ウィトゲンシュタインと松本人志によって、頭の中の論理的な世界と言葉が対応するということが証明されたわけです。
ロボマインド・プロジェクト、第14弾
こんにちは、ロボマインドの田方です。
前回は、重要なお話をしました。
覚えていますか、この図。
【図1】
言葉というのは、人間の頭の中で描いたものを言語空間に投影したものという話でした。
人工知能は、人工的に人間と同じ知能を作ろうというものですが、50年の歴史の中で、これを再現しようとした人は誰もいませんでした。
表面に表れた言葉しか、扱ってきませんでした。
でも、それは人工知能の話です。
他の分野に目を向ければ、同じようなことを考えてた人はいます。
たとえば、ウィトゲンシュタインです。
オーストリア・ウィーン出身の哲学者です。
世紀末ウィーンを代表する哲学者です。
世紀末ウィーンって、世界中から文化人が集まって、ホント、面白い街だったんですよ。
美術だと、クリムトが有名ですけど、音楽だと、グスタフ・マーラー、文学だと、フランツ・カフカ、精神分析のフロイトや、その弟子のアドラーなんかもいました。
マーラーがフロイトの診察を受けてたりとか、互いに交流してたのが、世紀末ウィーンなんです。
そして、哲学を代表するのがウィトゲンシュタインです。
以前紹介したチューリング・マシンのことは覚えていますか?
論理学で、数学の全てを証明し尽くそうとしたのがバートランド・ラッセルでした。
でも、それは不可能だと証明したのが、ゲーデルです。
ゲーデルの不完全性定理です。
このゲーデルもウィーン出身です。
そして、ラッセルの元で学んだのがウィトゲンシュタインだったんです。
ラッセルって、当時、哲学界、論理学界の大御所です。
その、ラッセルに対して、「哲学には演繹がない」とか、「哲学は実在について何も語っていない」とか、若干20歳のウィトゲンシュタインが、滔々と語ってたそうです。
そのウィトゲンシュタインが、最初に書いたのが「論理哲学論考」です。
あまりにも変わっていて、出版社も、何が書いてるのかわからなくて、出版を断わったそうです。
それで、ラッセルに序文を書いてもらったら出してやるっていわれて、ラッセルに序文を書いてもらったんですけど、ウィトゲンシュタインは、こんな序文と一緒に載るのはいやだって、それも断ったらしいんです。
天才の考えることって、ホント、わからないですよね。
この「論理哲学論考」、通称、「論考」。
これが、今回のテーマです。
この本、何が変わってるかというと、こんな風に、1~2行の短文で構成されていて、全てに番号が振られてるんですよ。
最初は、
1 世界は成立していることがらの総体である。
です。
ちょっと難しいので、かみ砕いて説明します。
ウィトゲンシュタインのいう世界というのは、頭のなかで考えられる世界のことです。
世界は事実から成り立ちます。
事実ってのは、「ネコがニャーと鳴く」とか、「お風呂が沸く」とかです。
事実を分解すると、「ネコ」とか「鳴く」とかに分かれます。
今度は、これを組み立てます。
「ネコがお風呂でニャーと鳴く」とか、「お風呂がニャーと鳴く」とか作れます。
「ネコがお風呂でニャーと鳴く」はあり得ますが、「お風呂がニャーと鳴く」はあり得ません。
世界は、この、あり得る事実の全てで構成されます。
現実世界は、世界のうち、実際に起った事実の一つというわけです。
こんな風に、世界を整理していくわけです。
そして、世界を言語空間に投影、写像したのが言葉というわけです。
この考え、僕とほとんど同じです。
さて、事実は、「ネコ」とか「お風呂」といった物と、
「鳴く」とか「沸く」といった事から構成されます。
世界は、この物と事を組み合わせからなる事実でできています。
AとBとを組み合わせたり、BとCを組み合わせたり。
これが論理です。
数学でならったAかつBとか、BまたはCとかのことです。
さて、ここで、論理哲学論考を、松本人志で読み解いてみます。
ダウンタウンの松ちゃんです。
松ちゃんてね、ホント、言葉の天才なんですよ。
20代の頃は、マジで神がかってたんですよ。
あまり知られてないですけど、いっぱい、新しい言葉を流行らせてるんですよ。
流行語大賞を取った言葉って、すぐに忘れ去られるじゃないですか。
でも、松ちゃんの作った言葉って、長く使われるんですよ。
たとえば、「ドヤ顔」って、松ちゃんの作った言葉です。
それから、憂鬱になることを「ブルーになる」っていいますけど、これも、松ちゃんが広めた言葉です。
それから、「逆切れ」
これもです。
なぜ、松ちゃんの作った言葉は、長く使われるか。
それについて、論理哲学論考を使って解説します。
論考によると、事実って、物と事の組み合わせでできてます。
それを言語空間に投影したのが言葉です。
それから世界っていうのは、頭の中で認識できるもの全てです。
そのうちの一部が、現実の世界です。
ということは、頭の中にあるけど、まだ、言葉になってないものがあるはずですよね。
認識はできるけど、それを表すぴったりの言葉がないってことです。
「逆切れ」とか、「ドヤ顔」って、まさにそれなんです。
怒られてる人が、逆に、怒り出すって状況。
見たことありますよね。
「なんで俺ばっかり、攻められなあかんねん」とか。
たしかに、その気持ち、理解できないことはないです。
でも、なんかおかしない?
悪いんは、自分やん?
そんな微妙な空気。
それを一言で表したのが「逆切れ」という言葉です。
頭の中にあるけど、それを表すピッタリな言葉がなくて、
なんかモヤモヤしてたけど、
松ちゃんが、それに「逆切れ」って名付けることで、
「まさにそれや!」ってなったわけです。
今までなかった言葉ですけど、頭の中にはあったわけです。
だから、無理やり作った言葉とは違って、スッと頭に入るわけです。
忘れ去られることなく、長く使われるわけなんです。
これって、論理哲学論考を逆から証明したと言えます。
論考では、頭の中にあるものと言葉とが一対一に対応すると言っています。
だから、言葉に対応するものが、必ず頭の中にあるはずだ。
これが論考の主張です。
松本人志は、逆に、頭の中にあって、まだ、言葉になってない物に、ぴったりな名前を付けたわけです。
この二人によって、頭の中の論理的な世界と言葉が対応するということが証明されたわけです。
言葉に先立って、頭の中に論理的な世界があるといえるわけです。
次回は、もう少し頭の中の世界を整理していきたいと思います。
それでは、次回もお楽しみに!