ロボマインド・プロジェクト、第389弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
前回、第388回では、意識を科学と哲学の両方から読み解いてみました。
最近、改めて考えてるのが文系と理系の融合なんですよ。
科学って、17世紀の科学革命で始まったので、せいぜい4~500年の歴史しかありません。
それ以前は、科学も哲学も宗教も文学も、ごちゃごちゃに混ざってて、簡単に分離できなかったはずです。
そこから科学が分離したといっても、考えてる脳は一緒ですよね。
試験問題を解くとき、理系の問題と文系の問題で脳をいれかえることなんかないですしね。
本来、同じ思考回路で考えてるはずなんです。
それが人間です。
そして、その人間と同じような知能を目指してるのが汎用人工知能です。
人工知能の最終形態です。
さて、そんなシステムは、どうやったらできるでしょう?
これが今回のテーマです。
科学と文学、どちらも理解するシステム
それでは、始めましょう!
望遠鏡が発明されて、天体の動きを正確に測定することから科学革命ははじまりました。
最終的に、ニュートンは万有引力の法則を発見したわけです。
月が地球に落ちてこないのは、地球が月を引き付ける引力と、月の遠心力が釣り合ってるからです。
地球が月を引き付ける法則が万有引力の法則です。
万有引力の法則は、こんな風に数式で記述されますよね。
ここには、人間の主観が入っていません。
誰が計算しても同じ結果になります。
これが科学です。
でも、これ、本当でしょうか?
たとえば、この数式をみたサルは、これが万有引力の法則と分かるでしょうか?
分かりませんよね。
つまり、万有引力の法則の意味って、この数式にあるわけじゃないんです。
じゃぁ、どこにあるかって言うと、それは、この数式を理解してる人間の頭の中です。
頭の中ってことは、それは主観ですよね。
科学に主観は入らないはずですよね。
これは、どう解釈したらいいんでしょう?
それじゃぁ、今度は、別の見方をしてみましょう。
前回、科学的アプローチの一つとして構成論的アプローチを取り上げました。
構成論的アプローチっていうのは、モデルを作って、それをシミュレーションします。
そして、そのシミュレーションが、実際と同じ動きをすれば、そのモデルが正しいとする科学の手法です。
それじゃぁ、天体の動きを構成論的アプローチで考えてみましょう。
月の動きを物理シミュレーションするんです。
これは、毎秒毎秒の地球と月の位置を計算して3DCGで表現したものです。
月と地球の位置は、万有引力の数式から決定してます。
さて、それじゃぁ、物理シミュレーションと、万有引力の数式の違いって、何か分かりますか?
物理シミュレーションでは、月や地球が感じる引力や遠心力の力を計算して求めてますよね。
分かりやすく言えば、こんな風に、月や地球が引力や遠心力を、感じてるってことを表現してるわけです。
これ、どういうことかわかりますか?
地球や月のモデルは、引力や遠心力を直接感じてるんですよ。
何らかの力を感じてるって、これ、意識と同じですよね。
じゃぁ、客観って何でしょう。
客観は、こんな数式で表したものです。
さっき、万有引力の法則を理解してるのは、人間の脳だっていいましたよね。
万有引力の法則を理解してるっていうのは、引力の大きさを脳で想像して感じてるってことです。
力を感じる主体があるのはどっちも同じといえます。
でも、この二つのアプローチには決定的に違うものがあるんです。
それは力を感じる主体がどこにあるかです。
客観の場合、主体は、数式や、地球や月のモデルを見てる人ですよね。
地球や月を外から眺めてるわけです。
でも、シミュレーションの場合、地球や月のモデル自体が力を感じてるわけです。
つまり、力を感じてる主体は、シミュレーションの中にいるわけです。
システムの中にいるといってもいいです。
ここまでをまとめます。
力を直接感じるものを主体と定義します。
主体がシステムの外にあるのが客観です。
主体がシステムの中にいるのが主観といえます。
構成論的アプローチというのは、主観を組み込んだシステムを使うといえそうです。
システムの中で力を感じるのがモデルです。
力は、今の場合、引力とか遠心力です。
ただ、引力や遠心力は計算で求められますので、わざわざシミュレーションしなくとも予測できます。
構成論的アプローチが便利なのは、客観的に観測できない力で動くモデルにも対応できることです。
たとえば怒りとか恐怖とかって感情も、数値化して行動の原動力とすることができます。
こうやって、行動が予測できるわけです。
ただ、これで行動予測できるのは感情に直接反応して行動する動物です。
人間は、感情ですぐに反応するだけじゃなくて、考えることができますよね。
じゃぁ、考えるって、具体的にどういういことでしょう?
それは、ああすればこうなる、こうすればああなるって、いろんな行動を頭の中で想像することですよね。
よく考えたら、これもシミュレーションですよね。
つまり、人間の心の特徴は、主体自体が世界をシミュレーションするってことです。
じゃぁ、頭の中で世界をシミュレーションするにはどうすればいいんでしょう?
それに使えるのが、意識の仮想世界仮説です。
人は、目で見た世界を頭の中に仮想世界として構築します。
意識は、その仮想世界を介して世界を認識するってモデルです。
これだと、意識は、仮想世界を使って現実世界を自由にシミュレーションできます。
それが、ああしたらどうやろ、こうしたらどうやろって考えることです。
こうやって、頭の中で現実世界をシミュレーションしながら行動を決定するのが人間の意識です。
でも、よく考えたら、そんなシステム、ないわけではありません。
たとえば将棋プログラムです。
それでは、人間の心のシステムと、将棋プログラムとを比べてみます。
人は、現実世界で生きていますけど、将棋プログラムにとって現実世界は将棋盤です。
人は、現実世界で自由に動かせる体を持ってますけど、将棋プログラムは盤面で自由に動かせる駒を持ってます。
人は体を自由に動かせますけど、骨格や筋肉によって動かせる範囲は決まってます。
将棋の駒も、ルールによって一度に動かせる範囲が決まってます。
そして、人も将棋も、目的を持って行動します。
たとえば、人はテストでいい点を取りたいとか、ゲームで勝ちたいとかです。
将棋プログラムの目的も、ゲームに勝つことです。
そして、目的を達成するために、人も将棋プログラムも、シミュレーションして決めます。
こう考えたら、将棋プログラムも、人間の心のシステムと同じ構造をしてますよね。
でも、将棋プログラムに意識があるとは感じないですよね。
どうも、システムの構造で心や意識は生まれるってことでもないようです。
それじゃぁ、他に何が必要なんでしょう?
もう少し考えてみます。
将棋プログラムは、勝つとプラスとなって、負けるとマイナスと判定して、プラスとなるように学習します。
これは、プラスマイナスの感情を感じてるとも言えますよね。
そう考えたら、人間も同じです。
人は、勝つとドーパミンが出て、快楽を感じます。
負けると、怒りやイライラの感情が発生します。
どちらも勝つと報酬を感じて、負けると損失を感じるわけです。
ここまでは人間の意識も将棋プログラムも同じといえます。
じゃぁ、何が違うんでしょう?
それは、人間の場合、勝負に勝つことは、それだけにとどまらないってことです。
いってみれば、それで相手より上になったということを感じるわけです。
将棋プログラムは、相手に勝ったからと言って、態度が偉そうになったりしませんよね。
「たまたま運がよかっただけですよ」とかって謙遜したりもしません。
勝ったから偉いとか、そんなこと思いもしないわけです。
もし、偉ぶったり、謙遜したりしたら、「意識があるんじゃない?」って思いますよね。
どうも、人の意識らしさは、この辺りにありそうです。
それは、おそらく、人間が持つ社会的本能です。
社会的本能というのは、社会を築くために、人が生まれ持ったものです。
社会というのは上下関係で成り立ってて、それが決まらないと落ち着きません。
だって、それが決まらないと、初めてあった人に敬語でしゃべっていいのか、タメ口でしゃべっていいのか分からないですしね。
そして、社会的本能は一種の感情です。
つまり、特定の行動を取らせる原動力となります。
たとえば、下の者は上の者に従わないといけないって感じます。
先生や親に逆らうのは良くないことですよね。
逆に、上の者は下の者に指示することができます。
その代わり、下の者を守る責任を負います。
誰もがこう言ったことを感じ取ることで、社会の秩序が保たれるわけです。
そして、社会的立場が入れ替わるとき、感情が発生します。
たとえば、下の立場から上の立場に行くと、脳は報酬を感じます。
だから勝ったら嬉しいんです。
それは、態度にも表れます。
「あいつは、練習さぼって怠けてるからこうなるんだよ」とかって、上から目線で偉そうなことを言ったりするわけです。
分かってきましたか?
ゲームで勝つってことは、ゲームだけの話じゃないんです。
社会的生物である人間は、常に、あらゆる活動を、自分の社会的地位に当てはめて解釈せずにおれないんです。
だから、同窓会で久しぶりに会った時、役職とか、年収とか、そんなのに敏感になるんです。
将棋プログラムに人間の意識を感じないのは、この社会的本能を持ってないからです。
それじゃぁ、意識を持つシステムに、具体的に何が必要か考えていきましょう。
まず、上下関係を判定する機能が必要です。
ゲームに勝つと、その機能の働きで、相手より自分の立場が上になると判定するわけです。
それを受けて、意識は報酬を感じます。
逆に負けると、自分の立場が下になって損失を感じるわけです。
僕の父親は、登山が趣味で、若いときはずっと柔道をしてました。
僕は、ずっと帰宅部で、スポーツには興味がありません。
中学ぐらいのとき、よく腕相撲をさせられて、自分が勝つと、「お前もまだまだやなぁ」って父は嬉しそうに言ってました。
中学生なんで、僕は当然、そんな父に反抗して、だんだん口を利かなくなっていきました。
たしか、大学に入ったころだったと思います。
親戚のおじさんが来てて、なぜか、久しぶりに父親と腕相撲しようってなったんです。
僕は、相変わらず帰宅部でしたけど、たまに腕立て伏せとかして、ちょっと鍛えてたりしてました。
実際やってみると、「あれ、親父って、こんなに弱かったかなぁ」って思ったんですよ。
楽勝で勝ったら、なんか悪い気がして、わざと苦しそうな顔して、ギリギリ勝ったふりをしました。
勝った時は、嬉しさより、なんか、親父も弱なったなぁって寂しさを感じました。
親父はというと、「お前も、強なったなぁ」って、なんかちょっと嬉しそうでした。
それじゃぁ、これを分析します。
僕は勝ったわけですから、もっと喜んでもいいはずですよね。
でも、それよりも感じたのは「親父も、弱なったなぁ」って寂しさです。
これは、一種の同情です。
同情とか哀れみって、圧倒的に上の立場の者が、下の者に対して感じる感情です。
あれだけ強いと思ってた父親が、こんなに弱くなったのかと思って寂しく感じたんでしょう。
一方、父親は、負けたら悔しいはずです。
でも、負けた相手は自分の息子です。
敵対関係にあるライバルでなくて、自分の身内です。
自分が負けたことより、自分の息子が勝ったことが嬉しかったんでしょう。
さて、こんな風に理論的に分析できるということは、これは全てシステムに組み込むことができますよね。
同情とか哀れみを感じる条件は、自分の立場が圧倒的に上と判断することです。
これは、数値化できますよね。
勝ったうれしさも感情として数値化できます。
それと同情とか哀れみの数値と比較して、哀れみの方がおおきければ、勝負に勝っても、相手に哀れみを感じるわけです。
負けたときも同じです。
負けた悔しさの数値と、自分の身内が勝ったことの数値を比較して、息子が勝ったことが嬉しいと感じるわけです。
そんなことを感じて、負けたことは悲しいけど、なんか嬉しいなぁといった複雑な感情を感じるわけです。
こんな複雑な人間の感情をシステムで実現できるわけです。
僕らが作ってる心のシステム、マインド・エンジンだと、ここまで実現できるんです。
でも、今回、言いたいのは、そういうことじゃないです。
今の話、いってみれば父と子の葛藤ですよね。
文学のテーマの一つです。
何が言いたいかというと、文学までもシステムに取り込んだってことです。
今、僕らが作ってるシステムは、天体の物理シミュレーションから、人間の複雑な心の動きまでシミュレーションできるんです。
シミュレーションできるってことは、意味を理解してるってことです。
「なぜ、月は地球に落ちないのか?」って質問に、「重力と遠心力が釣り合ってるってから」って答えることができます。
「なぜ、父親は、腕相撲で負けたのに嬉しそうな顔をしていたのか?」って質問にも答えることができます。
つまり、一つのシステムで、理科の問題も、国語の問題も解けるんです。
これ、テストの問題が解けて便利だって話じゃないですよ。
そうじゃなくて、重要なのは、同じ仕組みをつかって、理科も国語も理解できるってことです。
それって人間の脳と同じと言ってもいいわけです。
だって、科学も哲学も文学も、同じ脳が考えていますから。
それを、ようやく実現できたんです。
科学と文学を、同じシステムの上で扱えるようになったんです。
まさに人間の脳と同じものができたわけです。
それが、マインド・エンジンです。
これこそが、真の汎用人工知能といえるんじゃないでしょうか?
はい、今回の動画がおもしろかったら、チャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、意識の仮想世界仮説に関しては、こちらの本を参考にしてください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!