ロボマインド・プロジェクト、第211弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
前回、前々回と、先日、手術したときの話をしました。
手術って聞いたとき、どうしても思い出すのが25年前の手術です。
その時の話は、第105回「開腹手術中に全身麻酔から目覚めた話」で語った通りです。
今回も、手術中に麻酔から覚めないかが一番心配でした。
そこで、真っ先にそのことを麻酔の先生に聞いたら、「たしかに、25年前なら、そんなこともあったかもしれないけど、今は、その心配はない」とのことでした。
なんでも、今の全身麻酔は、頭に意識レベルを測定できるテープを貼るそうです。
だから、手術中に覚醒しそうになったら、それが分かるので、麻酔を追加したり調節できるそうです。
逆に言えば、25年前は、ヤマカンで、「このぐらいちゃうかなぁ・・・、えいっ」て感じで麻酔を入れてたんですかねぇ。
考えたら、恐ろしいことですよねぇ。
それから、今回、新たに分かったことがあります。
「麻酔から覚めたとき、意識と痛みは戻ったけど、体はピクリと動かなかったんですよ」って先生に言ったら、「全身麻酔のときは、筋弛緩剤も使って、体が動かなくなるようにしますから」って言ってました。
つまり、麻酔は、あくまでも痛みを感じなくさせるためのもので、それとは別に、筋弛緩剤で、体を動けなくさせてたんですね。
なんで、こんな話をしてるかって言うと、システムの話をしたかったからです。
僕も開発者だからわかるんです。
システムの設計って、複数の機能に分けて設計します。
そして、システムは、複数のプログラムがうまく調和しながら稼働するんです。
たとえば、データが入力される入力部。
入力データを処理して出力を決定する出力決定部。
決定したとおりに出力する出力部とかって感じです。
このどこかが途切れると、システムは動かなくなります。
いわゆるシステム障害です。
これ、人間も同じです。
さっきのシステムでいうと、入力部は、知覚です。
出力部は、身体です。
それじゃぁ、出力決定部って、いったい、何でしょう。
それは、自分です。
意識とか自我と呼ばれるものです。
意識は、痛いって入力を感じたら、叫ぶとか、逃げるとかって行動を決定します。
でも、動こうと決めても、1ミリも体が動かないと、もう、パニックになります。
そんなこと、絶対、起こっちゃダメなんですよ。
そんなことが起こったってことは、システムの設計に問題があったんじゃないですか?
たとえば、意識とか自我があるから、苦しむんです。
そんなものさえなけりゃ、苦しむことはないんです。
意識とか自我って、本当にいるんでしょうか?
僕は、入院中、ずっとこのことを考えてました。
それが、今回のテーマです。
人は、なぜ、自我を持つようになったのか?
それでは、始めましょう!
まず、最も単純なシステムから考えてみます。
それは、入力と出力が直結してるシステムです。
目で見て、エサだったら食べる。
天敵だったら逃げるとか。
目からのデータからエサか、天敵かを判別するわけです。
判別さえできれば、あとは、それに応じた行動を取るだけです。
こんなシステムだったら、意識や自我は必要ないですよね。
つまり、痛みを感じる主体が、いらないわけです。
僕は、よく、魚を例に挙げますけど、魚は、おそらく、こんなシステムなんです。
釣り針が刺さったと感じれば、身をよじるプログラムが発動するわけです。
意識が痛みを感じて、身をくねらせてるわけじゃないってことです。
それじゃぁ、このシステムの問題は何でしょう?
それは、環境の変化に対応できないってことです。
なぜなら、どんな状況のとき、どう行動するかって、最初から決められてますから。
だから、いつものエサがいなくなるとか、環境が変化すると、すぐに絶滅してしまいます。
じゃぁ、環境の変化に対応できるようにするには、どうすればいいでしょう?
それには、まず、周囲の状況を正確に認識できないといけませんよね。
つまり、世界の認識です。
これ、逆に言うと、魚やカエルは、世界を認識していなかったってなりますよね。
そうなんです。
ここ、ものすごく重要なポイントなんで、丁寧に説明しますよ。
カエルは、目からのデータから、エサとなる虫や天敵の鳥を検出します。
そして、それに応じた行動を取ります。
つまり、極端に言うと、カエルは虫か鳥しか認識しないわけです。
もっと言えば、カエルの世界には虫か鳥しかいないわけです。
これじゃぁ、世界を正しく認識してると言えないですよねぇ。
そこで、まず、世界を正確に認識する必要があるわけです。
でも、目からの情報から世界を正確に認識するって、じつは、ものすごく難しいんですよ。
たとえ、360度、全部見えたとしても、見えてるものが世界のすべてじゃないですよね。
僕らは、見えてなくても、世界がどこまでも広がってるって感じてますよね。
広がりだけじゃないです。
目の前にソファがあったとします。
見えないけど、ソファには裏側があるってわかりますよね。
見えてないからといって、そこには世界が存在しないなんて、思ってませんよね。
これ、考えたら不思議です。
だって、見えてない物を感じてるんですから。
これ、ポイントは、「感じてる」ってとこなんです。
つまり、人は、目に見えてないデータを感じてるんです。
これ、どういうことか、わかりますか?
これね、見えてる以外のデータを「作り出してる」ってことなんです。
現実世界を直接見てると思ってるのは、実は、幻想なんです。
実際には、目からのデータを基に、システムが創り出した世界を見てるんです。
これを、僕は仮想世界って呼んでます。
仮想世界は、たとえば3DDGで作れます。
そうすれば、見えてない裏側とか、どこまでも続く世界とかも再現できますよね。
僕らが見てるのは、そんな、見えてない世界まで再現された仮想世界なんです。
仮想世界については、詳しいことは、この本に書いてます。
説明欄にリンクを張ってるので、よかったら読んでください。
さて、本題はこっからです。
さっき、さらっと、「僕らは、こう感じてます」って言いましたけど、この僕らって何でしょう?
それは、自分ですよね。
意識とか自我のことです。
じゃぁ、いったい、いつ、何のために、意識は生まれたんでしょう。
それは、仮想世界を作った時です。
仮想世界は、作っただけじゃ、意味ないです。
それを認識する主体が必要です。
それが意識とか自我です。
じゃぁ、仮想世界って、何のために作りましたか?
それは、世界を正確に認識するためでしたよね。
世界を正確に認識して、状況に応じた正しい行動を取れるようにするためでしたよね。
行動を決定するのが、意識です。
意識が、世界を認識し、行動を決定するわけです。
それじゃぁ、逆に、意識が生まれる前は、いったい、誰が行動を決定していたんでしょう?
つまり、こういう動きの虫を見たら、捕まえて食べるってプログラムを書いた人は誰ってことです。
誰かと聞かれたら、それは、神としか、言いようがないですよねぇ。
とりあえず、ここは神様としときましょう。
神様は、あらゆる生物の設計図を書いたわけです。
カエルさんに対しては、虫の動きのパターンを検出したら、飛びついて食べるとか。
鳥の動きのパターンを検出したら、すぐに逃げるとか。
こんなシステムだと、意識は不要ですよね。
かりに、痛みとかを感じる意識を作ったとしましょ。
でも、システムは、どう行動するかは最初から決まってます。
最初っから行動が決まってるなら、わざわざ、痛みを感じる意識なんか、作る必要ありませんよね。
痛みだけ感じて、行動は決められないって、手術中に麻酔が切れて動けないのと同じです。
神様が、そんな無駄なものを作るわけありません。
以前、魚にも痛覚があることがわかったから、魚も痛みを感じてるって記事を読んだことがあります。
でも、これ、そんな単純な話じゃ、ないんですよ。
痛覚の刺激と、体をよじるってプログラムを直結してるだけかもしれないですから。
それなら、痛みを感じてないはずです。
痛みを感じるには意識が必要です。
でも、意識って、神経細胞みたいに、目に見えないんですよ。
痛みを感じてるか、感じてないかって、顕微鏡で観察してわかるような問題じゃないんですよ。
とにかく、全知全能の神がいて、その神が、あらゆる生物に対して、その生物に最適な設計図を描いたわけです。
これで、完璧だ。
そう、神様は思いました。
ところが、ある日、神様は、気づきました。
「いや、待てよ」
「もしかしたら、重大なミスをしてたかもしれんぞ」
それは、今までのシステムって、環境が変化しないことを前提にしてたって気づいたんです。
「環境が変化しても対応できるようにするには、どうすればいいんじゃ」
神様は悩みました。
「そうじゃ、わしが行動を決めるんじゃなくて、その生物自身で行動を決めさせればいいんじゃ」。
そうして、新たな生物を創ることにしました。
それが人間です。
「はて、そのためにはどうしたらいいじゃろう?」
「そうじゃ、ワシと同じ機能を与えればいいんじゃ」
そうして、今までは、神様しかできなかった、世界を認識するって機能を人間に与えることにしました。
その機能が、意識です。
ただ、ここで、新たな問題が出てきました。
「世界を認識できたとして、はて、どうやって行動をきめたらいいんじゃろ?」
「う~ん、なにか、行動の指針みたいなものを感じる機能が必要じゃのう」
「そうじゃ、快と不快って感覚を与えよう」
つまり、痛いとかって不快や、美味しいとかって快を意識が感じるようにするんです。
そうすれば、意識は、自分で不快を避けて、快を求める行動を選択できるようになるわけです。
行動を決定できます。
「しかし、それじゃぁ、今までの生物と、あんまり変わらんのぉ」
そうなんです。
これだけじゃ、目先の快不快だけで行動を決定するので、今とあんまり変わらないのです。
あらゆる環境の変化に対応できるようになるには、神様のように、深く考えれるようにならなければいけません。
「どうやれば、考えることができるじゃろ?」
「そうじゃ、シミュレーション機能を追加すればいいんじゃ」
つまり、こう行動すればどうなるか、ああ行動すればどうなるかって、意識がいろいろ考えれる機能です。
「しかし、シミュレーションってどうやればいいんじゃろ」
「そうじゃ、仮想世界を使えばできるぞ」
今までの仮想世界は、現実を認識するためのものでした。
この仮想世界をもう一つ作って、現実と切り離すんです。
そして、それを意識が自由に操作できるようにするんです。
そうすれば、あれこれ考えることができますよね。
「さっそく、設計図を書き変えるとしよう」
たぶん、こんな風にして、人間を設計したんでしょう。
そうやって生まれたのが、今までの生物とは全く違うシステムの「人間」です。
今までの生物と、一番の違いは、意識、自我というものを持ってることです。
これにつきます。
意識は、どう行動したらどうなるかって、考えることができます。
考えるとき、指針となるのが快、不快の感覚です。
今、この不快を我慢して、将来、大きな快を得られるなら、今、我慢するとか。
そんな先を見越した行動を選択することもできます。
こうやって、人間は、深く考えて行動できるようになりました。
これで、環境が変化しても、適応できます。
もう、神様に行動プログラムを決めてもらう必要がなくなりました。
人間は、神様から独立したんです。
神様は、自分の子供が独立するのは嬉しいのですが、ちょっと寂しくも感じました。
そこで、後から、自分のことを思い出すようなプログラムをこっそり仕込みました。
だから、人間は、世界中、どの民族でも、必ず、神というものを創り出すようになりました、とさ。
一か月も入院してると暇なんで、こんなお話しを考えてみました。
はい、今回の動画がおもしろかったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!