ロボマインド・プロジェクト、第117弾!
ロボマインドの田方です。
僕がつくろうとしてるのは、ロボットの心です。
人間の心をコンピュータで作ろうとしてます。
そのために、脳の内側から見た世界を理解しようとしてます。
現実に、外にある物理世界じゃないですよ。
意識が認識して、感じてる世界です。
それが分からないと、心のプログラムがつくれないですからね。
でもね、ここに大きな問題があるんですよ。
脳の内側から外の世界を見て感じるって、これって、普通に僕らがしてることなんですよ。
あまりにも普通過ぎるもんやから、何が特別なことか気づかないんですよ。
たとえば、手をけがして、手を使えなかったりします。
そしたら、手のありがたさがわかりますよね。
普段意識しないぐらい普通にあるものって、それが無くなると、そのありがたさがわかります。
ということは、脳の機能の一部が無くなれば、特別なことだってわかるはずです。
でも、脳をけがして、脳の機能が使えなくなったって経験、ありますか?
あまりないですよね。
何とか、そんな経験ないかって思い出したんですけど、ようやく、一つ思い出しました。
第105回で、手術中に全身麻酔から目覚めた話をしました。
その時の詳しい内容は、第105回を見てもらえたらいいと思うんですけど、今回は、その後の話です。
その時の手術は、10時間近くの大手術やったんですよ。
10時間近く全身麻酔して、手術後、意識が戻っても、ずっと痛み止めを使ってました。
だから、その時、脳の状態は、かなり活動が抑えられてたんやと思います。
普通にしゃべれるようにはなってましたけど、1週間ぐらいは、ぼぉーとしてました。
その時の状態が、どうも、脳の機能の一部が欠けてたようなんです。
普段、認識できてたものが認識できてなかったようなんです。
やっかいなのは、それを認識するのも脳なんです。
何が認識できてないのか、その時は、分からないんですよ。
後になって、分かるんですよ。
元気になって、普通に認識できるようになって、あのときの感覚っておかしかったよなぁ。
いくつかの機能が失われてたみたいやなぁって思うんです。
まず、失ったのは記憶です。
今まで、何度か登場しましたけど、HM氏の話、覚えてますか。
長期記憶、エピソード記憶を失った人です。
たぶん、僕は、一時的にエピソード記憶ができなくなってたみたいなんですよ。
記憶できないというか、術後、1週間ぐらいのことを思い出せなくなってたんです。
でも、ふとしたきっかけで、思い出すことがあるんです。
僕は、最初の手術の後、3か月後にもう一回、手術したんですよ。
2回目は、もう少し短い手術でしたけど、全身麻酔の手術でした。
当時のベッドは、リモコンでベッドを起こすとかできなかったんです。
ベッドを起こすには、ベッドの前のハンドルを手で回さないといけなかったんです。
手術の翌日とか、ちょっと元気になったら、看護師さんにベッドをちょっと起こしてって頼んだんですよ。
でも、頭が上がってきたら、頭がクラクラして気分が悪くなったんですよ。
その事を看護師さんに言ったら、「前回も、同じこと言ってたわよね」って言われたんですよ。
その時になって、あぁ、そういえば、これ、一回目の手術の後も、同じ感覚やったって思い出したんですよ。
それが、なかなか治らなくて、ずっと治らなかったら困るなぁって言ってたのを思い出したんですよ。
あんな大変やったこと、すっかり忘れてたんです。
なんかね、夢みたいな感覚なんです。
ふとしたきっかけで、今朝見た夢を思い出すってこと、あるでしょ。
あんな感覚やったんですよ。
この時分かったのは、エピソード記憶がなくても、そんなに困らないなぁってことなんです。
普通に会話したりは、出来てたんですよ。
たぶん、ずっと一緒に暮らしてたりすると、おかしいって分かると思うんですけど。
ちょっと会って、会話するぐらいなら、おかしいって思わないと思うんですよ。
ここ、もうちょっと考えてみますよ。
おかしいって思うのは、その人がエピソード記憶をもってるからですよね。
共通の思い出があるのに、相手は、それを覚えてないから、おかしいって思うわけです。
じゃぁ、逆に、どちらもエピソード記憶を持ってなかったとしたらどうでしょう?
何もおかしいと思わずに、何事もなく暮らせますよね。
脳が作り上げてる当たり前に感じてることって、こういう事なんですよ。
過去の出来事なんて、外の物理世界には存在しないんですよ。
あるのは、人の頭の中だけです。
それが本当にあったかどうかなんか、証明のしようがないんです。
ただ、同じ経験をした人がいるから、実際にあったと思えるんです。
脳が作り上げてる世界って、こういう事です。
もっと極端な話をしますよ。
よく、前世があるとか言いますよね。
仮に、前世があるとしましょ。
それを自分以外、全員、覚えてるとしましょ。
初めてあった人に、
「おぉ、久しぶり。
古代エジプトで、一緒やったよなぁ」
とか言われるんですよ。
「え~っと、そうやったかなぁ」って、あなたは必死で思い出そうとするんです。
「あんなデカい石、何十年も、一緒に運んだのに、忘れたんか!」
って言われるんです。
「俺が死ぬとき、絶対、忘れへんからなぁって叫んでたのに、忘れたんか」
って言われるんですよ。
でも、あんまり、そんなことって起こらないですよね。
それは、全員が前世を忘れてるからです。
脳が、そういう機能をもってないからだけです。
エピソード記憶も、それといっしょです。
過去に起こった出来事を覚えとくって、じつは、特殊な能力なんですよ。
そんな特殊な能力を持った者同士で、コミュニケーションが成り立つわけです。
人と、同じコミュニケーションができるAIを作るには、その特殊能力をもった心をつくらないといけないんです。
その一つが、エピソード記憶です。
エピソード記憶をもってないと、人間のコミュニケーションに入れないんです。
だから、もし、人がみんな、前世の記憶をもってたとしたら、前世の記憶をもった心をつくる必要があるんです。
重要なのは、科学的に正しいかどうかじゃないんです。
頭の中で、何を認識してるかなんです。
もう少し話を進めますよ。
2回目の手術のあと、ベッドを起こしてもらうとき、じつは、ちょっと嫌な予感がしたんですよ。
なんか頭起こしたら、嫌なこと起こるんちゃうかなって予感がしたんですよ。
たぶん、これは体が覚えてたんやと思います。
エピソード記憶を持てないHM氏も、楽器の演奏みたいな、体で覚えるタイプの記憶は持てたんです。
それと一緒です。
犬とかサルとかも、エピソード記憶は持てないけど、体で覚えるタイプの記憶は持てます。
あの時の僕は、動物が持てる記憶しか持てなかったんやと思います。
それから、術後に起こったことで、もう一つ、思い出したことがあります。
最初の手術は、10時間近くの大手術だったんで、普通なら、術後は、当然、個室に入りますよね。
ところが、その時は、たまたま個室が空いてなくて、二人部屋に入れられたんですよ。
カーテンで仕切られてて、隣に、別の入院患者がいました。
僕は、大手術の後で、体中いっぱい管を繋がれてたんですよ。
お腹を縫ってたので、寝返りどころか、指一本動かすのも辛い状況で、ただじっと耐えるだけやったんです。
そんな状況が数日続いてました。
手術の翌日、隣の患者にお見舞いが来たんですよ。
おばちゃんが二人来たんですけどね。
それが、ようしゃべる、大阪のおばちゃんでね。
ずっと、二人でしゃべってるんですよ。
患者のオッサンの声は、ほとんど聞こえなかったですけど。
そのとき、僕は、ただ、痛みに耐えてじっとしてるだけでした。
眠れたら、少しは楽になれると思ってたんですけど、おばちゃんが大声でしゃべってるもんやから、眠れなくて苦しいなぁって感じてたんですよ。
数時間おきに看護師さんが僕の様子を見に来るんですけど、ある時、隣でしゃべってるおばちゃんをにらみつけたんですよ。
その時、僕は、何とも感じてなかったんですけど、後になって分かりました。
苦しんでる患者がいるのに、隣で大声でしゃべらんといたげてって言いたかったんやと思います。
僕も、普段やったら、「ここは病院やろ。おしゃべりするんやったら、どっか、外でしてくれ」って怒りの気持ちが出てたと思うんです。
ところが、その時は、そんなこと、思いもしなかったんですよ。
ただただ、あぁ、苦しいなぁとしか思ってななかったんですよ。
どういうことか分かります?
つまりね、「怒り」って気持ちが生まれなかったんですよ。
脳の機能が低下してたら、「怒り」って気持ちも生まれないんです。
怒りって気持ちが生まれるには、まず、こうすべきって社会のルールを分からないといけません。
人に迷惑をかけるべきではないとか。
ほんで、迷惑を受けた人は、迷惑をかけた人に対して「怒り」を感じるわけです。
普段、当たり前に感じる感情ですけど、無意識でこれだけの計算をしてるわけです。
そのとき、脳の機能が低下してたから、これだけの計算ができなかったんです。
おそらく、最低限の機能しか働かなかったんやと思います。
それは動物でも持ってる機能です。
ということは、その時失われた機能こそ、人間しか持ち得ない機能です。
それこそが、人間らしい心を作り出してるわけです。
その一つは、エピソード記憶です。
もう一つが、怒りといった感情です。
人間が普段、当たり前に感じてる感覚って。
それは、進化の過程で獲得した物です。
同じ世界を生きていても、それを認識する機能をもってるかどうかで、世界の見え方が違うわけです。
頭の外にあるのが客観的な世界です。
頭の中にあるのが主観的な世界です。
今までの科学は、主観を徹底的に排除してきました。
主観って言うのは、人によって感じ方が違います。
定量的に扱うこともできません。
だから、科学の対象に成り得ないんです。
でも、心の仕組みを解析して、コンピュータで心をつくればどうでしょう。
心をプログラムで作るんです。
それなら、定量的に心を分析できますよね。
客観的に心を扱うことができますよね。
心を科学で扱えるようになるんです。
プログラムで心をつくることで、初めて、心が科学の土台に乗るんです。
これは、500年前の科学革命以来の画期的なことなんです。
そして、それをやろうとしてるのが、ロボマインド・プロジェクトです。
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それでは、次回もお楽しみに!