第230回 映画文法を脳から読み解け!①


ロボマインド・プロジェクト、第230回!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

言葉の線状性ってのがあります。
言葉は、一文字ずつ順番に話さないといけないって制約のことです。
分かりやすく言えば、「あいうえお」と「かきくけこ」を同時に発声することはできないってことです。

頭の中に思い描いてることを、この制約の中で正確に表現するために、文法ってのがあるわけです。
たとえば、「おじいさんは山に柴刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました」の場合、おじいさんが山から帰ってきてから、お婆さんが川に行ったわけじゃないですよね。
おじいさんとおばあさんは、同時に、家を出てますよね。
同時に家を出たことを表現するなら、「おじいさん」と「おばあさん」を同時に発音すべきなんですけど、そんなことできません。
制約の中で、正確に表現するために、文法があるわけです。

さて、もし、言語以外の新しい表現方法が生まれたとします。
そしたら、新しい文法も生まれるんでしょうか?

そんなことがあるのかって思うかもしれませんけど、それがあるんですよ。
それは、映画です。

映画が発明されたのは19世紀の終わりです。
映画で表示するのは一度に一つの画面です。
同時に二つとか三つの画面を表示したら、どれを見ていいか頭がこんがらがります。
つまり、映画も言語と同じで、線上性の制約があります。
だから、正確に表現するためには文法が必要なんです。

実際、映画が発明されてから、映画の文法ってのがいくつも生まれました。
編集の手法とか、カットの繋ぎ方ってことです。

ここで注意して欲しいのは、言語との違いです。
たとえば、僕らは英語とか、学校で習いますよね。
英語の過去形はどうとか、疑問文はどうとかって。
これを母国語の日本語と対比して、英語を学習していきますよね。

注意して欲しいってのは、映画って、母国語に当たる物がないんですよ。
英語なら、日本語のこれに対応するって説明できますけど、映画だと、それができないんですよ。
これ、どういうことか、わかりますか?

これって、その文法が正しいかどうか、感覚でしか判断できないってことなんですよ。
言語化されない部分で、感じ取るしかないんですよ。
それで、自然に感じれるような編集が、正しい映画文法に則ってるって言えるわけです。
逆に、違和感を感じたり、上手く繋がらないって感じたら、間違った映画文法になってるって言えます。

まぁ、これは、言葉でいくら説明しても、イマイチ、ピンとこないと思いますので、実例を交えながら説明していこうと思います。
これが今回のテーマです。
映画文法を脳から読み解け!
それでは、始めましょう!

今回、紹介するのは、映画編集の教科書に書いてあるような話です。
まずは、用語の説明です。
一つの映像の最小単位がカットです。
切れ目のない一続きの映像です。
カットを繋げて一つのシーンを作ります。

まずは、カッティング・オン・アクションって編集手法を見てみましょう。
これは、アクションシーンで使われます。
たとえば、これは、ミッションインポッシブルの1シーンです。0:31~0:35

普通のシーンですよね。
「あぶない!」とかって、内容に入ったらダメですよ。
そうじゃなくて、カットが切り替わってることに注目してください。
も一回、みますよ。

トム・クルーズが、ガラスの壁を登ります。0:31~0:33
おっと、落ちかけましたよね。0:34
ここでカットが切り替わりました。0:34~0:35
わかりましたか?

最初は、トム・クルーズの顔のアップです。0:31~0:33(コマ送りか静止画)
落ちそうになった瞬間、カットが切り替わりましたよね。0:34(コマ送り)
上からのカットになりましたよね。0:34~0:35(コマ送りか静止画)

まず分かって欲しいのは、本来なら、これって不自然だってことです。
どういうことかって言うと、僕らは、こうやって目で物を見てますよね。
僕らが見てる光景って、ずっと連続してますよね。
見る角度が急に変わったりしませんよね。
だって、目は、ずっとここについてますから。

目の前の物を見ててですよ、次の瞬間、その物を上から見下ろしてたって、経験、ないですよね。
もし、それが起るとしたら、もう一個、別のところから見てる目があって、自分の目がその目に切り替わったってことですから。
そんなこと、絶対に経験したことがないはずです。
そう考えたら、映画でカットが切り替わるってのは、そもそも、おかしいわけです。
まず、そこを理解しといてください。

その上で、カットが切り替わってるのに、自然に感じたでしょ。
これって、どういうことか分かりますか?

つまり、これって、僕らが見てるのは、現実世界じゃないってことです。
そうじゃなくて、頭の中につくった仮想世界ってことです。
目で見た現実世界を頭の中に仮想世界として構築して、意識は、それを認識してるわけです。
このことを、意識の仮想世界仮説っていいます。
詳しくは、この本に書いてあるので、良かったら読んでください。

さて、頭の中の仮想世界って、たとえば3DCGみたいなものです。
3DCGなんで、自由に動かしたりできます。
自分が見たいものが見れるように、見る位置を切り替えたりできるわけです。

分かってきましたか?
映画を見てるときも、同じなんです。
画面が切り替わるというより、仮想世界の見る位置が切り替わるんです。
自分が作りだした世界なんで、自由に、見る位置を切り替えることができるんですよ。

さて、今、トム・クルーズが、高層ビルを登ってます。0:31(静止画)
両手に吸着グローブを付けて、ビルの外の窓ガラスにグローブの吸着力だけで張り付いてます。
落ちたら、絶対死ぬかなり危険な状況です。
その時、右の吸着グローブがエラーを起こして、ガラスから外れました。0:34(カットの切り替わり)
「あっ」て思いますよね。

「あっ」ていうのは、どういうことですか?
「落ちる!」ってことですよね。
今、一番知りたいのは、トム・クルーズが落ちたかどうかですよね。
この瞬間、上からのカットに切り替わったんですよ。
上からの全身カットで、落ちずに、助かったってのが確認できたんですよ。

分かりましたか?
「あっ」となったとき、意識が思ったのは、「落ちた、落ちてない?」ってことですよね。
その意識の思いに合わせて、それが確認できるようにカットが切り替わったんです。0:35(静止画)
意識が見たいものを見れるように切り替わったんで、自然に物語の世界に入りこめたんです。

これが、右手が外れた瞬間、きれいな空とか、鳥のカットとか、に切り替わったら、「えー」ってなりますよね。
「トムはどうなったんよ」
「鳥なんか、どうでもええねん」ってなりますよね。

意識は、こうやって仮想世界を見てるわけです。
何か起こるたびに、仮想世界の注目点がパッ、パッって切り替わるわけです。
この注目点の切り替わりに合うように、カットがパッ、パッって切り替わったら、カットが変わったってことにすら、気付くこともないんです。
自然に映画の世界に入って行けるわけです。

何か、アクションが起った時、人は、その結果を予想します。
そして、その予想が正しいかどうか、確認せずにおれません。
それが、注目点です。
注目点ってのは、その場面のある一点といったことでなく、もう一段、抽象度が高いものです。
今の例なら、トム・クルーズは落ちたのか、落ちなかったのかってことです。
アクションがあって、その次に起ることに注目し、そこにカットを切り替える。
そうすると、自然な映像となります。
これが、カッティング・オン・アクションっていう映画の文法です。

それじゃぁ、カッティング・オン・アクションの他の例も見て行きましょう。
これは殴るシーン。0:36~0:37
殴った瞬間、カットが切り替わりましたよね。
最初のカットは、アップショットでパンチが当たる所までです。コマ送り0:36~0:37
次のカットは、ロングショットで、吹き飛ばされカットです。コマ送り0:37
もう一度、見てみましょう。0:36~0:37
違和感なく繋がってますよね。

次は蹴るシーン。0:38~0:40
最初のカットで、これから蹴るぞって光景を見せます。コマ送り0:38
蹴った瞬間、カットが切り替わります。コマ送り0:38
次のカットは、蹴られた男が吹き飛ばされる光景です。コマ送り0:38~0:40
違和感なく、繋がってますよね。
意識が注目する動線に沿って編集されてるからです。
もっと行きますよ。

次は、マトリックスからです。
モーフィアスの登場シーンです。0:41~0:44
モーフィアスが振り向くとき、カットが切り替わりました。コマ送り0:42~0:43
顔のアップとなります。0:43
これも分かりますよね。
怪しい男がいて、その男が振り返るわけです。
その時、一番注目するのは顔ですよね。
その注目点に沿って、カットを切り替えたわけです。
頭の中の処理の流れと一致するから違和感ないわけです。

次は、別の編集手法を紹介します。
カットアウェイって手法です。
これは、一つのカットの間に別のカットを挟んで、元のカットに戻る方法です。
バック・トゥ・ザ・フューチャーのシーンを見てみましょう。
ドクとマーティのカットの間に、ナンバープレートのカットが差し込まれてます。0:59~1:07
二つの映像が同時に存在してるように感じますよね。

これについて考えてみます。
頭のなかで、ドクとマーティの前にナンバープレートがあるシーンを思い描いてるわけです。
それを、注目点がドクとマーティ、0:59静止画
ナンバープレート、1:02静止画
ドクとマーティ、1:04静止画
って移動したわけです。
さっきのカッティング・オン・アクションでは、カット順で時間が経過しましたけど、今回は、位置の変化を示してます。
これは、最初に話した線状性の制約と同じです。
映像はカットの変化で表現しないといけないって制約があるので、それが時間の変化か、位置の変化かを気づかせないといけません。
同じカットに戻ると、間のカットは、位置の変化を示すわけです。
これが、映画文法ってことです。

さて、仮想世界を認識するのは意識です。
じゃぁ、仮想世界を作るのは誰でしょう?
それは、無意識です。

意識の役割は、状況から感情を発生させることです。
「危ない!」とか、「逃げろ!」とかです。

無意識の役割は、意識に正確な状況を提供することです。
つまり、仮想世界を正確に作ることです。
つまり、カット編集が、時間の変化か、位置の変化かを判断してるのは無意識です。
判断に基づいて、無意識が仮想世界を作ってるわけです。
ということは、映画の文法ってのは、無意識への文法ってなりますよね。
仮想世界を組み立てるときの指示が、カット編集となるわけです。

19世紀の終わりに映画っていう新しい表現が生まれて、試行錯誤しながら映画の文法を作り出したわけです。
もうちょっと、詳しく説明します。
頭の中の仮想世界を、映像で表現しようとしたわけです。
ただ、映像は、仮想世界より、いわば次元が低いわけです。
表現能力に制限があるわけです。
そこで、仮想世界を、複数のカットを組み合わせて表現することにしたんです。
そのカットを、どういう風に組み立てるか。
つまり、時間順に組み立てるのか、空間の配置として組み立てるのか、それを指し示すのが文法です。
こうやって、映画文法が生まれたわけです。

まぁ、こんな仮想世界と映画の文法の関係なんて、映画編集の教科書には書いてないですけどね。
でも、この映画の文法を読み解いていくと、僕らの頭の中にある仮想世界が、あぶりだされてくるんですよ。
こんな視点で映画を見ると、脳が何をやってるか、より深く分かってきます。

はい、今回の動画が面白かったら、チャンネル登録、高評価お願いしますね。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!