張っても再分配されてみんな平等になるとだれも頑張って働かなくなります。
無力を学習した犬と一緒です。
これだと社会が発展しません。
だからソ連は崩壊しました。
完全な平等をもとめるのは極端ですけど、平等であるべきだと考えるのは分かります。
それが革新とか左派の考えです。

左派の考えをリベラルっていいますけど、リベラルの元の語はリバティ、自由です。
でも、人は自由であるべきって考えるのは右も左も関係なく共通に持っています。
ここに用語の混乱があるのでややこしくなっています。
覚えておいて欲しいのは、まず、人は自由であるべきって大前提があるわけです。
その上で、共同体を大事にするか、平等を大事にするかの二つの観点があるってことです。

次は、共同体とか平等って考え、その思想の根拠を動物で考えていきます。
まず重要となってくるのが食料とかお金とかって富です。
食料が重要ってのは動物でも持ってます。
ただ、平等とか分配とか議論するには、その食料が誰かのものかって概念を持てなければいけません。
つまり、所有権って考えです。

チンパンジーの社会には階級があります。
トップは、ボスザルとかアルファオスとよばれます。
チンパンジーの群れのなかで、順位が低い者を選んでエサを投げ与えたとします。
そこにボスザルが通りかかったらどうなると思います?

ジャイアンみたいに、有無を言わさずボスザルがエサを奪い取ると思いますよね。
ところが、ボスザルは順位の低いチンパンジーに向かって手のひらを差し出すんです。
これは「物乞いのポーズ」で、そのエサを分けてくださいっておねだりする行為です。
つまり、ボスザルは、自分よりはるかに格下のサルにお願いしてるんです。
どういうことかというと、チンパンジーの社会には先取権があって、エサは先に取った者の所有物ってルールがあるわけです。
つまり、所有権って概念を、チンパンジーはもっているんです。

二つ目の実験は、真ん中を金網で仕切った部屋にいるサルの両方にキュウリを与えます。
すると、両者は喜んでキュウリを食べます。
次に、一方のサルだけにブドウを与えます。
すると、もう一方のサルはキュウリを投げつけて怒り出すそうです。
どういうことかというと、自分にもブドウをくれって抗議してるわけです。
つまり、サルも、平等の概念を持ってるってことです。

三つ目の実験では、異なる群れから選んだサルをテーブルの両側に座らせて、テーブルの真ん中にリンゴを置きます。
すると、リンゴの奪い合いが起こります。
これを何度か繰り返してると、一方がリンゴに手を出さなくなります。
体の大きさとか、様々な要因で自然に序列ができたんです。
一旦序列ができると、「目下の者」は「目上の者」に従わないといけません。
ヒトの社会と同じで、共同体のルールを乱す行為は許されないわけです。

こんな風にチンパンジーの社会にも、所有権、平等、共同体の概念を持つわけです。
脳の中には、これらの概念が生まれたときから存在してるってことです。

共同体に重き多く保守ってイデオロギーと、平等に重きを置くリベラルってイデオロギーは必然的に生まれるとも言えるんです。
どちらも生まれながらに持ってるもので、どっちが正しいとかじゃないんです。

ところが、この問題に決着をつけるもう一つの思想があります。
それが「功利主義」です。
ジェレミ・ベンサムによって唱えられた功利主義は「最大多数の最大幸福」として知られています。
功利主義の何が新しいかというと、これは政治思想じゃないってことです。
共同体が重要か、それとも平等が重要かって問うんじゃなくて、いい結果を残すのが正しいって考えです。
結果オーライの考えです。
ものすごく合理的です。
この考えに従えば、政治の役割は、社会の幸福、または富を最大化するようにルールを設計するといえます。

ここで、またややこしい名前の話が出てきます。
保守も革新も、最も重要視するのは自由でしたよね。
一人一人が自由に生きられる社会、それを目指しています。
それは功利主義も同じです。
むしろ、功利主義は共同体とか平等とかって思想からも自由になります。
最も自由な思想です。
自由を表す「リバティ」から取ったリベラルって名前は左派、革新のものになっています。
リベラルを名乗ったら左派と思われてしまいます。
そこで、功利主義はもっと自由を強調した名前を付けなければなりません。
そこで「リバティ」から「リバタリアニズム」って造語をひねり出しました。
リバタリアニズムを名乗る人たちのことを「リバタリアン」とよびます。
はい、ここで、ようやく本書のタイトル「テクノ・リバタリアン」の「リバタリアン」が出てきましたよね。
これを図にするとこうなります。

右派と左派と距離を置いた第三のイデオロギー功利主義が生まれたわけです。
これをリバタリアニズムといいます。
リバタリアニズムが、政治思想の中で、どういう位置づけか分かってきましたか?
じゃぁ、次は政治思想じゃなくて、脳の中の位置づけを考えてみます。

保守と革新は、共同体と平等って概念に結びついていましたよね。
共同体も平等も、どちらもサルでも持ってる概念です。
だから、社会的地位が決まると、目下の者は目上の者に自然と従うようになったり、平等に扱われなかったら怒ったりするようになります。
これは、脳の中に共同体や平等って概念があるからです。
脳の中にあるっていうのは、それを何らかの感情として感じ取るってことです。
不公平に扱われたら怒ったり、目上の人に反抗すべきでないって感じることです。

さて、それじゃぁ功利主義も脳内にあるんでしょうか?
功利主義っていうのは、何らかの判断基準に従って行動するってものじゃなくて、結果がよくなるように行動するって考えです。
状況に応じて合理的に判断するわけです。

これはトリアージに似ています。
トリアージというのは、地震などの大規模災害で多数の死傷者が発生した場合、緊急度や重症度に応じて治療の優先順位を決めることです。

たとえば目の前で血を流して苦しんでる人がいて、「助けてくれ」ってすがってきてるとします。
でも、周りを見るともっと重症な人がいます。
重症患者を優先しないといけませんけど、「助けてくれ」ってすがってきてる人を後回しにするのは心苦しいです。
もし、それが自分の知り合いとか自分の子どもだったらなおさらです。
この時、心苦しいと感じるのは、生まれ持った感情です。

じゃぁ、合理的に考えるというのはどういうことでしょう。
これは感情じゃありません。
感情でなく理論的思考です。
いっときの感情に流されて行動するんじゃなく、理論的な思考で最終的な結果が最大となる行動を選ぶことです。

ここで思い出すのがサイコパスです。
例えば、第358回「世界を変えるサイコパス」では、GAFAなどのテック大手のCEOはサイコパス傾向にあるって話をしました。
一番分かりやすいのがジェフ・ベゾスです。
当時、アマゾン倉庫にエアコンがなくて、真夏に働いてた人が熱中症でバタバタ倒れたそうです。
そこでエアコンをつけてくれって頼んだら、ジェフ・ベゾスはいろいろ計算して最終的に取ったのが、倉庫の周りに救急車を何台も待機させることでした。
エアコンを導入するよりその方が安上がりだったからです。
「これで安心して働いてくれ」って言ってたそうです。
いやぁ、合理的に考えるってこういうことなんですよね。

それからスティーブ・ジョブズやイーロン・マスクは仕事ができない社員は、即、首にしてました。

その反対がかつての日本の会社です。
たとえばシャープが経営危機になったとき、リストラせずに立て直そうとしました。
一時、ちょっと上向いたとき、社長はみんなのおかげだって感謝して、社員にボーナスを出したんですよ。
従業員のことを真っ先に考えるって、いい経営者ですよね。

でも、その後、経営が傾いて、結局、台湾のホンハイに買収されました。
ホンハイは大規模リストラをして、シャープを立て直して黒字経営に持っていきました。
つまり、同じことをシャープの社長もやっていれば会社を売らずに済んだのにそれができなかったわけです。
世界を引っ張っていくテック大手のCEOは、皆、それができるわけです。
それがテクノ・リバタリアンです。

テクノ・リバタリアンは、共同体とか平等とかより個人の自由を大事にします。
たとえば、国家による規制を回避した経済圏を目指すのが暗号通貨です。
それが、テクノ・リバタリアニズムの一つ、クリプト・アナキズムです。
テクノ・リバタリアンは、数学理論に基づいた徹底した合理主義で富の最大化を図ります。
これは、まさに、AIが最も得意なところです。
功利主義は結果にコミットして手段を選びません。
もし、人間よりAIが統治した方がうまく行くなら、それを選びます。
この立場を総督府功利主義と名付けます。

こうして見てみると、これからの社会がテクノ・リバタリアンによって動かされるのは避けられないといえますよね。
次回から、その具体的な中身についてもう少しじっくり見ていきたいと思います。

はい、今回はここまでです。
面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、よかったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!