第242回 キリスト教と仏教を脳科学で解明!② 〜アダムとイブ


ロボマインド・プロジェクト、第242弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

前回、第241回から、キリスト教と仏教の考えを、脳から解明しようとしています。
この話の元になってるのは、「脳を120%解放した女」シリーズの主人公の脳科学者、ジル・ボルト・テイラーです。
ジルは、脳卒中になって、右脳で感じる世界を体験しました。
ジルが感じた右脳の世界というのは、自分の体の境界が消えて、体が溶け出して、世界と自分の区別がつかなくなると言う感覚です。
これは、深い瞑想状態で感じる感覚に近いです。
仏教の悟りの境地といえます。

一方、左脳で感じる世界は、理屈の世界です。
言葉で説明できる世界です。
新約聖書のマタイの福音書は、「初めに言葉ありき」で始まります。
まさに、左脳の世界は、キリスト教の世界です。

これ、ほんと、きれいに整理できるんですよ。
宗教って、心の在り方とか、世界観とかを示すものじゃないですか。
心とか世界観をを説明するのに、二つの方法があるってことなんですよ。
一つがキリスト教的世界観。
もう一つが仏教的世界観です。
そして、左脳がキリスト教世界で、右脳が仏教世界です。

前回は、新約聖書からキリスト教の世界観を読み解きました。
今回は、旧約聖書を読み解いていこうと思います。
これ今回のテーマです。
キリスト教と仏教を脳科学で解明せよ!
アダムとイブ
それでは、始めましょう!

アダムとイブの話は、皆さん、知っていますよね。
じゃぁ、アダムの最初の仕事って、何か知ってますか?
アダムは、神から大事な仕事を与えられてたんですよ。
それが、何かって言うと、神が創った動物に名前を付けることです。
象とかキリンとかって、名前を付ける仕事です。

前回の動画を見た人なら、これの意味、分かりますよね。
おさらいしますよ。

まずは、人の世界の認識の仕方です。
人は、目で見た世界を頭のなかで仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して現実世界を認識します。
これを、意識の仮想世界仮説といいます。
詳しくは、この本に書いてあるので良かったら読んでください。

この認識モデルを階層構造として考えます。
現実の物理世界を最下層の物理レイヤーとします。
物理世界をそっくり写し取った仮想世界を仮想レイヤーとします。
仮想世界にある物をオブジェクトって呼びます。
意識は、仮想世界のオブジェクトを認識するわけです。

オブジェクトには名前が付けられます。
名前は、オブジェクトを指し示す一種の記号です。
オブジェクトを記号で表した世界を、もう一つ上の記号レイヤーとします。

記号レイヤーとは何かと言うと、これは言葉です。
リンゴって言うと、リンゴを思い浮かべますよね。
これは、仮想世界にリンゴオブジェクトを作って、意識がそれを認識することです。
言葉を理解するとは、こういう事です。
さて、新約聖書のマタイの福音書の冒頭はこうです。
「初めに言葉ありき」
つまり、キリスト教では、言葉が最も重要なんです。
言葉を出発点として世界が組み立てられるんです。

もう少し説明しますよ。
この世界は神が創りました。
神は、天と地を創りました。
動物も創りました。
最後に、神は、自分をかたどって人間を創りました。
それがアダムです。

神の創った動物に名前を付けたのはアダムです。
名前を言えば、仮想世界にオブジェクトが生成されるんです。
象って言えば、象オブジェクトが生成されるわけです。
これが、象を思い浮かべるってことです。
これ、神が動物を創りだすのと同じと言えますよね。
人は、名前を付けることで、頭のなかで、動物を創り出してるんです。
ある種、神と同じ能力を授かったと言ってもいいわけです。
こう考えると、アダムの最初の仕事が、名前を付けることだっていうの、深いですよね。
「初めに言葉ありき」のキリスト教世界観、その物だっていえますよね。

ただ、今のところ、名前を言えば、その物を思い浮かべるってだけです。
これだけじゃ、動きがないんです。
でも、左脳の世界は、そうじゃありません。

ジルは、脳卒中になって、左脳が停止したとき、脳の中のおしゃべりが止んだって言ってます。
これは、あれをしなきゃ、これをしなきゃっておしゃべりが無くなったってことです。
左脳キリスト教世界には、常に行動を駆り立てるものがあるわけです。
それは、どこから生まれるのでしょう。
そのヒントが、アダムとイブの話にあります。

アダムとイブはエデンの園に住んでいました。
神は、エデンの園にある木の実は、どれでも食べていいと言いました。
ただし、園の中央にある善悪の木の実だけは食べてはいけないと言いました。

そこに、ヘビが現れて、イブをそそのかします。
「その実を食べると、目が開いて、神のように善悪を知るものとなる」と言うんです。
そこで、イブは善悪の実を食べて、アダムにも食べさせました。
すると、急に、自分たちが裸であることが恥ずかしくなりました。
それで、イチジクの葉を腰に巻いたそうです。

これがアダムとイブの話です。
さて、これを読み解いていきますよ。
これが人間が犯した原罪とか言われるんですけど、今回は、そういう話じゃありません。
この時、左脳は何を獲得したのか?
それを読み解いていきます。

まず、善悪の実を食べたら、急に、自分らが裸であることが恥ずかしくなりました。
恥って概念を知ったんです。

まず、注目したいのが、今までと何も変わらないのに、恥ずかしいと思ったことです。
体が変化したわけじゃなくて、頭の中が変化したわけです。
つまり、情報の処理の仕方が変わったってことです。
頭の中のプログラムが変わったんです。
じゃぁ、そのプログラムは何ってことです。

この木は善悪の木でしたよね。
そして、この実を食べて恥ずかしさを感じたんでしたよね。
厳密には、善悪と恥とは、ちょっと違います。
ただ、似てるところはあります。
それは、「~すべき」って行動を駆り立てることです。

アダムとイブの場合、裸であるのが恥ずかしいって感じたわけです。
隠すべきって感じて、イチジクの葉で隠したんです。
善悪も同じです。
電車で、お年寄りに席を譲るべき。
道端にゴミを捨てるべきでない。
これが善悪です。

この「~すべき」から行動が生まれます。
ジルが左脳で感じてた、あれをしなくちゃ、これをしなくちゃって行動です。
どうやら、行動のプログラムが動き始めたようです。

じゃぁ、「~すべき」って機能、何のためにあるのでしょう。
それは、ある特定の方向に向けた行動を取らせるためです。
ある特定の方向とは、社会をまとめる方向です。

善とは、自分より、他の人のこと、社会のためになることをしましょうってことです。
悪は、その逆で、他の人が困ること、嫌がることは止めましょうってことです。
これが、社会をまとめる行動ってことです。
うがった見方をすれば、社会が暗に押し付ける行動とも言えます。

でも、善い行いをしましょうって言われても、なかなかできないものです。
「困ってる人の為に、募金をしましょう」と言われても、「いや、そんな余裕ねぇよ」って無視することもできます。
それじゃぁ、恥はどうでしょう?
こっちは、そんな甘くありません。
アダムとイブは、裸であることが恥ずかしくなりました。
でも、「パンツを履く、余裕なんかねぇよ」とか言ってパンツを履かない人なんか、いませんよね。
恥は、強がって無視したりできません。

じゃぁ、善悪と恥の違いって何でしょう?
それは、善悪は人間が作ったルールです。
ルールを破って罰するのは社会です。
赤信号を無視したら、お巡りさんに怒られるってことです。

でも、恥は、ルールじゃなくて、感情です。
感情は、社会から押し付けられるものじゃなくて、内側からこみあげてくるものです。
「そんなの知ったこっちゃねぇ」とかって、無視できないものです。
こっちの方が、かなり強力です。
社会生活を営むうえで、絶対必要な感情が恥と言えます。
同じ恥を共有してるから、まとまった社会が成立すると言えます。

それでは、新たに得たプログラムとは、具体的にどういう物でしょう?
まず、必要なのは、他人と自分との比較です。
自分が劣ってないか、恥ずかしくないかって判断できる機能です。
そして、もう一つが、他人の視線です。
恥ずかしいという感情は、他人に見られた時、または他人の視線を感じた時、発生するものです。

これを実現するには、まず、仮想世界にその社会で最低限の基準を設定します。
そして、それと自分とを比較して、最低限の基準を満たしてないと分かります。
たとえば、パンツを履いてないとかです。
さらに、他人の視線を検知する機能です。
この時の他人って、誰でもいいってわけじゃありません。
同じ価値観、基準を持つ人です。
その他人が、自分をじっと見てるわけです。
もう、居ても立っても居られなくなるわけです。
これが恥のプログラムです。

それじゃぁ、恥の反対は何でしょう。
それは、自尊心とか自信とかです。
その場合も、まず、その社会の標準的な基準を設定します。
スポーツとか勉強とか、何でもいいです。
その基準と自分とを比較すると、自分は標準を超えてるわけです。
そして、他人が、そんな自分を見てると感じた時感じる感情、それが自尊心です。

重要なのは社会の基準と他人の視線です。
あの日、アダムとイブが禁断の果実を食べたとき手に入れたのは、これです。
そして、これこそが、人間社会を形成するうえで、一番重要な機能なんです。

それは、その後の聖書を見れば分かります。
神の怒りをかったアダムとイブは罰を与えられます。
アダムには、食べるためには汗を流して働かなければならないという罰
イブには、子供を産むには苦しまなくてはならないという罰。
そうして、楽園を追放されたわけです。

労働と子供。
どちらも社会にとって必要不可欠ですよね。
実際、この後、アダムとイブは子を産み、やがて大きな社会を作って行きます。
その後、ノアの洪水伝説やバベルの塔など、人々の様々な苦難の話が続きます。
どれも、人間社会で起り得るドラマです。
このような人間社会を生み出すのに、一番重要なのが、社会の基準と他人の視線です。
だから、アダムとイブの物語のクライマックスは、禁断の果実を食べるシーンなんです。
労働と出産の話は、付け足しみたいなものです。

人間社会を作るのに一番重要なのは、他人との比較と、他人の視線を理解するプログラムです。
このプログラムが作動するプラットフォームが、仮想世界です。
自分や他人のオブジェクトを仮想的に構築できる仕組みです。
それがあるから、意識は、自分と他人を比較できるんです。
他人から見られてるという状況を理解できるんです。
この仕組みがあるから、何が正しいか分かるわけです。
どう行動すべきか、理解できるんです。
常に正しい行動を駆り立てられるわけです。

これが人間が共通に持つ世界認識システムです。
それがあるのが左脳です。
この左脳の世界認識システムが押し進めた世界が、西洋キリスト教世界というわけです。
それじゃぁ、左脳でなく右脳を目指したらどうなるんでしょう?
そんな世界、あるんでしょうか?
それが、仏教の世界です。
次回は、仏教について考えてみたいと思います。

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それじゃぁ、次回も、お楽しみに!