第283回 意識理論4つのポイントと、自由エネルギー原理


ロボマインド・プロジェクト、第283弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

今回は、意識理論について整理しようと思います。
意識と一口に行っても、いろんな理論があって、人によって、手法や目指してるものが違って、整理しないと、こんがらがってしまうんですよ。
でも、歴史的経緯を踏まえてみれば、なぜ、その手法が生まれたのか、よく分かるんです。
ポイントは、4つあります。
第1のポイントは科学革命、第2のポイントはAIの二大派閥、第3のポイントは意識科学、第4のポイントはコンピュータ科学です。
最近、意識科学の分野で流行ってるものに自由エネルギー原理ってのがあります。
これも、この4つのポイントを押さえるとよく分かります。
って言っても、ちょっと分からないですよね。
そこで、これを丁寧に解説していこうと思います。
これが、今回のテーマです。
意識理論4つのポイントと、
自由エネルギー原理
それでは、始めましょう!

第一のポイントは科学革命です。
まずは、科学革命前夜のデカルトです。
デカルトは、心身二元論を唱えました。
心身二元論とは、心と身体は別だという考えです。
分かりやすく言えば、脳とは別のところに心があるって考えです。

デカルトは、人間と動物の最大の違いは、神が与えた魂にあると考えました。
それが人間の心です。
じゃぁ、心と体はどこで結びつくんでしょう?
デカルトは、それは、脳の中心にある松果体と言ってます。

さらに、デカルトは、脳は、外界からの入力に反応する場合に使うといってます。
これは、無意識が行う反射のことです。
つまり、デカルトは、意識と無意識を区別していて、意識が、人間のみが持つ心というわけです。
そして、入力に対する反射とかの無意識は、動物でも持ってる機能としたわけです。

デカルトの後、科学革命が起こりました。
科学によって、神や魂といった不確かなものは排除されました。
この流れは、科学だけじゃありません。
哲学でも同じ流れが起こります。
神は死んだといったニーチェや、現象学のフッサールです。
フッサールは、この世で確かなものは、現象として目の前に現れるものだけだと言いました。
客観的に目に見えるものだけが信じれるんです。
フッサールは、神とか魂とか、目に見えない不確かなものはエポケーせよといいました。
エポケーとは、判断中止するとか、カッコに入れるという意味です。
意識とか心とか、存在するかしないか分からないものは、カッコに入れて、とりあえず、今は考えないでおこう。
目に見える確かなものだけを考えようってわけです。

第二のポイントはAIです。
AIの歴史は、二つの派閥争いの歴史でもあります。
それは、ルールベースとニューラルネットワークの争いです。
ルールベースというのは、AならばB、BならばCってルールを人間が教えるタイプで、1980年代の第二次AIブームの主流でした。
ニューラルネットワークは、データを自動で学習するAIで、現在の第三次AIブームの主流のディープラーニングは、これに当たります。
そして、AI業界では、かつて優勢だったルールベースが敗れ去り、今は、ニューラルネットワークが正しいことが証明されたと言われています。
人が教えるより、AI自身で学習させた方が上手くいくというわけです。
今のAIの主流のディープラーニングや、トランスフォーマーといったものは、すべてこの流れに乗ってます。

第三のポイントは意識科学です。
20世紀も終わりになって、意識を科学で扱おうという意識科学が生まれました。
意識科学で、まず立ちはだかった問題が、意識のハードプロブレムです。
意識のハードプロブレムというのは、脳が、いかにして主観的な意識体験を持つのかという問題です。

たとえば、目の前のリンゴを見て、意識はリンゴがあると思います。
でも、目からの視覚情報を、脳の神経細胞をいくら追っても、脳の中にリンゴは見当たりません。
リンゴを見てる意識も見当たりません。
神経細胞をいくら観察しても、意識や主観は見えてこないという問題です。
これが、意識のハードプロブレムです。

ここにきて、意識とか魂といった亡霊が蘇ってきたのです。
500年間、カッコにいれて、判断中止してたものが、姿を現し始めたわけです。
意識科学では、意識が感じるもののことをクオリアと言って、現実に存在する物理的実体とは区別しています。

ただ、クオリアや意識の存在を否定する人もいます。
たとえば、哲学者のダニエル・デネットはクオリアや意識を否定しています。
それから、受動意識仮説の前野隆司教授は、意識は幻想だと言います。
客観的に観測できないクオリアとか意識など存在しないと主張するのは、科学、哲学の流れから当然のことといえます。

第4のポイントは、コンピュータです。
世界で最初のコンピュータは、1946年につくられたENIACです。

弾道計算の為につくられた電子計算機で、17000本の真空管を使って、床面積100㎡、重量30トンもありました。

ENIACは、プログラムを変更するごとに、配線をつなぎ変える必要があって、その作業に1週間もかかったそうです。

ENIACの後継機となるEDVACは、プログラム内蔵方式といって、メモリにプログラムを格納して実行できるようになりました。

これによって、プログラムを変更するたびに配線をつなぎ変える必要がなくなりました。
この方式のコンピュータを、提案したフォン・ノイマンの名を取って、ノイマン型コンピュータと言います。
これが、今のコンピュータの原形です。

ここで言いたいのは、今まで、物理的な配線で実現していたプログラムが、電子データで実現されるようになったってことです。
つまり、従来は、コンピュータとプログラムがハードウェアとして一体となっていたものが、ノイマン型コンピュータでは、ハードウェアとしてのコンピュータと、ソフトウェアとしてのプログラムの二つに分かれたということです。

何が言いたいか分かりますか?
僕が言いたいのは、これは、脳と意識の関係と同じじゃないかってことです。
ハードウェアとしてのコンピュータを脳とします。
そうすると、意識は、コンピュータのメモリに格納されるプログラムじゃないかってことです。

デカルトは、脳の中の松果体を介して脳と心がつながると言いました。
これに当てはめると、コンピュータのメモリが、松果体に該当するわけです。
意識プログラムがメモリに格納されて、脳であるコンピュータで実行されるわけです。
デカルトの心身二元論が、コンピュータで見事に再現されたわけです。

じゃぁ、それまでの物理的配線のプログラムは何でしょう?
それは、デカルトも言ってた無意識です。
外界の入力に反応するだけのプログラムです。
しかも、物理的な配線で作られてるので、変更できません。
つまり、無意識の行動は、簡単に変更できないってことです。

それに対して、意識は考えることができます。
考えるとは、ああしたらこうなる、こうしたらああなると頭の中でシミュレーションすることです。
外界からの入力に反応するんじゃなくて、外界から切り離されて、頭の中でシミュレーションするわけです。
そして、シミュレーションした結果に基づいて最適な行動を選択します。
それが意識プログラムです。

つまり、意識とは、プログラムなんです。
情報処理の中身なんです。
物理世界にあるわけじゃないので、物理世界からのアプローチじゃ見つからないってことです。
古典物理じゃ見つからないから、意識は、量子的振る舞いじゃないかって提唱してるのが、量子脳理論を唱えるロジャー・ペンローズです。
ただ、意識が物理世界にあるんじゃなくて、情報世界にあるのなら、量子の中を探しても意識は見つからないと思います。

さて、ようやく準備が整いました。
AIの流れから行くと、データを与えて、自ら学習させるのが正解です。
科学、哲学の流れから行っても、表面に現れるデータこそが一番信頼できます。
かといって、表面のデータが全てではありません。
その奥には、何らかのデータ構造や内部モデルがあるはずです。
今のディープラーニングは、大量のデータを与えることで、その奥にある隠れたデータ構造や内部モデルをあぶり出してるとも言えます。
たとえば、顔認識でいうと、大量の顔画像を学習させることで、目や鼻や口といった要素をあぶりだしてるといえます。

さて、意識科学の分野で、最近流行ってるものに自由エネルギー原理があります。
つぎは、この自由エネルギー原理について考えてみます。
生物は外界からの入力に基づいて最適な行動を決定します。

たとえば、犬はエサを目の前にして、飼い主に「マテ」とか「ヨシ」と言われて、どう行動したら、そのエサをもらえるか学習します。
「マテ」と言われたとき食べたら怒られるとか、「ヨシ」と言われてから食べたら怒られないとかを学習するわけです。
このとき、怒られるというのがコストです。
このコストのことを変分自由エネルギーと言います。
変分自由エネルギーを最小化するような行動の内部モデルを生成すること、これが自由エネルギー原理です。
この原理によって生み出される内部モデルって何でしょう。
入力に対して、どのように行動するかを決めるものです。
それって、意識と言えるんじゃないでしょうか?

しかも、それは、客観的に観察できる外界のデータから生成されたものです。
つまり、正統な科学の流れに乗ったものと言えます。
そして、内部モデルは表に現れません。
つまり、目に見えないものです。
今まで判断中止してたものです。
それを、あぶりだすわけです。
ついに、正統的な科学で、意識を生み出す手法を見出したんです。
だから、自由エネルギー原理は注目されてるんです。

本題は、こっからです。
本当に、自由エネルギー原理から意識は生まれるんでしょうか?
おそらく、犬の意識ぐらいは生まれると思います。
ただ、人間の意識は、難しいんじゃないかと思います。

その事について詳しく説明します。
自由エネルギー原理は、感覚器からの入力に対して、どう行動するかを学習してるんですよね。
つまり、入力と行動がセットとなった内部モデルを作るんです。

ここで、クオリアと意識の話を思い出してください。
クオリアは、リンゴとか、外界に物理的に存在するもののモデルです。
そのクオリアを感じるのが意識です。
意識は行動を決定します。
つまり、外界、クオリア、意識、これらの構成要素が必要なわけです。
でも、感覚入力と行動出力を学習すると、これらが一体となった生成モデルになるんですよ。
これの何が問題かわかりますか?

分かりやすい例で考えます。
リンゴをもらったとします。
犬だったら、リンゴが好きならすぐに食べます。
嫌いだったら食べません。
たぶん、この二つのどちらかでしょう。
このような単純な内部モデルなら学習できるでしょう。

でも、人間だったらどうでしょう。
その人がリンゴが好きだとします。
すぐに食べる人もいます。
または、食後に食べようって取っておく人もいるでしょう。
または、お母さんと一緒に食べようと思って、お母さんが帰ってくるまで取っておくかもしれません。
つまり、リンゴが好きでも、行動は全然異なるんです。
なぜかというと、心の中で考えてることが違うからです。
でも、行動を観察しただけじゃ、心の中で何を考えてるかなんか、絶対、わからないですよね。

これが、観察から内部のモデルを作る限界なんです。
できるのは、入力と行動が直結してるタイプの内部モデルです。
それが犬の意識モデルです。
デカルトでいえば、無意識の行動です。
コンピュータで言えば、プログラムを変更できないタイプのコンピュータです。

意識の最大の特徴は、考えることができることです。
考えるというのは、頭の中でシミュレーションすることです。
シミュレーションするとは、現実世界にある物を、頭の中でああだこうだと動かすことです。

動かす対象は、クオリアです。
クオリアは、現実世界にある物を仮想的に頭の中につくり上げたものです。
そして、それを動かすのが意識です。
人間の意識を作るには、この仕組みが必要なんです。
外界、クオリア、意識と、これら個別の要素が必要なんです。
でも、それは、入力と出力を学習しただけじゃできないんです。
これが、今のAIの限界なんです。
外界のデータを学習して、内部モデルを生成するってやり方の限界です。

じゃぁ、どうすればいいんでしょう。
それは、学習させるんじゃなくて、人が教えるしかないんです。
人間が内部モデルを作るんです。

プログラムで、意識を作るアプローチです。
仮説を立てて、実際に動くものを作って解明するやり方を構成論的アプローチと言います。
意識の場合、この構成論的アプローチが最適解なんじゃないかと思うんです。

重要なのは、コンピュータプログラムで作るということです。
なぜかというと、クオリアと意識をプログラムで作ることは、意識のハードプロブレムを解決したことにもなるからです。
どういうことかと言うと、ハードウェアとしてのコンピュータを観察しても、プログラムの中身は見えてこないですよね。
つまり、クオリアや意識は見えないってことです。
これって、まさに、意識のハードプロブレムと同じことが起こってるんです。
構成論的アプローチで、全てが解決するわけです。

でも、このアプローチで意識を解明しようとしてるとこって、ほとんどないんですよ。
世界で唯一、それをやってるのがロボマインド・プロジェクトです。
詳しい内容は、この本に書いてありますので、良かったら読んでください。
今回の動画が面白かったら、チャンネル登録、高評価お願いしますね。
それでは、次回も、おっ楽しみに!