ロボマインド・プロジェクト、第178弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
意識なんかを扱う哲学の分野に心の哲学があります。
意識科学とも関連してて、科学と哲学の間の分野です。
心の哲学が扱うのは、心身二元論とか、昔ながらの問題もありますけど、最近は、意識が中心です。
その中で、一番の難問といえば、哲学的ゾンビです。
哲学的ゾンビってのは、一種の思考実験です。
どういうものかと言うと、見た目は人間そっくりで、普通に会話もできます。
喜んだり悲しんだり、感情も持っています。
痛いとかって感覚も持ってます。
だから、手をつねったら、「痛い」といって、手を引っ込めます。
ただ、唯一、違うことがあります。
それは、内面的な経験を持たないってことです。
別の言い方をすれば、意識とか、主観、クオリアを持ってないと言えます。
クオリアっていうのは、意識や主観が感じる感覚のことです。
クオリアの反対は、物理的に測定可能なデータです。
赤色の定義として、物理だと波長700nmの光ですけど、意識が感じる赤を赤のクオリアって言います。
人が感じたり認識できるものは全てクオリアです。
だから、痛みのクオリアとか、楽しいのクオリアとか、ありとあらゆるクオリアが考えられます。
厳密な哲学的ゾンビは、外見だけでなくて、解剖してもわからないものを指します。
つまり、内臓も脳もあって、脳細胞まで人間とそっくりというわけです。
この思考実験、何を言いたいか分かりますか?
それは、一つは、心はどこにあるのかってことを問いたいわけです。
つまり、脳イコール心かってことです。
これは、古くからある心身二元論の問題です。
この問題に対して、僕は、結論を出してます。
第一回「決着!谷村ノート 物理学 vs. 哲学」で語ってます。
答えは、ハードウェアとしての脳が心じゃなくて、脳の上で動くソフトウェアが心だってことです。
心はソフトウェアなんで、ハードウェアである哲学的ゾンビを解剖しても、心があるかないかは分からないわけです。
哲学的ゾンビが指摘してる問題は、もう一つあります。
そっちの方が重要です。
それは、心や意識がなくても、人間は存在するかってことです。
いや、これだと、ちょっと誤解しますよね。
言い方を変えると、意識やクオリアを持たないで、人間のように振る舞うAIロボットを作れるかってことです。
心や意識はソフトウェア、プログラムだとします。
じゃぁ、人間そっくりのロボットを作るとしたら、プログラムで意識やクオリアを作らないといけないのか。
それとも、意識プログラムがなくても、人間そっくりに振る舞うAIロボットは作れるのかってことです。
これが、今回のテーマです。
それでは、始めましょう!
まずは、クオリアを持ってない生物を考えましょう。
たとえば、植物です。
ヒマワリは、太陽の動きに合わせて向きを変えます。
これは、太陽の光を最大に受けれるように動いてるわけです。
つまり、環境に反応してるわけです。
ヒマワリは、主観や意識で考えて、太陽の方を向こうって思ってるんじゃないですよね。
外部環境に反応してるだけですよね。
太陽光という入力に反応して動くプログラムで動いてるわけです。
次は、人間の場合を考えてみましょう。
まず、皮膚で刺激を感じて脳に伝えられます。
脳では、それを「痛い」という電気信号に変換します。
また、意識というプログラムも脳にあります。
この意識プログラムに、「痛い」という感覚が入力されます。
「痛い」という感覚はクオリアの一つ、痛みのクオリアです。
クオリアには、痛みといった感覚のクオリアや、嬉しいといった感情のクオリアがあります。
入力された感覚や感情のクオリアを基に、意識は行動を決定します。
たとえば、痛みといった不快を感じると、その不快を取り除くように行動します。
つまり、手をつねられたら、手を引っ込めるわけです。
痛みでなく、「痒み」はどうでしょう。
「痒い」という皮膚感覚も不快です。
ひっかくと、痒みが取れます。
痒みは、ひっかくという行動を引き起こします。
くすぐったいはどうでしょう。
脇を、こちょこちょこちょってくすぐったとします。
うひゃひゃひゃひゃってなりますよね。
この感覚も、何とかして取り除きたいです。
だから、身をよじって逃れようとするわけです。
さて、これら全ての行動、意識が行っていましたよね。
何らかの感覚のクオリアが意識に入力されて、それに応じた行動を取るわけです。
どの行動を選ぶか、これも意識が決めるわけです。
でも、よく考えてみてください。
この意識の役割、省いてもいいんじゃないですか?
入力に応じた行動のプログラムがあれば、同じことができますよね。
手に痛みを感じたら、引っ込めるプログラムです。
痒みを感じたらかくプログラムです。
くすぐったかったら、身をよじるプログラムです。
どれも、意識プログラムがなくてもできますよね。
ヒマワリみたいに、環境に反応して動くわけです。
意識がないとできないことってあるんでしょうか?
それが、あるんです。
それは、自分でなく、他人の感覚です。
どういうことかと言うと、たとえば、ボクシングの試合を見てたとしましょう。
思いっきり殴られるのをみたら、痛そうって思いますよね。
これが他人の感覚を感じるってことです。
それじゃぁ、他人の痛みは、どうやったら感じれるのでしょう?
その時に使われるのがミラーニューロンです。
ミラーニューロンは、自分でなく、相手の動作を見て、自分も同じように感じる機能です。
相手が何かを掴むのを見たとき、自分の脳の、物を掴む部分が反応するとかです。
相手が殴られてるのを見て、痛そうって感じるのもミラーニューロンの機能を使ってるわけです。
この仕組み、もう少し詳しく見て行きましょう。
皮膚感覚のパターンで痛みとか痒みとか判断するわけです。
第172回「意味がわかるって、こういうことだったのか!」で、「こする」とか「ぶつかる」の意味を定義しました。
多数の接触センサーが張り付いたブロックの反応パターンで「こする」とか「ぶつかる」を定義しました。
これは、皮膚感覚で言葉の意味を定義したわけです。
こんな風に、皮膚感覚のパターンで、ぶつかるとか、痒み、くすぐったいといった意味を定義できそうです。
それを頭の中に記憶しておくわけです。
そして、ボクシングの試合を見て、顔を殴られてるシーンを見たら、殴るパターンを、自分の顔に当てはめれば、「うわっ、痛そう」って感じるわけです。
自分が殴られてるわけでもないのに、痛そうって感じれるわけです。
ここらで、話を整理します。
植物などは、環境に反応して生きています。
太陽の光が出来るだけ当たるよう向きを変えるとか。
これは、物理世界からの入力に対応した動作が決まってるわけです。
入力で出力きまるタイプのプログラムで動いてるといってもいいです。
このタイプのプログラムでチャットボットを作るとしたら、シナリオベースのチャットボットになりますよね。
「こんにちは」と言えば、「こんにちは」って答えるって、最初っから決まってるわけです。
簡単に言えば、今のAIスピーカーですね。
でも、AIスピーカーに、意識があるとは思わないですよね。
だから、入力に対する出力が決まってるタイプのプログラムは、意識がないと言えます。
それじゃぁ、人間の場合はどうでしょう?
人は、意識を持っています。
意識は、物理世界からの入力を直接受け取ってません。
意識は、皮膚からの入力を直接感じるんじゃなく、クオリアに変換して感じます。
つまり、痛みのクオリアは、皮膚感覚から独立してるわけです。
この仕組みだと、痛みのクオリアを生み出すのは、自分の皮膚刺激だけでなくてもできます。
例えば、目からのデータからです。
つまり、他人が殴られてる光景を見て、その人が感じてるだろう痛みのクオリアも、生み出すことができるんです。
そうすれば、意識は、痛みのクオリアを感じることができるわけです。
他人の痛みが理解できるわけです。
「殴られて痛かったんじゃないですか?」って声をかけることができるんです。
AIスピーカーにそう言われたら、自分の気持ちが分かってるって思いますよね。
つまり、相手の気持ちを理解するには、意識とクオリアって仕組みが必要ってことです。
会話をするには、相手の気持ちが理解できないといけませんよね。
そのために必要な仕組みが、意識とクオリアです。
クオリアを介して、世界を認識する仕組みです。
さて、最初の質問、覚えていますか?
人間と見た目が全く同じ哲学的ゾンビの話です。
見た目だけじゃなくて、会話も普通に出来て、人間と見分けがつきません。
ただし、一つだけ違うところがあります。
それは、クオリアや意識を持ってません。
それが哲学的ゾンビです。
果たして、哲学的ゾンビは存在し得るのか?
これが質問です。
もう、分かりましたよね。
答えは、存在し得ないです。
なぜなら、自然な会話するには、相手の気持ちを理解できないといけません。
相手の気持ちを理解するには、意識とクオリアの仕組みが必要不可欠なんです。
心の哲学の難問、哲学的ゾンビ。
これできれいに解決できました。
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それから、このチャンネルが本になりました。
説明欄にリンクを張ってますので、良かったら読んでください。
それでは、次回も、お楽しみに!