グラグラ煮えたぎる鍋に気づかず、手で触ったとしましょ。
思わず手を引っ込めますよね。
熱っつ~ってなります。
経験ありますよね。
でも、よく思い出してください。
熱いって、感じたのは、手を引っ込めてからなんですよ。
無意識で手を引っ込めたとき、熱さを感じてないんですよ。
つまり、熱さのクオリアを感じるのは意識だけです。
そのとき感じてる熱さって、ホンモノじゃないんです。
バーチャルなんです。
ロボマインド・プロジェクト、第31弾
こんにちは、ロボマインドの田方です。
前回のクオリアの続きです。
この世界を認識してるのは意識です。
意識が認識するものは、すべてクオリアです。
たとえば、これはボールペンだとか、色は赤だとか、今日は暑いなぁとか。
これ、ボールペンっていう物のクオリア、
赤っていう色のクオリア、
暑いっていう感覚のクオリアなんです。
意識が認識する物、全てクオリアです。
この意識とかクオリア。
本当に存在するんでしょうか?
そりゃ、存在するでしょ。
だって、ほら、こうして自分には意識があるし。
意識があるから、いろんなものを感じることができるわけだし。
でも、それがわかるの、自分の意識だからでしょ。
他の人にも、意識があるって、断言できないでしょ。
ここなんですよ。
意識科学の一番難しいのは。
他人にも意識があるって、証明できないんですよ。
そこで、まずは、無意識と意識の違いから考えてみましょう。
第19回「意識って何? 世界って幻想?」で意識と無意識の違いを、脳内の経路で説明しました。
眼で見たあと、処理の流れが二つに分かれるって話です。
一つは、位置や動きを分析する背側視覚路です。
位置を特定して、それに応じた動作をするので「どこの経路」と呼ばれています。
もう一つは、色や形を分析する腹側視覚路です。
これは、物の色や形、それから、見たものが何かがわかる経路なので、「何の経路」と呼ばれています。
そして、「何の経路」が損傷すると物が見えなくなるそうです。
正確には、本当は見えてるけど、意識では見えないと感じるらしんです。
どういうことかと言うと、たとえば、黒板に光の点で照らし、光の位置を指差してくださいっていうと、ちゃんと指差すことができるんです。
不思議ですよねぇ。
実際は物が見えてるのに、本人は、見てるっていう感覚がないわけなんです。
見えてないと思っても、光の点を指差すことはできるわけです。
これをしてるのは、無意識なんです。
自転車の運転なんかも無意識です。
意識しなくても、無意識でバランスを取って運転してるわけです。
それから、反射っていうのも無意識です。
反射っていうのは、たとえば、熱い鍋に触れて、思わず手を引いたこと、ありますよね。
あれが反射です。
ここで、重要なこと、いいますよ。
無意識に手を引っ込めるとき、この瞬間、意識では、まだ、熱さを感じてないんですよ。
熱さを、実際に感じるのは、手を引っ込めた、後なんですよ。
「熱ぅ~」っていうのは、手を引っ込めた後に感じるんですよ。
「熱ぅ~」って。
これが、熱さのクオリアです。
そして、クオリアを認識したのは意識です。
つまり、無意識の動作は、熱さのクオリアには結びついてないんです。
熱さを感じるのは、手を引っ込めた後です。
その時にhあ、もう、鍋に触ってないんです。
でも、「熱~っ」て感じるわけです。
つまり、どういうことかと言うと、熱さのクオリアは、実際の熱さじゃないんです。
バーチャルの熱さなんです。
クオリアは現実じゃないんです。
なんか、わけがわからなくなってきましたよね。
そして、もう一つ、重要なことがわかります。
誰かが、熱い鍋に触れて、思わず、手を引っ込めたとこを見たとしましょ。
きっと、熱かったんだろうなぁと思いますよね。
でも、さっきいいましたけど、熱さは、鍋に触れた瞬間には感じてないんです。
ということは、外から見ただけじゃ、クオリアを感じてるかわからないんです。
他の人も、意識やクオリアがあるかなんて、やっぱり、外から見ただけじゃ、わからないんです。
クオリアのこと考えると、いっつも、魚釣りのこと考えるんですよ。
子供のときからね、いっつも思ってたんですけど。
魚って、釣り針を口に引っ掛けられて、あんな痛いことないよなぁ。
あんなにもがいて、苦しいやろなぁって。
でも、これを釣りしてる人に言うたら、みんなこう言うんですわ。
魚は、痛みを感じひんから、大丈夫なんやって。
いやいや、そんなこと、ないやろー、
そんなん、自分らが罪悪感を感じんでいいように、勝手に言ってるだけちゃうんって。
でも、クオリアのこと調べてたら、よう、分からんようになってくるんですよ。
もしかしたら、魚は、無意識で反応してるだけなんちゃうかなぁって。
熱い鍋から手を引っ込めるみたいに、反射反応でもがいてるだけなんかもって。
魚に、人間みたいな意識がないとしたら、痛みのクオリアもないんかも。
魚は、痛いとか、苦しいとかって、ホンマに感じてないかも。
これ、結論から言うとね、まだわからないんですわ。
だって、人間ですら、意識やクオリアが解明されてないんですから、魚が、どう感じてるかなんか、まだ分からないんですよ。
魚の話は置いといて、意識と無意識について、もう少し、考えてみましょう。
無意識の動作は、センサーに応答して動作します。
現実世界に直接反応するわけです。
これの一番のメリットは、素早く動作できることです。
鍋に触れた瞬間、素早く手を引き抜きます。
意識が、熱さを認識するって処理がはいってないので、その分、素早く動作できます。
現実世界にリアルタイムに反応できるわけです。
一方、意識はどうでしょう?
意識は、直接、センサーに応答するわけじゃありません。
一旦、クオリアに変換します。
意識が認識するのはクオリアです。
直接、熱さを感じるんじゃなくて、熱さのクオリアを感じるわけです。
回りくどいことしますよねぇ。
こんなことするから、現実世界から、ちょっと遅れます。
鍋から手を引いてから、熱いって感じるんです。
リアルタイムじゃないです。
なんで、こんな面倒な仕組みになってるんでしょう?
それは、意識は全体を把握しようとするからです。
自分が今、どのような状況に置かれているか、それを正確に把握しようとします。
センサーからのデータは、リアルタイムに世界の状況を伝えます。
でも、センサーからのデータは、世界のほんの一部です。
第21回「意識の仮想世界仮説」でも説明しましたけど、眼球が、一度にはっきりと捉えられる範囲は、手を伸ばしたときの親指の爪ぐらいの大きさなんです。
でも、意識が見る世界は、全体がはっきり感じられますよね。
これって、世界を仮想的に創ってるからなんです。
リアルタイムを犠牲にしてでも、意識が世界全体を把握できるように、世界そのものを作り上げているんです。
意識が認識してるのは、現実の世界じゃなくて、センサーで捉えた現実世界を繋ぎ合わせたヴァーチャルな世界なんです。
そのヴァーチャルな世界を構成してるのが、熱さのクオリアだったり、色のクオリアだったり、物のクオリアなわけです。
つまり、クオリアは、仮想世界を創る材料なわけです。
仮想世界の材料って、どういうことでしょう?
次回は、世界の材料としてのクオリアについてお話します。
普段、絶対に気づくことのない、世界が作り上げられる瞬間の話をしたいと思います。
では、次回もお楽しみに!