ロボマインド・プロジェクト、第164弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
今回のテーマは、自由意志です。
自由意志っていうのは、自分がどう行動するか、自分で決めるってことです。
お昼にカレーを食べるか、ラーメンを食べるか自分で決めれるってことです。
ジャンケンでグーを出すかチョキを出すかって、自分で決めれるってことです。
そんなの、当たり前って思いますよね。
でも、じつは、自由意志は存在しないってのが今の科学の常識なんですよ。
このチャンネルでも、自由意志については、何度も取り上げました。
たとえば、第39回~42回「自由意志は存在するか」シリーズとかです。
そこでも語ってますけど、僕は、自由意志は存在するって思っています。
そう言うたびに、「やっぱり、自由意志は、あるんですよね」って、よくコメントもらいます。
どうも、みんな、自由意志は存在しないって意見に納得していないみたいなんです。
そりゃ、そうですよね。
実感として、自由意志はあるって感じますしね。
実際、自由意志がなんでないかって調べても、納得できる説明を見たことがないんですよ。
ていうか、みんな、いろんな話をごちゃごちゃにしてるんですよ。
しかも、一番肝心な部分を議論すらしてないんですよ。
今回は、その、誰も議論してない、自由意志の一番肝心な部分について説明しようと思います。
そこがわかれば、自由意志って、本当に存在しないのか、人間は自由意志を持ってるのか、はっきり分かります。
今日、ここで、最終決着を付けます。
それでは、始めましょう!
自由意志の話をすると、まず、みんなが不安になるのが、自分の人生は決まってるのかってことです。
生まれた時から、運命って決まってるのか?
どうあがいても、運命から逆らえないのか?
いくら勉強しても、志望校に合格できないって、最初から決まってるんでしょうか?
もし、そうなら、勉強する意味なんか、ないですよね。
勉強しなくても、受かる奴は受かるってことです。
努力するなんて、あほらしです。
それから、法律にも影響します。
泥棒したり、人を殺したりって、もし最初から決まってるなら、懲役10年とか刑罰なんかあっても意味ないですしね。
自由意志の話をすると、こんな話がいっぱい出てきます。
ここで、僕が言いたいのは、みんな、話をごちゃごちゃにしてるってことです。
話を整理しますよ。
今言った話、すべて、自由意志が存在しなかったらって話ですよね。
自由意志がなかったら、世の中どうなるかって議論です。
でも、ちょっと待ってくださいよ。
僕らが知りたいのは、自由意志が存在するかどうかってことですよね。
もし、自由意志が存在しなかったらってことを議論したいわけじゃないですよ。
自由意志、その物の議論をしないと意味がないんですよ。
だから、こっからは、自由意志その物の議論をしますよ。
さて、自分の人生は決まってるのか。
じつは、よく考えると、これも自由意志の問題とは、ちょっと違うんですよ。
正確に言うと、自由意志の問題とそうでない問題がごっちゃになってるんです。
たとえば、大学合格を目指して勉強してたとします。
いよいよ、試験当日です。
試験会場に行く途中で、交通事故に遭って試験を受けれず、不合格となったとしましょう。
さて、これ、運命で最初っから決まってたんでしょうか?
っていうか、これって、自由意志その物の議論っていっていいでしょうか?
もう少し説明しますよ。
大学目指して勉強しようとします。
これは、自分の意志で決めたことですよね。
これは、自由意志が関わっていそうです。
じゃぁ、交通事故はどうでしょう?
これは、自分の意志じゃないですよね。
偶然です。
つまり、交通事故は自由意志とは関係ないんです。
運命とか決定論っていうのは、自由意志の問題と、そうじゃない問題が含まれてるんです。
だから、合格目指して勉強するって話は、自由意志の例として適当じゃないんです。
次は、科学の視点から考えてみます。
自由意志が存在しな派の人にとっては、今日の昼にカレーを食べるか、ラーメンを食べるかは既に決まっているそうです。
なぜなら、物理では、初期値が決まると、その後に起こることも全て決まるからです。
ビリヤードで、最初の玉の正確な位置、速度、質量が決まれば、その後の全ての玉の位置も正確に決まるのと同じです。
たから、この宇宙で起こる全ては、ビッグバンが爆発した瞬間、既に決まってるわけです。
人間の脳の中のニューロンの動きも、全て決まってるはずです。
だから、お昼に、カレーを選ぶか、ラーメンを選ぶかも全て決まってるんです。
ただ、物理状態を100%完全に観測できないので、完全な予測はできないってだけです。
でも、カレーを選んだとしたら、カレーを選ぶことは、ビックバンが爆発したときから、既に決まってたわけです。
すごい理屈ですよねぇ
完璧ですよね。
何を選ぼうと、全部、決まってたと言えばいいんですから。
反論のしようがありません。
問題は、ここなんですよ。
科学哲学者のカール・ポパー(1902-1994)は言いました。
科学に必要なのは、反証可能性だって。
たとえば、「太陽は東から昇る」という理論を提唱したとします。
それを否定するには、一回でも、太陽が東から昇らないということを観察すればいいわけです。
これが反証です。
つまり、理論を提唱するとき、そういった反証も提示しましょうってことです。
反証可能性がない理論は、科学とは呼べないってことです。
さて、こっからが、本題です。
今までの話、全然、自由意志の中身の議論になってないんですよ。
自由意志ですよ。
重要なのは、意志です。
意志っていうのは、頭で考えて、「こっちにしよう」って決める部分です。
この肝心の、意志とは何かって議論、誰もしてないんです。
考えたら、不思議ですよねぇ。
それでは、何かを決定する意志について考えましょう。
何かを決定するって、入力情報を処理して決めるわけです。
何らかの情報処理の結果、決定するわけですよね。
情報処理なんで、プログラムで出来そうです。
つまり、自由意志の中身って、プログラムで記述できるはずなんですよ。
自由意志があるかないかって議論するとき、まず、考えないといけないのは、自由意志のプログラムです。
そして、どんなプログラムなら自由意志があって、どんなプログラムなら自由意志でないってことを考えないといけないんですよ。
少なくとも、科学的に議論するとするなら、どんな条件を満たせば自由意志があって、どんな条件なら自由意志がないってことを決めないといけないんですよ。
反証可能性がないものは、科学の俎上にすら乗らないってことです。
それでは、昼に何を食べるか決めるプログラムを考えてみましょう。
レストラン街に行ったとします。
最初に見つけた店に入るってプログラムはどうでしょう?
それがラーメン屋ならラーメン、カレー屋ならカレーを食べるわけです。
これを、仮に、システムAとします。
次に、システムBというのを考えてみます。
レストラン街に行きます。
カレー屋とラーメン屋があって、どっちに入ろうか悩んだとします。
豚骨ラーメン、旨そうやなぁ。
辛いカレーも食べたいなぁ。
そんな風に考えて、今日はラーメンにしよって決めたとします。
これをシステムBとします。
ここでは、自由意志があるかないかは置いといて、まずは、システムAとBのプログラムの違いを比べてみましょ。
システムAは、最初に目についた店に入るってプログラムです。
つまり、環境からの入力があると、それに応じた動きが、最初っから決まってるわけです。
システムAの動きは、環境によって決まるわけです。
それじゃぁ、システムBはどうでしょう?
システムBは、ラーメン屋を見つけたとしても、必ず入るわけじゃないですよね。
環境からの入力だけで行動が決まるわけじゃないですよね。
システムBは、まず、ラーメン屋を、認識します。
そして、ラーメンについて考えるんですよ。
わかりますか?
ここ、めっちゃ重要なんですよ。
ラーメンについて考えてみてください。
ラーメンを思い浮かべて、食べてるとこや、味を想像したりしますよね。
あぁ、旨いなぁって思い浮かべるわけです。
これって、現実じゃないでしょ。
まだ、起こってないことでしょ。
起こってないことを想像できるわけです。
そういうプログラムがあるってことです。
ここが、システムAとシステムBの大きな違いです。
でも、本当に重要なのはここじゃないんです。
こっから先です。
システムBは、ラーメン屋を認識したら、ラーメンについて考えることができるんです。
じゃぁ、ラーメンについて考えてるのは何でしょう?
ラーメンについて、考えるプログラムがあるわけです。
ここです。
システムAとシステムBのプログラムの一番大きな違い。
環境を認識して、それについて考える別のプログラムがあるんです。
もっと言えば、世界を認識するプログラムがあるんです。
そのプログラムを、世界認識プログラムと呼ぶことにしましょう。
それじゃぁ、世界認識プログラムは、どうやって世界を認識するんでしょう。
たとえば、カメラとかで撮影したら認識できますよね。
でも、世界は常に変化してます。
道ですれ違った人を見て、どっかで見た人やなぁって思っても、すぐにその人は通り過ぎてしまいます。
カメラからフレームアウトしてしまいます。
何かを認識して、それについて考えるには、変化する現実世界を一時的に止めて、眺めることができる機能が必要なんです。
でも、動いてる世界を止めることなんかできますか?
できないですよね。
じゃぁ、どうやったらいいんでしょう?
その方法が一つだけあります。
それは、世界を創るんです。
カメラの映像から、世界そのものをつくるんです。
そして、自分が創った世界をを認識するようにするんです。
自分のつくった世界なら、必要な部分を切り取ったり、それについて、考えたりできますよね。
システムAは、ラーメン屋を認識すると、ラーメンを食べるってだけのプログラムです。
考えたり、行動を選択する機能があるわけじゃないので、これは自由意志がないといえるでしょう。
システムBは、ラーメン屋を認識したら、食べようか、食べないか考えることができます。
考えて、行動を自由に決めれるなら、これは自由意志があるといってもいいんじゃないでしょうか?
これがシステムBです。
自由意志の肝心の部分がみえてきました。
システムBで行動を決めるのは、世界を認識して考えるプログラムです。
さて、この世界認識プログラム、
これって、一体なんでしょう。
僕は、これこそが意識だと思っています。
意識のプログラムです。
そして、意識が認識するのは何でしたか?
それは、自分で作った世界でしたよね。
僕は、これを、仮想世界と呼んでいます。
僕は、人間の心は、このシステムBでできてると思っています。
そして、この心のモデルを、「意識の仮想世界仮説」と呼んでいます。
どうでしょう?
これで、分かったでしょうか?
自由意志とは何か。
それは、世界を認識して、考え、行動を決定できるプログラムそのものです。
そのプログラムのことを、意識と呼びます。
自由意志をもってるかどうか、それは、この意識のプログラムを持ってるかどうかです。
ただ、残念ながら、人の脳で、この意識プログラムが動いてるかどうかは、今のところ、確認する術がありません。
でも、自由意志とは何か、反証可能性のある具体的なものは提示できたと思います。
何を選んでも、それは既に決まってたって理屈よりはマシな議論はできるようになったと思います。
今後の自由意志の議論は、この、意識のプログラムという視点で考えるべきだと思っています。
はい、今回の動画が面白かったら、チャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、「意識の仮想世界仮説」に関しては、この本で詳しく語っています。
説明欄にリンクを張ってますので、良かったら読んでください。
それでは、次回も、お楽しみに!