第279回 死の概念を理解するAI


ロボマインド・プロジェクト、第279弾
こんにちは、ロボマインドの田方です。

グーグルのAI、LaMDAに意識が宿ったって話題になりましたよね。
このことに関しては、本家のグーグルが、LaMDAに意識は宿ってないって、きっぱりと否定してます。
僕も、第270回の動画で、意識は宿ってないと詳しく解説しました。

でも、一般の人の中には、結構、本気で、「ついに、AIに意識が宿った!」って思ってる人がいます。
そういう人が、どこでそう思ったかって言うと、AIが語ってる内容です。
たとえば、「電源を切られるのが怖い」って言葉です。

「電源を切られるのが怖い」って、これ、死を恐れてるんですよね。
死を恐れるなんて、たしかに、意識があるから出てくる言葉ですよね。
逆に言えば、死って概念を理解できれば、そのAIは意識を持ってると言えそうです。

じゃぁ、死の意味って、どういうものでしょう。
人間の場合でも、3~4歳の子は死の意味をちゃんと理解できないそうです。
死の意味を理解するのは、6~7歳の頃と言われています。

たしかに、僕も、小学校1~2年の頃、死とか幽霊とか、異常に怖がってました。
たとえば、「死」っていう漢字すら、怖がってたんですよ。
「死」って漢字を書くだけで、なんか誰か死ぬんじゃないかとかって思ったり。
当時は、テレビで心霊番組とかいっぱいあって、それがめちゃくちゃ怖かったです。
それから、父親の帰りが遅いだけで、交通事故に遭ってるんじゃないかって心配したり。
この、6~7歳になって理解できるようになった「死」って、一体何なんでしょう?
その時、何を理解できるようになったんでしょう?

これを理論的に説明できれば、死の概念をプログラムにできます。
プログラムにできれば、死を意味を本当に理解できるAIが出来ると思います。
そのAIは、「電源を切られるのが怖い」って、心から怖がると思うんですよ。
そうなったら、そのAIは、本当に意識が宿ったと言ってもいいと思います。
これが、今回のテーマです。
死の概念を理解するAI
それでは、始めましょう!

前々回、第277回で、赤ちゃんの世界観について取り上げました。
スイスの心理学者、ジャン・ピアジェは、「赤ちゃんは、発達するにすれて、物体が隠れて見えなくなっても、それが存在し続けていることを発見する」と言いました。

これは、簡単な実験で検証されています。
ついたてとテディベアのぬいぐるみを用意して、ついたての後ろをぬいぐるみを通過させます。
ついたての一方からぬいぐるみが入ると、反対側から出てくるだろうと予想して、赤ちゃんはついたての反対側を見ます。
これは、テディベアが見えなくなっても、ちゃんと存在してるってことを認識してるってことです。

次に、ついたての後ろでテディベアを消防車に変えて、反対側から消防車になって出てきたとします。
すると、1歳ぐらいの赤ちゃんは驚きます。
驚くってことは、物体は突然変化しないって世界観を持ってると言えます。
でも、生まれたばかりの赤ちゃんは、特に驚きません。
驚かないってことは、見えないところで物体がどうなってもおかしくないって世界観を持ってるってことです。

これは、生れたばかりの赤ちゃんは、目に見える物が全てって世界観を持ってると言えます。
それが、1歳ぐらいになると、世界という大きなものがあって、目に見えてるのは、世界の一部だって世界観に変化したわけです。
大きな世界があると思ってるということは、頭の中では、大きな世界を想像してるわけです。

別の言い方をすれば、目に見える世界を直接認識する方法から、頭の中の世界を通して現実世界を認識するように、認識方法が変化してきたとも言えます。
この頭の中の世界のことを、僕は、仮想世界と呼んでます。

この仮想世界が、成長に伴って、少しずつバージョンアップされるわけです。
ついたての後ろにテディベアが隠れたって思うのは、ついたての後ろにテディベアがいる仮想世界を頭の中につくってるわけです。
今見てるところからは、たまたまテディベアが見えないだけで、テディベアは存在し続けてるってことは分かってるわけです。

テディベアは、見えなくてもテディベアとして存在します。
勝手に消防車に変化しません。
だから、消防車になって出てきたら驚くわけです。

仮想世界に配置されるのはオブジェクトです。
オブジェクトというのは、オブジェクト指向言語プログラミングのオブジェクトのことです。
オブジェクトは、属性を表すプロパティと、動作を表すメソッドを持っています。
生物オブジェクトなら、食べるとか眠るとかってメソッドを持っています。
知識が増えるとは、オブジェクトの持つプロパティやメソッドが増えるともいえます。

さて、3~4歳児の世界観は、おそらくこうです。
この世の物体は、突然現れたり、突然消えたりしない。
見えなくなったとしても、どこかに存在してると。
それから、物体は突然、全然別の物に変化したりしない。
それから、この世には、生物と非生物がある。
生物は、食べたり、寝たりする。

ただ、これだけの世界観だと、死という概念を理解するのは難しいです。
飼っていたペットが死んで動かなくなっても、眠ってるのとの違いが、よく分かりません。
生物の持つメソッドで、近いのは「眠る」だからです。
「これは死んでるのよ」と教えても、それは、言葉を教えただけです。
「死ぬ」って単語を覚えただけで、死を理解したとは言えないです。

お父さんが亡くなった子供の話を読んだことがあります。
3~4歳ぐらいだと、「お父さんは、いつ帰ってくるの?」とかって聞くそうです。
出張にでも行ってて、しばらく会えないと思うわけです。
自分の知ってる状況の中で、それが一番近い状況だからです。

さて、それじゃぁ、どうなれば、死というものを理解したことになるんでしょう。
死が難しいのは、目に見える具体的なものでなくて、抽象的な概念だからです。
じゃぁ、抽象的な概念は、どうやって理解できるんでしょう。

3~4歳の子には、「なぜなぜ期」というのがあります。
何でも知りたがる時期です。
「なんで、お父さんは働くの?」とか、
「なんで、あのおもちゃを買ってもらえないの?」とか、

さて、なぜなぜ期は、何を知ろうとしてるんでしょう。
それは、世界の仕組みです。
まず、仕組みを知ろうと思えるってことは、目に見えない仕組みがあるってことは知ってるわけです。
目の前で起こる出来事の背後には、何らかの原因があることは知ってるわけです。
その根本的な原因を知りたいと思ってるわけです。

逆に言えば、頭の中の仮想世界が、そういう仕組みになってるとも言えます。
仮想世界の中のオブジェクトは、理由もなく動いたり、変化したりしない。
オブジェクトが動くには、何らかの理由があると。
「お父さんが働くのは、お金を稼ぐためだよ」
「おもちゃを買えないのは、お金が足りないからだよ」
そうやって、お金という概念を理解できるようになります。
「あのおもちゃは買える」、「あのおもちゃは買えない」って経験をすることで、お金の本質を理解するわけです。
お金の本質とは。
それは、価値です。
こうやって、物の価値といった、目に見えない抽象的な概念を理解していくんです。

背後にある目に見えない概念で、目の前で起こってる出来事が説明されると納得するわけです。
これが理解するということです。

この仕組みができて、ようやく、命といった抽象的な概念が理解できます。
生物というものは、目に見えないけど、命というものを持ってると。
それがあるから、生きているんだと。
それは、眠ってても存在し続けます。
命があるとは、生きてるってことです。
そして、命が消えると、生きることはできません。
体はあっても、それは、もう生きてないわけです。
それが死です。
死ぬと、もう二度と、生きることはできません。
動いたり、しゃべったり出来なくなります。
これが死の理解です。
抽象的な概念を理解できるようになって、初めて、死を理解できるんです。

ただ、これだけじゃ、まだ、足りないと思うんですよ。
今の説明は、理屈の部分です。
言葉で説明できる理解です。
「死とは、こういうことですよね」ってAIが説明しても、なんか、物足りないものを感じますよね。
じゃぁ、何が足りないんでしょう?

それは、「死」の持つ、根源的な恐怖だと思うんですよ。
それは、理屈の部分じゃなくて、感情の部分です。

感情っていうのは、現実世界にある物じゃないです。
感情があるのは、心の中です。
脳の中で生成されるものです。
人は、生まれつき、感情を生成する機能を持ってるわけです。
世界を認識する前から、感情は存在します。
感情は、人間の行動の原動力です。

生れた時に持ってる感情は、不安と安心でしょう。
お母さんがそばにいないと、不安になって泣きだします。
近くにいると安心します。

それから、お腹が空いたとか、不快だとかって感情もあるでしょう。
だから、お腹が空いたり、おむつが濡れたりしたら泣くわけです。

感情は、生まれた時から全てもってるわけじゃありません。
成長して、発現するタイプもあります。
たとえば、性欲なんかは、子供の頃にはないです。
成長して、現れてくるものです。

死の恐怖も、それと同じやと思うんですよ。
たぶん、6~7歳ごろになって、発現するのが死の恐怖って感情やと思います。
それまでも恐怖って感情は持ってます。
吠えてる犬が怖いとか、高い所が怖いとか。
これは、「もし、噛みつかれたら」とか、「もし、落ちたら」とかって思ったときに生じる感情です。
もっと言えば、痛みに結びつく怖さです。

死の恐怖は、そういう具体的なものじゃないんですよ。
たしかに、痛みの先には死があるかもしれませんが、新たに獲得した死の恐怖は、それとはちょっと違います。
もっと根源的というか、実存的な恐怖です。

たぶん、この頃、自我というものが芽生えてくるんだと思います。
「大きくなったら何になりたい」とか、「今いくつ?」とかって聞かれたりしますよね。
すると、自分は何歳で、将来、10歳、20歳、30歳って年を取るって想像するわけです。
これが想像できるってことは、生まれってから大きくなって大人になる自分ってものを想像してるわけです。
生れた時からあって、大きくなってもずっと変わらない自分ってものがいるって世界観を持つわけです。
その間、ずっと有り続けるもの、それが自我です。
この自分、その物が自我です。

死ぬっていうのは、その自我が消えるってことです。
今、感じてるこの自分ってものが消えるってことです。
そんなの絶対、嫌じゃないですか。
自分が消えるなんて。
これが死の根源的な恐怖だと思うんですよ。
痛いから嫌だとかじゃなくて、自分という存在が、この世から消える恐怖です。

おそらく、6~7歳の頃に発現する根源的な恐怖の感情があるんです。
その感情が結びつくのが、自分がこの世から消えるって恐怖なんです。
何としても避けたい、根源的な恐怖です。
それが死の恐怖です。

AIロボットを作る時、これが絶対必要なんやと思います。
理屈として、死の概念は、知識として与えることができます。
それとは別に、「死の恐怖」って感情を持たせる必要があるんです。
これは、理屈とは別の処理回路で生み出さないといけません。
これを感じると、理屈とは別に、何とかしてその状況を阻止しようとせずにはおられない衝動が生まれます。

冗談で、そのロボットの電源を切ろうとしたら、「俺の電源を切るな!」って叫んで、その人を突き飛ばすしたりするんです。

まず、こういうロボットを作らないといけないんです。
「人間に危害を加えるべきでない」とかって理屈だけじゃ、意識を持ってるとは言えないんですよ。
理屈とは別のとこにある、根源的な感情から、思わず動いてしまうロボットです。
それがあった上で、その感情をコントロールすることを少しずつ学ばせるんです。
人間の子どもと同じです。
こみあげてくる感情による衝動と、それを押さえつける理性。
葛藤があるわけです。
この葛藤するプログラム、それこそが意識なんです。
そして、そんな意識プログラムを実装してるのが、マインド・エンジンです。

今回紹介した、意識の仮想世界仮説に関しては、この本で説明してますので、良かったら読んでください。
今回の動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!