第237回 全盲者は、臨死体験で何を見たのか!①


ロボマインド・プロジェクト、第237弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

面白い論文を読みました。
「先天性全盲者の臨死体験」という論文です。
臨死体験というのは、一度死んで、生き返ったって話です。
よく、三途の川を渡ったとか、光のトンネルを見たとかって話を聞きますよね。
でも、この論文は、今までの臨死体験の話とはちょっと違うんですよ。
何が違うかって言うと、生まれつき目が見えない人でも、臨死体験で何かを見るのかって研究なんです。
これ、考えたことなかったですよね。

生れてから、一度も、見るって経験したことがない人ですよ。
全盲の人って、夢でも視覚イメージはないそうです。
だから、臨死体験しても、何も見えないはずですよね。

そもそも、全盲で臨死体験した人なんているの?
いや、いたとしても、どうやって見つけるの?っていろんな疑問が浮かびます。
でも、そんな調査をした人が、実際にいたんですよ。

しかも、その調査では、臨死体験以外にも、全盲の人の体外離脱体験も調査したそうです。
幽体離脱とも言いますけど、手術中とか、事故に遭ったときとか、自分の体から抜け出して自分を見てたって経験のことです。
がんばって探したところ、全盲で臨死体験または体外離脱した人を、31人も見つけたそうなんです。
そして、彼らにインタビューしたところ、臨死体験または対外離脱で、実に、80%の人が視覚イメージを持ったそうなんですよ。
生まれてこの方、見るって経験したことがない人が、見たって経験をしたわけです。
これって、どういう事?ってなりますよね。

僕は、中学ぐらいの時から、「見る」ってどういうこと?って、ずっと考えてました。
「物が見える」とか、「見てわかる」とかって、何をもって「見える」って言えるのか。
それをずっと知りたかったんですよ。
今回の論文は、直接、その答えが書いてるわけじゃないです。
でも、めちゃくちゃヒントになりました。
考えてると、とんでもない結論が見えてきました。
それが、今回のテーマです。
全盲者は、臨死体験で何を見たのか!
それでは、始めましょう!

さて、生まれながらの全盲で、臨死体験した人の多くが見たのは光です。
今まで、光と闇の違いを経験したことがないのに、光を見たそうです。
それなのに、光を見ることなんか、あるんでしょうか?

ここで、脳科学から、「見る」とは、どういうことか考えてみます。
目からの情報は、V1と呼ばれる一次視覚野にまず送られます。

この一次視覚野V1では、直線に反応する脳細胞があります。
さらにV2,V3,V4と進むと、より複雑な図形に反応するようになって、IT野になると、手や顔といったかなり複雑イメージに反応するようになります。

さて、V1では、直線に反応すると言いましたけど、正確には、線の傾きに反応します。
つまり、それぞれの線の傾きに反応する脳細胞があるわけです。

さて、脳科学で、有名な猫の実験があります。
生後間もない子ネコを、縦じましか見えない部屋で育てたそうです。

そしたら、水平線に反応する脳細胞が発達しなかったそうです。
横じまには反応しなくなったそうです。

これは、シナプスの狩り込みで説明できます。

脳の中には、何百億もの神経細胞があって、互いにシナプスで繋がって、複雑に絡み合っています。

人の場合、シナプスの形成は、生後8か月ぐらいがピークで、その後、10歳ぐらいまででシナプスは半減するそうです。
これは、生まれてから10歳ぐらいまでの環境で、必要なシナプスは強化されて、必要ないシナプスが除去されるからです。
これを、シナプスの狩り込みといいます。
だから、縦じまだけの世界で過ごした子ネコは、横じまに反応しなくなるわけです。
後から、横じまを見たとしても、それを認識しないわけです。
「物が見えるようになる」とは、いろんな形に反応する神経細胞が育つことと言えそうです。

それじゃぁ、生まれつき目が見えないと、どうなるでしょう?
いろんな形に反応する脳細胞が育ってないので、見るって経験ができないはずですよね。
それなのに、多くの全盲の人が、臨死体験で光を見たと言っています。
これは、今の脳科学では説明がつきません。
それでは、これを説明する仮説を考えてみることにします。

まず、脳の中には、理解できるものが先にあると考えます。
先って言うのは、生まれるより先ってことです。
それが何かと言うと、世界とは、如何にあるのかって、根本的な世界観です。
たとえば、三次元世界なら、背景となる三次元空間があって、そこに三次元の物体が配置されるって世界観です。
つまり、生まれる前から、理解できる世界というのが先にあるわけです。
そして、その世界を組み立てるのは、いろんな感覚です。
それは、形とか、光とか、色とか、それから、音や臭い、触覚や味もです。
つまり、生まれる前に、すでに感覚を感じる機能があるわけです。

そして、この世に生まれると、目や耳で知覚した外の世界と、頭で理解できる世界のマッピングが行われるわけです。
頭の外の世界と、中の世界の境界にあるのが、縦線とか横線を認識する神経細胞です。
消えた脳細胞というのは、この境界面にある細胞です。
でも、世界を構成する根本的な物は消えません。
つまり、形や色、光や闇って基本的な概念です。
一度も経験することはなかったとしても、基本的な概念は残っているわけです。

脳内の処理の流れで考えると、最初に縦線とか横線とか分類して、その後、形や色、音や臭いなど、いろんな感覚を組み合わせて世界が組み立てられるます。
それじゃぁ、世界を組み立てる目的は何なんでしょう?

それは、意識が認識するためです。
意識が、出来るだけ正確に外の世界を認識できるように、頭のなかに世界を作ったわけです。

こう考えると、全盲の人が臨死体験で光を感じるのも説明がつきそうです。
全盲の人は、目からの入力は全くないので、通常は、光を感じることはありません。
でも、光とか影を認識する回路は残っていたんです。
通常は、目からの入力でその回路が活性化します。
それが、臨死体験のとき、何らかの理由で、光に反応する回路が活性化したんですよ。
だから、臨死体験で光を感じたんだと思うんです。
生れてはじめて、光を感じたとも言っていました。
たぶん、生まれて初めて、光に反応する回路が活性化したんでしょう。

ここで重要なことを言っておきますよ。
この話で重要なのは、実際に光があるかないかは関係ないってことです。
重要なのは、意識がどう感じたかです。
意識が何を感じるか、この視点を忘れないようにしてくださいよ。

こっから、もっと厄介な問題が出てきます。
ただ、どれも、現実世界より、意識がどう感じたかって視点を忘れないようにしてください。
それじゃ、そのやっかいな話に入って行きますよ。
それは、体外離脱です。
全盲の人が、体外離脱したとき、自分を見たって体験をした人が多いんです。
見たって経験がなくても、自分を見たって経験をしてるんです。
これって、どういう事でしょう?

この話を読み解く前に、人が、どうやって世界を認識するかについて復習しておきます。
さっき説明したように、人は、頭の中に、仮想的に世界を作って、意識はそれを認識します。
これを意識の仮想世界仮説と言います。
詳しくは、この本に書いてありますので、良かったら読んでください。

さて、この世は三次元です。
だから、頭の中の仮想世界は、何もない空間と、そこに配置される物体で構成されます。
この世界観は、目が見える人も、見えない人も共通にもってるわけです。
目が見える人は、その物体を見て認識できますけど、目が見えない人は、たとえば手で触ったりして認識します。

さて、ここで、簡単な思考実験をしてみます。
小学校の卒業式を思い出してください。
おそらく、思い出したシーンは、卒業式全体を見下ろした光景になってますよね。
でも、これ、考えたらおかしいんですよ。
だって、卒業式の時、そんな高い場所にいなかったですし。
みんなと一緒に座ってたので、実際に見えてたのは、前の席の子の背中のはずです。
でも、そうはなってないわけです。
これが、仮想世界を使って世界を認識してるってことです。
つまり、世界を俯瞰的に捉えようとするんです。
たぶん、これが自然な認識の仕方やと思うんですよ。
逆に、目で見た物、そのままの光景の方が不自然なんです。
不自然というか、見たままやと、全体の状況が分かりにくいんです。

ただ、今、皆さんは、見たままの世界を認識してますよね。
これは、どちらかと言うと、仕方なくそうしてるだけです。
目で見た光景を正確に認識してないと、歩いてたら、壁にぶつかったりしますしね。
たぶん、俯瞰して全体を認識する機能もあるけど、現実に生きてるときは、見たままの視点が優位になってるんでしょう。
でも、現実世界の縛りが無くなった時、つまり、思い出したりしてるときは、俯瞰的に世界を認識するわけです。

さて、体外離脱です。
体外離脱した人の話で、共通していることがあります。
それは、天井付近から、自分が寝てる姿を見ることです。
この論文は、全盲の人を対象にしていますけど、全盲でない人の話も同じです。
体外離脱して、気が付いたらベッドの下から自分を見上げてたなんて話は聞いたことがありません。

なぜ、体外離脱した人は、みんな、上から自分を見下ろすのか?
もう分かりましたよね。
それは、現実世界の縛りがないので、俯瞰的に世界を認識しようとしたからです。
仮想世界にある自分を、俯瞰的に見たわけです。

ただ、ここで、ちょっと不思議な証言があります。
それは、はっきりと見えたという人がいます。
さて、全盲の人がはっきり見えることってあるんでしょうか?
ここで、「見る」の意味を、もう一度考えてみます。

シャルル・ボネ・シンドロームって症状があります。
これは、視力が低下して、見えない視界に幻覚が見えるって症状です。
見えない視界に、人や動物、幾何学模様が見えるそうです。
共通するのは、どれもはっきり見えるそうです。
女の人のドレスも細部まではっきり見えたっていう証言もあります。

これは、幻覚なので、脳が作り出してるわけです。
見ると言うのは、目からの情報を基に、仮想世界に作り出したオブジェクトを見てるわけです。
たとえば、リンゴを認識したら、記憶にあるリンゴをオブジェクトとして生成して、視覚情報と組み合わせて意識に提示してるわけです。
これが、視力が低下すると、視覚情報無しで、脳が勝手にオブジェクトを生成することがあるようです。
それが、シャルル・ボネ・シンドロームです。
脳が生成したリンゴというのは、自分の記憶の中にあるリンゴの見本です。
いってみれば理想のリンゴです。
完璧なリンゴです。
だから、はっきりと見えるんです。

体外離脱で見た光景がはっきり見えたのは、おそらくこのためです。
分かって欲しいのは、「見る」とは、主観が感じるってことです。
現実に存在するかどうかは関係ないんです。
現実の束縛から逃れた脳が作り上げるとすれば、それは、完璧な世界です。
たとえ、全盲であっても、完璧な世界を作り上げるんですから、はっきり見えるわけです。

さて、これで全て解決すれば、何も問題ありません。
ただ、そうは行きません。
体外離脱で最も厄介な問題が残されています。
それは、体外離脱で見た光景が、第三者によって証明されるって場合です。

全盲の女性が手術中に体外離脱して、その時、手術室に何人いて、どんな手術をしてたかをピタリと言い当てた事例があります。
他の例でも、全盲の女性が、医師のシャツが青かったことや、手術の器具の形や色を正確にいい当てた話もあります。
もし、これが、目が見える人なら、チラッと見えただけちゃうん、って思いますよね。
でも、生れてから一度も「見る」って経験をしたことがない人ですよ。
色を見たことがないんですよ。
それが、青いシャツって言い当てるって、どういうことってなりますよね。

そんな例がいくつも報告されています。
さて、そんなこと、どうやったら説明できるんでしょうか。
これはかなり厄介です。
これに関しては、次回、考えていこうと思います。

はい、今回の動画が面白かったら、チャンネル登録、高評価お願いしますね。
それでは、次回も、おっ楽しみに!