ロボマインド・プロジェクト、第274弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
今回の話は、生まれつき目が見えない人が、手術で目が見えるようになった時、その時、何
を見るのかって話です。
ここには、見るとはどういうことかって、根本的な問いが隠れてるんですよ。
その問いは、昔からありました。
たとえば、ウィリアム・モリヌークスという光の研究者が、17世紀の哲学者ジョン・ロックにこんな質問をしました。
「球体と立方体を手で触って判別できる全盲者が開眼手術を受けた時、その人は、視覚だけで球体と立方体を判別できるか?」
これは、モリヌークス問題と呼ばれて、ロックの「人間知性論」にも取り上げられました。
そして、これは、20世紀になって、実際に検証できるようになりました。
そこで、誰も想像してなかったことが起こったんですよ。
今回の話で、「見る」って行為は、一体何をしてるのか、それがよく分かると思います。
いや、正確には、「何が分かってないのか」がよく分かると思います。
これが、今回のテーマです。
全盲者が目を開いたとき、一体、何を見たのか?
それでは、始めましょう!
1958年に52歳の全盲男性、S・B氏が角膜移植手術を受けました。
その男性は、生後10か月から全盲だったそうです。
手術は大成功でした。
ただ、最初はぼぉ~として、すぐには見えなかったそうです。
それも、2、3日で見えるようになってきたそうです。
すると、動物や、自動車など、以前は手の感触でしか知らなかったものを、難なく認識できるようになったそうです。つまり、モリヌークス問題の回答は、球体と立方体を判別できるです。
モリヌークス問題は、これで決着がつきましたけど、少しずつ、おかしな問題が出てきました。
最初にS・B氏が感じた違和感は、三日月です。
初めて三日月を見たときは、かなり驚いたそうです。
三日月は、英語でquarter moonって言います。
4分の一欠けた月って意味です。
S・B氏は、quarter moonって言うのは、ケーキを四つに切ったみたいな形の月だと思っていたそうです。
たぶん、今まで、言葉だけで想像してたので、4分の一の月っていわれたら、4分の一のケーキみたいな形を思い浮かべてたんでしょう。
もっとおかしなことが、その後起こりました。
S・B氏は、ずっと、旋盤を見たかったそうです。
旋盤というのは、金属棒を回転させながら切削する工作機械のことです。
それで、ロンドンの科学博物館に連れて行ってもらって、ガラスケースに入った旋盤を見せたそうです。
でも、S・B氏は旋盤が見えないっていうんですよ。
それで、ケースを開けてもらうと、S・B氏は、目をつむって、しばらく旋盤をずっと触っていたそうです。
それから、一歩さがって、目を開けると、こう言ったそうです。
「よし、触ったから、これで見えるぞ」て。
さて、これって、どういうことでしょう?
S・B氏のこの言葉から、「見る」とは、どういうことか。
その本当の意味が読み取れるんですよ。
僕は、意識の仮想世界仮説という心のモデルを提唱しています。
人は、目で見て、頭の中で仮想世界を構築します。
意識は、その仮想世界を介して現実世界を認識します。
これが意識の仮想世界仮説です。
コンピュータで言えば、仮想世界は3DCGで作った世界です。
そのとき、記憶してる物体は3Dオブジェクトと言えます。
3Dオブジェクトは、形の情報だけをもったワイヤーフレームという表現があります。
これは、いわば、手で触った時の物体の形状のデータです。
3Dオブジェクトは、ワイヤーフレームの表面に画像を貼り付けるテクスチャマッピングという処理を行います。
これは、いわば、記憶から呼び起こした3Dオブジェクトに目からの視覚情報のデータを貼り付けたといえるでしょう。
ワイヤーフレームは、単に形の情報だけですけど、人の頭に記憶されるのは、形以外に、手触りとか、硬さ、重さ、味、臭いといった様々な情報も保存されます。
子供って、何でも触りたがりますよね。
赤ちゃんは、手で触るだけでなくて、口にまで入れたりします。
あれは、世界を手や舌で感じ取って、オブジェクトを作り上げているんですよ。
手で触ることで、形とか、自分との距離感とか、この三次元世界というものを、頭の中に作り上げていくんでしょう。
子供は、新しいものを見ると、触らずにおれないですよね。
それが、ある程度、いろんな物を触ると、実際に触らなくても、見ただけで、どんな形か、どんな手触りかってことがわかるようになります。
これは、見るだけで、オブジェクトを生成できるようになったと言えます。
だから、成長すると、何でも触りたがるってことは無くなるんです。
さて、S・B氏は、目が見えるようになったとき、記憶の中のオブジェクトに視覚情報を貼り付けたわけです。
だから、今まで触ったことがある物は、「こう見えるのか」って思えたわけです。
たとえ触ったことがなくても、想像することはできます。
想像できるってことは、オブジェクトは生成できてます。
三日月も、そうやってオブジェクトとして認識してたわけです。
そこに、初めて三日月を見ました。
すると、思ってた形状データと違うことが分かりました。
これが、初めて三日月を見た時の驚きだったんでしょう。
それじゃぁ、旋盤が見えなかったのは、なぜでしょう?
S・B氏は、オブジェクトの生成はずっと手で触って行っていました。
つまり、目で見てオブジェクトを生成する機能が発達しなかったんです。
じゃぁ、S・B氏が最初に旋盤を見たとき、いったい、何を見てたんでしょう?
ここに、見るとは何かの本質があるんです。
見るって行為は、3Dオブジェクトの表面にテクスチャを貼り付けて、初めて見えるんです。
つまり、元となるオブジェクトと、その表面に貼り付けるテクスチャと、必ずセットになっていないといけないんです。
僕らは、この現実の3次元世界にいます。
三次元空間の中に自分がいて、同じ三次元空間の中にオブジェクトが配置されます。
これが、この世界の基礎構造です。
その基礎構造に対して、視覚情報からのテクスチャが貼り付けられるわけです。
S・B氏は、目で見ただけでは、3Dオブジェクトを生成できません。
つまり、今まで見たことがないものを見たとき、その基礎構造を作ることができないんです。
そこに、視覚情報からのテクスチャが来ても、貼り付けるものが存在しないわけです。
S・B氏の頭の中で起こっていたのは、テクスチャを貼り付けようとしても、貼り付け先が存在しなくて、テクスチャが宙に浮いてるって感じです。
それが、ガラスケースを除けてもらって、旋盤を手で触ることで、しっかりとオブジェクトを生成できたんです。
これで、テクスチャを貼り付けることができます。
これが、「よし、触ったから見えるぞ」って言葉の意味です。
ただ、「見る」だけと思ってますけど、「見る」って行為の背景には、これだけの処理が行われているんですよね。
他にも、興味深い事例があります。
たとえば、13歳で手術をして、初めて物が見えるようになった少年は、こんな風に証言しています。
「見たもの全てが、ちょうど触れた物が皮膚に接触してるのと同じように、直接目に接してるかのように思えた」って。
つまり、目に見えるもの全てが、眼球に張り付いてるように感じてたそうです。
これも、分からないでもないですよね。
手が触れた感覚を元に世界を認識してたのは無意識です。
それが、目で見るという新たな感覚を得たとき、無意識は、今までと同じように処理しようとしたんでしょう。
まず、知覚した感覚器にその物体が存在すると。
そう考えたら、確かに、見たものが、眼球に張り付いてると感じるのも分かります。
いや、逆にそう感じるのが普通な気がします。
眼球で知覚してるのに、そこから離れたところにその物体があるって感じる方が不思議です。
ねぇ、こう考えると、「見る」って行為、すごく不思議でしょ。
当たり前と思えますけど、じつは、そこには、ものすごく複雑な処理が行われてるんですよ。
脳科学の進歩のおかげで、少しずつ、見えるとはどういうことか、分かってきました。
たとえば、視覚情報は、単純な丸や四角って形を見分ける脳細胞があることが分かってきました。
さらに、動きを認識する脳細胞があることも分かってきました。
そうやっていろんなことが分かってきたんですけど、最後に、意識が「見える」って感じるところは、どうなってるのか、それは未だにわからないんですよ。
あと一歩ってレベルじゃないです。
長い、真っ暗なトンネルがあるって感じです。
そのトンネルを通り抜けると、突然、「見える」って感じるわけです。
たぶん、トンネルの中で、丸とか四角って形とか、動きとって情報が組み立てられて世界がつくられてるんでしょう。
世界を組み立ててるのが無意識です。
トンネルを抜けたところで、組み立てられた世界を見てるのが意識です。
トンネルの中で行われてる処理の中身が、今の科学では分からないんです。
なぜかというと、処理の中身は、いってみればプログラムです。
プログラムは、外から観察しても分からないんですよ。
トンネルから抜けると、意識が「見える」って感じましたよね。
ということは、意識は、そのプログラムの一部なんです。
僕らの意識は、プログラムの側にあるわけです。
これが、「見る」って経験の全体象です。
この一連の仕組みの解明、これこそが、21世紀の今、必要とされる新しい科学です。
心の科学です。
処理の中枢はプログラムです。
それは、観察して解明できないものです。
それじゃぁ、どうやって解明したらいいんでしょう?
それは、心のモデルを作るんです。
そのモデルが正しいかどうかは、検証して確認します。
今回、行ったのは、僕の提唱する「意識の仮想世界仮説」という心のモデルの検証です。
目が見えなかった人が、手術で見えるようになった時に起こった不思議な感覚を、モデルに当てはめて検証してみたわけです。
心のモデルは、他にもあると思います。
たとえば、第267回で紹介した前野先生の「受動意識仮説」もその一つです。
受動意識仮説の元になったのは、マーヴィン・ミンスキーの著書『心の社会』で提案された心のモデルです。
それは、心というのは、多数のエージェントが集まって社会を形成してるっていうモデルです。
エージェントというのは、丸とか四角を認識する小さいプログラムのことです。
今の脳科学の知見から考えられた心のモデルと言えます。
たぶん、もっと他にも心のモデルは考えられると思います。
ただ、なぜか、心のモデルを考えるってことは、ほとんど行われていないんです。
科学のほとんどのリソースは、脳の中のエージェントを探すことに費やされています。
それも重要ですけど、それらをまとめた心のモデル作りにも、もっとリソースを費やすべきじゃないかって思うんですよ。
脳の観察だけじゃなくて、心のモデル作り、これこそ、21世紀の科学がやるべきことじゃないかと思います。
そして、そのモデルの検証、それは、実際にそのモデルをプログラムで作って、確認することです。
つまり、モデルの元となったプログラムと、ちゃんと噛み合って動作するかの確認です。
モデルの元となったプログラムというのは、もちろん、人間の心のことです。
つまり、人間と自然な会話ができたら、そのモデルは正しいってことです。
それが、今、僕らがつくってるマインド・エンジンってわけです。
今回紹介した「意識の仮想世界仮説」に関しては、この本に詳しく書いてあります。
よかったら、読んでください。
はい、今回の動画がおもしろかったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!