第375回 現象学とAI


ロボマインド・プロジェクト、第375弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

100年以上前に生まれて、現在も有効な哲学は何かというと、やはり現象学になると思います。
現象学は、エトムント・フッサールに始まって、その後、ハイデガーやメルロ=ポンティ、サルトル、ジャック・デリダに引き継がれて、現在も盛んに研究されています。
同じころ生まれたマルクス共産主義とかフロイト精神分析が、今では過去の遺物になってしまったのに比べると、現象学の有効性がよくわかります。

ただ、現象学は、ほんと、分かりにくいんですよ。
じつは、僕も、ずっと誤解してました。
でも、最近、現象学って言葉をAI関係でも聞くようになって、ちょっと調べてみたら、とんでもない勘違いをしてたってことが分かったんですよ。
フッサールが考え続けてたことって、まさに、僕が考えてることと同じことだったんです。
というか、フッサールが解明したかったことって、全部、僕が今作ってる、プロジェクト・エデンで再現されてるんですよ。
これが今回のテーマです。
現象学とAI
それでは、始めましょう!

フッサールって、もともとは数学を専攻してました。
19世紀の終わりごろって、科学が発展して、世の中が科学技術を中心に大きく変わり始めたころです。

科学というのは、客観的に観測して、科学法則を発見していったわけです。
そして、科学理論の基礎となっているのが数学です。
数学って、純粋な理論ですよね。
人間の主観なんか関係ないですよね。
1 + 1=2って理論的に正しいです。

でも、よく考えてください。
これって、本当でしょうか?
1 + 1=2って、人間がいなくても、本当に正しいといえるんでしょうか?
つまりね、1 + 1=2が正しいのは、足し算って理論があるから成り立つわけですよね。
でも、それを理解してるのって、人間だけでしょ。
つまり、足し算って理論は人間の心の中にあるんですよ。
主観とは関係のない100%客観的な理論があるわけじゃないんですよ。

そう考えたら、科学も数学も、その基礎となる土台は心理学になるんです。
これを心理主義っていいます。
フッサールも、初期の頃、『算術の哲学』って本を書いています。
ただ、フッサールはその後、心理学を批判して、現象学に移ったわけです。

ここから、現象学の話になるわけですけど、覚えておいて欲しいのは、科学の基礎は数学じゃないってことです。
ガリレオは、「自然という書物は数学という言葉で書かれている」と言いましたけど、それを、安易に受け入れるのは危険だってことです。
だって、その数学という言葉は、人間の心しか読めないのですから。

さて、哲学というのは、当たり前を疑うことから始まります。
今、目の前にリンゴがあるとします。
それを見て、「あっ、リンゴがある」って思いますよね。
これを疑うのが哲学です。

近代哲学の祖、デカルトは全てを疑いました。
この世に、本当に確かなものはあるのかって。
そうやってすべてを疑って、疑って、最後に辿り着いたのが、この言葉です。
「我思う、ゆえに、我あり」

全てを疑ったとしても、どうしても最後に残るものがあると。
それは、全てを疑ってる自分の意識だと。
それだけは、疑いようがなく、間違いなく存在してると。

ここが出発点です。
デカルトは、その次に疑いようのないものとして五感を挙げました。
目や耳で見たり聞いたりすること。
これも、紛れもない事実だと。

フッサールも、出発点は同じです。
普通、目の前のリンゴを見たら、「リンゴがある」って思いますよね。
フッサールは、これを批判します。

そう思う前に、もっと確かなことがあるだろう。
それは、リンゴなら、「赤い」とか、「丸い」とかって体験です。
「赤い」とか「丸い」って体験が最初にあって、その後、対象が「りんご」だって意識に上ってくるわけです。

「赤い」とか「丸い」って感覚器が直接体験すること、これをフッサールは「現出」と呼びます。
そして、そこから推測された結果、この場合は「りんご」のことを、「現出者」と呼びます。
そして、このような認識に対する態度を「超越論的態度」と言います。

それに対して、パッと見て、すぐに「りんご」って思うことを、自然的態度と言います。
これが普通です。
この自然的態度から超越論的態度へと思考を転換することを「超越論的還元」といいます。
こういうものの見方をしようって、フッサールは言うわけです。

次は、意識の話です。
人間の意識は、必ずある対象に向けられると言います。
これが「志向性」です。
リンゴの場合、意識がリンゴの「赤い」や「丸い」に志向するわけです。
ことを「ノエマ」と言います。
そして、「赤い」や「丸い」といったノエマから「リンゴだ」って認識するまでの志向作用のことを「ノエシス」って言います。
そして、フッサールは、このノエシスこそが、全ての原点であると考えました。

デカルトは、最も疑いようのないものを自分の意識としました。
そして、その次に疑いようのないものが五感の感覚としました。
フッサールは、この両者の関係性に着目したわけです。
認識を感じる自分の意識と、その材料となる五感の体験があるわけです。
そして、体験から認識に至るその作用、ノエシスの中に、最も重要なものがあるはずだ。
だから、ノエシスを研究することで、科学や数学も、その立場から再度記述することができるはずだ。
これが真の学問の再出発だ。
そう考えたんです。

次は、時間と空間の概念を考えてみます。
これも、やり方は同じです。
最も確実な要素から考えます。

たとえば目の前に机があるとします。
そう思うのは、自然的程度です。
これを超越論的態度で見たらどうなるでしょう。
机の天板の形は台形に見えますよね。

でも、それを見て、天板が台形とは思わないですよね。
これは、三次元空間で、机を斜め下に見下ろしてるから、長方形の天板が台形に見えるだけです。
これは、机が、三次元空間に現出したと言えます。
この過程がノエシスです。
そして、現出した机を意識が認識した時点で、無限に広がる三次元空間があって、その中に机や自分がいると考えます。
ただ、その過程は、意識されず、無意識下でおこなわれています。
意識が認識したときには、すでに、無限に広がる空間を感じています。

さらに、この机は、今までもここにあって、この後も、ここにあり続けるだろうと感じます。
つまり、自分が見てないときも、机はここにあって、自分が見なくても、机は消えないと思うわけです。
これが自然的態度です。

でも、よく考えたら、そんなこと断定できません。
確かなことは、今、見てるときに、こう見えるってだけです。
これが超越論的態度です。

超越論的態度から自然的態度が生まれる過程がノエシスという志向作用です。
ただ、この過程がどうなってるかはわかりません。
おそらく、無意識で行われると思われますけど、それ以上は分かりません。
そこで、そのことは、一旦、判断停止しようと、フッサールは提案します。
これをエポケーといいます。
無意識の過程を判断停止したっていうのが、現象学で最も重要なポイントの一つです。

わからないものを無理やり解釈すると、おかしなことになります。
たとえばフロイト心理学です。
無意識を発見したフロイトは、無意識の作用をなんでも性的エネルギーで説明しようとしました。
たとえば、エディプスコンプレックスって有名な理論があります。
男の子は、異性である母親に性愛的感情をもって、同性である父親に敵意をもつそうです。
さらには、父親の復習で去勢させられるんじゃないかって不安を感じてるそうです。
しかも、そう感じるのは、だいたい5〜6歳の頃だそうです。
ムチャクチャな理論でしょ。
だから、今じゃ、フロイト心理学をまともに信じてる人はほとんどいません。
ただ、無意識を発見した功績は大きいと思います。

フッサールは、この無意識で行われてる処理を一旦、エポケー、判断停止したわけです。
そのおかげで、フロイトみたいにならず、今なお、生き延びてるとも言えます。

さて、フロイトが見出して、フッサールが判断停止して、100年以上経ちます。
そろそろ、判断停止した部分について、ちゃんと考えていいんじゃないでしょうか?

そこで登場するのが、プロジェクト・エデンです。
プロジェクト・エデンっていうのは、僕の意識理論をそのまま再現したシステムです。
僕の意識理論は、意識と無意識の中身まできちんと分析して再現してるのが一番の特徴です。
つまり、現象学で判断停止した部分まで、きっちり再現してるんです。
それでは、さっそく、プロジェクト・エデンを見ていきましょう。

これがプロジェクト・エデンです。
プロジェクト・エデンというのは、メタバースです。
今、ユーザーが操作してるのが太郎くんです。
太郎くんは公園で、AIアバターのもこみちゃんを見かけたので、「こんにちは」って話しかけます。
すると、もこみちゃんが「こんにちは、太郎くん」と返事してくれました。

これだけ見たら当たり前ですよね。
当たり前と思う部分が、自然的態度です。
プロジェクト・エデンで重要なのは、AIアバター「もこみ」の心を作ったところです。
これが、もこみの心、マインド・エンジンです。

真ん中上に視覚入力とあって、太郎が映ってますよね。
これは、もこみの網膜に映った映像です。
その下の仮想世界の中にも同じような映像がありますよね。
この仮想世界というのが、意識が認識する世界です。
同じように見えますけど、こっちは、3DCGです。
3D空間の中で、太郎オブジェクトが歩いたり、しゃべったりするわけです。
これ、どういうことか分かりますか?

この仮想世界には、三次元空間が再現されてるってことです。
それだけじゃないです。
3次元空間の中で人が動くってことは、時間の流れも再現されてるってことです。
つまり、現象学でいえば、自然的態度で感じる世界です。

それに対して、上の視覚入力は、ただの二次元画像です。
立体的な空間も時間もありません。
見たままの世界です。
つまり、こっちが超越論的態度で感じる世界です。
ねぇ、現象学が再現されてるっていえるでしょ。

もう少し細かく見ていきます。

下の三次元世界が、薄い色でちょっとずつ構築されて、完成したらパッと明るくなったでしょ。
明るくはっきり見えたときが、意識が世界を見たって認識したときです。
三次元で世界が構築されてるので、目の前に噴水があるとかった空間を感じるわけです。
つまり、自然的態度で公園を見たってことです。

このようにして3次元の公園を作り上げるのが無意識の役目です。
現象学では、この過程をエポケー、判断中止したわけですが、プロジェクト・エデンでは、そこも忠実に再現されます。
そして、意識が、どの時点で世界を認識するかも明確にしています。
それは、この場合だと、パッと明るくなった瞬間です。
わかりましたか?

この瞬間、意識は、「目の前に噴水がある」とか、「今、公園にいる」とかって思ったわけです。
それも、今、この瞬間に公園や自分が出現したんじゃなくて、前からずっと、自分も公園も継続してここにいるって感覚も感じてます。
この感覚を作り出してるのも無意識なんです。

じゃぁ、どうやって意識に、そう思わせているんでしょう?
それは、意識プログラムに対して、「さっきからここにいる」ってデータをわたしてるんです。

いいですか。
意識は、無意識が見てもいいと判断したものしか見れないんです。
もっといえば、無意識が見せたい世界しか、意識は感じられないんです。

公園が作り出される過程は、無意識が「見ちゃダメ」って禁止してるんです。
完成してから意識に見せて、さらに、今までもずっとありましたよってデータも一緒に送るんです。
だから、意識にとったら、公園はずっとこの場所にあって、さっきから自分は公園にいるって、当たり前のように感じるんです。
これが自然的態度です。

ねぇ、この現出する過程が巧妙に隠されてるでしょ。
ここに何か隠されてるって気付いたフッサールはさすがです。
そして、分からないから、とにかく、ここは判断停止しようって考えたのも賢明です。
ここの解明は、後世に任せようとしたわけです。
そして、それが、今、ようやく解明されたんです。

その後の流れも見てみます。

現実仮想世界に注目してください。
最初、噴水を見てましたけど、振り返ったら太郎がいました。
画面に「太郎」って出てましたよね。
これは、太郎に気づいたってことです。
気付くってのは、意識が普通に感じる自然的態度です。
そして、この気づきは意識の志向作用です。
現象学でいうノエシスです。
このノエシスを作り出したのも無意識です。
マインド・エンジンでは、意識の気付きは、イベントというコンピュータの仕組みで実現しています。
意識が、「あっ」と気付くというのは、イベントを使って無意識から意識プログラムにデータを渡されたことと同じです。

もう少し続けます。

太郎が、「こんにちは」って言いましたよね。
「こんにちは」って言葉は、耳で受け取った時には、ただの音です。
現象学でいう「現出」です。
それを、意識は、「こんにちは」って太郎がしゃべった言葉として理解しますよね。
この言葉が「現出者」です。
さっき、「こんにちは」って太郎がしゃべってるセリフがでてましたよね。

これは、ただの音の「現出」から、太郎がしゃべった「言葉」って「現出者」を作り出したわけです。

プロジェクト・エデンでは、意識が認識するものは、仮想世界に配置されるオブジェクトです。
オブジェクトは、形があるものだと3Dオブジェクトですが、言葉もオブジェクトになります。
オブジェクトを作るのは無意識です。
言葉オブジェクトは、発話の中身とか、誰が発したかってデータを持ってます。
だから、言葉オブジェクトを受け取った意識は、太郎が「こんにちは」って話したって一瞬で理解したんです。
これが自然的態度です。

さらに続けます。

仮想世界の中で、今、表示してるのは3次元世界です。
その下に会話世界って出てるので、これをクリックして表示します。
太郎が「こんにちは」っていって、もこみが「こんにちは、太郎くん!」って言ってるって表がでてきましたよね。

会話というものはルールに従って進行します。
たとえば、最初はあいさつから始まるとか、交互にしゃべるとかです。
それが会話世界です。

三次元世界だと、物体は色とか形があるとか、上にある物は下に落ちるっていうルールがあります。
それと同じです。

つまり、意識が何かを認識するとき、それは何らかの世界の中で認識するわけです。
「太郎が公園にいる」って思ったとき、それは三次元世界で認識してるわけです。
「こんにちは」って言われたら、「こんにちは」って返さないといけないって思うのは、会話世界で認識してるからです。

冒頭に、なんで、1 + 1=2が理解できるのかって話をしましたよね。
客観的で普遍的な法則があるんじゃなくて、心の中に数学理論があるって話です。
これは、言い換えたら、足し算とか引き算ってルールが定義された数学世界があるわけです。
心は数学世界をもってるから、1 + 1=2が理解できるといえるんです。

わかってきましたか?
これ、フッサールが、一番最初に悩んでたことですよね。
科学法則とか、数学理論とかって、完全に客観的にあるわけじゃない。
その土台には、これらを理解できる「心」があるはずだって。
全ての土台となる心の仕組みこそ重要だって。

意識は、必ず、何らかの世界の中で物事を認識します。
世界というのは、三次元世界だったり、会話世界だったり、数学世界だったりです。
これこそ、全ての土台となる心の仕組みです。
注意してほしいのは、これは、科学や数学だけじゃないってとこです。
言葉も、この土台の上に構築されているんです。
数学も言語学も、共通の土台で記述できるんです。

これって、凄いことですよ。
だって、理系学問と理系学問を、共通の土台の上に再構築されたといっていいんですから。
真の学問体系を構築できたといっていいんです。
それを実現したのが、今、僕らが開発しているプロジェクト・エデンなんです。

はい、今回の動画がおもしろかったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、ロボマインドの意識理論に興味がある方は、よかったらこちらの本を読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!