第378回 重度障害者が初めて語った言葉とは 『みんな言葉を持っていた』


ロボマインド・プロジェクト、第378弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

もしあなたが生まれてこの方、誰とも会話できなかったらどう思いますか?
家族や友達はいます。
でも、自分の思ってることを一切、誰にも伝えることができないんです。
そして、周りの人は、まさか、あなたが何か考えてるなんて、思ってもないって状態です。

「そんなことあり得ない」と思うかもしれないですけど、もしかしたら、これ、僕らが思ってる以上に意外と起こってるかもしれないんですよ。
今回紹介するのは、この本、『みんな言葉を持っていた -障害の重い人たちの心の世界-』です。

最近、東田直樹さんの『自閉症の僕が跳びはねる理由2』を紹介してますよね。
東田さんは、重度の自閉症で、言葉をしゃべれないと思われていました。
それを、文字盤とか筆談を使うことで、コミュニケーションを取れることができるようになりました。

それまで周りの人は、まさか、東田さんが言葉を理解してるなんて思っていなかったわけです。

今回紹介する本にも、脳性麻痺とか、ほとんどコミュニケーションをとることができない重度の障害者も、じつは、言葉をちゃんと理解してるって事例がいっぱいでてきます。
いろんな装置やテクニックを使うことで、本人の言葉を聞き出すことに成功したって話です。
そのことに、両親でさえ驚くそうです。
中には、27歳になって、初めて会話ができるようになった人もいます。
何十年も、言いたいことがあっても表現できなかったんです。
お医者さんや、介護施設の職員も、まさか、そんな知能があるとは思ってませんでした。
専門家ですらこうですから、日本中には、まだ、そんな子供たちはいっぱいいると思います。
そして、何年も、何十年も、言葉を理解してないと思われていた人が、初めて言葉を語ったとき、何て語り始めるのか。
そこには驚きと感動があります。
これが今回のテーマです。
重度障害者が初めて語った言葉とは
それでは、始めましょう!

まず、疑問に思うのが、なんで、周りの人は気付かないかってことです。
たとえ体をほとんど動かせなくても、自分の意志で、わずかでも体の一部が動かせたらコミュニケーションが取れます。
『潜水服は蝶の夢を見る』って映画、知ってますか?

これは、ファッション誌『ELLE』の編集長、ジャン=ドミニック・ボービーの実話です。
ボービーは43歳のとき、脳梗塞を患って全身が麻痺しました。
かろうじて左目だけ動かせたので、瞬きだけで会話したんです。
どうやって文字を入力するかというと、スイッチワープロと言われる装置を使います。

これは日本語のスイッチワープロの画面ですけど、最初「あかさたな」を選んで、つぎに、「あいうえお」を選んでって文字を決定します。
ボービーの場合、左目の瞬きだけでこれを行ったわけです。
そうやって、一冊の本を書き上げたんです。
なんと、20万回の瞬きだそうです。
それが、後に映画にもなりました。

ボービーの場合、動かせるのが左目だけでしたけど、自分の意志通りに動かせたので本を書くこともできました。
じゃぁ、それができないとはどういうことでしょう。
スイッチワープロって、普通は、こんな大きなスイッチボタンで操作します。

ただ、脳性麻痺の場合、一旦動き出すと、動きをとめることができなかったりします。
だから、スイッチを何度も連打してしまうんです。
これだと、うまくワープロを操作できないですよね。

それ以前に、Yes/Noの区別の伝達すら難しいんです。
自分の意図した動きと反対の動きをしてしまったりするので、質問してもYesかNoか判断できません。
そうなると、この子は何も考えていない、知能が発達していないってみなされるんです。

でも、うまく体が動かせないだけで、頭の中はしっかりと考えてるかもしれません。
この本の作者、柴田先生はそう考えて、様々な方法で障害者とコミュニケーションを取ろうとしました。

本人の動きだけだとうまく操作できない場合は、介護者がサポートしてわずかな動きを感じ取って文字を選ぶんです。
ベテランになると、腕を動かす前の体のこわばりとかを感じ取ることで、本人の意図を読み取れるようになります。
逆に言えば、それほどのテクニックがないと、本人の意図を読み取るのは難しいってことです。
だから、重度障害者が言葉を理解してるとは誰も思ってないんです。

こうやって、今まで言葉を理解してないと思われてる子から、言葉を引き出した事例がこの本にはいっぱい書いてあります。

想像してください。
自分は言葉が理解できるし、周りの話してる言葉も理解できます。
でも、それを相手に伝えることもできないし、周りの人は、自分には知能がないと思われててます。
まして、言葉を理解できるなんて思われてないわけです。
そんな生活が何年も続いてるとします。
そうなると、どうなると思います。

なんと、頭の中で詩を書くそうです。
誰かに伝えるためじゃなくて、自分のための詩です。
そんな詩が、この本にはいっぱい載ってます。

自分のための詩といって僕が思い出したのは、宮沢賢治です。
賢治が死んだあと発見された手帳に書かれていたのが「雨ニモマケズ」です。
「こういう自分でありたい」って、自分のために書いた詩です。
人は、生きていくためには、何らかの支えが必要です。
全く動けず、頭で考えるだけの生活になると、それが詩の形で表れてくるようです。

この子たちの書いた詩を読んでると、不思議と共通して出てくる言葉があります。
たとえば北風です。
普通は北風といえば、寒くて辛いものですよね。
でも、この子たちが書く北風は希望として描かれるんですよ。

北風はみんなは嫌がるけど、いろんな苦しみを経験した人しかわからない希望を運んでくるってイメージです。
「別の子も北風を希望の風」って言ってたよって伝えると、よく分かるって言うそうです。
中には、「同じ思いをしたものにしか、北風の希望は理解できない」って言ってた子もいたそうです。
おそらく、真冬に車いすとかで外出したとき、寒い北風を感じて震えながら想像したんでしょう。
北の国には、僕らと同じようにつらい人がいるんだろうって。
それが、北風が希望を運んできてるって共通のイメージになったんでしょう。

さて、ここで疑問が出てきます。
それは、この子たちは、どうやって言葉を覚えたんでしょう。
それは、たとえば絵本の読み聞かせとかから覚えたそうです。
時間はたっぷりあるので、好きな物語を何度も思い出したりして覚えるそうです。

ここで思い出すのが、ヘレン・ケラーです。
ヘレン・ケラーは、この真逆なんですよ。
体は自由に動かせたんですけど、見たり聞いたりできませんでした。
そこに、サリバン先生が手と指で言葉を教えることで、ものには名前があるって理解したんです。

でも、今回の障害のある子供たちは、目や耳は聞こえます。
ただ、体をうまく動かせないんです。
つまり、体で表現ができないわけです。
でも、言葉は理解できてたんです。

どうも、言葉にとって一番重要なのは表現することより、見たり聞いたりすることのようです。
見たり聞いたりすることで、言語が脳に入力されるわけです。
言語は、音声や文字という一列のシリアルデータです。
それと同時に、見たり聞いたりすることで世界も認識しています。
脳は、言語というシリアルデータを受け取ると、それと世界とを対応させてシリアルデータを解釈するんです。
これが言語の意味理解です。
この機能のことを、言語の意味理解機能と呼ぶことにします。

この機能は言語入力がない限り動きません。
ヘレン・ケラーは、体で世界を感じることはできましたけど、目が見えず、耳が聞こえないので、言語というシリアルデータを脳に送られなかったんです。
だから、言語意味理解機能が動かなかったんでしょう。

そこで、サリバン先生は、何とか言語情報を入力しようと考えました。
それが、指と手で物の名前を伝えることです。
それは、最初はうまくいかなかったですけど、根気よく教えると、ある日、突然、言語意味理解機能が動き出したんです。
そのきっかけが、井戸で水に触れた瞬間です。

逆に言えば、言語という形式で脳に入力さえできれば、言語を理解できるってことなんです。
たとえ、表現できなくてもです。

僕は、何となく、入力と出力は表裏一体で、表現することでしゃべれるようになると思ってましたけど、そんなことないんですよ。
入力だけで十分なんですよね。

でも、いくら目が見えて、耳が聞こえても、言語意味理解機能を持っていなければ、いくら言葉を入力しても、意味を理解できるようになりません。
だから、動物は言葉をしゃべれるようにならないんです。
せいぜい、物と単語の組み合わせを覚えるぐらいです。
いつ、どこで、誰と何をしたって文章は作れるようにならないんです。
言語の謎が、少しずつ分かってきましたよね。

重度の障害者が言葉をもってるとは、柴田先生も最初は疑ってたそうです。
重症心身障害というのは、そもそも、発達の重篤な遅れが原因であると考えられてます。
つまり、自分の思い通りに体を動かせないということは、発達のレベルが1~2歳の赤ちゃんぐらいだと思われてるわけです。
だから、言葉もしゃべれないし、理解もしてないと思われてるんです。

柴田先生自身、言葉を理解してなくても、人は心が豊かだという思いで、ずっと仕事をしていたそうです。
言葉を理解してないからといって、その人の価値が損なわれてはならないと思っています。
障害の現場にかかわる多くの人がそう思っています。

でも、もしかしたら、そうじゃないかもしれないと思ったわけです。
たまたま、身体の障害が重いだけで、発達の遅れはなくて、言葉は理解してるかもしれないって。
ただ、その人が言葉を理解してるのかどうか判断するのはかなり難しいそうです。

そんな中で会ったのが緩名さんです。
緩名さんは、全身の動きがほとんどなくて、表情も乏しくて、仰向けに寝たっきりで一日を過ごしています。
ただ、右手だけがわずかに動くことが分かりました。
そこで、なんとか身を起こして椅子に座らせました。
そしたら、体を支えられながらですけど、上半身の動きと手の動きが連動して動かすことで、スイッチを操作できるようになったそうです。
そこで、スイッチとパソコンをつないで画像が出るようにして、自分が見たい絵を見れるようにしたそうです。
でも、表情が乏しいので、喜んでるのかどうかは分からなかったそうです。

この時点では、まだ、だれも緩名さんが言葉を理解してるとは思ってもいませんでした。
ただ、万一言葉を理解していたらと思って、今度は、ワープロソフトをつなげてみました。
最初に教える言葉は、いつも呼び掛けてる名前がいいだろうと言うことで、「かんな」って三文字を一緒にワープロで選択したそうです。
この時支援していたのは柴田先生の奥さんでした。
緩名さんの体を支えながら、一緒にスイッチを操作してたそうですけど、「かんな」のあとに「はすき」って言葉が出てきたそうです。
「かんなはすき」と文章らしき言葉が出てきたんです。
ただ、何が好きなのか、意味はよくわかりません。
そもそも言葉を理解してるかも怪しいのに、初めて触れたワープロソフトで文字を選択して文を作るなんて、ちょっと考えられません。
だから、柴田先生は帰りの電車で、奥さんに「あなたが選んだんだろう」と言って口論になったそうです。

そして、数か月後に訪問してワープロを出したとき、緩奈さんの顔がパッと変わったのがわかったそうです。
今度も、一緒に「かんな」って三文字を選択しました。
今回は、途中から明らかに緩名さん自身の力が感じられたそうです。
そこで、続いてスイッチを操作してもらうと、一つの文が完成しました。
それがこの文です。

「かんなかあさんがすきめいわくばかり」

このとき緩名さんは10歳です。
10歳になって、初めて語った言葉がこれです。
体を動かせない自分の世話を、いつもしてくれるお母さんに感謝を伝えたいと、ずっと思っていたんでしょ。
近くで見ていたお母さんは思わず泣いてしまったそうです。

さらに、その数か月後、緩名さんはもっと長い文を語れるようになりました。
それは、こんな文章です。

「ぜったいしじするかあさんががんばってきたことおひさんのようなかあさんがやっぱりじぶんはあいしています。そうわるいことばかりではないよ」

お母さんへの感謝と気遣いです。
ただ、さいしょの「しじする」というのがよくわかりません。
そこで、お母さんに聞いたところ、意味がわかりました。
緩名さんの健康とか今後のことを考えて、お医者さんと相談して手術したそうですけど、それが正しいことなのかどうかずっと悩んでいたそうです。
緩名さんの世話をしながら、本人は理解してないと思いながら、そのことをいつも緩名さんに語りかけていたそうです。
「絶対支持する」というのは、そんなお母さんの選択のことです。
そのことを、伝えたいと何年も思っていたわけです。

この本には、そんな話がいっぱい出てきます。
言葉でコミュニケーションを取れるようになって、最初に語るのは、みんな、お母さんとか家族への感謝の言葉だそうです。

それから、詩を書かせると、「もっと良い人になりたい」って言葉もよくでてくるそうです。
どういうことかというと、この子たちは、誰かに介護してもらわないと生きていけません。
だから、家族や、介護してくれる人にいつも感謝しています。
ただ、介護してくれる人の中には仕事だからといって仕方なくやってる人もいるんでしょう。
ぞんざいに扱われることもあるようです。
そんなとき、つい、不満に思ったりするんでしょう。
そんな自分を戒めてるんです。
それが「もっと良い人になりたい」って言葉です。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の最後の言葉を思い出してしまいます。

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

人は、どんな境遇であっても最後まで残るのは、感謝と希望と向上心なんです。
緩名さんも最後にいってましたよね。
「そうわるいことばかりではないよ」って。

そう考えると、人間にも、まだまだ希望が持てますよね。
今回は、ここまでとします。
なにか感じるところがあれば、高評価ボタン押していただけると嬉しいです。

次回も、心と言葉について、さらに探っていきたいと思います。
それから、よかったらこちらの本も読んでください。
それでは、次回も、おっ楽しみに。