第388回 意識を科学と哲学の両方から解明!


ロボマインド・プロジェクト、第388弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

哲学では、アリストテレスの時代から、存在論と認識論って二つの考え方があります。
世界に「もの」が存在するという大前提があるわけです。
それを観察して解明しようってのが存在論の考え方です。
そうじゃなくて、世界に「もの」があると思うのは、認識する主体があるからだ。
感覚や理性を通じて、いかにして世界を認識するかを解明するのが認識論の考え方です。

存在論って、世界を外から観察して解明するって考えです。
これが、今でいう科学です。
認識論って、認識する側、つまり内側から世界を観察して解明するって考えです。
これが、今でいう哲学です。

さて、今では、科学的考えで、さまざまなものが解明されてきました。
でも、未だに解明されないものがあります。
それは、「意識」です。

じゃぁ、なぜ、「意識」は科学で解明されないんでしょう?
それは、「意識」って、脳の内側から世界を見てますよね。
これは、科学にない視点です。
つまり、意識を解明するには、内側からの視点、つまり哲学的視点も必要なんです。
これが今回のテーマです。
意識を科学と哲学の両方から解明!
それでは、始めましょう!

まずは、科学的な考えを整理します。
たとえば万有引力の法則ってありますよね。
地球の周りを月が回るとか、天体の動きは万有引力の法則で説明できますよね。

これが科学です。
天体の動きを望遠鏡で観測することで解明したわけですよね。
意識も、客観的に観測して解明できれば問題ありません。

たとえば、太郎くんは花子ちゃんのことが好きだとします。
花子ちゃんと仲良くなろうと思って、放課後、話しかけます。
「ねぇ、花子ちゃん、宿題、分からなかったら僕が教えてあげようか?」
でも、花子ちゃんは、そっけないです。
「大丈夫。私一人でできるから」と冷たい返事です。
太郎くんは、悲しそうな顔をして引き下がってきます。

太郎君の気持ち、分かりますよね。
自分が好きなのは花子ちゃん。
でも、花子ちゃんは太郎くんのことを好きじゃないみたいです。
切ないですよね。
これを科学で解明するのは難しいですよね。
なぜかと言うと、好きとか嫌いって感情を客観的に測定するのが難しいからです。

たとえば、天体の動きは、万有引力の法則で記述できましたよね。
これは、客観的に測定できたから、数式に落とし込むことができたわけです。
じゃぁ、意識は、数式で記述できないのでしょうか?

ここで、意識科学について考えてみます。
現代の意識科学では、意識理論というのがいくつか提唱されています。
代表的なものに、量子脳理論があります。
これは、意識は、脳の神経細胞で起こる量子効果という考えです。
もう一つ、意識の統合情報理論というのもあります。
これは、脳内の様々な情報を統合するのが意識であるという考えです。

量子脳理論は量子力学の波動関数で意識を定義しようとしたものですし、統合情報理論は、情報の統合という概念を数学で表現して、それを意識と定義しています。
どちらも数式で記述しようとしています。
ここから、意識を科学的に解明しようとしてるのが読み取れますよね。

でも、数式で表現できる世界って、天体の動きとか、単純な世界だけです。
意識が作り出す複雑な人間社会は、とても数式で表現できるとは思えません。
量子脳理論にしろ、統合情報理論にしても、これらの数式から太郎君の切ない気持ちとかが表現できるとも思えないですよね。

これは、逆に考えたら、世界を数式で表現しようとすると、必然的に単純な世界になってしまうと言えます。
でも、現実の世界って、複雑で予測不可能ですよね。

たとえば、天気ってさまざまな要因が関係するので、完全に予測することは難しいです。
でも、ある程度は予測できますよね。
どうやって予測してるかと言うと、シミュレーションを使っています。
空間を小さく区切って、その空間の気温とか気圧と、隣の空間の関係から、次の瞬間の気温、気圧を予測するわけです。
それを次々に行うことで複雑な動きを再現して天気を予測するわけです。
つまり、モデルを作って、それをコンピュータでシミュレーションして動かすわけです。
それが現実をうまく再現できれば、そのモデルは正しいと言えます。

これ、意識にも使えそうですよね。
人間を突き動かしてるのは感情です。
感情を感じるのは意識です。
ただ、感情を引力や遠心力みたいに測定するのは難しいです。
でも、そういう力が存在すると想定したモデルを作ることは可能です。
モデルができれば、コンピュータでシミュレーションすることも可能ですよね。

そして、そのシミュレーションが、人間社会をうまく再現できたら、そのモデルが正しいといえますよね。
そうしたら、そのモデルで使った仮説が正しいと言えるわけです。
こうやって、解明する方法を構成論的アプローチといいます。

構成論的アプローチも科学の手法の一つです。
今の場合だと、感情を含んだ意識モデルを作ったわけです。
意識モデルを、コンピュータ・プログラムで作るわけです。
プログラムなら、客観的に観測できますよね。
客観的に観測できるなら、科学になり得るわけです。

さて、これで意識や主観を科学で取り扱うことができました。
ギリシャ時代から、相反していた認識論と存在論が、この方法で結びつくことができるんです。

ところが、これが、一筋縄では行かないんです。
問題は、この方法で、本当に認識論が記述できるかってとこです。

存在論っていうのは、客観的にものが存在するって視点ですよね。
認識論は、「ものが存在する」と意識が認識するって視点ですよね。
構成論的アプローチで、まず作らないといけないのは、意識のモデルです。
その意識モデルは、「ものが存在する」と感じないといけません。

天体のシミュレーションなら、地球と太陽の引力とか遠心力が相互作用するってモデルですよね。
これは、感情を感じて行動する意識と同じと言えます。
でも、地球は月が存在するとは認識してないです。
つまり、これじゃぁ、認識論が再現されてないんです。

でも、認識論が再現されないと、何が問題となるでしょう?
たとえば、太郎の意識は、花子ちゃんが好きだと感じています。
つまり、花子ちゃんに引かれる力を感じます。
ここまでは、天体のシミュレーションと同じです。
でも、力を感じるだけじゃダメなんです。

太郎くんは、花子ちゃんは自分のことを、それほど好きじゃないってのも感じ取っていましたよね。
天体シミュレーションとの違いは、ここなんですよ。

つまり、意識の場合は、相手の立場になって、相手が自分のことをどう思ってるか想像できるんですよ。
そして、この状況を客観的に眺めるんです。
太郎は花子ちゃんのことが好きなのに、花子ちゃんは、太郎のことをそれほど好きじゃない。
その太郎というのは、他でもない、自分だ。
この時、太郎が感じる気持ちが「切ない」です。

わかりましたか?
今、視点が次々に切り替わりましたよね。
自分の気持ちになったり、相手の気持ちになったり、一歩引いて客観的に眺めたり。
意識モデルは、これを再現できないといけないんですよ。
これができないと、複雑な人間の心は再現できませんし、人間の心が生み出す複雑な人間社会は再現できません。
かなり複雑ってことがわかるでしょ。

それじゃぁ、ここまで複雑なモデルなんか、作れるんでしょうか?
作れるとしたら、それは一つしか考えられません。
それは、意識の仮想世界仮説です。

意識の仮想世界仮説というのは、僕が提唱する意識モデルです。
簡単に説明すると、人は、目で見た世界を頭の中に仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して世界を認識します。

仮想世界というのは、分かりやすく説明すると3DCGで作った世界です。
イメージしやすいので、いつもこう説明してますけど、重要なのは、3DCGじゃありません。
そこじゃなくて、ものをオブジェクトで認識するというところです。
オブジェクトというのは、たとえばリンゴオブジェクトとか、自動車オブジェクトです。
オブジェクトは、色とか形ってプロパティと、走るとかって動きを表すメソッドを持っています。
オブジェクトは、ものだけじゃなくて花子とかって人物もオブジェクトになります。
そして、自分もオブジェクトです。

この自分というのは、体と、体を制御する意識を持っています。
意識は、体の内側から世界を見る視点を持ちます。
つまり、内側からの視点を持つわけです。
これは、認識論、または哲学的視点です。
さらに意識は、好きとか嫌いって感情を感じます。
だから、太郎は、花子を好きって感情を感じます。

それだけじゃありません。
意識は、自分に固定されるだけじゃなくて、切り離すこともできるようになっています。
つまり、花子の立場になって感じることもできます。
そうしたら、花子は自分のことを、それほど好きじゃないって感じます。
さらに、意識は、この状況を客観的に認識することもできます。
自分が花子のことをこれほど好きなのに、花子は自分のことを好きじゃないんだ。
それが、「切ないなぁ」って感情です。

こんな風に、このモデルだと、自分の気持ちだけじゃなくて、相手の気持ちや、客観的な状況を自由に感じることができます。
複雑な意識を完璧に再現することができたんです。

好きとか嫌いだけじゃなくて、切ないといった複雑な感情も再現できます。
さらに、どうすればみんなが喜ぶとか、みんなに迷惑をかけるとかってことも理解できます。
つまり、善悪といった倫理観も理解できるわけです。

これは、科学でなく、哲学としての意識を再現したわけです。
それをコンピュータプログラムで再現したわけです。
つまり、意識を客観的に観測できる科学の側面も持ってるわけです。
意識を、科学と哲学の両方から実現できたと言えます。
ギリシャ時代から対立していた科学と哲学がついに統合されたんです。
そして、それを実際に実現したシステムが、僕らが作ってるマインド・エンジンです。

はい、今回はここまでです。
面白かったら、高評価、チャンネル登録お願いしますね。
それから、意識の仮想世界仮説に関しては、こちらの本で詳しくかたってますので、良かったら読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!