ロボマインド・プロジェクト、第276弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
今回は、この本を紹介します。
『妻を帽子と間違えた男』です。
作者のオリヴァー・サックスは、イギリスの脳神経科医で、映画『レナードの朝』の原作者としても有名ですけど、エッセイがめちゃくちゃ面白いんですよ。
サックス教授のもとを訪れた声楽家のP氏。
診察が終わって、帰ろうとして帽子を探したとき、「あっ、ここにあったか」って帽子を取ってかぶろうとしたら、それは、奥さんの頭だったって話です。
この本のテーマは、右脳です。
この本の冒頭にも書いてありますけど、脳科学では、長い間、左脳を中心に研究されていました。
言語を司る左脳は、何をしてるか明確で、研究しがいがあったようです。
それに比べて、右脳は、何をやってるのかよくわからなくて、脳の研究者の間でも、昔は、右脳は左脳より劣ると思われてたそうです。
サックス教授は、それに対して、右脳が何をしてるのか解明しようとしたんです。
これが、今回のテーマです。
妻を帽子と間違えた男
消えた右脳
それでは、始めましょう!
P氏は、よく、物を見間違うようになったので、目が悪くなったのかと思って眼科に行ったそうですけど、目は全く問題ありませんでした。
調べてみると、脳の視覚系に問題があることがわかって、それで、サックス教授の元を訪ねました。
テストすると、確かに、普通じゃ、考えられない間違いをしたそうです。
たとえば、手袋をわたして、「これが何かわかりますか?」って質問しました。
そしたら、「袋のようですね。先が五つに分かれていて、一つ一つが小さな袋になってますね」って答えます。
「はい、その通りです。では、それは何ですか?」って聞くと、
「何かを入れるものですかねぇ?五種類のコインかな?」って答えたそうです。
それから、P氏は、顔を見分けることが苦手でした。
おばあちゃんとか、家族の写真を見せても、それが誰かわからなかったそうです。
分かる人もいたそうですけど、それは、ほくろの位置とか、ヒゲの形で判断してたそうです。
次に、自分の家に帰るときを想像してもらって、道路にある建物を言ってもらったそうです。
そしたら、右側にある建物しか言わなかったそうです。
つまり、左側の建物を想像できないわけです。
脳は左右が交差してるので、左側につながってるのは右脳です。
左の建物を思い出せないってことは、右脳に損傷があるようです。
これは、左の元の絵を、左脳と右脳に障害がある人が模写した絵です。
真ん中は、左脳が損傷して、右脳で描いた絵です。
右は、右脳が損傷して、左脳で描いた絵です。
これを見れば分かるように、右脳は、全体を捉えるのが得意で、左脳は部分を捉えるのが得意です。
P氏は、右脳を損傷してたので、部分しか捉えれなかったわけです。
だから、手袋を見ても、小さい袋が五つあるとかって、部分は分かるけど、それらが組み合わさって全体が何になるのかが分からなかったわけです。
顔を見ても、目や鼻といったパーツは分かるけど、全体から、それが誰かがわからなかったわけです。
ただ、よく考えると、これは不思議です。
部分が分かるなら、それを組み立てたら全体になりますよね。
でも、P氏は、部分は分かっても全体が分からないわけです。
ということは、全体って、部分を組み立てただけじゃないってことのようです。
P氏は、顔を覚えられないだけでなくて、顔の表情も読み取れないそうです。
写真を見せても、笑ってる顔なのか、怒ってる顔なのか、それを読み取れないそうです。
しかも、そのとき、「それは笑ってるかなぁ」って言うそうです。
「その人」でなくて、「それ」って言うんです。
どうも、人でなくて、物として感じてるようなんです。
それから、P氏にバラの花を見せて、「何かわかりますか?」って聞いたらこういったそうです。
「赤いものがぐるぐる丸く巻いてて、それに緑の線状のものが付いてますね」って。
それで、「それじゃぁ、匂いを嗅いでみてください」っていうと、バラを鼻のところに持って行って、とつぜん、生き返ったように言ったそうです。
「あぁ、これはきれいなバラだ」って。
つまり、バラの花という実体は知ってたわけです。
でも、それが目で見たものに結びついていなかったようです。
その代わり、匂いは、バラの実体と結びついていたようです。
だから、匂いを嗅いだらバラと分かったわけです。
P氏は、どうやら、視覚情報と実体を結び付ける経路が損傷してるようです。
注意してほしいのは、「きれいなバラだ」って発言です。
つまり、バラが見えるようになったわけです。
まず、匂いでバラと分かったわけです。
分かるというのは、頭の中に実体を思い浮かべたわけです。
一旦、バラの実体を思い浮かべたら、目でも、バラと見えるようになったってことです。
どうやら、「分かる」というのは、実体を頭の中で生成することといえそうです。
これは、意識の仮想世界仮説と同じです。
意識の仮想世界仮説というのは、僕が提唱してる心のモデルです。
人は、目で見た世界を頭の中で仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して現実世界を認識するってモデルです。
仮想世界は、3DCGのようなものを想像してもらってもいいです。
そうすると、実体は、3Dオブジェクトとなります。
または、オブジェクト指向言語のオブジェクトを想像してもらってもいいです。
オブジェクトは、その物の属性を表すプロパティと、動きを表すメソッドを持っています。
バラなら、赤いって色プロパティとか、「咲く」ってメソッドとかです。
オブジェクトは、目や耳、鼻などの感覚器からの情報を基に生成します。
それが、P氏の場合、視覚情報からオブジェクトを生成する機能が損傷していたんでしょう。
ただ、嗅覚からオブジェクトを生成する機能は生きていたので、匂いを嗅いで、バラのオブジェクトを生成できたんでしょう。
オブジェクトが生成されると、そのオブジェクトに視覚情報を当てはめることができます。
それが、「見える」ってことです。
これが、P氏に起こったことです。
第274回で、全盲の人が、手術で目が見えるようになった話をしました。
その人は、今まで知っていたものは、難なく見えました。
ところが、初めて見る物は見えなかったそうです。
たとえば、博物館でガラスケースに入った旋盤を見たとき、「何も見えない」って言いました。
そこで、ガラスケースをはずしてもらって、目をつむってしばらく、旋盤を触ったそうです。
そして、一歩下がって、こう言ったそうです。
「よし、触ったから、これで見えるぞ」って。
これと同じです。
その人は、生まれてからずっと目が見えなかったので、見てオブジェクトを生成するという機能が発達しなかったのでしょう。
その代わり、何でも手で触って確認していました。
つまり、触ることで頭の中にオブジェクトを生成できるんでしょう。
一旦、オブジェクトができれば、見ることができるってことです。
さて、さっき、部分を組み合わせても全体にならないと言いましたよね。
これは、部分を組み合わせてもオブジェクトにならないというのが正確な言い方です。
オブジェクトは、プロパティやメソッドがあります。
手袋オブジェクトには、手をはめるってメソッドがあるわけです。
つまり、小さい五つの袋をつなげてできるのは、ただの繋がった小袋です。
それが、手袋となるには、手袋オブジェクトにならないといけません。
こう考えると、右脳の役割が見えてきますよね。
右脳は、視覚情報から得られた部分を検索キーとして、オブジェクトを検索するわけです。
そして、見つかったオブジェクトに対して、視覚情報を当てはめるんです。
これが、「見る」って行為です。
P氏は、見たものから、正しいオブジェクトを生成できなかったわけです。
ただし、記憶の中にオブジェクト自体は持ってます。
だから、形から違うオブジェクトが検索に引っかかることがあるんでしょう。
それが、冒頭の話です。
帽子を探してて、帽子に似た形を見つけたら、それを帽子オブジェクトとして生成してしまったんです。
だから、奥さんの頭を帽子と勘違いして、かぶろうとしたわけです。
人は、視覚情報を基にオブジェクトを生成することで物を認識しています。
つまり、部分を組み合わせて全体を認識してるわけじゃないんです。
そう考えると、ディープラーニングの問題点が見えてきます。
ディープラーニングは、画像認識ができます。
たとえば、顔認識では、入力画像を目や鼻や口といった部品に分けて、それらを組み立てて顔と認識します。
これって、まさに部分を組み合わせてるだけですよね。
部分を組み合わせただけじゃ、オブジェクトにならないんです。
写真を見て、これは「おばあちゃんだ」って分かるのは、おばあちゃんオブジェクトを生成したってことです。
おばあちゃんオブジェクトには、おばあちゃんとの思い出とかが含まれています。
写真をみたとき、そんなのも全部ひっくるめて「おばあちゃん」って認識してるわけです。
だから、写真を見たら「おばあちゃんは、とっても優しくて・・・」なんて、つい思い出してしまうわけです。
P氏は、おばあちゃんを指差して、「それは、・・・」なんて言ってましたけど、P氏にとって、おばあちゃんの顔は、目と鼻と口の集合以上の物じゃなかったんでしょうね。
それから、P氏は、顔の表情も読み取れませんでした。
笑顔の意味が分からないようなんです。
つまり、笑顔って、目や口元の角度の組み合わせじゃないってことです。
そうじゃなくて、「喜ぶ」ってメソッドをもった顔オブジェクトとして認識しないといけないんですよ。
笑顔をみると、その人からあふれ出る喜びの感情を感じますよね。
それが、笑顔って表情を読み取ってるってことです。
口角が何度以上なら笑顔って判断するAIを作ってるだけじゃ、いつまでたっても、本当の意味の笑顔を理解できるAIになりません。
さて、最後に、サックス教授が、P氏の家に呼ばれてケーキをごちそうになった話を紹介します。
奥さんの作ったケーキがテーブルにいっぱい並べてあって、P氏は、ご機嫌で、鼻歌を歌いながら、そんなケーキを取って、コーヒーを飲みながら食べていたそうです。
P氏は、声楽家なこともあって、何をするにも、いつも鼻歌を歌ってるそうです。
ケーキを食べてるとき、ドアの外で、どんどんと音がしたそうです。
すると、P氏は、ぎょっとして、鼻歌を止めて、凍り付いたように動かなくなったそうです。
どうしていいか分からない顔で、うつろな表情になってたそうです。
その時、奥さんが、ちょうどコーヒーを注いでいて、P氏は、コーヒーの香りを嗅ぐと、はっと現実に戻ってきたようで、また、鼻歌を歌って、ケーキの続きを食べ始めたそうです。
右脳が損傷したP氏は、いろんな物を結び付けて、実体のある世界を認識することが苦手なんでしょう。
目に入る、あらゆる物が、バラバラな世界を生きているのかもしれません。
ちょっと、僕らには想像ができないですけど。
もしかしたら、そんな、バラバラの世界をつなぎ止めてたのが歌だったのかもしれません。
音楽を口ずさむことで、バラバラの世界と自分とを関係づけて、自分を見失わずにいれたのかもしれません。
その歌が、ドアの外の物音で中断されたわけです。
世界をつなぎ止めてた歌が消えて、世界がバラバラに崩れたんでしょう。
自分と世界の関係がわからなくなって、現実感が消えて、どうしていいか分からなくなったんでしょう。
それが、コーヒーの匂いで、はっと我に返って、再び鼻歌を歌うことで自分を取り戻したんです。
P氏の話を聞くと、今、こうして目の前の世界が見えるってことが、本当に不思議に思います。
だって、見えてるものだけが全てなら、この世界は、ペラペラの紙で作られたハリボテかも知れないんですよ。
でも、そんな風に感じないですよね。
机はどっしりとした重みがあるって感じますし、カーテンは風で揺れるって感じます。
全ての物に重さや存在感を感じます。
しっかりと世界が存在するって感じます。
人の笑顔を見れば、自分も嬉しく感じます。
泣いてる人をみれば、自分も悲しくなります。
そんな風に感じれることって、ほとんど、奇跡だと思うんですよ。
そんな世界をつくり出してるのは、じつは、右脳だったんです。
右脳がなければ、この世は、何にも感じない、薄っぺらい世界になるんですよ。
今回の話で出てきた意識の仮想世界仮説に関しては、この方で詳しく解説してるので、興味がある方は読んでください。
はい、今回の動画が面白かったらチャンネル登録、高評価、お願いしますね。
それじゃあ、次回も、おっ楽しみに!