ロボマインド・プロジェクト、第181弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
最近は、SNSでの情報交換が多くなってきましたよね。
僕も、AI関連とか、いろんなSNSグループに入ってます。
ちょっと前、意識とは何かって討論してるとこがあって見てたんですよ。
「神から与えられたもの」とか、「自分を一つにまとめる物」とか、いろんな意見がでてました。
どれもそれらしく聞こえますよねぇ。
まぁ、見ようによっては、答えのない空虚な議論にも聞こえます。
たぶん、2000年以上前から、世界中で同じような議論してたと思います。
僕が提案する「意識の仮想世界仮説」もその一つかもしれません。
でも、一つだけ、他と大きく違うところがあります。
それは、コンピュータで意識をつくるってアプローチを取っていることです。
システムを組み立てるように意識や心を組み立てていこうとしてるんです。
これの何がいいかって言うと、どう扱っていいかわからない心や意識といったものを、プログラムのパーツって形で扱うことができるんですよ。
具体的なパーツなので、システムとして組み上げることができるんです。
ああでもない、こうでもないって、同じところをぐるぐる回ってるだけの議論から、ようやく抜け出せたわけです。
さて、前回、第181回「感情?そんなもの存在しない」のテーマは感情でした。
感情は、心のシステムの中で、最も重要なパーツとなります。
なぜかと言うと、感情が、人を行動の原動力となるからです。
自動車で言えば、エンジンです。
今回は、この感情というエンジンが、どんな働きをするかについて、詳しく見て行きます。
それでは、始めましょう!
感情を含めて、何らかの行動を呼び起こす心理を、僕は心理パターンと呼んでます。
何か認識して、心理パターンが発生すると、何らかの行動が呼び起こされます。
たとえば、恐怖って感情だったら、逃げ出したくなるとかです。
ここまでは、わかりますよね。
でも、中には意味が分からないものもあります。
何でそんなことするのか、自分でも説明できない行動とかです。
それは、強迫性障害とか脅迫症と呼ばれるものです。
何度も手を洗わないと気が済まないとか、鍵を閉め忘れてないか気になって、何度も家に戻って確認してしまうとかです。
僕は、あまりそう言うのはないと思ってたんですけど、よく思い出したら、小学校のとき、ありました。
どういうのかというと、何でも、左右対称に触らないと気が済まないって症状です。
例えばテレビがあって、テレビの右端を触ったら、左端も触らないと気持ちが悪く感じるんです。
机の右側を触ったら、左側も触らずにおれないんです。
左右対称の、ちょうど反対の位置を触りたくなるんです。
そんなことしても意味ないってことは分かってるんですけど、なんか、気になってしまうんですよね。
これは直さなあかんなぁって思ったんですけど、我慢すると、ますます気になるんです。
そこで頭の中で触ってるとこを想像するようにしたんです。
触ってるとこ想像しただけじゃ、効果が薄いんで、触るだけじゃなくて、バンバン叩くぐらいを想像して、ちょうどいいって感じでした。
そんなことしてるうちに、気が付いたら直ってたみたいです。
さて、この症例について、もう少し考えてみましょう。
意識が認識するのは、頭の中に構築した仮想世界です。
これが、僕が提唱する「意識の仮想世界仮説」です。
詳しくは、この本に書いてあります。
説明欄にリンクをはってますので、興味ある人は読んでください。
さて、テレビの右側を触ったら、たぶん、仮想世界の中のテレビの左側が、触られてないってなるんですよ。
たぶん、その頃の僕は、何でも平等でないといけないとかって、思ってたんやと思います。
兄弟で、ケーキの大きさは同じでないといけないとか。
そんな平等思想を、何にでも当てはめてたんやと思います。
それで、テレビの右側を触ったら、左側も触らないといけないって強迫観念が発生したんやと思います。
でも、実際のテレビは、左も触って欲しいなんて、思ってないですよね。
つまりね、意識が認識する世界は、現実世界そのものじゃないわけです。
頭の中につくった仮想世界なわけです。
その仮想世界って、人によって、違うわけなんですよ。
見た目はおんなじでも、気になるポイントが、人によって違うんですよ。
これが主観が感じる世界です。
強迫症ってのは、その頭の中の世界と、現実世界を一致しないと気が済まないってことやと思うんですよ。
ここ、重要なとこなんで、ていねいに考えて行きますよ。
頭の中の世界と現実世界が一致しないといけない。
一致するように行動しないとおれないってわけですよね。
「~せずにおれない」って、何かに、行動させられてるわけです。
自分じゃない、何かに行動させられてるんですよ。
これ、何か、気づきませんか?
そう、これって、自由意志がないってことですよ。
まぁ、我慢できるので、完全に自由意志がないってわけじゃないですけど。
どうも、この話、自由意志につながってきそうです。
もう少し考えて行きますよ。
動物で考えてみます。
たとえば、犬は、目の前にエサがあると、すぐに食べようとします。
でも、しつけると、マテができるようになります。
ヨシと言われるまで待てるようになります。
これ、目の前のエサをみたとき、頭の中には食べたいとか、食べてるところを想像してるんだと思います。
その頭の中で思い描いてることと、現実とのギャップを埋める方向に行動させられてるとも言えます。
それが欲求です。
犬は、その欲求を抑えて、我慢することができたんです。
これができるっていうことは、「欲求」というものを、頭の中の仮想世界と切り離すことができるとも言えます。
この能力が、自由と言ってもいいかもしれません。
逆に言えば、現実を仮想世界として認識してるから、欲求を切り離すことができるとも言えます。
たとえば、カエルだと、いくらしつけても、マテはできるようになりませんよね。
これは、カエルは、仮想世界を使ってないからだと思います。
仮想世界を使わず、外の世界に直接反応してるわけです。
外の世界からの入力と、外の世界への行動が一体になってるんだと思います。
つまり、欲求だけ、分離できる構造にはなってないんだと思います。
欲求というのは、心理パターンの一種です。
仮想世界とか、意識とか、心理パターンといったパーツを使って、心のシステムが組み立てられてるんです。
人間の心って、複雑だってことがわかってきましたか?
単に、外界に反応するカエルみたいなシステムとは違うんですよ。
もう少し行きますよ。
第176回「見るとはこういうことだったのか!」で説明しましたけど、目の前に何か物があるって認識した時には、それは、無意識が解釈した物を、意識が認識してるんです。
目の前にある机を見た時には、無意識が机って解釈して、意識に提示してるんです。
机を解釈するって言うのは、どのくらいの硬さだとか、どうやって使うかって情報を付加してるってことです。
注意して欲しいのは、この処理は、意識が認識する前の段階で、無意識が行ってるってことです。
つまり、意識には気づきようがないってとこです。
だから、意識は、世界って、はじめっから、見た通りの世界があるって思うんですよ。
これが、不自然とも何とも思わないんですよ。
でも、それは違うんですよ。
違和感なく自然に見えてるってことは、無意識が、矛盾のないように整理して、意味を解釈してから提示してるんです。
だから意識は、自然に感じるんですよ。
さて、テレビの右側を触ったとき、何が起こりましたか?
左も触らずにおれないって感じましたよね。
それは、無意識が「左も触るべき」って情報を世界に付加してるわけです。
左右均等に触るべきって心理パターンを付加してるわけです。
意識は、それを認識して、左側も触りたくなるわけです。
もし、目の前に毒蛇がいたら、すぐに逃げないといけません。
そう駆り立てるのが、恐怖の心理パターンです。
これは正しい反応です。
でも、テレビに右を触ったら、左も触らずにおれないって駆り立てるのは、これは正しくないですよね。
一度手を洗っても、何度も手を洗わないと気が済まないとか、これも正しくないですよね。
この仮想世界と、「~せずにおれない」のつながりが強力なほど、自由度が少ないんです。
この「~せずにおれない」って心理パターンと、仮想世界との結びつきが少なければ少ないほど、自由になれると思うんです。
進化の過程で哺乳類は意識を獲得しました。
仮想世界を介して、意識は、現実世界を認識するって方法です。
それまで、外界の認識と、外界への行動が一体となってたのが、分離できるようになったわけです。
外界の認識が、仮想世界を介して認識するようになりました。
それとともに、外界と一体となってた行動パターンが、心理パターンとして分離されたわけです。
心理パターンは、「~せざるにおれない」って形で、意識に行動を促します。
それまで外界に反応してたって単純なシステムから、外界を仮想世界として分離し、外界への行動を心理パターンとして分離したわけです。
これが進化の過程で起こったんです。
もう少し考えますよ。
もし、「~せずにおれない」だけで行動してたとしたら、それは自由意志がないと言えます。
「~せずにおれない」が少なくなれば少なくなるほど、自由意志に近づくんです。
そうやって、少しずつ、自由を獲得してきたんだと思います。
おそらく、進化の過程で、そういった心理パターンを、どんどん外すことで、人類は、自由になれたんだと思います。
サルから人類って、見た目は、そんなに大きな進化をしてないじゃないですか。
でも、全然違う生活してますよね。
たぶんね、肉体的な進化より、頭の中の進化の方が大きかったんだと思うんですよ。
つまり、どのように世界を認識するようになったかって進化です。
このことに関しては、第51回~54回の「脳と心の進化論」シリーズでも語ってあるので、よかったらそちらも見てください。
さて、それじゃあ、この先、人類はどう進化していくんでしょう?
サイコパスって聞いたことありますか?
よく、映画に出てきますよね。
映画に出てくるサイコパスは殺人鬼ばかりなので、平気で人を殺す人をサイコパスって勘違いしてる人がいますけど、そうじゃないんですよ。
サイコパスの正しい定義は、感情が著しく欠けている人です。
愛情や思いやりとか、道徳や倫理観が希薄な人です。
つまり、そういった感情に左右されず、理論的に正しい行動ができるわけです。
これって、完全な自由意志を持ってるって言えないですか?
たぶんねぇ、サイコパスって、人類の次の進化系だと思うんですよ。
情に流されて、大事な判断が遅れるとかって、古い人類がやらかすことなんですよ。
さて、どうなんでしょうねぇ。
はい、今回の動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それでは、次回も、お楽しみに!