ロボマインド・プロジェクト、第139弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
今回は、本の紹介です。
久しぶりに面白い本を読みました。
この本です
「ピダハン」
ピダハンっていうのは、ブラジルのアマゾン熱帯雨林の先住民です。
何が面白いかって言うと、もう、言語から、世界の認識の仕方まで我々と全然違うんですよ。
認識の仕方が違うってことは、見えてる世界が違うってことです。
ピダハンが最も重要視するのは、直接経験した事実です。
何か話をすると、必ず、「それはお前が直接見たことなのか」って聞かれるそうです。
作者のダニエル・エヴェレットは、宣教師です。
だから、キリストについて語るんですけど、必ず、「お前はキリストを見たのか」と聞かれるわけです。
見たわけじゃないって答えた途端、関心がなくなるわけです。
エヴェレットは、そんなピダハンに、なんとかキリスト教を伝えようとしたんですけど、一緒に暮らしてるうちに、だんだん、自分の考えの方が間違ってるんじゃないかって思うようになったそうです。
そして、ついには、キリスト教を捨てて、無神論者になったそうです。
さらに、ピダハン語を研究するために、言語学を勉強して、30年以上、ピダハンと暮らしてそうです。
アマゾンの奥地のまで宣教に行くって、生半可な信仰心じゃできないですよね。
そんな信者が、無神論者になるって、よっぽどのことが起こらないと無理です。
じゃぁ、なにが起こったんでしょう?
拷問にかけられたとか、そんなんじゃないです。
それが、世界の認識の仕方です。
我々があまりにも当たり前に感じてる時間とか、自分とかありますよね。
過去から現在、未来に時間は流れてるとか。
過去の経験があって、今の自分がいるとか。
そんなの、当たり前というか、疑いようのない、絶対の真実だって思いますよね。
でも、もし、そうじゃない人がいるとしたらどう思います。
それがピダハンなんです。
そんなピダハンに出会って、エヴェレットは、今までのあらゆる考え、世界観が崩れ落ちたようです。
いったい、ピダハンが生きてる世界って、どんな世界なんでしょう。
それでは、始めましょう!
ピダハンは、自分が直接経験したり、他人が実際に経験したことしか信じません。
だから、ピダハンには神とか、神話ってのが存在しないんです。
神については、第126回「神はいかにして生まれたのか」で、意識の仮想世界仮説を使って説明しました。
意識の仮想世界仮説については、第21回「意識の仮想世界仮説」、それから書籍「ドラえもんの心のつくり方1」を見てもらったらいいんですけど、簡単に説明しときます。
今、見てる世界を頭の中で仮想世界として作って、意識は、それを認識するっていう心のモデルです。
脳は、そういう心のモデルをソフトウェアとして実行してるって考えです。
今、見てる目の前の現実の仮想世界を現実仮想世界と呼ぶことにします。
それに対して、過去の思い出とか、未来を想像するときに認識する世界を想像仮想世界と呼ぶことにします。
この想像仮想世界を使えば、自分が見たり、経験したことがないことでも認識できるわけです。
想像仮想世界を使って、この世がどうやって作られたかとか、誰も見たことのない神なんてものも思い浮かべることができるわけです。
つまり、ピダハンは、想像仮想世界を、ものすごく限定的にしか使わないといえるんです。
自分が実際に経験したこと、または、他人が実際に経験したことにしか使わないんです。
筋肉と一緒で、人間の脳も、使わないと退化してしまいます。
たぶん、ピダハンの想像仮想世界は、自由に想像するって機能を使わないので、退化していったんだと思います。
現実に存在しないことを聞いても、興味が湧かないんだと思います。
退化したってのは、こういうことだと思います。
第137回「絶対ダメ!5歳まで、言葉に接しないとどうなる?」で、言葉を理解するには前頭前野が重要だって話をしました。
現実世界にある具体的なものから、関係性とかって抽象的なものを認識するのは前頭前野のメンタル統合って機能だって話です。
ピダハンって、現実に存在するもの、つまり、手で触れれるようなものしか認識できないんです。
だから、抽象的な物ごとを認識するってことができないんですよ。
抽象的なことって言っても、わかりにくいと思うので、いくつか例をあげます。
たとえば、これ、びっくりすると思いますけど、ピダハンの言葉には、「比較」ってのがないんですよ。
AよりBが大きいって表現がないんですよ。
比較するってこと、考えれないんですよ。
脳に、その機能がないってことです。
それから、色を表す言葉もないんです。
色って、手で触れたりできないでしょ。
抽象なんですよ。
色って何かって言うと、具体物の性質とか属性です。
じゃぁ、どうやって色を表現するかっていうと、赤なら、血みたいな色って言うんです。
緑なら、熟してない実って言うんです。
具体物を使って表現するわけです。
さらに、ピダハンには、数って概念もないんです。
数ってのも、手で触れるようなものじゃないですよね。
抽象なんですよ。
エヴェレットは、ピダハンに頼まれて、数字を教えたことがあるそうです。
でも、8ヶ月教えても、10まで数えれるようになった人は一人もいなかったそうです。
幼少期に数字の概念に触れて、前頭前野で数のメンタル統合の機能が発達しないと、大人になってからじゃ習得できないようです。
ピダハンににとって、重要なのは、目の前の具体的な現実です。
過去や未来とか、存在を確認できないことには関心が向かないんです。
関心が向かないってことは、深く考えることもしないし、できないわけです。
ピダハンにとっての関心は、今だけです。
だから、保存食ってのも存在しないそうです。
まだ来ていない未来のことを考えて、食糧を貯えようとか考えないわけです。
ピダハンの世界は、自分が直接経験したことか、身近にいる人が直接経験したことだけでなりたっています。
だから、死んだ人の思い出を語ることも、ほとんどないそうです。
儀式としての葬式もありません。
現実的に埋葬するだけです。
埋葬に、それ以上の意味を持たせることはないそうです。
それから、神も神話もないって言いましたけど、精霊は信じてるそうです。
精霊との交信は、直接体験することで、伝え聞いたことじゃないからです。
ピダハンは、誰もが精霊と交信できるそうです。
ピダハンは、よく名前も変えるそうです。
名前を変えるきっかけは、精霊からのお告げが多いそうです。
名前が変わったことを知らずに、前の名前で呼びかけても返事もしないそうです。
〇〇さんって、何度も呼びかけても、もう〇〇はここにはいない、いまは、××だ、とかって言うそうなんです。
ピダハンにとって重要なのは、今、現在なので、過去の自分とのつながりなんかが、簡単に切り離せるみたいです。
自分って言うのは、生まれてから今まで経験したこととか、思い出とか、そういった記憶で作り上げられますよね。
名前が変わろうが、引っ越ししようが、絶対、変わらないですよね。
でも、それって、脳の中のソフトウェアの仕組みがそうなってるだけとも言えるんです。
過去の自分を簡単に切り離すことができるソフトウェアがあってもおかしくないんですよ。
それがピダハンなんです。
つぎは感情です。
ピダハンの社会では、怒りという感情が忌み嫌われています。
ピダハンも、ペットとして犬を飼ったりするそうです。
ある時、酔っぱらった人が、他人の犬をショットガンで撃ち殺したそうです。
飼い主は、ショックを受けて泣いていたそうです。
それを見ていたエヴェレットは、このケリはどうするつもりかって聞いたそうです。
そしたら、その人は、えっと驚いた顔をして、最初、意味がわからなかったそうです。
ようやく、質問の意味がわかって、こう答えたそうです。
「怒りに任せて、仕返しなんかしない」
「相手も、酔っぱらってたから、仕方ないことだ」って。
たぶん、今の現実を耐えれば、やがて過去の出来事になるってことを分かってるみたいです。
ピダハンは、過去を思い返したり、悔やんだりしません。
常にあるのは、今、現在だけなんです。
今、現在だけを生きるとは、こういう事なんです。
このピダハンを調査した人は、みんなこういうそうです。
ピダハンは、世界一幸福な民族だって。
ピダハンの人たちは、とにかく、よく笑うそうです。
嵐で自分の家が吹き飛ばされたら、一番大笑いするのは、自分だそうです。
よく、ブータン人は幸福だっていいますけど、ピダハンは、桁違いに幸福なようです。
最近のブータンの若者は、スマホを持つようになって、西洋文明に憧れたりして、昔ほど幸福でないそうです。
でも、ピダハンには、そういったことは全くありません。
便利だからといって、外国の文化を取り入れたり、外国の文化に憧れるってことは一切ないそうです。
ピダハンは、今が一番幸せなので、変わろうとは思わないそうです。
多くの先住民が、外国からの文明を受け入れるか、自分らのアイデンティティを維持するかのはざまでもがき苦しんでいます。
ピダハンには、そんな悩みはありません。
そもそも、ピダハンの言葉に、「心配」に相当する言葉がないそうです。
心配って言葉がないって、スゴイことですよねぇ。
だから、ピダハンの社会には、うつ病といった精神疾患は、一切ありません。
過去を悩んだり、将来を憂いたりするのは、過去や未来を想像するからです。
過去や未来を考えないピダハンには、無縁なことです。
過去や未来を考えないってことは、過去から現在につらなる、決して変わらない自己とか、アイデンティティって考えも希薄です。
昨日までの自分を、いつでも切り離せれば、ほとんどの悩みは消え去ります。
そもそも、悩みのほとんどは、他人との比較から生まれます。
比較するって概念がなければ、悩みも生まれません。
数字なんてものがなければ、偏差値とか年収とか、気にすることもありません。
ピダハンの話を聞くと、幸せって、いったい、なんなんって思いますよね。
文明を発展させることって、はたして、幸せなのって思います。
数字や、比較することを知ってしまった我々には、競争に勝つことでしか、幸せを手に入れられないんでしょうか?
どうなんでしょうねぇ。
こっから先は、みなさん自身で考えてみてください。
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それから、このチャンネルが本になりました。
説明欄にリンクを貼っておくので、よかったら、そちらもお読みください。
それでは、次回も、お楽しみに!