第165回 存在する世界を見るのか? 見るから、0世界は存在するのか?①


ロボマインド・プロジェクト、第165弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

「誰もいない森で、一本の木が倒れたとします。
さて、その木は“音を出して”倒れたのでしょうか?」

これは、17世紀のアイルランドの哲学者、ジョージ・バークリー(1685~1753)が投げかけた問いです。
バークリーの答えはこうです。
「木は音を出していない」

バークリーは、「存在するということは、誰かがそれを認識することである」と言ってます。
つまり、誰も認識しなければ、そもそも、存在すらしないということです。
世界は、人が認識してるから存在するわけです。
認識する人がいなければ、世界は存在しないってわけです。

でも、そんなこと、ないですよねぇ。
誰も見てなくても、世界は、ちゃんと存在しますよね。
そう思いますよね。

でも、本当に、そう、言い切れますか?
世界って、本当に、見てないときも、存在してるんでしょうか?
ていうか、今、見てる世界って、本当に存在するんでしょうか?

たぶんね、今回の話を聞いたら、世界って、本当に存在するのって、分からなくなると思いますよ。
それでは、始めましょう!

まずは、目で見た世界から考えて行きましょう。
目の前にはカラフルな世界が広がってますよねぇ。
色って、目で知覚しますよね。

光って、可視光って呼ばれる電磁波の一種です。
電磁波の波長が650nmが赤で、555nmが緑で、450nmが青です。
目には、それらの波長に反応する3種類の視細胞があるわけです。
だから、緑と赤の間の波長の光は、緑と赤の視細胞の両方が反応して、それを組み合わせて脳は黄色と認識するわけです。
こうやって、全ての色は、3色で合成されます。
可視光の外側の波長の光は、赤外光、紫外光となって目には見えません。

さて、ここで、よく、考えてみてください。
現実の物理世界にあるのは、電磁波です。
いろんな波長の電磁波が、ただ、飛び回ってるわけです。
その中から、可視光に相当する波長の電磁波を検出して、それを電気信号に変換して、脳内で認識したのが色です。
つまり、赤とか青って色は、現実の物理世界にあるわけじゃないんです。
色は、脳が作り出したんです。

もっと考えますよ。
色は、脳が作り出したとしましょう。
つくられた色を感じて、赤って認識するわけです。
じゃぁ、その認識してるのは何でしょう。
それは、意識です。
主観といってもいいです。
物理世界にある電磁波を、意識が認識できる形に変換してるわけです。
だから、意識が認識してる色っていうのは、物理世界にある電磁波とは違うんです。
たまたま、視細胞が赤緑青の3種類あるから、こう見えるだけで、実際の物理世界をそのまま見てるわけじゃないんです。

どう違うか、例を挙げます。
色相環ってあります。

色の並びを円で表したものです。
これ見ても、何も違和感、感じないですよね。
でも、よく考えたら、これ、おかしいんですよ。

だって、色って、光の波長の順に並んでいるはずでしょ。
赤、緑、青の順に波長が短くなるわけです。
赤から緑に徐々に変わって行くのは分かります。
その間に、黄色があるのも分かります。
これが光の波長の順ですから。
緑から青に変わります。
青から青紫に変わります。
ここまでは分かりますよ。
問題は、その次です。
青紫から紫、赤紫って、赤に戻っていくんですよ。
これ、おかしいの、分かりますか?

だって、光の波長の順ですよ。
青紫が一番波長が短くて、赤が一番波長が長いんですよ。
この二つが隣り合うのはおかしいんです。
問題は、それを、不自然に感じないことなんですよ。
どういうことか分かりますか?

これ、物理世界にある物をそのまま感じてるんじゃないってことなんですよ。
脳内で変換されたものが、実際に存在すると思ってるんですよ。
だから、赤と青の間に赤紫ってあっても、何とも思わないんですよ。
意識が感じてる世界と、現実の物理世界とは違うってことの証拠の一つです。

色の話はこのぐらいにして、次は、音について考えてみましょう。
音は電磁波じゃなくて、空気の振動ですよね。
空気の振動を、耳の鼓膜の振動に変換するわけです。
耳は、どんな音でも聞き取れるわけじゃありません。
鼓膜が震えることができる振動数が、可聴範囲といって、20Hz~20kHzって言われています。

たまたま人間の可聴範囲の空気の振動だけ、聞こえるわけです。
もっと正確に言うと、空気の振動を電気信号に変換して、それを、脳内で意識が認識したわけです。
つまり、音っていうのは、意識が認識できる脳内の信号なんです。
現実の物理世界にあるのは、空気の振動だけです。
空気の振動を意識が認識して、初めて音になるわけです。
空気の振動だけじゃ、音って言えないんです。

そう考えたら、誰もいない森で木が倒れたら、音はしてないって話、まんざら、あり得ないってこともないですよね。

次は、音階について考えてみましょう。
長調と単調ってありますよね。
長調は明るい感じ、単調は暗い感じです。
ところで、この長調と単調って、どこにあるんでしょう?
振動する空気の中にあるんでしょうか?

違いますよね。
空気の振動を耳で捉えて、その音のパターンから、長調か単調かを認識するわけです。
つまり、脳の中に、音のパターンを認識するプログラムがあるわけです。
そして、長調なら楽しい感じ、単調なら悲しい感じってなるんです。
楽しいとか、悲しいって感じるのは意識です。
楽しいとか、悲しいって感情を脳が生み出して、それを意識が感じてるわけです。
空気の振動の中に、楽しいとか、悲しいは存在しないですよね。
僕らが感じてる世界って、頭の外の物理世界にあるんじゃなくて、頭の中にあるようです。

ここで、科学について考えてみましょう。
科学革命が起こったのは17世紀です。
科学が対象としたのは、客観的に観測できて、誰でも再現できるものです。
客観的な観測で、地球は太陽の周りをまわってることが明らかとなったわけです。
キリスト協会で教えていた天動説より、地動説が正しいことが明らかになったわけです。
科学のおかげで、人類は大きな発展をしました。
便利で住みやすい世の中になったのは、科学のおかげです。

さて、第161~162回「田方流 完全にオリジナルなアイデアの出し方①~③」で、僕が一番言いたかったのは、全体をどこにするか、そこを慎重にすべきってことです。
多くの人は、ここを、安易に考えすぎてるんです。
みんなが言ってるから、こうしとこうってぐらいで。
でも、全体を小さく見積もると、探してる答えがいつまでたっても見つからないこともあるんです。

それでは、科学が見積もった全体は、どこまでだったでしょうか?
それは、客観的に観測可能な世界全体です。
それ以外の世界は、科学は扱いません。
科学的じゃない世界です。
非科学的な世界です。

科学が扱う全体は、物理世界にあって、客観的に観察できることだけです。
人間がいなくても、物理的に存在するものだけです。
電磁波とか空気の振動とかです。
脳が受け取った後のことは、科学の範疇じゃないんです。

僕らが感じてる世界は、意識が感じてる世界ですよね。
いろんな色が溢れて、楽しい曲や悲しい曲が流れてる世界です。
でも、これらは、科学には含まれません。
完全に無視されています。
意識が感じる世界は、科学的には、存在しないことになってるんです。

何が言いたいか、わかってきましたか?
意識が感じてる世界を無視していいのってことです。
主観で感じてる世界も、世界には変わらないんじゃないですか?
客観的に観測できる世界だけじゃなくて、主観が感じる世界まで、全体を広げてみてみましょうってことです。
そしたら、物凄く偏ってることが見えてくると思います。

目や耳の仕組みは、物凄く細かいことまで分かっています。
どうやって光を受け取るのか、耳の中で、空気の振動を拡大する仕組みとか。
そして、それをどうやって電気信号に変えるかとか。
そうやって電気信号に変換されて、脳に伝えられます。
でも、そこで終わりです。

脳に伝えられた色や音の信号が、どうやって処理されて、この、僕らが感じてる世界になるのかなんか、誰も語らないんです。
なぜか、わかりますか?
それは、科学の範疇じゃないからです。
でも、そんなのおかしくないですか?
っていうか、そっから先を無視するなんて、もったいなさすぎません?

ただ、主観が感じる世界について、科学が全く扱ってこなかったわけじゃありません。
科学で、主観が感じる物を指す言葉が一つだけあります。
それはクオリアと言います。
主観で感じる赤を、赤のクオリアとか言います。

主観を扱う科学がないわけじゃないんです。
でも、主観に関する言葉は、クオリア、たった一語だけなんですよ。
どんだけ、主観世界について研究されてないかってことです。

クオリアって言葉が生まれたのも、20世紀になってからです。
意識を科学を扱うべきだって思ってる人も、徐々に増えてきました。
でも、ほとんど、進んでないのが現状です。
なぜ、一向に、意識科学が進歩しないのかってことについては、次回、お伝えしようと思います。
それから、クオリアに関しては、第30回~34回「クオリアってなんだ」シリーズ①~⑤で語ってるので、興味がある方は、そちらもご覧ください。
それと、チャンネル登録、高評価もお願いしますね。
それから、このチャンネルが本になりました。説明欄にリンクを張っておくのでよかったら読んでください。
それでは、次回も、お楽しみに!