ロボマインド・プロジェクト、第210弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
前回、第209回で、術後に見た不思議な光景の話をしました。
今回の手術、「なんで、また手術せなアカンのや」って、最初、思いました。
でも、今思うと、不思議な光景を見させるためやったんちゃうかなぁって思うんですよ。
というのも、全ての始まりは、25年前の手術です。
その時の話は、第105回「開腹手術中に全身麻酔から目覚めた話」でも語りましたけど、大腸がんになってましてね、退院時には、5年生存率は30%って言われてたんですよ。
まぁ、それで、これからは好きなことだけするぞって思って、ロボマインド・プロジェクトが始まったってわけです。
ロボマインド・プロジェクトが目指すのは、普通に人と会話できるシステムなんですけど、これが、思った以上に厄介なんですよ。
何が厄介かって言うと、言葉の意味を理解するって、未だに分かってないんですよ。
それで、意味理解を追求したら、結局、人はどうやって世界を認識してるのか分からないといけないってなったわけです。
思い返してみれば、僕は、中学ぐらいからずっと、物を見るとか、認識するって、どういうこと?って思ってました。
それで、脳科学の本とか読んだんですけど、どれも、ちょっと違うなぁって思いました。
今考えると、それって、意識のハードプロブレムだったんですよね。
意識のハードプロブレムってのは、脳が行う処理をいくら追及しても、意識や主観は見えてこないって話です。
つまり、客観と主観は断絶してるってことです。
それで、脳科学って、客観の方です。
僕が知りたかったのは、主観の方だったんですよね。
主観は、どうやって世界を見て、認識してるのか。
見えるって、いったい、どういうこと?
それを知りたくて、いろんな方面から探ってきました。
たとえば、夢とか、幼少期に見た不思議な光景とか。
それから、自閉症患者の話とか、アマゾンに住む民族の話とかも、かなりヒントになりました。
ただ、どれも、いってみれば、二次情報です。
他人が経験した話とかです。
それが、今回、意識がはっきり覚醒した状態で、直接確認することができたんです。
不思議な光景を、冷静に観察することで、普段見ることのない大事なものが見えたんです。
よく、今、ここだけに集中しましょうとかって言いますよね。
過去にとらわれたり、まだ、起こってない未来を不安に思ったり。
こことは関係のない、どこか遠くで起こってることを考えたり。
そんなことより、今、ここにだけ集中しましょうって。
そんな時に言う、今、ここってのは、僕は、概念だと思っていたんですよ。
抽象的で、目に見えないものと思ってたんですよ。
ところが、そうじゃないって分かったんですよ。
「ここ」ってのは、目に見えるんです。
今回、それを見たんです。
ちゃんと端があって、こっからここまでが「ここ」ってはっきり見えるんですよ。
これが、今回のテーマです。
見えるはずのない、世界の端を見てきた話。
それでは、始めましょう!
前回も話しましたけど、術後の痛みは、麻薬系鎮痛剤で抑えます。
麻薬というだけあって、普段、見れない不思議な光景が見えました。
目をつむってるから、暗いんですけど、何かが見えます。
それも、全く予想がつかないものが見えたりします。
その時見えたのは、どうも、上空から地上を見下ろしてる光景みたいでした。
暗くてはっきりしないので、最初、何かわからなかったんですけど、草原とか、森とかが見えた気がしました。
今思うと、草原や森じゃないかなと思ったから、無意識が、草原とか森を作り出したのかもしれません。
とにかく、草原があって、そこに一本の道がありました。
草原には、羊とかもいたような気がします。
はるか上空から、そんな光景を見ていました。
気が付くと、だんだん、地上に近づいていました。
そういう風に見えるってだけで、自分が落ちてる感覚とは違いました。
グーグルアースで、上空から拡大してる様子を見てるような感じです。
意識ははっきりしてたので、これは、自分がつくり出してる光景だろうってのはわかっていました。
だから、途中で、一時停止しようと思ったんです。
でも、なぜか、それができなかったんですよ。
動き始めると、もう、それを自分の意思でコントロールできないんですよ。
そこで、この後、どうなるのか冷静に見届けることにしたんです。
上空からどんどん地面が拡大していくわけです。
どうも、このままだと道になってる地面に落ちそうです。
僕が思ったのは、これは、どこまで続くかってことです。
この光景を作り出してるのは自分です。
もっと言えば、自分の知識です。
地面まで拡大したら、さらに拡大して、砂粒とかまで見えるのかなぁ。
知識を使って生成してるなら、分子とか原子とかまで拡大するのかなぁ。
そんなことを考えてたんですよ。
そう思ってるまも、どんどん拡大していきます。
そして、地面に到着した瞬間、突然、止まったんです。
えっ、これで終わり?
そう思いました。
さて、このことについて、じっくり考えてみます。
前回も説明しましたけど、僕らが意識で感じてることって、何らかのテンプレートを使って感じてるんですよ。
今回見たのは、どうも、上空から拡大するってテンプレートだったんだと思います。
まず思ったのは、テンプレートって、結構、細かいものが用意されてるなぁってことです。
前回紹介したのは、廊下のテンプレートと張り紙のテンプレートでしたよね。
このレベルで用意してるってことは、たぶん、何百、何千ってありそうです。
たぶん、グーグルアースとかで拡大するとき、無意識が裏でこのテンプレートを用意するんですよ。
で、拡大する速度に合わせて、このテンプレートも拡大するわけです。
このテンプレートには、拡大、縮小機能がついてるわけです。
そして、その機能を使えるのは、無意識だけなんです。
だから、意識で停止しようと思っても止められなかったんです。
意識ができるのは、無意識がつくり出した世界を見るだけです。
見るだけって言いましたけど、ここ、そんな単純な話じゃないです。
僕らは、グーグルアースを見るとき、地上を拡大してるって感じますよね。
それじゃぁ、これを、グーグルアースを実行してるコンピュータが何をしてるかから考えてみますよ。
たぶん、詳細な地上の画像データがクラウド上にあるわけです。
色と位置情報を持った点データの集まりです。
そのデータを拡大に応じて順に送って表示してるわけです。
ということは、グーグルアースをみて、「あぁ、いろんな色の点々が次々に表示されるなぁ」って思ってもおかしくないわけです。
でも、そんな風に思わないですよね。
点々とかじゃなくて、地面が拡大されてるって感じますよね。
なんで、そんな風に感じるか、わかります?
それは、地面を拡大するテンプレートを通して見てるからですよ。
そのテンプレートは、拡大中には拡大中ってサインが出るんですよ。
意識は、単に画像を見るだけじゃなくて、拡大中ってサインも感じ取ってるんです。
だから、地面が拡大してるって感じるんです。
これが、心のシステムです。
意識は、そのシステムの一部です。
次は、地面に衝突する寸前、突然止まったことです。
そこで止まったってことは、そのテンプレートは、地面までしか適用できないってことですよね。
僕らは、見えなくても、世界って、もっと拡大できたり、どこまでも広がってるって思ってますよね。
少なくとも、そんな風に想像することはできます。
たぶん、地面をさらに拡大するには、その次のテンプレートに引き継がれるんでしょう。
僕らが気づかない裏で、無意識が、次々にテンプレートを切り替えてるんだと思います。
世界は連続して、どこまでも続いてます。
そう思ってるから、それに合うように、テンプレートを自然に繋げて、違和感なく、世界の広がりを感じてるんです。
さて、面白くなるのは、こっからです。
世界はどこまでも広がってると思ってるから、それに合うように、自然にテンプレートを繋げてるって言いましたよね。
じゃぁ、そう思わなかったら、どうなるんでしょう。
テンプレートの端がみえるんでしょうか?
世界を、そんな風に感じてる人っているんでしょうか?
それが、いるんですよ。
それが、最初に話したピダハン族です。
この話は、第140回「ピダハンの頭で考えたら、時間と空間が消えました」でも語った話です。
ネタ元は「ピダハン」って本です。
ピダハン語で「イビピーオ」って言葉があります。
彼らと一緒に暮らしてた、アメリカ人の作者は、その意味が、なかなかわからなかったらしいんですよ。
たとえば、別の村にいる人が、カヌーに乗ってやって来るとき、川を曲がって視界に入って来たとき、子供たちが「イビピーオ」って叫ぶんです。
帰るときも、川を曲がって視界から消えたとき「イビピーオ」って叫ぶんです。
それから、夜、真っ暗ななか、何かを落として、それを探すために懐中電灯を点けたら、そのときも「イビピーオ」って言うんです。
ピダハンの最大の特徴は、「今」と「ここ」だけを考えて生きてることです。
だから、過去とか、将来のことはあんまり語ろうとしないんです。
どこか、よそで起こってる出来事とかも、興味ないんです。
興味ないというか、今、ここを起点にしたことしか語れない言語になってるんですよ。
逆に言うと、ピダハンにとって、常に意識してるのは、「ここ」なんです。
どこまでが「ここ」で、どっからは「ここ」じゃないかってことを、常に把握して生活してるんですよ。
ここまで言えば、さっきの「イビピーオ」の意味、わかりますよね。
「イビピーオ」は、まさに、「ここ」の端を意味するんです。
カヌーが視界に入って来たってのは、「ここ」に入って来たってことです。
カヌーが視界から消えたってことは、「ここ」から出て行ったってことです。
懐中電灯で照らされたとき、「ここ」が新たに出現したわけです。
「ここ」はどっからどこまでか。
「ここ」の端はどこか。
常に、それを意識して生活してるから、「ここ」の端が見えたら、つい、「イビピーオ」っていってしまうんですよね。
さて、僕が見た地面拡大のテンプレート。
地面にぶつかる直前で、急に止まりましたけど、あれが「ここ」の端だったんでしょう。
僕らは、世界はどこまでも、連続して繋がってるって思ってます。
だから、それに合うように、無意識が裏で気づかれないようにテンプレートを切り替えます。
僕らと違って、世界は「ここ」とそれ以外で区別して生きてたら、テンプレートの端が、見えるようになるんだと思います。
そんな世界に生きているのがピダハンです。
たとえ、同じテンプレートを使っていたとしても、全然、違う世界を見てるんです。
アメリカ人の作者にとって、「ここ」に端があるなんて、思ってもみなかったわけです。
意識は、頭の中に作った仮想世界を介して現実世界を認識します。
これは、僕が提唱する意識の仮想世界仮説です。
その仮想世界は、テンプレートを使って組み立てられてるわけです。
今回の手術で、それを直接見るって、貴重な体験をさせられたようです。
意識の仮想世界仮説に関しては、こちらの本に詳しく書いてます。
説明欄にリンクを貼ってますので、興味ある方は読んでください。
それから、最初に語った意識のハードプロブレムですけど、僕が、どうやって解決したかについては、第114回「意識の仮想世界仮説 とことん解説 意識のハードプロブレム偏」で語ってますので、よかったらそちらも見てください。
意識のハードプロブレムは解決不可能だって思ってる人がみたら、目からウロコが落ちると思いますよ。
はい、今回の動画が面白かったら、チャンネル登録、高評価お願いしますね。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!