第124回 哲学はどこで間違ったのか!


ロボマインド・プロジェクト、第124弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

今回は、今までとガラッと話が変わりますよ。
テーマは哲学です。

ギリシャ哲学以降、2500年の大問題についてです。
それは、ものごとの二つの見方です。
目に見える物と、その物の真の姿といった話です。

まずは、古代ギリシャのプラトンです。
プラトンは、ものごとの真実は現実世界にないって考えました。
真実は、人間の感覚や経験を超えたところにあるって考えです。

たとえば、本物の直線っていうものを考えてみます。
直線の定義は、まっすぐで幅のない線です。
白い紙に定規で直線を引いたとします。
でも、どれだけ細い線を引いたとしても、顕微鏡で拡大すると幅がありますよね。
つまり、本物の直線って、現実には存在しないんです。
でも、僕らは、本物の直線っていうのを知ってますよね。
僕らが知ってる本物の直線がある世界のことを、プラトンは、「イデア界」って呼んだんです。

イデア界にある直線のことを直線のイデアっていいます。
これ、何となく分かりますよね。
真実とか、真理ってのは、我々の目に見えない、手の届かない世界にあるってわけです。

次は時代を下って、18世紀です。
哲学者のイマヌエル・カントは、物自体と現象っていう二つの世界を考えました。
僕らが、直接目で見たり、手で触って知覚できる世界が現象界です。
知覚した物の背後にあるのが、「物自体」です。

目で見える机は、現象としての机です。
その背後にある真の机が、物自体としての机です。
机の持つ機能とか、概念としての机です。
僕らが、直接認識できるのは、現象としての机です。
机の物自体を直接認識することは決してできない。
物自体を直接認識できるのは神だけだって言いました。

さらに時代が下って、19世紀に入ると、心理学や精神分析が生まれました。
フロイトは、人間は、自分でも意識できない無意識という領域があるって主張しました。
人間の心は、表面的な意識と、その奥にある無意識があって、人間の行動は無意識の影響を受けてるって考えです。
表面的な意識は、その奥にある無意識で動かされてるわけです。
重要なのは、奥にある無意識だって主張です。

ギリシャ哲学以降、ずっと共通してるのは、目に見える物の背後には、目にはみえないけど、その物の真の姿があるって考えです。
重要なのは、その真の姿です。
表面に惑わされることなく、真の姿を見ようってわけです。

ところが、この考えが、近代になってくると、少しずつ変わってくるんです。
たとえば、行動主義心理学です。
行動主義というのは、心とか無意識とかって、そんなあやふやなものは科学で扱えないって考えました。
じゃぁ、何を重要視するかっていうと、目で見えて、確実に観測できるものだけです。
行動とか、直接知覚できる刺激とかです。
刺激と行動の関係だけに注目すべきだって主張しました。

有名なのは、パブロフの犬の実験です。
犬にエサをあげる前に、毎回、ベルを鳴らすと、ベルを鳴らしただけで、唾液がでるようになったって実験です。
条件反射ってやつです。

哲学の分野でも、同じような考えが出てきました。
たとえばフッサールの現象学です。
カントは、ものごとを、表面にあらわれる現象界と、その奥にある物自体に分けましたよね。
ほんで、物自体が真の姿だけれど、人は、物自体を直接認識できないって言いましたよね。

フッサールの考えも、ここまでは同じです。
ただ、フッサールは、真の姿を直接認識できないのであれば、それは、一旦、かっこにいれておこうって言いました。
これを判断中止とかエポケーとかいいます。
そして、表面に表れる現象そのものこそ、注目すべきことだって言いました。

でも、表に表れるものを見てただけじゃぁ、あまり深みはないですよねぇ。
やっぱり、ものごとの背後には、真の姿が隠れてるって感じますよねぇ。

そこで、20世紀の半ばに登場したのが構造主義です。
構造主義の始まりは、フランスの人類学者のクロード・レヴィ=ストロースです。
レヴィ=ストロースがおこなったのは、未開の民族の親族関係の調査です。

そこで分かったのは、父方のイトコの結婚は禁止されてて、母方のイトコとの結婚は奨励されてるってことでした。
なんで、こんなおかしなルールになってるんでしょう?

まず、全ての結婚は、集団間の女性の交換として見て取ります。
つぎに、交換によって交流が生まれて、社会が安定すると考えるわけです。
結婚できないルールを作ることで、親族集団の外に女性を出すことになるわけです。
女性を外に出すことで、新たな親族間の関係が生まれるわけです。

レヴィ=ストロースは、集団と集団の関係こそが重要だと指摘したわけです。
まず最初に関係があって、それによって社会が形成されたわけです。

ここ、わかりましたか?
関係って、表に現れる現象ですよね。
関係を分析することで、隠れてた社会を維持する機能が浮かび上がってきたんですよ。
社会を維持する機能、これこそが社会の真の姿と言えますよね。
関係っていう現象から真の姿を浮かび上がらせる。
これが構造主義です。

この構造主義の考え方、人類学だけじゃなくて、精神分析や言語学、歴史学とか、あらゆる分野に適用されたんです。
これが20世紀後半の哲学です。
呼び方も、哲学から現代思想って言うようになりました。

この構造主義、さらに発展していくんですよ。
それが、ポスト構造主義です。
僕が思うに、哲学がおかしくなってきたのは、この辺りだと思うんですよ。

僕が学生だった1980年代~1990年代にかけての頃です。
そのころ、盛んに、構造主義はもう古い。
これからはポスト構造主義だって言ってました。

ポストって、「後」って意味です。
だから、ポスト構造主義って、構造主義の後って意味です。
つまりね、ポスト構造主義って、何か中心となる考え方があるわけじゃなくて、ただ、構造主義の次の考えだって言ってるだけなんですよ。
その代わり、いくつかのキーワードはありました。

たとえば、脱構築ってのがあります。
構造主義って、構造が重要だって話でしたよね。
それに対抗するキーワードが脱構築なんですよ。

構築するんじゃなくて、かといって、破壊するんじゃない。
脱構築だそうです。
よく、言ってる意味がわからないですよね。

みんな、よくわからないまま、分かったふりをして言ってました。
今考えると、単なる言葉遊びじゃないって思うんですけど、当時は、みんな、真剣だったんですよ。

その頃の雰囲気は、言葉で説明するより、写真見た方が分かると思います。
哲学って、いろんな分野に影響を与えるんですけど、この脱構築って言葉、建築と相性がよかったんですよ。
いろんな脱構築建築が生まれました。
たとえば、こんな感じです。

いかにも、脱構築って感じがするでしょ。
それから、こんなのとか。

脱構築してますよねぇ。
これなんか、どうでしょう?

おお、こう来たかって感じですよね。
こっちはどうですか?

こっちも、がんばってますよねぇ。

脱構築したいってのは伝わってくるんですけど、でも、これ、使いにくない?
何で斜めにしてんの?
何か、役に立つの?

これがポスト構造主義です。
20世紀の終わりのころから、哲学って、こんな感じになって来たんですよ。
完全に方向を見失ってますよねぇ。

じゃぁ、哲学は、どこからおかしくなってきたんでしょう。
もう一回、復習しますよ。
哲学は、当初は、ものごとの奥にある真実、真の姿を見ようとしてました。

プラトンの言うイデアとか、カントのいう物自体とか。
でも、そんな真の姿なんか、直接、見ることができないわけです。
そこで、だんだん、目に見えない真の姿なんか、本当にあるの?って疑ってきたわけです。
それより、目に見える、絶対、確かなものだけで考えようぜってなってきたんです。
そのあたりから、ちょっとずつ、おかしくなってきたんですよ。

一番の問題は、人間が、心の中で本当に認識してるものを、直接扱えないってことです。
プラトンもカントもフロイトもフッサールも、みんな、それで苦悩してたんです。
2000年以上、人間は、この問題を抱えてきたんです。

でも、それは、今までの話です。
今は、心の中で、どのように認識してるか、直接観察することができます。
わかりますか?
そのやり方。

それは、心をつくるんです。
人間と同じ心を、コンピュータで再現するんです。
コンピュータプログラムで作るんですよ。

コンピュータプログラムで作れば、物を見たとき、その背後で、どうやって認識してるか。
頭の中でどうやって考えるのか。
すべてを、完全に観察することができますよね。

そして、その心のプログラムをつくってるのがロボマインド・プロジェクトです。
心のプログラムの理論の中核をなすのが、意識の仮想世界仮説です。

意識の仮想世界仮説では、3DCGで世界そのものをコンピュータの中に構築します。
カメラで捉えた机は、3DCGの机オブジェクトとして生成します。
この机オブジェクトを認識するプログラムが意識プログラムです。

机オブジェクトは、単なる3Dデータじゃありません。
机って、ものを置いたり、食事をしたり、勉強したりしますよね。
そんな人間の行動が、机オブジェクトに関連付けられているんです。
机オブジェクト自体が、机に関する人間の行動のプログラムを持っているわけです。

ものを置いたり、食事をしたり、勉強したり。
机を見たら、そういったことを想像しますよね。
それこそ、机の真の姿ですよね。
でも、それは、目に見える机、現象界の机は持ってないわけです。

真の机は、心の中にしかありません。
それは、決して見ることができませんでした。

でも、コンピュータで心をつくることで、僕らは、真の机を扱えるようになったんです。
古代ギリシャ時代から、人間がずっと見たかったものが見えるようになったんです。
それは、プラトンの言うイデアです。
カントの言う物自体です。

これは、哲学者が2000年以上追い求めていたものです。
カントが、神しか直接認識できないと言ってきたものを、直接認識できるようになったんです。

これは、科学を超えてると言えます。
なぜなら、科学が始まったのは、たかだか17世紀です。
科学が扱うのは、表に現れる現象界だけです。

コンピュータで心をつくるってアプローチ。
これこそが、科学や哲学を超えて、今まで、人類がなし得なかった、心を解明する方法です。

それをやってるのは、今のところ、世界ではロボマインド・プロジェクトだけです。
よかったら、ロボマインド・プロジェクト、チャンネル登録、高評価してくれると嬉しいです。
そらから、電子書籍も出しました。
説明欄にリンクを張ってますので、よかったら、そちらもご覧ください。

それでは、次回も、お楽しみに!