ロボマインドプロジェクト、第348弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
さて、クラウドファンディング用に作ったアニメ『エデン』はご覧いただけたでしょうか。
『エデン』では、マインド・エンジンを搭載したAIアバターのもこみが、5段階で心を獲得するストーリーとなっています。
でも、実際のマインド・エンジンは、5段階というより、上下2段階です。
下の段階が、心を構成する基本要素の心理段階で、上の段階が、基本要素を組み合わせた応用の心理段階って形です。
基本要素として、恐怖や快、不快といった感情、それから時間とか空間ってものがあります。
応用段階の心理は、これらを組み合わせたもので、善悪とか愛があります。
『エデン』でも、最後に愛を獲得できるのかってのがテーマとなっていましたよね。
でも、この応用段階の心理って、これだけじゃなくて、もっと複雑でいっぱいあります。
そんな複雑な心理で構成されるカオスな状態が人間社会です。
さて、今回は、橘玲の新刊、『バカと無知』を取り上げようと思います。
この本、表向きは、現代社会で起こっている現象を理論的に解説してる本です。
なんで、芸能人の不倫が叩かれるのかとか。
なんで、世間は、バカの意見に引きずられるのかとか。
それを、脳や認知科学の実験から読み解いていきます。
そしたら、どうしようもない人間の本性が見えてくるんですよ。
しかも、これ、マインド・エンジンにぴったり当てはまります。
マインド・エンジンを搭載したAIロボットが、人間社会に出たら、こんな風に振る舞うんだろなぁってのがリアルに想像できました。
『エデン』で描いたのは、心の美しい一面です。
でも、この本に描かれてるのは、心の醜い一面です。
これが今回のテーマです。
橘玲『バカと無知』
それでは、始めましょう!
さて、社会的生物である人は、初めて会った人に対して、まず、何を知りたがるでしょう?
それは、自分と相手、どっちが上かです。
地位とか、収入とか、学歴とか、何でもいいです。
まずは、どっちが上で、どっちか下かを決めないといけません。
そして、脳は上方比較、つまり自分より上の相手との比較を損失と感じます。
逆に、下方比較、つまり自分より下の相手との比較は報酬と感じます。
つまり、脳にとって、自分より優れた者は損失なんです。
逆に、自分より劣った者が報酬なんです。
この本は、こんな、身も蓋もない話から始まります。
次は、「正義」を定義します。
たとえば、コロナ禍で、飲食店は午後8時までしかお酒を提供できないって言われてた時がありましたよね。
あの時、夜中12時までお酒を出しますって店に人が殺到してましたよね。
これを「駆け抜け」って言います。
ズルして儲けようとしてるわけです。
それから、ワクチンって、人口の7割が接種すると集団免疫となって、ワクチンを打たない人も感染から守られます。
ワクチンを打つと副反応が出るかもしれないからといって打たないで、集団免疫で守られようって思う人は、ズルいって思いますよね。
みんな、同じようにリスクを負ってるのに、自分だけ、リスクを負わずに利益だけ得ようとしてるからです。
これを「フリーライダー」って言います。
こういう「駆け抜け」とか「フリーライダー」は許されるべきでないって思いますよね。
これが正義です。
社会を維持するには、ズルをしてる人には罰を下さないといけません。
だから、人間の脳は、ズルをしてる人を見抜くように進化したんです。
このことは、第74回~78回の「脳の中のCPU」シリーズで取り上げました。
そこでは、複雑な論理演算をしないと解けない数学問題も、誰がズルをしてるかって問題に置き換えたとたん、一瞬で解けるって話をしました。
興味があれば、そちらも見てください。
以上の脳の特性で、いろんな社会問題の説明がつきます。
たとえば、東京オリンピックの音楽担当者が、学生時代にいじめをしてたってことが原因で辞任に追い込まれたってことがありましたよね。
それから、芸能人の不倫問題って、必要以上に叩かれますよね。
どちらも、一般の人には、自分には直接関係ないことですけど、みんな熱狂して叩きたがります。
なぜでしょう?
まず、どちらも悪いことなので、何らかの罰を与えないといけないって正義の心が生まれます。
そして、オリンピックの音楽担当とか、芸能人とか、間違いなく僕らより上の人間です。
上方比較は脳にとって損失です。
それが、自分らより下に落ちたとします。
すると下方比較になるので報酬になります。
脳にとって、損失から報酬になるのは、一番の快楽です。
しかも、それには正義という真っ当な理由が存在します。
そりゃ、誰もが喜んで叩きます。
これが、社会を維持するために人類が進化させてきた脳ってわけです。
次は、この本のタイトルともなってる「バカと無知」の話です。
心理学者のデビッド・ダニングは、ジャスティン・クルーガーとともに、「能力の低い者は、自分が能力が低いことを正しく認識できてるか」ってことを学生を使って実験しました。
これは、後に、ダニング=クルーガー効果として世に知られることとなりました。
1999年のことです。
テストの内容は、ユーモアのセンス、論理的推論、文法問題の三種類です。
テストの結果は、どの問題でも同じ傾向が表れて、男女差もなかったそうです。
まず、分かったのは、学生たちは、自分の実力を3割以上も過大評価してたことです。
ただ、このことは、以前から知られていました。
たとえば、大抵の人は、自動車の運転は、平均以上だって思ってるそうです。
面白くなってくるのは、こっからです。
今度は、成績のいい人と悪い人で、どのぐらい自分を正しく評価してるかを調べたそうです。
テストは100点満点で、平均は50点となるように調整されてます。
論理的推論問題の場合、成績の悪いグループの平均点は12点でした。
ところが、このグループの人、「68点ぐらいできてたよなぁ」って予想してたそうです。
じゃぁ、平均86点の優秀なグループはどうかというと、「74点ぐらいじゃないかなぁ」って予想してたそうです。
つまり、成績のいい人は、自分のことを過小評価して、成績の悪い人は、自分のことを過大評価するわけです。
12点しか取れてないのに、68点って、厚かましいにも程がありますよねぇ。
そこで、次は、他の人の解答を見せたら、自分の勘違いに気づくんじゃないかって実験をしました。
そしたら、能力の高い人の場合、自己評価と実際の点数の差が5点も縮まったそうです。
これは、他の人の解答を見て、「あれ、こんな簡単な問題、意外と、他の人は解けないんだ」ってわかったからでしょう。
ところが能力の低い学生は、自己評価と実際の点数の差が、逆に、さらに5点も広がったそうです。
能力が低い人は、自分の解答と他人の解答が違うってわかったとき、自分が正解で、相手が間違ってると思うんです。
いやぁ、どこまでも厚かましいですよねぇ。
一連の実験から、シンプルな結論が導かれます。
それを、橘玲は、一言でこう言います。
「バカの問題は、自分がバカであることに気づいてないことだ」って。
そして、なぜ気づかないのか、その理由を一言で言います。
「なぜなら、バカだからだ」
これ、僕が言ってるんじゃないんですよ。
橘玲が言ってるんですよ。
そこは勘違いしないで下さいよ。
でもね、これだけ言うても、勘違いする人がいるんですよ。
なんでかわかります?
「なぜなら、バカだからだ」
まぁ、これで終わったら解説にならないんで、もう少し、脳の仕組みから解説します。
上方比較は脳にとって損失でしたよね。
つまり、自分が相手より能力が低いと知られるのは損失なので、脳は、なんとかそれを回避しようとします。
それは、脳が勝手にやってることです。
つまり、無意識で、自分は能力があるって思い込んでしまうんですよ。
意識的にやってることじゃないんですよ。
だから、そう思うのは仕方ないことなんですよ。
さて、次は、もっと興味深い実験です。
今度は、いろんな能力を持った人が集まった社会で、みんなが協力すると何が起こるかって実験です。
認知科学者のバハドル・バーラミは、能力に差がある二人が協力して課題を解決する実験をしました。
課題は単純なもので、ディスプレイに6個の薄い円が映ります。
この時、一つだけ、わずかにはっきりした円があります。
それにカーソルを合わせるってのが課題です。
このとき、一方の被験者のディスプレイは、画像が乱れて、よく見えません。
これは何をしようとしてるかというと、人工的に能力が低い状態を作り出してるわけです。
しかも、能力のレベルは、画像の乱れで調整できます。
こうやって、能力の高い人と能力の低い人を作り出したわけです。
この状態で二人が話し合って課題を解いたら、どうなったと思います?
話し合いでプラスの効果が見られたのは、二人とも一定以上の能力がある場合だけでした。
二人のうち、一人の能力が劣る場合、話し合えば話し合うほど、結果は悪くなったそうです。
いっそ、コイン投げて決めた方がマシってレベルまで下がったそうです。
さっきのダニング=クルーガー効果によると、能力の低い者ほど、自分の答えが正しいと勘違いしてましたよね。
逆に、能力の高い者ほど、自分の答えに慎重になってましたよね。
その二人が話し合うわけです。
話し合いだと、自信たっぷりに答える方に引きずられますよね。
自身たっぷりに答えるのは、能力の低い者です。
結果として、話し合えば話し合うほど、どんどん悪い方向に行くんです。
この話、民主主義にとって致命的だってこと、分かりますか?
民主主義って、全員の意見が平等だってことが大前提ですよね。
貧富の差とか、能力の差で違いを付けたらだめなんです。
一見、素晴らしい制度に思えますけど、この実験の結果がら分かるように、民主主義を進めれば進めるほど、能力の低い者の意見が採用されるんです。
結果、社会はどんどんおかしな方向に進んでいくんです。
これが現実なんです。
橘玲は、このことを指して、集団決定は、必ず、バカに引きずられるって言います。
じゃぁ、どうすればバカに引きずられずに済むのか。
それは、一定以上の能力を持つ者だけで決定するしかないんです。
単刀直入に言えば、バカを排除するしかないんです。
ほんと、身も蓋もない話です。
じつは、この実験、まだ、続きがあるんですよ。
さっきと同じ実験を、今度は、話し合いをしないで決めることにします。
どういうことかというと、話し合いじゃなくて、自分の意見の「確信度」っていうのを提示することにするんです。
たとえば、あまり自信がない場合は確信度1とか、絶対の自信がある場合は確信度5とかってするんです。
確信度付きで、自分の思う答えを提示するわけです。
そしたら、今度は、能力の低い者の意見に引きずられることなく、正しい答えを導きだせるようになったんですよ。
なんで、こうなったかわかりますか?
脳が一番避けるのは、上方比較でしたよね。
自分が下に見られることを、極端に嫌うわけです。
誰だって、自尊心を傷つけられるのは嫌ですしね。
さて、話し合いをするとします。
話し合いだと、意見が分かれると、相手から「本当に、そう見えたの」って問い詰められますよね。
本当ははっきり見えなかったけど、そう答えたら、自分の能力が低いことを認めることになります。
それだけは避けなければいけません。
だから、無理に強がって、「はっきり見えたよ。絶対これだよ」って言ってしまうんです。
これが、能力の低い者の方が自信をもって主張するメカニズムです。
話し合いでは、これが起こるわけです。
でも、単に、自分の意見と、確信度を伝えるだけなら、そうはなりません。
なぜなら、答えるとき、相手の答えを知らないからです。
つまり、相手との比較が起こらないわけです。
だから、無意識で強がるとかって脳の作用はうまれません。
だから、正直に答えることができるんです。
そうなったら、二人は協力して、正しい答えを導くことができるんです。
以上の結果をまとめると、正しい答えを出すには二つの方法があると言えます。
一つは、バカを排除して決めること。
もう一つは、話し合わないで決めること。
これが結論です。
いずれにしても、民主主義は間違ってるってことがわかりました。
なんか、悲しくなりますよねぇ。
救いはないんでしょうか。
残念ながら、この本には救いは書いてないです。
残念ながら、橘玲は、そんな人じゃありません。
それじゃぁ、あんまりなんで、僕が、救いとなる解決策を考えてみました。
こっからは、僕の意見です。(下記削除とのこと)
ダニング=クルーガー効果では、能力が低い人も、ヒントを与えられたら、自分を過大評価することが無くなりましたよね。
ヒントを与えられたってことは、能力を一時的にかさ上げしたってことです。
バハドル・バーラミの実験は、能力の低さを、ディスプレイにノイズを入れることで人工的に作り出してましたよね。
そうやって、能力を落された者は、自信がないときほど、自信があるようにふるまってたんですよね。
自分を過大評価したり、自信がないのに、自信があるようにふるまうって、その人の性格ですよね。
でも、今回の実験から、これはその人固有の性格じゃないってわかります。
だって、ヒントをもらったり、ノイズを入れたりして、能力を調整することで、その性格が変わったわけですから。(上記削除とのこと)
これは、その人固有の性格じゃなくて、誰にでも起こりえることなんです。
自分は能力が高いから、そんな愚かなことはしないってことじゃないんですよ。
そして、今回の議論で検討されてない重要な要素があります。
それは、能力っていうのは、何で測定するかによって、全然変わるってことです。
人によって、勉強ができる人や、スポーツが得意な人がいますよね。
それ以外に、アニメの知識は半端なくあるとか、友達の話を聞くのは得意とか、人それぞれ、得意なことは違います。
ダニング=クルーガー効果で測定したのは、論理的推論と文法問題とユーモアのセンスの三つだけです。
人間の能力って、その三つだけってことないです。
もう、何十、何百ってありますよね。
解決策は、ここにあるんですよ。
つまりね、自分の得意なことだけに参加すればいいんです。
無理やり、不得意なことをやらせるから、自尊心を傷つけられて、自己防衛に走るんです。
じゃぁ、なんで無理やり不得意なことをやらせるんでしょう?
それは、おかしな平等思想に縛られてるからです。
全員、同じことをしないといけない。
全員の意見は平等でないといけない。
これが民主主義です。
もしかして、その考えがまちがってるんじゃないですか?
そうじゃなくて、人それぞれ、好きなことをするって社会があってもいいんじゃないですか。
得意なことだけするんですよ。
そしたら、そこでは、自尊心を傷つけられることもありません。
そしたら、思ったことを自由に発言できます。
様々な意見が出て、話し合えば話し合うほど、良い方向に進みます。
これが正しい社会じゃないですか?
そろそろ、全員強制参加、全員平等っておかしな民主主義イデオロギーから卒業してもいいんじゃないでしょうか。
これが、僕の提案です。
はい、今回の動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、よかったらこちらの本も読んでください。
そして、今、絶賛、クラウドファンディング中です。
アニメも用意してるので、まだ見てない人は、見ておいてください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!