第167回 誕生 主観の科学


ロボマインド・プロジェクト、第167弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

前回の「存在する世界を見るのか? 見るから世界は存在するのか②」の話は覚えていますか?
そこで提案したのは、主観を科学的に扱う方法についてです。

科学の条件を緩めることで、科学で主観や心を扱えるって提案です。
その条件ってのは、客観です。
客観的的に観測できることを絶対条件にすることを止めてみたらって提案です。

でも、客観って基準がなくなれば、何でもありのムチャクチャなことにならないですかねぇ。
本当に、主観だけで、科学が語れるんでしょうか?

そこで、歴史を見直してみたんですよ。
いったい、科学が果たした役割とはなにか。
科学が人文系学問に与えた影響とか何か。
ここでいう人文系って、哲学や、心理学、言語学のことです。
そしたら、重要なことが見えてきたんですよ。
それは、時代背景です。
100年前と今とじゃ、全く時代が違うんです。
それを考慮してないから、科学ほど、人文系学問が、発展してこなかったんです。
そこを、現代に合わせてバージョンアップすれば、主観も、客観的に扱うことができるんです。
主観を客観的に扱うって、なんか意味がよくわからないですよね。
でも、最後まで見れば、僕の言いたいことが分かると思います。
それでは、まずは、哲学を歴史から紐解いていきます。
それでは、始めましょう!

さて、近代の哲学を誰から始めようかと思ったんですけど、やっぱり、フッサール(1859~1938)ですよね。
19世紀の終わりごろ、フッサールが提唱したのが現象学でした。
その頃の時代背景を簡単に説明すると、科学による実証主義が一番盛り上がってる時代でした。
実証主義というのは、理論に基づいて仮説や命題を検証するっていう立場です。
その逆がなにかといえば、神とか、霊魂といった、検証不可能なものです。

実証主義科学の最右翼は、何と言っても物理学です。
天体の動きを、万有引力の法則といった理論で完全に解明したわけです。
すべての天体の動きが、数学から予測できるようになったわけです。

数学という、人間を介在しない、全く別の世界があるわけです。
その数学の世界をつかって、自然界、現実の物理世界を完全に記述したのが物理学です。
神なんか使わなくても、世界を完全に説明できたわけです。

神の代わりになったのが数学とも言えます。
実証主義科学で、この世界、自然界が、どんどん明らかになって来ました。
19世紀のヨーロッパは、後に、科学の世紀とも呼ばれるようになってきました。

フッサールも、数学の研究から初めて、最初、心理学を数学の論理学で解明しようしたそうです。
それまでは、人間の心を説明するのに、神とか、霊魂とかを使ってたわけです。
それを、人の心の奥には、数学的な論理があるはずだ。
それを見つけ出そうと思ったわけです。
でも、残念ながら、それは上手く行きませんでした。

そこで、じゃぁ、神とか霊魂とか使わずに、最も確かなものは何かって考えたわけです。
そして、辿り着いたのが、物事の表面に表れる現象です。
物事の奥に何があるかは分からない。
確かなものは、現象として目の前に現れることだけだ。
フッサールは、事あるごとに「事象そのものへ」と言っていました。
表面に表れる現象は、客観的に観測可能です。
観測可能な事実から、その裏で作用する理論を見つけようとしたわけです。

これ、科学の考えとしては正しいですよね。
難しい言い方をすると、帰納法とか言います。
帰納法っていうのは、様々な事象を集めて、そこから普遍的な理論を推測する方法です。

ところで、帰納法の問題って、何か、分かりますか?
ただただ、やみくものデータを集めても、理論が見つからないこともよくあるんです。
集めたデータが、何らかの理論に則ったデータばかりだと上手く行きます。
たとえば、天体の動きなんか、万有引力の法則に則ったデータばかりだったから、上手く理論を導きだせたわけです。
それが、いろんな理論の上で動いてるデータだったらどうでしょう?
その奥にある理論なんか、なかなか、見つからないですよね。
見つかったとしても、ほんと、基本的な理論になると思います。

たとえば、言語学で考えてみましょ。
フッサールと同じ時代の言語学者にソシュールがいます。
言語学の神様みたいな人です。
ソシュールの最大の発見は、なんといってもシニフィアンとシニフィエです。
たとえば、「犬」について考えてみます。
シニフィアンは、イヌっていう発音を表します。
シニフィエは、犬の意味を表します。
犬の意味は、日本人もアメリカ人も同じですけど、呼び方が違いますよね。
英語だと、ドッグって言いますよね。
ソシュールは、意味は同じでも、発音は言語によって違うってことを指摘したんですよ。

こんなこと言ったら、たぶん、エライ先生に怒られると思うんですけどね。
この話、初めて聞いたときから、なんか、当たり前のこと言ってない?
って思ったんですよ。
簡単な話を、難しいことばで、わざと、分かりにくく説明してるだけちゃうんって。

それはいいとして、言いたいのは、言語って、たぶん、背後にはいろんな理論があって、それらが複雑に絡み合ってると思うんですよ。
そんなの無視して、ただ表面に表れる文字と発音だけ取り出して、共通の法則を導きだすとしたら、最も基本的な法則しか見えてこないと思うんです。
それが、同じ犬でも、言葉が変われば発音が変わるってことです。
これが、帰納法です。

ただ、この手法で大成功したのが物理学です。
自然界で起こる現象を、数学できれいに説明できたんですよ。
数学って、人が介在しない世界、完全に客観的な世界です。
物理科学は、数学というツールを手に入れて、どんどん洗練されていったんですよ。
現象から理論を導き出します。
理論は数式で記述されます。
その数式を使って、現象を予測したり、再現したりできるようになりました。
まさに、これが科学ですよね。
19世紀から20世紀にかけて、みんなが理想としたのは、こういった物理と数学の関係です。
この感じを覚えといてください。

さて、今は21世紀です。
あれから100年経ちました。
この100年、科学技術はどんどん発展してきましたよね。
自動車、飛行機、電話。
いろんな物を発明してきました。
その背後には、数学に支えられた物理理論があるわけです。

ただ、この100年、人文系学問はどれだけ進歩したでしょう?
哲学や心理学、言語学は、何か進歩はあったでしょうか?
たぶん、いろいろ変化があったと思うんですけど、僕ら素人には、よく分からないです。
少なくとも、科学技術のように世の中の景色を変えるほどの進歩は無いように思います。

なんででしょう。
たぶんね、心の世界と物理世界は、同じように考えたらダメなんやと思うんです。
物理世界は、数学って世界が、ピタってはまって、ともに進歩してきました。
でも、心の世界は、数学じゃ説明できないと思うんですよ。

でも、科学は数学ってツールがあって、進歩してきたのは確かです。
心の世界も、数学に変わる、別のツールが必要やと思います。
ここで、僕の提案なんです。
心の世界を説明できるツールです。
100年前には存在しなかったものです。
それは何かというと、コンピュータです。

数学の役割って、なんでした?
それは、人間が介在しない別の世界、別の体系で、現象を説明することでしたよね。
物理世界の現象を、別の世界で説明することで、客観性を担保したわけです。
コンピュータなら、それと同じ役割がはたせるんじゃないですかってことです。

太陽と地球の関係は、質量と距離で決まるわけです。
そのぐらいのシンプルな関係なら、数学で扱えるんです。
でも、人間の心は、そんなにシンプルじゃないですよね。

道歩いてて、前から、人が歩いてきたから避けよう。
このぐらいなら、距離と速度の関係で表現できそうです。
数式で表現して、軌道を計算できそうです。
でも、ここに心が介在すると違ってきます。

あっ、向こうから来るんは、高校ん時の同級生ちゃうかなぁ。
まいったなぁ、今は無職やから、あんまり、話したないんよなぁ。
そや、忘れ物したふりして、引き返そう!
「あれっ、しまった。スマホ家に忘れてもた」

とか言って、突然、引き返したりするわけです。
こんな動き、数式で計算できるわけないですよね。
なんで、急に反転したんかなんて、観測しただけじゃ説明できないです。
これを説明するには、心の中の動きを解明しないといけません。
でも、こんな心の中の動き、数式で表せないですよねぇ。

でも、コンピュータなら、心の中で動いてるルールを再現できそうです。
まず、必要なルールとして、知ってる人に出会ったら、挨拶すべきってことがありますよね。
それから、人間社会は、競争社会でもあります。
どんな仕事してるのかとか、年収とか、そんなことを競うわけです。
どうも、この人、その競争に負けそうだから、競争から逃げようとしたみたいです。

みたいなルールを丁寧にプログラムで書いていくわけです。
かなり複雑になるとは思いますけど、作ろうと思えば作れそうですよね。
でも、数式じゃ、まず、無理です。

分かってきましたか?
心を扱う分野が、なぜ、進歩しないのか。
それは、心は、物理と違って、現象を数学で記述できないからです。
理論というのは、起こっている現象の奥で動く一般化したルールです。
100年前は、このルールを記述するのは、数学しかありませんでした。
人間が介在しない、客観的なルールを記述するのは数学だけでした。

でも、今は違います。
数学で記述できないような複雑なルールもコンピュータプログラムなら記述できます。
コンピュータで心のモデルを作るわけです。
コンピュータで作った心を使えば、行動を再現したり、予測したりできるわけです。
そうなれば、これは科学そのものです。

僕が言いたいことが分かってきましたか。
数学が果たしてきた役割を、次は、コンピュータが担うべきだってことです。
そうすれば、今まで、科学で扱うのは不可能と思われていた心や主観を、科学と同じように扱うことができるわけです。
この100年の科学技術の発展と同じことが、心の分野でも起こるってことです。
街に、心を持ったロボットが溢れる光景が見れるかもしれないんですよ。
それを本気でやろうとしてるのがロボマインド・プロジェクトです。

今回の動画が面白ければ、チャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、このチャンネルが本になりました。
説明欄にリンクを張ってますので、良かったら読んでください。
それでは、次回も、お楽しみに!