自分って、この意識のある自分一人だと思ってますよね。
でも、それ、違います。
意識のある自分と、意識のない自分がいるんです。
ロボマインド・プロジェクト、第19弾
ロボマインドの田方です。
予告通り、今回から、ロボマインド・プロジェクト、「意識編」がスタートします。
今までのAIの話とは、全く違う話となります。
ディープラーニングも、ペッパー君も出てきません。
正直に言います。
このシリーズ、かなりヤバいです。
聞いてて、頭がくらくらしてくるかもしれません。
何を言ってるのか、さっぱり意味が分からないという人もいるかもしれません。
好き嫌いがはっきり分かれると思いますので、まずは、今回の話を聞いてもらえればと思います。
それでは始めます。
さて、意識科学が本格化したのは、20世紀の終わりごろです。
まだ、歴史も浅いので、ちゃんとした定義もありません。
中には、サーモスタットにも意識があるという人もいますし、インターネットにも意識があるって話もあります。
一般的に言う意識は、目が覚めて、起きてるときの状態を指します。
深く眠っているときには意識はありません。
この定義の場合、人間以外の動物にもあると言えます。
ロボマインド・プロジェクトが目指す意識は、ちょっと違います。
人間のみが持つ意識を目指します。
つまり、言葉をしゃべって他人とコミュニケーションが取れる意識です。
人間も、寝てるときと起きてるときがあります。
人は、起きてるときの活動が、全て、意識的かと言うとそうではありません。
たとえば、自転車や、自動車の運転をするとき、意識せずとも、無意識でハンドルを操作していますよね。
自転車に初めて乗った時のこと、思い出してください。
まっすぐ走ろうと思ってて、右にずれると、左にハンドルを切って。
そしたら、今度は左にずれるから、あわてて右にハンドルを切ると、今度は大きく右にずれて。
そんな風にふらふらしながら、必死でハンドルを操作してましたよね。
それが、慣れると意識しなくても、まっすぐ乗れるようになります。
自動車の運転も同じです。
最初の内は、必死で運転に集中してますが、慣れると、助手席の人と、話しながら運転できるようになります。
これは、無意識で操作してるわけですよね。
喋りながら運転してる場合、意識してるのは、会話の内容で、運転は無意識でしてます。
どうやら、ここに、意識と無意識の違いがありそうですね。
起きている間の活動も、無意識でできる活動と、意識しないとできない活動があるようです。
この違いって、何でしょう?
実は、無意識でする処理と、意識してする処理、脳の中で完全に二つに分かれているんです。
まずは、その説明をします。
盲視っていう脳障害、聞いたことありますか?
盲目の盲と、視力の視で盲視って書くんですけど。
眼球が損傷したわけじゃなくて、脳の一部が損傷して、目が見えなくなるって症状なんです。
交通事故や脳内出血で起こることがあるようです。
目が見えないだけなら、何も、不思議はないです。
問題は、ここからです。
その人に、黒いスクリーンに光の点を照射して、「どこが光ってるか当ててみて」っていいます。
当然、「見えないのに、分かるわけないよ」って言います。
そこで、「デタラメでもいいから、指さしてみて」って言います。
そうして指さしてもらうと、100発100中で当たるんです。
光の点以外でも、棒を見せて、その棒が縦か横かを答えさせる問題でも、100発100中で当てるんです。
本人にどうやって当てたのか聞いても、分からないって答えます。
本当に、あてずっぽうで当ててるらしいんです。
不思議ですよねぇ。
この症状のポイントは、脳の中の、損傷の起こった場所なんです。
眼で見た情報は、脳内で順に処理されます。
まず、眼からの情報は、後頭部の一次視覚野と呼ばれるところに送られます。
その後、二つに分かれて前の方に送られます。
一つは、背側視覚路とよばれる、脳の上側を通る経路です。
もう一つは、腹側視覚路とよばれる脳の下側を通る経路です。
この二つの経路に分かれて、視覚情報が処理されるわけです。
そして、盲視の場合、腹側視覚路が損傷した場合に起るのです。
背側視覚路は、「どこの経路」とも呼ばれて、物の位置や、動きを分析する経路です。
腹側視覚路は、「何の経路」と呼ばれて、物が何かを認識する経路です。
「これが何かわかりますか?」って質問に答えれるのは、それが「何か」を認識できるからですよね。
何かを認識して、「それは鉛筆です」とか答えれるわけです。
そうやって、何かを認識して、それに対して質問したり、答えたりするわけです。
これが会話です。
言葉を理解したり、会話したりする脳の部位があって、そこにつながるのが「何の経路」なんです。
光の点の位置を指差すことができるとは、物の位置を特定したり、それに対して反応できるってことです。
眼から入ってきた情報から、何かの位置や動きに応答して、反応する脳の部位があって、そこにつながるのが「どこの経路」のようです。
さて、面白くなってくるのはここからなんです。
人間は、二つの方法で認識してとかって、そんな単純な話じゃないんです。
「光の点はどこですか?」って会話してる自分。
これが、意識のある自分ですよね。
間違いないですよね。
光の点がどこにあるかわからないけど、指差すことができる自分。
指差してる自分は、意識ではわかってないようです。
どうも、意識のないとこに、もう一人の自分がいるようなんです。
なんか、おかしな話になってきましたねぇ。
自分って、この意識のある自分一人だと思ってますよね。
でも、じつは、そうじゃないみたいなんですよ。
意識のある自分と、意識のない自分がいるみたいなんです。
ここで、意識のある自分を表の自分と呼ぶことにしましょう。
意識のない自分を裏の自分と呼ぶことにしましょう。
僕らが見て、感じてる世界は、表の自分が感じてる世界です。
僕らは、表の世界を生きてるわけです。
でも、裏には、もう一人、別の自分、裏の自分がいて、裏の自分が感じてる世界もあるんです。
表と裏の自分がいて、それぞれが生きる表と裏の世界があるんです。
その二つの世界、絶対、交わることがありません。
普通は、そんな世界があることなんか、知ることなく、一生を終えるんです。
でも、皆さんは、知ってしまいました。
知ってしまったからには、裏の自分、裏の自分が生きてる裏の世界、もっと知りたくなりますよねぇ。
それでは、想像力を限界まで働かせて、裏の自分が感じてる世界を、何とか、想像していきます。
盲視の実験、実は、まだ続きがあるんです。
「光の点を指差してください」って言ったら、100発100中で指差せましたよね。
ところが、光を消して、「今、どこに光の点がありましたか?」って聞くと、
今度は全然、当てれなくなるんですよ。
「あてずっぽうで指差してください」っていっても、全然当たらないんですよ。
どうやら、裏の自分は、少し前のことを覚えることができないようです。
正確に言うと、世界の状態を記憶できないようです。
ここで、表の自分と裏の自分を整理しておきます。
表の自分っていうのは、意識を持っている自分です。
これは何、あれは何って、物を認識したり、言葉を交わしたりできる自分です。
さっきまであった光の点とか、世界の状態を記憶することができます。
裏の自分というのは、意識はありません。
でも、物の動きに反応したりできます。
自転車や自動車を無意識で運転してるのは、どうやら裏の自分のようです。
話しながら運転できるのも、会話する表の自分と、運転する裏の自分と、二人の自分がいるからできるようです。
ロボマインド・プロジェクトが目指す意識っていうのは、この、表の自分の意識です。
単に、目が覚めて活動しているときの意識ってことじゃないんです。
目が覚めて、活動するだけの意識なら、動物にもあります。
それが裏の自分です。
それでは、動物にもある裏の自分について、もう少し考えてみましょう。
僕は、昔、簡単なロボットを作ったことがあります。
ロボットと言っても、手足があるロボットじゃなくて、車輪がある自動車です。
ライントレーサーと言って、白い紙の上に黒いラインを書くと、それに沿って走るマイコンロボットです。
車体の裏に4つのセンサーがあって、そのセンサーでラインの位置を検出して、ラインから右にずれれば左にハンドルを切って、左にずれれば右にハンドルを切るようにマイコンで制御するわけです。
これで、ラインにそって走行できるわけです。
人間に当てはめると、センサーが眼です。
マイコンが脳です。
ハンドルや車輪を回転させるモーターが、手足の筋肉となります。
ラインセンサーは、ラインの位置をセンサーで認識して、それに反応して動いているわけです。
反応で動くので、これは裏の自分ですよね。
つまり、ラインセンサーは、人間のような意識はないわけです。
ラインセンサーにとって世界とは、白い紙と、その上に引かれた黒いラインです。
それでは、ライントレーサーが感じてる世界って、どんなものでしょう。
ライントレーサーは、4つの眼しかありません。
四つの眼で世界を把握します。
ということは、世界は点でできてるのでしょうか?
4つのうち、どれが白で、どれが黒かのパターンが世界なのでしょうか?
センサーが4つだから、世界が4つの点だと思ってるんですよね。
じゃぁ、4つのセンサーとか、ケチ臭いこと言わないで、100万画素のビデオカメラとか付けてあげれば、もっとリアルな、今見てるような、こんな世界が感じられますよね。
でも、そう考えるのは、表の人間だからです。
意識を持った表の人間は、こうやって感じてる世界が、あまりにも当然すぎて、それ以外の世界を想像することができないんです。
裏の人間には、表の人間のような意識がないんですよ。
問題は、センサーの数とかじゃ、ないんです。
どんな風に世界は見えるかとか、それは意識があるから考えるんです。
意識のない裏の人間は、考えるということすらできません。
ただ、センサー入力に反応してハンドルを切るだけです。
センサーが100万画素になっても、1000万画素になってもいっしょです。
ライントレーサーにとって必要なのは、今、この瞬間、どんな動作をすべきかだけなんです。
認識した世界に、どう反応するのか、それさえわかれば、世界の中で生きて行くことができます。
だから、世界の状態を記憶する必要もないんです。
これが、正しい世界の認識の仕方なんです。
ライントレーサーだけでなく、人間以外の他のすべての動物も同じです。
現実世界に対して、どう反応し、どう動くか。
それだけが必要なんです。
それさえわかれば、生きていけるんです。
つまり、現実世界を本当に生きてるのは、意識のない裏の自分です。
バランスを取りながら自転車を運転する自分です。
センサーに反応してハンドルを切るライントレーサーとかです。
これが、まさに、現実世界をありのままに捉えているわけです。
ということは、表の自分が感じてる、この世界は、本当の世界じゃないんです。
現実と感じてるこの世界は、実は、幻想なんです。
えっ、でも、ここにソファがありますよね。
その下に床があって、上には天井がありますよね。
まぎれもなく、これが現実世界ですよね。
それは間違いないじゃないですか。
そう、あなたは思うでしょう。
でも、本当にそうだって、言いきれます?
だって、人間以外は、そんな風に、世界を感じていないんですよ。
まだ、信じれないあなたのために、この世界は、ただの幻想だってことを、これからじっくりと証明していきたいと思います。
これが、ロボマインド・プロジェクト 意識編です。
だから、ヤバいっていったでしょ。
この話、知らない方が、絶対に幸せに生きて行けます。
それでも知りたいって方は、次回を、お楽しみに!