第287回 この思考を捨てると幸せになれる! ピダハンの思考


ロボマインド・プロジェクト、第287弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

今回のネタは、この本、「数の発明」です。
作者は、ケイレヴ、エヴェレットです。

この本を見た時、「あれっ、どっかで見たなぁ」って思いました。
どっかで見たってのはタイトルじゃなくて、作者です。
エヴェレットって、たしか・・・と思って本棚を見たらありました。
「ピダハン」と同じ作者です。

ピダハンってのは、このチャンネルでも何度も紹介したアマゾン奥地に住む民族です。
これがめちゃくちゃ面白いんですよ。
過去とか未来とかって、時間の概念を持たない民族なんですよ。

そのピダハンの作者が、ダニエル・エヴェレットです。
エヴェレットは、宣教師で、キリスト教を伝えようとアマゾンの奥地にどんどん入り込んでピダハンの住む村に辿り着きました。

そこで、みんなを集めてイエス・キリストの話を始めたそうです。
そしたら、まず、最初に、「お前は、その男を見たのか」って聞かれたそうです。
「いや、直接見たことはないけど、聖書にこう書かれてる」って説明したら、途端に、誰も話を聞かなくなったそうです。
どうも、ピダハンって、自分が直接見たものしか信じないようなんです。
信じないというか、理解できないって感じです。
とにかく、今、目の前にあること、それが全てなんです。
だから、過去も未来も想像しないというか、できないんです。
時間の概念がないんです。
そうなると、過去の過ちを後悔することはないです。
将来、どうなるかって心配することもないです。
ただただ、この、今だけを感じて生きてるそうです。
そうなると、どうなると思います?

みんな、めちゃくちゃ明るいそうです。
何が起こっても笑ってるそうです。
魚が獲れたら笑ってます。
魚が獲れなくても、「魚が獲れなかった」って笑ってるそうです。
嵐で家が吹き飛ばされても、笑ってるそうです。

そんなピダハンと暮らしてたら、キリストの伝導とか、なんかバカらしくなってきます。
それで、エヴェレットは、宣教師を辞めました。
辞めて、ピダハンについて研究することになりました。

話が大分それましたけど、これが、ダニエル・エヴェレットです。
今回紹介する本の作者は、ケイレヴ・エヴェレットです。
あれっ、名前が違うぞと思って、調べたら、ケイレヴは、ダニエルの息子でした。
一家でピダハン村に住んで、ピダハンと一緒に育った子供です。
その子が、大きくなって、今では人類学の教授になってました。
そのケイレヴ・エヴェレットが書いたのが、「数の発明」って本です。
その中には、ピダハンのこともたっぷり、一章を割いて書いてありました。

ピダハンは、時間だけじゃなくて、数って概念も持ってないんですよ。
これ、突き詰めたら、ある一つの思考を持ってないことが分かりました。
その思考を持たないおかげで、幸せに暮らせるって分かりました。
これが、今回のテーマです。
この思考を捨てると幸せになれる!
ピダハンの思考
それでは、始めましょう!

ピダハンが見てる世界って、僕らが見てる世界と全然違います。
じゃぁ、一体何が違うんでしょう?

僕は、人の意識が認識する仕組みを意識の仮想世界仮説として提唱しています。
人は、目で見た世界を、頭の中に仮想世界として構築します。
意識は、仮想世界を介して現実世界を認識します。
これが、意識の仮想世界仮説です。
仮想世界は、その人の頭の中で創り上げるものです。
だから、同じ世界を見ても、頭の中の仮想世界が違えば、全然違う世界を見ることになるんですよ。

ということは、ピダハンと僕らの違いは、頭の中の仮想世界が違うってことです。
じゃぁ、ピダハンの仮想世界と僕らの仮想世界の違いは何でしょう?

それは、ピダハンの仮想世界は、現実世界にあるものだけで作られるってことです。
もっと言えば、具体的なものだけで作られます。
抽象的な概念は存在しません。
分かりやすく言えば、目で見えるもの、手で触れるものだけで仮想世界が創られてるんです。
もっといえば、抽象的なものを表現する言葉がないんですよ。

たとえば、ピダハン語には色を表す言葉がないんです。
だって、色は手で触れない抽象的な概念ですから。
でも、もちろん、色は認識できます。
ただ、それを表す言葉がないだけです。
でも、色を言わないといけないときってありますよね。
そんな場合、どうやって表現するかと言えば、たとえば、赤なら「血みたいな色」って表現するんです。
つまり、具体的なものを起点として、色っていう抽象的な概念を表現するわけです。

今のは、抽象的な単語の場合です。
単語でなくて、出来事を表現する場合も同じです。
ピダハンが想像できることって、今、現在を起点にしか考えられないんですよ。
たとえば、ピダハン語だと、「あなたが帰ってきたとき、私は夕食を食べ終わっていた」って文がつくれないんですよ。
どういうことかって言うと、この文の起点は、「あなたが帰って来たとき」ですよね。
起点が今じゃないんですよ。
ピダハンの頭は、今、現在を起点とした出来事しか想像できないんですよ。
だから、「あなたが帰ってきたとき、私は夕食を食べ終わっていた」って出来事を想像できないんですよ。
ねぇ、スゴイ世界観でしょ。
これがピダハンが見てる世界です。

さて、次は、数の概念です。
数も、抽象的な概念なのでピダハン語には、数を表す言葉がありません。
ないことはないんですけど、1とか2とかって数詞がないんです。
これは、かなり珍しいです。
なぜかというと、文化は交流することで、相手の便利な文化を吸収して発展するものですから。
数を表す言葉がなくても、他の民族から取り入れることはよくあることです。
普通、便利なもの、有益なものは積極的に取り入れるものです。
でも、ピダハンは、それを頑なに拒んできたわけです。

ただ、数詞ががないからと言って、数を認識してないわけじゃありません。
たとえば、数を知らない赤ちゃんでも、1と2と3の区別はできるそうです。
1、2、3の区別は、人が生まれながらに持ってる機能です。

そこで、ピダハンに対して、1~10の数をどこまで認識できるかってテストをしてみました。
テストの方法は、たとえば缶の中に木の実を1個ずついれて、それを一個ずつ取り出して、缶の中に何個残ってるかを当てるテストとかです。
これは、比較的難しいテストで、一番簡単なテストは、単三電池を並べて、それを見て、同じ数だけ、電池を並べてもらうものです。
ただし、最初に並べる電池は、間隔を空けずにまとめて並べます。

さて、結果はどうなったと思います?
どのテストも、3個までは、ほぼ100%正解しました。
ただ、3個以上になると、徐々に間違いが多くなったそうです。
目の前の乾電池を真似して並べるだけのテストでも、3個以上になると間違うって不思議ですよね。
とにかく、ここから、数を表す単語がなくても、3までは認識できるってことがわかります。
色を表す言葉を持ってなくても、色を認識できるのと同じです。

さて、分からないのは、こっからです。
父親のダニエル・エヴェレットも書いていますけど、ピダハンから数を教えて欲しいといわれて、教えたことがあったそうです。
でも、いくら教えても、3以上の数を理解できなかったそうです。

1と2と3を理解する能力は持っています。
じゃぁ、3以上の数字を認識するには、何が必要なんでしょう?
ピダハンは、なぜ、3以上の数字を認識できないんでしょう?

残念ながら、この本には、その答えは書いてありませんでした。
なので、こっからは、僕の推測です。

最初にも言いましたけど、ピダハンの世界って、今、現在しかないんですよ。
今、目に見えるものだけで世界ができてるんです。
ピダハン独特の言葉に、「イビピーオ」って言葉があります。
これは何かって言うと、今、認識してる世界の境界を指す言葉なんです。
どういうときに使うかと言うと、たとえば、カヌーで隣の村から人がやってくるとするでしょ。
川が曲がってて、カヌーが視界に入ってきたとき、子供達は「イビピーオ」って叫ぶそうです。
自分らの世界に入って来たって意味です。
その人がカヌーで帰るときも、視界から消えるとき、「イビピーオ」って叫ぶそうです。

僕らは、あまり、ここまでが世界なんて思わないですよね。
世界って、ずっと広がってるって思ってますよね。
広い世界のうち、たまたま、見えてる領域があるだけです。
そこが世界の端とか、世界の境界なんて思わないです。
でも、ピダハンにとっては、それがものすごく重要なんです。
そこが世界の境界だって意識してるんです。

それから、たとえば、夜、真っ暗な中で、マッチを擦って、光で照らされたときも、「イビピーオ」って言うそうです。
マッチで照らされた部分が視界に入って来て、そこに認識する世界が生まれたって感じです。
どこが今、認識してる世界かって、常に、それを意識してるんです。

ピダハンの思考って、まず、全体を決めるんです。
今、見えてる範囲が自分らの世界だと。
認識したり、考えることができるのは、その世界の内側だけなんです。
だから、その世界の境界がどこかってことを、常に気にしてるんです。

世界の外にでたら、自分らには関係がない、世界に内側にはいってきたら、自分らに関係がある。
だから、子供達は「イビピーオ」って叫ぶんです。

これ、僕らの考える世界観とは違いますよね。
僕らは、ずっと続くとか、どこまでも広がる世界観を持ってます。
たぶん、ピダハンは、そういうずっと続くとか、どこまでも広がるって概念を持てないんだと思うんですよ。
ずっと増え続ける数の概念を理解できないのも、ここにあると思うんですよ。

じゃぁ、どうすれば、無限に増え続ける数を認識できるようになるでしょう?
ピダハンは、数字をもってなくても、1,2,3までは認識出来てます。
じゃあ、どうすれば、3の次を認識できるでしょう。
それは、1,2、3と認識したら、次は、3を起点にするんです。
3を1と考えれば、3の次の数字、その次の数字って想像できますよね。
これを続けていけば、無限に続く数字が想像できますよね。

でも、ピダハンはそれができないようなんです。
さっき、ピダハンは、「あなたが帰って来た時、私は夕食を食べ終わってた」って文を理解できないって言いましたよね。
これと同じなんです。

ピダハンは、今、現在を起点とした文しか作れません。
物事の起点を、過去にずらすことができないんですよ。
だから、「あなたが帰って来た時」から始まる出来事を理解できないんです。

それと同じで、1、2、3を理解できても、3を起点にして、4、5を想像することができないんです。
起点をずらして、繰り返すことが出来ないんです。

過去や未来を想像できないのも同じです。
昨日が想像できるなら、それを繰り返せば、一昨日、3日前、1年前って想像できますよね。
未来も、明日、明後日、1年後って想像できますよね。

世界も同じです。
今、見えてる世界を認識できれば、それと同じような世界を、その先に付け足していけば、もっと広い世界があるって想像できますよね。
でも、それができないんです。
今、目に見える範囲のことしか認識できないんです。

このピダハンの思考の仕組みが理解できたら、全てが説明がつきますよね。
ピダハンの思考は、先に全体を決めるわけです。
ここまでが、自分らの世界とかって。
そして、それは固定されます。

自分らの生活は、自分らの世界の内側だけで行う。
そっから先は、自分らと関係がない世界だって。
自分らの世界を広げるとか、考えれないんです。
他国を侵略しようなんて、思ったこともないでしょう。

逆に、外の世界を自分らの世界に取り入れようとも思わないわけです。
だから、便利だからといって、数字の概念を取り入れたりしません。
他の文化を取り入れたりしません。
拡大する、延長するって思考がないって、こういう事なんですよ。
たしかに、これじゃぁ、文明は発展しないと思います。
でも、世界で最も幸福な民族と言われているのも事実です。

拡大、延長するって思考。
数学的に言えば、アルゴリズムです。
もし、拡大、延長って思考のアルゴリズムを持たないとどうなるか。
そんなこと、僕も、考えたこともなかったです。
映画とか、漫画とか、思っても見ない設定ってありますけど、こういうパターンは見たことないですよね。
拡大、延長って思考のアルゴリズムを持たない人の世界って。
いやぁ、僕らが想像もしたことのない世界って、現実に、まだまだ、あるんですね。

ピダハンに関しては、他の動画もありますので、よかったら、そちらもご覧ください。
それから、意識の仮想世界仮説に関しては、この本に詳しく書いてあるので、こちらも、ぜひ、読んでください。

はい、今回の動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!