第312回 自由意志なんか存在しない!


ロボマインド・プロジェクト、第312弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

新しい思考実験を提案して、意識のプログラムを考えてました。
そしたら、思ってもみない結果がでました。
それは、人の意識は、自由意志を持ってないって結果です。
これは、僕がずっと主張してたのと反対の結論です。
ここまでが、前回の話です。
さて、本当に、人は、自由意志がないんでしょうか?
これが、今回のテーマです。
自由意志なんか存在しない!
それでは、始めましょう!

まず、大前提から確認しておきます。
僕らは、心をプログラムで作ろうとしています。
心は、無意識のプログラムと意識のプログラムからなります。
無意識のプログラムっていうのは、心臓を動かしたり、歩く時の足の動かし方とか、意識せずに自動で動くプログラムのことです。
これは、今のコンピュータで十分可能です。

問題は、意識プログラムの方です。
僕らが、今、感じてるもの、これが意識です。
人によっては、意識は量子コンピュータでないと実現できないとかって言う人もいます。
または、意識とは、まだ発見されていない未知のアルゴリズムだっていう人もいます。
でも、僕は、全く違う意見なんですよ。

僕は、意識があるかないか判定できるのは意識だけだって考えています。
どういうことかって言うと、意識って、段階があるんです。
は虫類レベル、哺乳類レベル、人レベルって。
相手が、自分と同じレベルの意識があるかどうかって、そのレベルに達してないとわからないんです。
人間は、犬の意識がわかるけど、犬には人間の意識がわからないってことです。

それじゃぁ、最上位の人間の意識の特徴って何でしょう?
それは、言葉をしゃべることです。
だから、相手が人の意識を持ってるかどうかって、会話すればわかります。
ちなみに、会話で判定するテストのことを、別名、チューリングテストっていいます。

さて、そう考えると、ちょっと複雑ですよね。
だって、作ろうとするプログラムは、自分の意識でもありますから。
いったい、どうやって作ったらいいんでしょう?

それには、作ろうとするプログラム自身に、自分がなるんです。
そんなこと、できるんでしょうか?
そこで、今回提案してる思考実験が生きてくるんです。
実際には、プログラムになるんじゃなくて、あたかも、自分がプログラムになったかのようにイメージできる思考実験です。
それが、計器飛行の思考実験です。

飛行機の操縦って、天気が悪くて視界ゼロのとき、パイロットは、計器だけを見て操縦します。
これを計器飛行って言います。

さて、この思考実験で、飛行機の機体は、人間の体です。
そして、パイロットが意識プログラムに当たるんです。
コックピットの計器というのは、感情とか感覚です。
そう考えたら、パイロットの考えることは、感情とか感覚を感じながら、どう行動するかって決めることになりますよね。
つまり、自分が意識プログラムになるところをリアルにイメージできるんです。

この思考実験を使って、意識プログラムの中身を考えます。
具体的例として、イソップの「酸っぱいブドウ」を考えてみました。

おなかをすかせた狐がいました。
狐はブドウを見つけました。
ジャンプしてブドウを取ろうとしましたけど、ブドウに届きません。
何度ジャンプしても届きません。
そして、とうとう、最後に、「あんなブドウ、どうせ、酸っぱくてまずいに決まってる」って捨て台詞をはいて去っていきました。

この狐の言動、一言でいえば負け惜しみですよね。
いかにも人間らしい行動です。

それでは、意識プログラムであるパイロットに成りきってみましょう。
コックピットにあるメーターは、感情や感覚を表示してるので、何十個もあります。
パイロットは、一度に全部は見れません。
そこで、メーターは、異常値が出たときだけランプが点灯するようになってます。
たとえば、空腹度が限界を超えると、空腹ランプが点灯するとかです。
パイロットは、それをみて空腹だって気づくわけです。

空腹ランプが点灯すると、食べ物を探すってプログラムが起動します。
次は、ブドウを見つけたってランプが点灯しました。
そしたら、「ジャンプしてブドウを取れ」って行動が提案されました。

これらの処理は、全部無意識のプログラムです。
意識プログラムは、これらのプログラムの結果を受け取って行動します。

おなかが空いたから食べ物探せ。
ブドウが見つかったからジャンプして取れって。
つまり、意識プログラムって、無意識の言う通りに行動するだけです。
これじゃぁ、意識プログラムに自由意志なんかないですよね。
ここまでが前回の話しです。
こっからが本題です。

まずは、自由意志について考えてみます。
そのために、自由がないって状況を考えてみましょう。
たとえば、めちゃくちゃ校則が厳しい学校とか。
制服から髪型から、ビチって決められてるんです。
制服のボタンを一個でも外すと、めちゃ怒られます。
自由がないですよね。
でも、自由意志がないのとはちょっと違う気がします。
だって、好きな服装をしたいって意志はもってますから。

それじゃぁ、もっと厳しい状況を考えてみましょ。
今度は、厳しい新興宗教とかです。
全財産を差し出さないといけません。
信者は、洗脳されてます。
何の疑いも持たずに、言われた通りに行動するだけです。
自由意志がないっていうのは、こういういことですよね。

指示されたことしかできないわけです。
もっと言えば、指示されたこと以外、想像することもできないわけです。
じゃぁ、想像するってどういうことでしょう?

ここで、意識の仮想世界仮説について説明します。
意識の仮想世界仮説というのは、僕が提案する心のモデルです。
人は、目で見た世界を頭の中に仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して現実世界を認識します。
これが、意識の仮想世界仮説です。

仮想世界は、目の前の現実世界を認識するときにつかうだけじゃありません。
過去とか未来とか、目の前に存在しない世界を想像するときにも使います。
これを想像仮想世界といいます。
遠足の思いでとか、自分が経験した過去の思い出のことをエピソード記憶といいます。
このエピソード記憶で使うのも想像仮想世界です。
そして、エピソード記憶を持てるのは、じつは、人間だけなんです。
犬などの人間以外の哺乳類はエピソード記憶を持てません。
犬などの哺乳類が持つのは、目の前の現実世界を認識する現実仮想世界だけです。

どうやら、想像仮想世界が人間らしさのキーとなりそうです。
それでは、想像仮想世界で、狐の行動を再現してみましょう。

お腹を空かせた狐は、たわわに実ったブドウを見つけました。
「あのブドウを取って食べたら、どんなにおいしいだろう」
そう想像したわけです。
この時使うのが想像仮想世界です。
想像仮想世界のコックピットに狐が座ります。
コックピットにはモニターがあります。
モニターには、自分がジャンプして、見事にブドウを取る映像が映し出されます。
感情メータは、「満足」のランプが点灯します。
狐は、自分がブドウを手に入れた様子を見てニヤニヤします。
これが、想像するってことです。

次に、狐は、現実仮想世界のコックピットに戻ります。
「よし、ブドウを取るぞ」
そう言って、現実世界でジャンプします。
ところが、ブドウに届きません。

想像してた通りにならなかったので、満足メーターが下がります。
「おかしいなぁ」といって、解決探索プログラムを起動します。
すると、「もっと高くジャンプする」って回答が返ってきます。

ここで、もう一回、今回の思考実験の目的を確認しときますよ。
目的は、意識プログラムが何をするかです。
意識プログラムが何を受け取って、どんな風に処理するかです。

そのために、どこまで無意識が処理して、どこから意識が処理するかに注目します。
今の場合、解決探索プログラムとか、不満度を計算するのは無意識です。
意識は、その結果を受け取るだけです。
解決探索プログラムが、どうやって解決策を考えだしたかは意識は知りません。
おそらく、データベースがあって、それを検索したんでしょう。
無意識が何をやってるかは気にしなくていいんです。
重要なのは、意識プログラムは何を受け取るかです。
この場合なら、不満って感情と、もっと高くジャンプするって解決策です。
そして、それは、僕らの意識が感じてることと同じだってことを、再認識してほしいんです。
つまり、「あぁ、思った通りにならなかったなぁ」って不満を感じること。
「もうちょっと、力入れて跳ばなあかんなぁ」って思うこと。
僕らが、普段、感じたり考えたりすること、それこそが意識プログラムの中身です。
これをイメージするのが、今回の思考実験です。

さて、想像どおりにならなかったけど、あと、もうちょっと高くジャンプすればいいってわかりました。
そこで、狐は、今度は、さっきより、もっと力を入れてジャンプしました。
さっきより少しは高く跳べたような気がしましたけど、まだ、届きません。

不満度がさらに増えます。
解決探索プログラムは、もっと高く跳べって言います。
がんばって、もっと高く跳びますけど、まだ、届きません。
こんなことを繰り返してると、不満がどんどん増えて、不満ランプが点灯しました。

不満ランプが点灯すると、解決探索プログラムも解決策を変更します。
それは、「あきらめる」です。
これだけやってもうまくいかないなら、あきらめろってことです。

さて、意識プログラムは、これを受け取って、その通りに行動するだけです。
あきらめるだけです。
でも、すんなり、そうはならなかったですよね。

狐は、最後に「こんなブドウ、どうせ酸っぱくてまずいに決まってる」って言って立ち去りました。
これを負け惜しみって言うんでしたよね。
意味はわかりますよね。

でも、よく考えたらおかしいです。
「負ける」ですよ。
狐は、勝負してたわけじゃないですよね。
いったい、何に負けたんですか?

前回、キャッチに失敗する犬の動画を紹介しました。

犬は、食べ物を空中でキャッチしようとして、想像したとおりになりませんでした。
でも、恥ずかしがったりしません。
ただ、空中でキャッチするつもりだったのが、落ちてから食べることになっただけです。
それだけです。
それ以上の意味はありません。
これが犬の意識です。

でも、人が犬の立場だったら違いますよね。
恥ずかしいって思うはずです。
じゃぁ、人と犬の違いは何でしょう?

それは、理想の姿です。
見事にキャッチした自分の姿を見てるかどうかです。

じゃぁ、理想の自分はどこにありますか。
それは、想像仮想世界ですよね。
さっき言いましたよね。
人間以外の動物は、想像仮想世界を持ってないって。
犬は、理想の自分を想像してないんですよ。
犬の意識が受け取るのは、無意識の処理結果だけです。
つまり、「口を開けて、食べ物を空中で受け取れ」とか。
「失敗したら、落ちたのを食べろ」とか。
それだけです。
これだけの処理なら、恥ずかしいなんて思うことはないです。

狐に戻ります。
狐は、無意識から「あきらめろ」って結果を受け取りました。
それに従えばいいだけです。
でも、それに従うと、負けると思ったんでしょう。
だから、素直に従えなかったんです。
でも、誰に負けるんですか?

それは、理想の自分です。
想像仮想世界をで思い描いていた自分です。
あきらめたら、理想の自分になれないわけです。
それは嫌なんです。

「あきらめる」って思いと、「あきらめたくない」って相反する思いを感じるわけです。
意識は、それらを感じて、どっちか行動を決定しないといけないんです。
これが心の葛藤です。

どうです?
なんか、人間の心っぽくなってきましたよね。

たぶん、人間以外の動物は、こうはならないと思うんですよ。
「あきらめろ」って無意識が判断したら、それに従うだけです。
あきらめるのは現実の自分です。
あきらめたくないのは、現実の自分が理想の自分に一致しないからです。
現実の自分より、理想の自分を重要視してるとも言えます。
どうも、ここに人間らしさの根本がありそうです。
実際には存在しない、架空の自分。
そっちの方が、重要なんです。
それこそが、人間社会を作り上げてる自分です。
本当の自分じゃなくて、人に見せたい自分です。
そんなのを持てる仕組み。
それが人間の心のようです。

イソップの「酸っぱいブドウ」
そんなに難解な話でもないのに、今回も、最後まで読み解けなかったです。
次回こそ、最後まで読み解こうと思います。

今回紹介した意識の仮想世界仮説については、こちらの本に詳しくかいてあるのでよかったら読んでください。
それから、次回、最終回を見逃したくなかったら、チャンネル登録お願いしますね。
それから、高評価もお願いします。

それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!