ロボマインド・プロジェクト第202弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
最近、僕が、よく考えてるのは文です。
文とは、何かってことです。
主語とか述語とか、動詞とか助動詞とか。
言ってみれば、文法です。
文法って何。
これって、かなり重要だと思うんですよ。
たぶんねぇ、人間の思考って、文法で制限されてると思うんですよ。
文法を超えたことって、そもそも、想像することもできないと思うんですよ。
そんなことを考えながら、文法について調べてたんですよ。
たとえば、第200回「秋とも物語と助動詞と・・・」で助動詞「べし」を取り上げました。
ネットで調べると、必ず出てくるのが、中学や高校で習う文法です。
助動詞「べし」には、意味は六つあるそうです。
「推量」「意志」「可能」「当然」「命令」「適当」の六つです。
ほんで、その覚え方も載ってました。
覚え方は、「スイカとめて」だそうです。
「推量」「意志」「可能」「当然」「命令」「適当」の頭文字を繋げたわけです。
これ、どう思います?
こんなん見ると、なんか、腹立ってきます。
いったい、何、やってんねんて。
国語って、そういうこと?
だいたい、そんなこと覚えて、何の役に立つの。
いや、それ以前に、もう、考えるってことを、放棄してるやん。
国語って、暗記科目じゃないでしょ。
国語というか、言葉って、もっとも人間らしさを形作ってるもんですよ。
何気なくしゃべってる言葉とか、自然に使いこなしてる文法って、そこにこそ、人の思考の原形があるんです。
それを追及すると、人間とは何かって、本質が見えてくるもんなんですよ。
それを、「べし」の意味は「スイカとめて」で覚えましょうって。
ホント、何教えてんの。
そんな授業、面白いわけないでしょ。
まぁ、たしかに、文法の授業が楽しいなんて言ってる人、聞いたことないですけどね。
でも、じつは、国語で一番面白いのは、文法なんですよ。
そこで、今日は、僕なら、国語の授業、こうやるってのをやってみようと思います。
文法から人間の本質に迫る授業です。
それでは、始めましょう!
まず、何から話そうと思ったんですけど、助動詞の意味から考えてみます。
たとえば、「~したい」の「たい」。
意味は希望です。
「~したい」なら、人間でなくても動物でも持ってるって思いますよね。
たとえば、犬は、美味しそうな肉を見たらワンワン吠えます。
これは、その肉が食べたい、食わせろって言ってるわけです。
「食べたい」って希望です。
さて、この犬のワンワンと、人の「食べたい」とは同じでしょうか?
これについて考えてみます。
犬は、その肉くれって、ワンワン吠えます。
ほんで、肉をもらえると喜んで食べます。
でも、犬は、人間の子どもが、「お菓子ちょうだい」と言ってるのを見て、「あぁ、あの子はお菓子が食べたいんだんぁ」とは思わないです。
この違い、分かりますか?
まず、犬は、自分は食べたいって感じてます。
それは間違いないです。
でも、他人が食べたいって思ってるのは分かってないようです。
これって、どういうことでしょう?
それは、自分の思考を分離できてないってことです。
「食べたい」って思いだけ、分離するってことです。
この「分離」って考え方、ものすごく重要なんです。
「分離」の反対は、繋がってる、または流れってイメージです。
犬の場合、肉を見せられて、食べたいけど、食べれなくて、不満を感じます。
その不満の表現が、ワンワンです。
それで、肉をもらえたら、それに飛びついて食べて満足します。
肉を認識してから食べるまでの行動が一連の流れとなってますよね。
世界の変化に反応して動いてるわけです。
これって、世界の一部と言ってもいいです。
じゃぁ、「肉を食べたい」って考えることができるって、どういうことでしょう?
「肉を食べる」って自分の行動と、「肉を食べたい」って思考とを分離できてるってことですよね。
つまり、「肉を食べたい」って思ってる自分を、世界から切り離さないといけないんですよ。
それって、どういうことでしょう?
それは、「肉を食べてる」自分を、外から認識するってことです。
つまり、自分を客観的に認識するってことです。
じゃぁ、どうやって、自分を客観的に認識できるんでしょう。
そのために、人は、世界を認識する、心のシステムってのを持ってます。
心のシステムは、目で見た世界を頭の中で仮想世界として組み立てます。
意識は、その仮想世界を介して現実世界を認識します。
これを、僕は、意識の仮想世界仮説と呼んでいます。
詳しくは、この本に書いてます。
説明欄にリンクを張ってますので、興味ある方は読んでください。
さて、現実世界を仮想世界として作れば、その仮想世界には自分も含まれますよね。
意識は、仮想世界にいる自分も認識することができます。
つまり、自分を客観的に認識できるわけです。
これ、逆に言えば、仮想世界を介して現実世界を認識する仕組みがあって、初めて、意識は、自分を客観的に認識できるようになったとも言えます。
ここで、重要なのは意識です。
主観的な視点ってのは、この目を通して見えてる世界ですよね。
客観的な視点ってのは、今、自分はこの部屋にいるって、外から自分を認識するって感じですよね。
ここで分ける、分離が出てくるんです。
意識が、自分の身体から分離したんです。
魂とかって話をしようとしてるんじゃないですよ。
認識の仕方の話です。
認識する主体と、自分の身体を分離して考えることができるようになったんです。
自分の体と、それを認識するものが分かれたって感じです。
ここ、別の見方をしてみます。
自分の体を動かすプログラムと、観察するプログラムがあるわけです。
それが、今までは一体だったわけです。
目で見て、世界を認識して、体を動かす。
これらが一体だったわけです。
認識、思考、行動が一連の流れて繋がってたわけです。
それが犬です。
それを、体を動かすプログラムと、世界を観察するプログラムとに分けたわけです。
僕も、プログラムを書くので、分かるんですけど、いいプログラムって、見たらわかるんですよ。
なるほど、そこで分けたかって。
上手いこと設計したなぁって。
プログラムってね、いくつもの部品に分けて作るんですよ。
下手なプログラマーって、一つに部品に全部入れこむんですよ。
その方が、速く作れますしね。
でも、そんなプログラムって、メンテナンスが大変なんですよ。
後から見ても、読み解くのが大変です。
機能拡張も難しいんですよ。
でも、上手いプログラマーって、後後のことまで考えて作るんですよ。
そのために、最初っから機能を分離して部品に分けて設計するわけです。
どう部品に分けるかってとこが、腕の見せ所なんです。
なんせ、将来、何が起るか分からないわけです。
それを見越して、最初の設計を考えるって、もんのすごい、難しいわけです。
生命を最初に設計したのは、神さんか、宇宙人か知らないですけど、とにかく、天才ってことは間違いないです。
特に、観察する部分ってのを、別部品として設計したってのは、スゴイです。
今までは、目の前の肉に反応して、ワンワン吠えるってプログラムで動いてたわけです。
それが、じつは、行動プログラムと観察プログラムって分割して設計されてたんですよ。
今、目の前に肉がある。
食べたいけど食べれない。
不満だぁ。ワンワンワン。
あっ、今、自分は、ワンワンって吠えてるぞ。
これが、自分の行動を観察するプログラムです。
次は、このプログラムの中身まで踏み込んで見て行きましょう。
観察するって、何をしてるかわかりますか?
対象から、何らかのデータを取得してるわけです。
通信してると言ってもいいです。
行動と観察が一体となったプログラムの場合には、通信なんか必要ありません。
プログラムを分離することで、データのやり取りが必要になったんです。
これ、どういうことか分かりますか?
観察してる対象を、データに置き換えて通信してるんです。
肉とか、ワンワン吠えてるとかを、データに置き換えてるんです。
何を言おうとしてるか、わかります?
対象を別のデータに置き換えてるんですよ。
これって、一種の記号化ですよね。
肉って記号。
ワンワンって記号。
世界に存在するもの、それを別のデータに変換するわけです。
ほんで、観察プログラムは、そのデータを受け取って、肉とかワンワンて認識するわけです。
このデータ、何を指すかわかりますよね。
それは、単語です。
言葉です。
言語の原形ってわけです。
行動プログラム、観察するプログラム。
そして、それらを繋げる通信システム。
これらの仕組みがあって、初めて、言語が生まれたわけです。
進化の過程で、観察プログラムを分離することで、自然と、言語を生まれたんですよ。
どう思います。
設計段階で、そこまで考えてたんでしょうかねぇ。
さすが、神ですよねぇ。
この話、まだ続きますよ。
さて、この観察プログラム、何をしてました?
自分は、今、肉をみてる。
自分は、今、ワンワン吠えてるって観察してましたよね。
この観察プログラム、いったい、何か分かりますか?
それは、自分その物です。
自分って主体です。
意識と言ってもいいです。
つまり、自我が生まれたんです。
いやぁ、これを設計した神さん、ほんと天才ですよねぇ。
やったのは、最初に、生命の設計図を描いただけです。
生命ってのは、遺伝子を使って自分を複製するシステムです。
ほんで、複製段階で、わざと、誤差がうまれるように設計してるんです。
それが、進化です。
その誤差の現れやすさは、最初の設計段階で、ある程度決まってるわけです。
たとえば、二つの部品が一体となって動いてたのが、二つに分かれるとかです。
それが、行動プログラムと観察プログラムです。
そして、人間まで進化した生物は、観察プログラムが完全に分離しました。
そして、やがて、言語を生み出しました。
言葉を介して、ほかの人とコミュニケーションが取れるようになったんです。
こうやって、社会が生まれます。
そして、自分の考えと、他人の考えとは違うって気づきます。
自分と他人。
他の誰でもない自分って存在。
それに気づくようになりました。
これが自我です。
自我が生まれました。
はい、これが、田方流国語の授業です。
もう、国語か、生物学か、プログラムか、宗教か、なんか分からない授業になりましたねぇ。
もし、こんな授業をもっと受けたいと思いましたら、チャンネル登録、それから高評お願いしますね。
それじゃぁ、次回も、お楽しみに!