ロボマインド・プロジェクト、第140弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
前回の動画、第139回「過去も未来も持たない。世界一幸せなピダハン族」見てくれましたか?
この本「ピダハン」の紹介でした。
ピダハン族ってのは、ブラジルのアマゾンの先住民です。
幸せとは何か、そんなことを考えさせられる話でした。
でもね、前回の動画ね、ちょっと、一般受けを狙ってしまいました。
幸せも重要ですけど、その手の話は、僕じゃなくてもできます。
この本の書評を見ても、みんな、幸せとは何かとかって言ってます。
でも、この本で、本当に、僕が解説すべきは、そこじゃないんですよ。
僕は、よく言いますよね。
同じ物を見てても、脳が違うと、全然違う世界が見えてるんだって。
重要なのは、外の世界じゃないんですよ。
本当に重要なのは、頭の中の世界なんですよって。
この話、イマイチ、分かりにくいみたいなんです。
それがね、この本を読むと、そのことが、はっきりわかるんですよ。
書いてるのが言語学者ってのもあるんですけど、ピダハンがどんなふうに世界を認識してるのか、めちゃくちゃ、具体的に書いてあるんですよ。
それが分かると、物の見方が変わるんですよ。
時間とか、空間とか、そんな根本的なとこが、あっさり崩れるんですよ。
この本で、一番、語るべきは、そこなんですよ。
それでは、始めましょう。
前回も言いましたけど、ピダハンにとって、最も重要なのは現実です。
ピダハンの頭の中にあるのは、現実だけです。
目に見える現実、自分が体験した現実だけで世界はできています。
想像したり、誰も見たこともないことを信じないから、神や神話も持たないんです。
信じないというより、想像する仕組みをもっていないんです。
その仕組みがどこにあるかと言えば、それが前頭前野です。
前頭前野に、世界をどうやって把握するかって機能があって、その機能を通して表現されたのが言葉や行動です。
作者のエヴェレットは、言語学者でもあるので、この辺りのことを、厳密に分析してるんですよ。
たとえば、ピダハン語には、英語でいう完了形が存在しないんですよ。
どういうことかと言うと、たとえば
「あなたが着いたとき、わたしは食べ終わっていた」
っていう文はピダハン語では言えないんですよ。
意味がわからないですよね。
ていねいに解説しますよ。
ピダハンは、現在の自分に直接つながることを中心に世界を認識するわけです。
「あなたが着いたとき」っていう文はOKなんですよ。
発話の時点が起点となって、あなたが着いた時点を示してるわけです。
でも、「食べ終わってた」はNGなんですよ。
「食べ終わってた」の起点は、「あなたが着いたとき」になるんですよ。
発話の時点が起点になってないんですよ。
だから、「あなたが着いたとき、私は食べ終わってた」って文は許されないんですよ。
許されないというか、上手く認識できないんですよ。
厳しいでしょ、この縛り。
たぶん、それが上手く認識できたら、そこを起点に、次々に想像することもできるんですよ。
そうやって、過去や未来も想像できるんですよ。
創世神話とかも生み出せるんですけど、ピダハンの認識する世界観じゃ無理なんですよ。
神話どころか、「男が部屋にいる」って文も許されないんですよ。
「男が部屋にいる」ってことと、発話の時点とが関係ないからです。
これが、ピダハンの認識する世界です。
それから、ピダハン語で、使い方がよくわからない「イビピーオ」って言葉があったそうなんですよ。
誰かが来たり、誰かがどこかに行くとき、子供達が叫ぶので、挨拶みたいなものかと思ってたそうです。
でも、それ以外に、夜、懐中電灯をつけたり、消したりしても同じ言葉を言ってたんです。
ようやくわかったのは、視界に入るとか、入らないとかで使う言葉みたいなんです。
カヌーに乗って人がやってくるとき、川を曲がって視界に入ってきたとき、子供達は「イビピーオ」って叫ぶんです。
カヌーで帰る時も、川を曲げって視界から消えるとき、「イビピーオ」って叫ぶんです。
これ、どういうことか分かりますか?
「イビピーオ」って叫ぶのは、世界の境界とか、境目を意識したときなんです。
自分の世界の端っこを意識したとき、叫ぶんです。
ピダハンにとって、誰が来たかとか、誰が帰るとかより、自分の世界の端を意識したときが重要なんです。
それほど、自分を起点とした世界ってのを、常に意識してるんです。
今、現在、自分がいる世界、それを中心に世界は回ってるんです。
僕らの感覚じゃ、世界はどこまでも続いていて、境界線なんてないって感じてますよね。
でも、ピダハンにとって、今、現在、ここを中心とする世界ってのを、はっきりと意識しながら暮らしているんですよ。
世界は、ここって空間的なことだけじゃなくて、今、現在って時間もです。
だから、過去や未来とか、時間的に、今ここの世界から切り離された世界のことを考えることはないんです。
これ、どういうことかわかります?
これ、過去から続く自分とか自己ってのも、そんなにがっちり繋がってるわけじゃないってことなんです。
ピダハンは神は信じてないけど、精霊は信じてます。
精霊は、誰もが、実際に見たり、乗り移ったりするんです。
自分が直接経験してることなんで、精霊はピダハンの世界に実際に存在するんです。
ほんで、精霊が乗り移って、ちょっとした寸劇をすることもあるんです。
それをみんなが見るわけです。
その時、見てる側は、あれは何々の精霊だって認識してるみたいなんです。
誰々が演じてるって風に思わないみたいなんです。
それから、もっと面白いのは、翌朝、本人に、昨日の精霊は面白かったって感想を言うと、「昨日はここにいなかったから知らないなぁ」って言ったそうなんですよ。
どうも、それ、本気で言ってたみたいなんです。
前回も言いましたけど、精霊のお告げで、ピダハンは、よく、名前を変えるそうです。
名前を変えると、昔の名前で呼びかけても、無視するみたいなんですよ。
しつこく呼びかけると、もう、〇〇はここにはいないって言うそうなんです。
どうもねぇ、ピダハンって、自分ってものを、簡単に切り離したりできるみたいなんですよ。
僕らにとったら、自分っていうのは、生まれてから今まで、決して途切れることなく続いていますよねぇ。
過去の自分の経験とか思い出とかが、自己をつくり上げてますよね。
だから、記憶喪失なんてなったら、パニックになります。
自分は、どこの誰?
いつ生まれて、どうやってここに辿り着いたの?って
でも、よく考えてみてください。
過去から続く自己なんて、本当に、存在するんでしょうか?
それって、記憶にあるだけですよね。
単なるデータですよね。
別に消しても、いいんじゃないですか?
この話で、思い出すのが、子供の頃のことなんです。
みなさん、泣き止む瞬間のことって意識したこと、あります?
僕は、幼稚園ぐらいまでは、家でしょっちゅう泣いてたんですよ。
親に怒られたり、兄と喧嘩したりとかで。
それでね、あるとき、いつものように泣いてたんですけど、その日は、泣いてる途中に、泣いてることに気付いたんですよ。
エーン、エーンって泣いてるってときに、あっ、今、泣いてるって気づいたんですよ。
そしたら、困ったのが、いっつも、この後、どうやって泣き止んでたかなぁってなったんですよ。
どうやっても思い出せないんですよ。
かといって、すぐに泣き止むと、なんか不自然やし。
気づいてないふりして、エーン、エーンって泣き続けて、ちょっとずつ、フェードアウトするのが自然かなぁとか思ったりしてたんですよ。
このことを、時々、思い出すんですよ。
たぶんね、泣くってのは、意識をリセットするんやと思います。
現実世界で辛いとか、耐え切れないことが起こると、現実世界を切り離すんやと思います。
現実世界と切り離されるので、その間の、記憶もないんやと思います。
ある程度泣いて、感情が落ち着くと、徐々に現実世界とのつながりが戻ってくるんやと思います。
そんな風に、僕らも、本来、一貫した自己なんて、持ってないんですよ。
たぶん、社会に強制して持たされたんやと思います。
目に見えない彼方まで続いてる世界とか、生まれてから今まで続く自己とか。
そんな物は、全て、頭が創り出した幻想なんですよ。
確かなのは、今現在というこの瞬間と、自分が見て、経験してる範囲の世界だけなんです。
それを、過去から未来に続く世界とか、どこまでも遠くに広がる世界を想像するからおかしなことになってしまうんです。
世界を創り出した創世神話を生み出して、自分たちはその神の子孫だってアイデンティティを欲しがるんです。
領土を広げようと、戦争なんか始めるんです。
ピダハンは、自分たちの世界を広げようなんて、決して思わないです。
ピダハンが、一番大事にするのは、自分たちの世界を、変えないことです。
たとえ、便利になるとしても、自分らの世界を変化させるものは受け入れません。
受け入れるとしたら、今の生活を拡張するものだけです。
たとえば、ピダハンは、カヌーで生活しています。
だから、カヌーの動力源として、船外モーターを取り付けることはあるそうです。
でも、ピダハンは、釣り竿は受け入れません。
ピダハンは、モリで突いて魚を獲ります。
釣り竿を使った釣りはしないので、たとえ便利でも、魚の取り方を変える釣り道具は受け入れないんです。
一番重要なのは、今の世界を変えないことです。
文明の発展とか、進歩とか目指さないんです。
そんな考え方もあるんですよねぇ。
こんな風な世界観を持つのも、前頭前野の認識の仕方なんですよねぇ。
同じ人間でも、前頭前野の使い方で、全然、違う世界の認識の仕方をするわけです。
このピダハン族、現在、800人ほどしかいなくて、ピダハン語を話すのも彼らだけです。
現在、世界中に消滅危機言語ってのがあります。
その言葉をしゃべる人が、地球からいなくなるって言語です。
ピダハン語、話す人が800人しかいないんですけど、消滅危機言語に指定されてないんです。
なぜか、分かります?
それは、ピダハンの人たちは、言語も含めて、自分たちの生活を変えないことを目指してるからです。
世界中の消滅危機言語って、なんで、消えかけてるかわかります?
それは、外国の文化を受け入れるからです。
強制されるんじゃなくて、自ら、外国の文化を取り入れたり、外国に出て行くんです。
そうやって、自分らの文化を消し去ろうとするんです。
世界の認識の仕方、見方がちがうって、どういうことか、分かりましたか?
今見て、感じてる世界。
どこまでも広がっていて、過去から未来に続く世界。
本当に、そんな世界ってあるって言えるんでしょうか?
いちど、じっくり考えてみてください。
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それでは、次回も、お楽しみに!