第239回 神の最初のプログラム


ロボマインド・プロジェクト、第239弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

最近は、「シミュレーション仮説」って言葉が、普通に聞かれるようになってきましたね。
「シミュレーション仮説」ってのは、この世界は、コンピュータ・シミュレーションだって仮説です。
とんでもない仮説って思いますけど、たとえば、イーロン・マスクも、「この世界が現実である可能性はほとんどない」って発言してます。

今回は、シミュレーション仮説の話がしたいってわけじゃなくて、神について考えようと思ったんですよ。
ただ、神について考えようとすると、宗教とか、聖書とか、余計なものがいっぱい入り込んでしまうんですよ。
でも、シミュレーション仮説なら、それらを除いて純粋に考えれます。
じゃぁ、何を考えたいかって言うと、人間と人間以外の生物の一番の違いは何かってことです。

この世界を作った神さんがいたとするでしょ。
宇宙も、地球も、あらゆる生物も神さんが創り出したわけです。
そして、最後に人間を作ったとします。
僕が知りたいのは、神さんは、人間を作る時、他の生物と、どこを変えたのかってことです。

これを、聖書とか使わずに、純粋に考えたいんです。
そこでシミュレーション仮説です。
この世界は、高度な文明を持った宇宙人のコンピュータ・シミュレーションとします。
生物は、その宇宙人が作ったコンピュータ・プログラムです。
そうすると、その宇宙人は、人間を作る時、他の生物のプログラムと、どこを変えたのかって問題に言い換えることができますよね。
プログラムのどこをどう変えたら、人間の心が生まれたのかってことです。
これが今回のテーマです。
神の最初のプログラム。
それでは、始めましょう!

神である宇宙人は、地球を作りました。
つぎに、地球で生きる生物を作りました。
生物といってもプログラムです。

生物は、目や耳といった感覚器からの入力で環境を把握します。
足を使って移動したり、口で食べ物を食べたりと、身体を介して環境へ出力します。
感覚器で敵を検知したら逃げて、食べ物を検知したら食べるわけです。
いかにうまく敵から逃げて、効率よくエサを食べれるかを学習していきます。
つまり、環境に対して、「いかに動くか」を最適化するようにプログラミングされてるわけです。
これが、神が最初に作った生物プログラムです。

さて、このプログラム、何を最適化してるか分かりますか?
それは、入力と出力です。
どんな入力に対して、どんな行動を取ればいいのかを最適化してます。
一見、これで問題ないように思います。
ただ、問題が一つあります。
それは、この生物、世界は認識してません。
というか、世界がどうなってるか興味ないです。
もっと言えば、世界が存在するとかしないとかすら分かってません。
認識してるのは、感覚器からの入力だけです。

これは何か違うなぁ。
たぶん、そう思って、神は新しい生物を創ることにしました。
それが人間です。
じゃぁ、人間のプログラムは何が違うのでしょう。
それは、「いかに動くか」でなくて、「何があるか」を最適化するようにしたことです。
つまり、最適化の目的を、「最適な行動」でなくて、「世界を正しく認識する」にしたんです。

そうすると、一つ問題が出てきました。
それは、一度に全部を把握できないということです。
一度に見える範囲って、じつは、ごくわずかです。
この動画を見てください。

右の写真が全体です。
その中の小さい白丸の部分だけが、一度に見える範囲です。
人間の目は、この白丸みたいに、常に細かく動いてるんですよ。
左が、実際に見えてる光景です。
これじゃぁ、何が写ってるのか分からないですよね。
僕らが感じてるのは、右のような全体の写真ですよね。
つまり、僕らの意識が感じてるのは、実際の光景でなくて、それを合成して作った仮想世界なんです。
これ、意識の仮想世界仮説と同じですよね。

僕らは、目で見た世界を頭のなかに仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して現実世界を認識します。
これが意識の仮想世界仮説です。
詳しくは、この本に書いてますので、良かったら読んでください。

この意識の仮想世界仮説って、僕が提唱してる仮説です。
じつは、最近、カリフォルニア大学バークレー校の研究グループの発表で、意識の仮想世界仮説が証明されたんですよ。

まず、この動画を見てください。

女の子の同じ顔が映ってますよね。
右を隠しますので、左の顔を、30秒間見ていてください。

特に何も変わらないですよね。
30秒経ったので、右を開けますね。
だいぶ、違ってますよね。
じつは、今見た、左の顔は、30秒の間に11才老けたんです。
ゆっくり画像が変わったので変化に気付かなかったわけです。

さて、この映像を見た参加者に女性の年齢を質問しました。
そしたら、ほぼ全員が、直近15秒の映像に基づいて回答してたそうです。

今、この瞬間に見える世界って、さっき見た、小さな丸い部分だけです。
そんな映像を合成して、世界全体を組み立てて、僕らに見せてるんですよ。
今見てると思ってるこの世界、じつは、過去15秒の映像から作られてるんですよ。
つまり、僕らが見てる世界は、目が捉えた現実世界、その物じゃないってことです。
それにしても、15秒って、結構、長いですよねぇ。
意識が感じる「今」って、15秒もかけて作ったものなんですよねぇ。

感覚器が捉えるのは、ピンポイントです。
でも、これでは世界全体は分かりません。
世界全体を捉えるには、何かを犠牲にしないといけません。
犠牲になったのは、今、この瞬間です。
15秒の「今」を繋ぎ合わせて、全体像を手に入れたわけです。
というか、そういうプログラムを神が書いたわけです。
つまり、感覚器からの情報を基に、現実世界を仮想的に創り出すプログラムです。

さて、このプログラムは仮想世界を創るだけです。
これだけでは、行動できません。
そこで、神は、さらにプログラムを追加しました。
それは、仮想世界を認識して、行動を決定するプログラムです。
それが「意識」です。
それまでの生物は、認識と行動が一つのプログラムで完結していました。
それを、二つに分割したとも言えます。
仮想世界を使って世界を認識するプログラムと、それを基に行動を決定するプログラムの二つです。

じつは、これだけじゃ、また足りないんです。
行動を決定する材料が必要です。
敵が来たって認識と、逃げるって行動を結びつける材料です。
お腹が空いたって感覚と、食べるって行動を結びつける材料です。
ここで重要なのは、これが直接結びついたら意味がないってことです。
認識と行動が直接結びついたら、今までの生物と同じです。
重要なのは、行動の最終決定権を意識に持たせることです。
つまり、意識に行動を提案して、その提案を基に、意識が行動を決定する仕組みです。
行動提案システムといったものです。

さて、この提案、これって、一体何のことか、わかりますか?
それは、感情、感覚です。
敵がきて、逃げろって行動を提案するのが「恐怖」って感情です。
何か食べろって行動を提案するのが「空腹」って感覚です。
意識には、そんな提案がひっきりなしに来るわけです。
感情、感覚には重要度があります。
お腹が空いて、お弁当を食べたいなぁって感じます。
でも、今は授業中だから、授業が終わるまで我慢しようって思います。
これは、「お腹が空いたけど、今すぐ食べなくても死ぬことはないしなぁ」
「それより、今、弁当食べたら、今度こそ退学になるぞ」
とかって、重要度から行動を決定したわけです。

感情と意識の組み合わせで、最適な行動ができるようになりました。
でも、これだけじゃ、今までの生物と、そんなに変わりません。
人間だけ特別なのは、こっから先です。

まず、一番重要なのは仮想世界です。
仮想世界は、自分が作ったものです。
自分で作れるなら、現実世界だけでなくても、現実にない世界も作れます。
そこで、神は、新たなプログラムを追加しました。
それが、想像仮想世界です。
人間に、想像力を持たせたわけです。
そうしたら、何が起こったでしょう?

いろんな事をシミュレーションできるようになったんです。
獲物を追い詰めたら、ここに逃げるから、ここに罠を仕掛けようとか。
相手の行動や考えをシミュレーションして、自分の行動を決定します。
つまり、相手の行動や考えを推測できるってことです。
この機能を持つことで、一番変わったことは何かわかりますか?
それは、社会です。

それまでの生物は、自分の感情だけで生きています。
お腹が空いたから食べる、怖いから逃げるとかって、全て自分の感情です。
それが、相手の感情を推測できるようになると、どうなるでしょう?
どうすれば、相手が喜ぶとか、どうすれば相手が困るとかを推測できるってことです。
これと社会が、どう関係するか、分かりますか?
それは、自分の事だけ考えずに、他人のことも考えようって圧力を生み出すんです。
これ、何のことか分かりますか?
それは、「善」です。
善悪の善です。
さっき、圧力って表現しましたけど、善ってまさに圧力です。
お年寄りに席を譲るべきとか、道にゴミを捨てるべきでないとか。
この「~すべき」って感情、やりたくないけど、こうした方が、社会全体の為になるからそうしましょうって社会的圧力です。
社会の安定のために、人間が発明したものです。

つまり、善悪は、神が与えたプログラムじゃなくて、人間が発明したルールなんです。
感情とか感覚は、神が与えたプログラムです。
だから、自然と、そうしたいって思うわけです。
でも、「~すべき」は、したくないけど、そうしないといけないってものです。
こうしたいからこうするってタイプじゃないです。
つまり、人間社会が押し付けるタイプのものです。
だから、人間が作り出したものといえるんです。

さて、ここで、よく似てるけど、説明のつかない現象があります。
たとえば、子供の誕生日に、プレゼントを贈るとかです。
これは善意とは、ちょっと違いますよね。
「~すべき」の行為とは違います。
すべきじゃないってことは、感情ですよね。
感情って、自分のためにありますよね。
それじゃぁ、これは、自分のためにしてるんでしょうか?
たとえば、老後に、子供に面倒を見てもらうために、今のうちに、子供に借りを作っておこうとしてプレゼントを贈ってるんですか?
そんな親、いませんよねぇ。
そうじゃなくて、子供の喜ぶ顔が見たいから、プレゼントを贈るんでしょう。
子どもが喜んでくれたら、自分も嬉しいんです。
この感情、一言で言うと何でしょう?
それは、「愛情」です。

「~すべき」は、自分がやりたいからすることじゃありません。
社会から押し付けられたルールです。
でも、「愛情」は、相手の喜びが自分の喜びになります。
母親は、自分のお腹が空いてても、お腹が空いてるわが子に、自分のご飯を与えたりします。
子供にご飯を食べさせるために、夜遅くまで働いたりします。
時には、自分の命を削ってでも、子供を生かそうとします。
「すべき」じゃ、ここまでのことはできません。
「すべき」は、人間が発明したルールです。
愛情は、人間が発明したルールじゃなくて、新たな感情です。
押し付けられる行動じゃなくて、自分からそうしたいと思う感情です。
これは、神が最後に人間に与えたプログラムだと思います。
どういうプログラムかというと、好きな人の感情を、自分のことのように感じる機能です。
好きな人が喜べば、自分も嬉しい。
好きな人が悲しめば、自分も悲しい。
ときには、自分を犠牲にしてでも相手の為にする。
神は、この最後のプログラム「愛」を人間に与えたことで、人間は完成しました。
これが人間の心なんやと思います。
他の生物と、人間とは、いったい何が違うのか、わかりましたか?

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