ロボマインド・プロジェクト、第288弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
さて、今回の話は、第276回で紹介したこの本、「妻を帽子とまちがえた男」からです。
作者は、神経学者、オリヴァー・サックスです。
主人公、ジミーは、ハンサムで明るい49歳の男性です。
ジミーがサックス教授が勤める介護施設に来たのが1975年でした。
ただ、ジミーの記憶は、1945年で止まってました。
ジミーに自己紹介してもらうと、どこで生まれて、学生時代は何が得意で、海軍に入隊したってことを、テキパキと答えます。
ただ、ちょっとおかしいのは、海軍に入ってからの説明から、過去形でなくて、現在形で語られるんですよ。
まるで、今、海軍で働いてるかのように語るんですよ。
そこで、サックス教授は、質問してみました。
「今、何年ですか?」って。
そしたら、平然とこう答えました「1945年です」
そこで、もう一つ質問しました。
「それじゃぁ、あなたは、今、いくつですか?」
そしたら、「えーと、19じゃないかな。今年20歳になります」って。
そこで、「これを見て」といって彼に鏡を渡しました。
すると、そこには、髪の毛がすっかり灰色になった自分が写っていました。
彼は顔面蒼白となって、椅子を握りしめて呆然としていました。
ジミーは、1945年で記憶が止まっていたんです。
1945年以降に起ったことを全て忘れてるんです。
サックス教授は、ジミーを落ち着かせるために、ジミーを部屋に残して、2分後に部屋に戻ってきました。
そしたら、ジミーが明るい声で出迎えてくれました。
「こんにちは」
「こんにちは。前にどこかで会ったことありませんか?」
「いいえ、初めてですよ。こんなお鬚の顔、忘れるわけないですよ」
ジミーは、サックス教授のことをすっかり忘れていました。
それだけじゃなくて、2分前に起こった出来事も、全て忘れていました。
ジミーは、新しいことを、全く覚えることができないんです。
人は、記憶することで自己を獲得します。
じゃぁ、もし、新しいことを一切覚えることができないと、人は、どうなるでしょう?
自己が消えるんでしょうか?
魂も消えるんでしょうか?
これが今回のテーマです。
記憶が消えると、魂も消えるのか?
それでは、始めましょう!
ジミーの記憶が、なぜ、1945年で止まってるか分からないですけど、原因は、分かっています。
原因は、コルサコフ症候群です。
アルコールの大量接収によって脳の中の乳頭体が変性したようです。
乳頭体というのは、海馬からの入力を受けるところです。
海馬は、記憶の中枢です。
だから、新たな記憶がつくれなくなったわけです。
海馬は、記憶の中でもエピソード記憶を担当しています。
エピソード記憶というのは、「昨日、こんなことがあった」って経験とか、思い出の記憶のことです。
ジミーは、新たに経験したことを記憶することができないんです。
兄の証言によると、海軍を去った後、ジミーは、いろんなことが上手く行かなくなって、働こうとしなくなったそうです。
落ち着きがなくて、すぐにイライラしたりしてたそうです。
やがて、大酒を飲むようになりました。
その頃から、記憶障害も起こるようになったそうです。
サックス教授の施設に来た時には、かなり重症の記憶障害となっていました。
記憶がなくなることの厄介なところは、本人が、記憶できないことに気付けないことです。
たとえば、右腕が無くなったら、すぐに、その事に気付きますよね。
気付けるのは、かつて、右腕があったという記憶があるからです。
でも、記憶が無くなるのは、それとは違います。
かつて、記憶があったという記憶自体が無くなるんです。
だから、それに気づかないんです。
サックス教授は、記憶以外に問題がないか調べるために、記憶のことには一切触れず、ごく普通の感情について聞いてみました。
「気分はどうですか?」
そうしたら、彼は、「分からない」としか答えません。
気分がいいとも、悪いとも分からないそうです。
自分が幸せだとも、不幸だとも分からないそうです。
「生きてるって感じはありますか?」って聞くと、
「別にないなぁ。長い間、そんなこと感じたことないなぁ」と答えます。
記憶できないということは、ただ、新しいことを覚えれないとかって、そんな単純なことじゃないようです。
「昨日は楽しかった」とか、「今日は、久しぶりにごちそうを食べたぞ」とか。
たぶん、生きるってことは、こう言うことの繰り返しだと思うんですよ。
毎日のわずかな変化で、一喜一憂しながら、日々を過ごすってことです。
記憶が持てないって、その変化を感じれないんです。
記憶が、人生をつくり出してるってことがよく分かりますよね。
記憶こそが人生、記憶こそが自分なんですよ。
記憶を持てないと、生きてるとか、幸せとかって感覚も持てないんですよ。
記憶って、どれだけ重要かって分かりますよね。
第285回の記憶術師の話は覚えていますか?
記憶術師を診察したロシアの神経心理学者のルリアは、記憶の分野の権威です。
サックス教授は、ジミーに関して、ルリアに手紙を書いて助言を求めたそうです。
ルリアからの返事はこうでした。
「彼の記憶が戻る見込みは、まずありません。
でも、人間は、記憶だけで出来てるわけではありません。
神経心理学者としては、出来ることはほとんどありませんが、人間としては、何かできるかもしれません。
病院ではなく、患者と共に過ごすサックス教授の施設なら、それが可能でしょう」と。
そこで、サックス教授は、ジミーにいろんなことを勧めてみました。
ジミーは、頭が良くて、パズルとかゲームが得意なことが分かったので、まずは、施設のレクリエーション・プログラムへの参加を勧めてみました。
そうすると、彼はいろんなゲームに参加して、短時間ですけど、熱中するようになったそうです。
ただ、慣れくると、パズルを分けなく解いてしまって、つまらなそうでした。
ゲームやパズルは、子供の遊びと感じてたようでした。
ジミーは、遊びでなくて、意味とか目的とか、そう言ったものを望んでいるように感じました。
単なる時間つぶしだけじゃ、生きる意味がないのかも知れません。
たとえ記憶を持てなくても、誰かの役に立つとか、そう言った感覚が必要なのかもしれません。
そこで、何か、彼に出来る仕事はないかと探すと、彼は、タイプが得意だということがわかりました。
そこで、タイプ打ちの仕事をしてもらうことにしました。
すると、ジミーは、仕事に挑戦と満足感を見出すようになったそうです。
ただ、これも上っ面だけの満足でしかありませんでした。
キーを機械的に叩いて印字するだけです。
記憶が保てないので、文章の中身は少しも把握してませんでした。
そんな彼を見て、サックス教授は、彼には魂があるのだろうかって思ったそうです。
記憶ができないと、人間らしい魂も消えてしまうのではないかって。
サックス教授の施設は、カトリック系の施設で、教会のシスターが患者の世話をしています。
そこで、シスターに「彼には魂があると思いますか?」って質問したそうです。
そしたら「ジミーが、教会のチャペルにいるところをごらんなさい」と言われたそうです。
そこで、チャペルに行ったサックス教授が目にしたのは、思っても見ない光景でした。
そこには、教会のミサで、ひざまづいて、一心不乱に祈るジミーの姿がありました。
記憶障害とか、そう言ったことは関係ありません。
彼は、全神経を傾けて、祈りに集中していました。
ジミーは、この瞬間、世界と調和し、まさに、魂が輝いていました。
サックス教授がは、ルリアが言った言葉を思い出しました。
「人間は、記憶だけでできてるのではない」と。
たしかに、記憶や脳の働きは、彼の魂を繋ぎ止めることができなかったかもれません。
でも、神への祈りが、彼の魂を繋ぎ止めたのでしょう。
そこに、彼の魂を感じたんです。
サックス教授は思いました。
魂を繋ぎ止めるのは、神への祈りに限らないんじゃないかと。
音楽や美術でも、なんでも起こり得るんじゃないかと。
たとえば、第276回の「妻を帽子とまちがえた男」のP氏です。
P氏は、部分しか認識できません。
全体を捉えることができません。
どういうことかというと、たとえば、P氏に手袋を見せると、「小さい袋が五つ付いてますね」って答えます。
「何をする物かわかりますか?」って質問すると、「5種類のコインを入れるものですか?」
って答えます。
部分しか認識できないってこういうことです。
P氏は、右脳に障害がありました。
右脳は、全体を統合して認識する機能を持ってます。
そんなだから、P氏は、現実世界の物事が、バラバラに感じられて、上手く統合できないようなんです。
だから、日常生活も、スムーズに行かないことが多いそうです。
ところが、P氏は、それをうまく回避する方法を編み出していました。
P氏は、プロの声楽家でした。
だから、何かするとき、いつも、鼻歌を歌っていました。
ティータイムに、奥さんがケーキを焼いて、サリヴァン教授と3人でコーヒーを飲んでいたときです。
そのときも、P氏はずっと鼻歌を口ずさんでました。
そのとき、ドアの外で、ガタって音がして、びっくりして鼻歌が途切れました。
そうしたら、P氏は、途端に、動作が止まりました。
不安な表情になって、きょろきょろして、何をしていいのか分からなくなったようです。
その時、奥さんが淹れるコーヒーの香りで、ハッと我に返って、再び、鼻歌を歌い始めました。
そうしたら、また、元のように落ち着いて、ケーキを食べ始めたそうです。
どうやら、P氏は、バラバラになった現実を歌を歌う事でつなぎ止めていたようなんです。
ジミーも同じかもしれません。
人は、記憶を重ねることで、自分を確立していきます。
エピソード記憶とは、これをやったという経験や出来事の記憶です。
それが人生です。
人生とは、自分が歩んできた時間です。
自己を確立するには、自分の外に積み重ねた時間が必要なんです。
でも、たぶん、それだけじゃないと思うんですよ。
自分の外に積み上げた時間の中じゃなくて、内面から確立する自己もあると思うんですよ。
それは、自分の内側から湧き出て、没頭することで、辿り着く世界です。
時間の積み重ねの中じゃなくて、今、この瞬間に感じるものです。
その頃、ジミーは庭の手入れの仕事を任されました。
ジミーは、エピソード記憶は持てないので、何をやったかは覚えてないです。
でも、作業の仕方は、手が覚えています。
ジミーは、毎日、目の前の土や花と格闘して、一心不乱に庭を作り上げています。
何を成し遂げたかじゃなく、今、現在、庭と繋がっていること。
それが重要なんです。
誰かの役に立つとか、それはそれで尊い仕事だと思います。
社会のなかの自分の居場所を感じれます。
でも、それは、エピソード記憶という機能を使って外の社会と繋がった居場所です。
人は、外側に作り出した自己だけでなく、内面的な自己も必要なんです。
他人の評価で自分の価値を推し量るん自己じゃなくて、今、この瞬間、何かの没頭する自己です。
庭いじりに集中してる姿に、サックス教授はジミーの魂を見出したんでしょう。
これが、最も尊いものだと思います。
エピソード記憶は、人間らしさを創り上げる最も基本的な機能だと思います。
でも、それを失ったとき、本当の意味での人間らしさ、人間の本質が浮かび上がるんだと思います。
記憶だけに頼った自己なんて、それは外面の薄っぺらい自己です。
内面から湧き出て、今、この瞬間に集中してるとき、その時こそ、魂が最も輝いてる瞬間だと思います。
皆さんにとって、魂が輝いてる瞬間って、何でしょう。
はい、今回の動画が面白かったらチャンネル登録、高評価、お願いしますね。
それから、良かったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!