第392回 賛否両論! 意識哲学マップ


ロボマインド・プロジェクト、第392弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

人工知能学会誌で最近まで、「AI哲学マップ」って連載してました。
スクウェア・エニックスの三宅陽一郎さんが中心にまとめてたんですけど、これ、結構面白いんですよ。

こんな風に、人工知能と哲学の関係を整理してくれてるんですよ。
これ見てたら、僕も作って見たくなりました。
たぶん、僕なら、時系列じゃなくて、内容で整理しますね。
そう思って整理したら、意外ときれいに整理できました。
それも、最新の意識理論から、科学、哲学、認知科学、脳科学、言語学、さらには宗教まで、3000年以上の人類の思想史がきれいに整理できたんですよ。
そして、重要な三つのポイントが見えてきました。
たぶん、賛否両論あると思います。
本当に三つのポイントできれいにわけることができるのか、ぜひ、自分の目で確かめてください。

これが今回のテーマです。
賛否両論!
意識哲学マップ
それでは、始めましょう!

まず、大前提として、意識は脳で発生するものとします。
ただ、物質としての脳から、いかにして主観的な意識が発生するのか、ここが分かりません。
17世紀の哲学者、デカルト心身二元論を唱えました。
つまり、物理的に存在しない霊魂があって、これが心の正体としたわけです。

ただ、現代科学は、心身一元論しか認めません。
つまり、意識や心は、物理的に説明がつくものでないといけません。
そこで生まれたのが、意識とは、脳神経細胞で生じる量子効果だという量子脳理論です。
これなら、物理法則の範囲で意識が説明できますよね。
ただ、この量子脳理論、最近はあまり支持する人はいません。

メジャーな意識理論は二つあります。
一つは、グローバル・ワークスペース理論です。
視覚や聴覚から脳に入力される情報のうち、一部がグローバル・ワークスペースと呼ばれる共有空間に入って、その情報が意識に上がるという理論です。
もう一つは、意識は情報を統合したものであるという定義から出発して、それを脳に当てはめた統合情報理論です。

どちらも意識は情報処理の一種だという考えです。
つまり、脳をコンピュータとして考えたら、そこで処理される情報が意識というわけです。
これなら、物理法則の範疇にありますよね。
しかも、これらの理論は、客観的な数理モデルで表現されます。

ただ、数式を見せられても、それが本当に意識なのか、直観的に納得しにくいです。
意識って、今、僕らが、こうして感じているものですよね。
それが数式だといわれても、いまいち、ピンとこないです。

それじゃぁ、今、こうして感じてる、この意識そのものを科学で扱ったものってないんでしょうか?
あるとすれば、それは脳科学です。

たとえば脳の一部が損傷して目が見えなくなる盲視という症状があります。
盲視患者にリンゴを見せて「何が見えますか?」って聞いても「見えないのでわかりません」って答えます。
ところが、レーザーポインターで黒板を示して「光の点はどこですか?」と聞くと、ちゃんと指差しできるんです。
「なぜわかったのですか?」と聞いても「あてずっぽうで指差した」としか答えません。
本人もなぜできたのか分からないようです。
不思議な話ですけど、これは、脳の視覚経路から解明されています。

網膜からの視覚情報は後頭部の一次視覚野に送られて、そこから頭頂葉の背側視覚路と側頭葉の腹側視覚路の二つの経路に分かれます。
背側視覚路は位置や動きを分析するので「どこの経路」とも呼ばれています。
腹側視覚路は、色や形を分析するので「何の経路」とも呼ばれています。
盲視患者は、一次視覚野が損傷して物が見えなくなっています。

ところが、網膜から頭頂葉へは一次視覚野を介さずに上丘を介してつながる経路があります。
盲視患者は、この経路を使うことで「どこの経路」が生きていたと考えられます。
だから、光の点を指差すことができたわけです。
でも、「何の経路」が損傷してるので、目の前に何があるのか分からないんです。

何があるのか分からないというのは、目の前にあっても、それが意識に上らないってことです。
つまり、意識とは、「ものがある」って認識する情報処理と言えそうです。
そして、それとは別に、指差しとか、外界に反応する情報処理があるわけです。
ここから脳内の情報処理は二種類あるといえます。
一つは、「ものがある」と認識するので、これを「ある系」の情報処理と呼ぶことにします。
もう一つは、外界に反応する情報処理で、これを「反応系」の情報処理と呼ぶことにします。
そして、「ある系」の情報処理が意識に上がるようです。

もう一つ、別の例を紹介します。
これは、エビングハウス錯視という有名な錯視です。

オレンジの丸ですけど、左の方が、間違いなく大きいですよね。
この丸を、実際につまむ実験をしたんです。
どうやったかというと、同じ大きさの円のタイルを紙の上に二つ置いて、その周りに小さい円と大きい円を描いて、エビングハウス錯視と同じ状況をつくるんです。

そして、真ん中のタイルをつまんでもらいます。
このとき、センサーで親指と人差し指の間隔を正確に測定します。
すると、面白いことがわかりました。
なんと、どちらのタイルをつまむときも、親指と人差し指の開く間隔は全く同じだったそうです。

つまりね、外界に対して動作するときは、錯視が起こってないんですよ。
錯視を起こしてるのは、「〜がある」って思う意識なんです。
この実験からも、脳の中には、二つの情報処理があるって分かりますよね。
一つが、「ものがある」と意識が感じる「ある系」で、もう一つが、意識なしで外界に反応する「反応系」です。

これが今回の第一のポイントです。
「脳内には、『ある系』と『反応系』の二種類の情報処理がある」です。
そして、意識は「ある系」処理に属します。

ここで、一つの疑問が出てきました。
それは、「ものがある」って、どうやったら思えるかってことです。

反応系は、現実世界に対して直接行動していましたよね。
光の点を指差したり、タイルをつまんだり。
現実世界って、常に動いてるので、その瞬間に行動しないといけません。
素早く反応することが最優先で、考えたり、覚えておく必要はありません。
考えたり覚えたりするのは意識の役目です。
逆に言えば、反応系には意識がいらないってことです。

一方、「ものがある」って認識することは、意識は、そのものを認識してることですよね。
「リンゴがある」って認識してるってことは、目の前にあるって感じてることです。
たとえ、目を離しても、「リンゴがあった」ってことは覚えていますよね。
これが「ものがある」と認識できてるってことです。

それができるためには、現実世界のある一瞬を捉える必要があります。
つまり、世界のスナップショットを取る機能が必要なんです。
スナップショットで写し取った世界を、頭の中に作り出すんです。
それを、僕は、仮想世界と呼んでいます。
そして、意識は、その仮想世界を認識するわけです。
これなら、現実世界が変化しても、いつまでもそのことについて考えることができますよね。

これが、今回の第二のポイントです。
「意識が『~がある』と認識するには、現実世界を写し取った仮想世界が必要だ」です。
そして、意識は、この仮想世界を介して現実世界を認識します。
これが「ある系」の処理です。

ここまでを、図に示すとこんな感じになります。

上が「ある系」で下が「反応系」の情報処理です。
この二つの処理回路が脳内にあるわけです。
脳の外に現実世界があります。
現実世界にリンゴがあるとしましょう。
「ある系」の処理は、目などの知覚情報に基づいて無意識が仮想世界をつくります。
仮想世界の中に「リンゴ」が作られるわけです。
意識はこの仮想世界のリンゴを認識します。
これが、「リンゴがある」と思うことです。
意識は、リンゴを認識して、食べようと思ったら体を制御して、リンゴを食べることもできます。

「反応系」は、知覚情報に基づいて無意識が体を制御します。
たとえば、光の点を指差したり、タイルをつまんだりといった動作です。
この処理経路には意識がないですよね。
だから、意識には上がらないんです。

さて、問題は、人間の意識は、本当に、この意識モデルの通りに動いてるのかってことです。
そこで、僕らは、このモデルをコンピュータ・シミュレーションとして開発しています。
もし、それがうまく動けば、この意識モデルが正しいといえますよね。
こうやって理論を作ることを、構成論的アプローチといいます。
これも、れっきとした科学の手法の一つです。

ここで科学について考えます。
ニュートンは自然を客観的に観察することで、万有引力の法則って数学モデルを発見しました。
ガリレオは「自然は数学の言葉で書かれてる」って言いました。
数学には主観が入っていません。
つまり、数学が客観性を担保してるわけです。
これが科学の考え方です。

でも、意識って主観なので客観的に観測できません。
たとえ脳に電極を刺しても、その人が何を考えてるのか、今の脳科学じゃ読み取れません。
だから、主観は科学で扱えないんですよ。
これが今まで大きな問題となっていました。

さて、今、僕らがやってるのは、モデルをコンピュータシミュレーションで検証する構成論的アプローチです。
この場合、モデルはプログラムで書かれていますよね。
プログラムは、主観で動いてるわけじゃないですよね。
つまり、プログラムは客観です。
言い換えたらモデルの客観性は、プログラムで担保されると言えるんです。
だから、構成論的アプローチは科学なんです。

科学革命は17世紀に始まりました。
それが20世紀後半に生まれたコンピュータによって、科学の手法が拡張されたわけです。
なにが拡張されたかというと、今まで科学では扱えなかった主観や意識を科学で扱えるようになったんです。
これが今回の第三のポイントです。
「構成論的アプローチによって、意識を科学で扱う」です。

それまで意識を扱っていたのは哲学です。
構成論的アプローチを使うことで、科学と哲学、いやもっと多くのものが同列で扱うことができるようになったんです。

それじゃぁ、さっそくやってみましょう。
まずは、フッサールの現象学を取り上げます。
フッサールはもともと数学の出身で、意識とか心を、科学と同じくらい厳密に扱えないかと目論んでいました。

フッサールは、意識がリンゴをみて「リンゴだ」と思う態度を「自然的態度」と言って批判しました。
何も考えずに、いきなり「りんご」って思うのが、科学的厳密さに欠けるというわけです。
これは、「ある系」処理の意識が仮想世界のリンゴを認識するところにあたります。

でも、意識が認識する前に、現実世界のリンゴを知覚してる処理があるのは間違いないです。

その処理は、「リンゴ」と判断する以前の、赤いとか丸いとかって原始的な感覚です。
この感覚で世界を見直すべきだと言ったんです。
これこそが科学的な厳密な見方だってことです。
フッサールは、これを、「超越論的態度」と呼びました。
ただ、この超越論的態度から、「リンゴ」がいかにして生まれるかはわかりません。
わからないから、ここは一旦保留しようといいました。
この一旦保留のことを「エポケー」といいます。

客観的に観察して解明する科学の手法じゃ、確かに、ここは保留するしかないです。
フッサールの時代に、厳密に意識を扱おうとするなら、ここまでが限界なんです。
でも、僕らはコンピュータがあります。
コンピュータ・シミュレーションを使った構成論的アプローチで意識を科学で解明できるようになったんです。
これが第三のポイントでしたよね。

それでは、フッサールが一旦保留した部分を構成論的アプローチで解明していきましょう。
意識が「りんご」と認識するのは仮想世界でしたよね。
ここが第二のポイントです。

それじゃぁ、仮想世界をコンピュータでどうやって実現するか見ていきましょう。
まず、現実世界のリンゴをカメラで撮影します。
そして、そのデータを画像解析して仮想世界を作ります。
仮想世界は、たとえば3DCGで作るとすると、リンゴは3Dのリンゴオブジェクトです。
仮想世界を認識する意識プログラムは、オブジェクトをデータとして受け取ります。
だから、リンゴオブジェクトの色を取得すれば、意識プログラムは「赤」と分かります。
これが意識が感じる赤です。

赤は、現実世界では、波長約700nmの可視光です。
それを意識は、「赤い」と感じるわけです。
意識が感じるものをクオリアといいます。
この場合なら、赤のクオリアを感じたわけです。

哲学者デイヴィッド・チャーマーズは、物理的な可視光から、意識が「赤い」と、どうやって感じるかが大きな謎だと言いました。
このことを、チャーマーズは、意識のハードプロブレムと呼びました。

これ、今、解決しましたよね。
仮想世界にリンゴオブジェクトを生成することで、意識は赤のクオリアを感じることができるわけです。

そして、仮想世界のリンゴオブジェクト、これが、フッサールの現象学でいう、自然的態度です。
そして、カメラで捉えた画像から、リンゴオブジェクトを生成する過程こそが、フッサールが判断停止、エポケーした部分です。

フッサール、チャーマーズと歴代の哲学者が大いに悩んだ部分が、構成論的アプローチできれいに解決したわけです。

他も検討していきましょう。
認知科学には、ジェームズ・ギブソンのアフォーダンスって概念があります。

たとえばドアの取っ手の形を見れば、押すのか引くのか自然とわかりますよね。
環境が行動を引き出してるわけです。
このとき、引くか押すかを決めているのは無意識ですよね。
だから、これは反応系と言えます。

それから、ユクスキュルの環世界って概念があります。
環世界というのは、生物は、それぞれが持つ知覚で感じる世界を生きているっていう考えです。
この環世界は、体を使って働きかける作用で構成された世界だとユクスキュルは言います。
これって、まさに、反応系ですよね。

それから、ロボット工学にサブサンプションアーキテクチャってありますけど、これも反応系です。
それまでのロボットは、中央制御で全体を制御しようとしていましたけど、制御部が巨大になりすぎて軽やかに動きませんでした。
それに対して、ロドニー・ブルックスは、知覚を直接行動と組み合わせた単純なロボットを作りました。

足の階層は、センサーからのフィードバックで足を動かすことしか考えません。
上の階層では、ぶつかったら向きを変えろって指示しか出しません。
こんな単純な仕組みで、軽量で、驚くほど知的な行動ができるようになったんです。
ロドニー・ブルックスは、後にiRobot社を設立してルンバを世に送り出しましたけど、これにもサブサンプションアーキテクチャが組み込まれています。

昆虫は「反応系」だけで生きてるので、それをうまくロボットに落とし込んだともいえます。
それ以前の巨大な頭脳ロボットは、中央から全体をコントロールしようって思想です。
それは、意識をもった「ある系」の処理です。
「ある系」は仮想世界という概念を導入しないとうまく動かないので、うまく行かないからプログラムが巨大化して頭脳がどんどん大きくなっていったんでしょう。

それじゃぁ、最初に紹介したグローバル・ワークスペース理論や統合情報理論はどうでしょう?
これらは、知覚からの情報をまとめるのが意識という理論なので、強いて描けばこのあたりだけの理論となりますよね。

「ある系」と「反応系」って概念をもってないので、両方にまたがる感じです。
今のところ、これらの理論から、「リンゴがある」って認識する意識は生まれてないようです。
仮想世界って概念を持たない限り、「ものがある」って認識が生まれるのは難しいと思います。

同じ系列で、最近は、フリストンの自由エネルギー原理が人気です。

これは、生物は、変分自由エネルギーというコスト関数をもっているという考えです。
そして、外界からの知覚入力と行動の結果から、自由エネルギーが最小となるように学習するというモデルです。
これ、知覚と行動の学習なので、明らかに反応系ですよね。

反応系なので、意識が生まれることは難しいと思います。

次は、視点を変えて言語について考えてみます。
たとえばチョムスキーは、ヒトは、文をこんな風に単語に分解して解析する文法を生まれつき持ってると考えました。

それを普遍文法と言います。
ただ、残念ながら、普遍文法はまだ見つかっていませんし、今では、普遍文法はあまり人気がありません。
なぜだか、わかりますか?

それは、人間が普遍的に持ってるのは文法じゃないからです。
じゃぁ、生まれつき持ってるのは何でしょう?
それは、仮想世界を使って世界を認識するということです。
仮想世界を無視して、単語の並び替えの規則だけ探そうとしても、見つからないわけです。

言語といえば、言葉が現実世界に着地しない記号接地問題があります。
テキストデータの単語だけ操作しても、現実世界を永久に理解できないってことです。
大量の文書を学習してるChatGPTも記号接地していません。
それじゃぁ、この問題は解決されたんでしょうか?

「ある系」の処理の流れを見るとわかりますけど、現実世界のリンゴから仮想世界のリンゴオブジェクトが作られましたよね。
そして、リンゴオブジェクトが最終的に「リンゴ」って単語になるわけです。

言葉が、ちゃんと現実世界に着地してますよね。

最後は、宗教について考えてみましょう。
仏教に唯識って考えがあります。
唯識では、外界にある対象を知覚したら、その一瞬のちに、それが心の中に像として出現すると言います。

この像を生み出してるのが阿頼耶識です。
これ、無意識が仮想世界を作りだすのと全く同じことを言ってますよね。
唯識は「ある系」の中の仮想世界を生成する直前を追及してたわけです。

一方キリスト教だと、ヨハネの福音書は、「はじめに言葉がありき」ではじまります。
ここでいう言葉は、正確にはロゴスです。
ロゴスというのは、論理的に語られたものとか、世界を構成する論理といったものです。
論理的な世界があって、それを表現したのが言葉というわけです。

これは、仮想世界とそこから生まれた言語の部分を、全ての始まりと言ってるわけです。
仮想世界っていうのは、今回のシステムでは3DCGで作りました。
3DCGは、物理シミュレータとしても機能します。
だから、リンゴが落ちるとかって、物理世界を正確に再現することができます。
実は、仮想世界っていうのは三次元の物理世界だけじゃありません。
人間関係とか、物の所有関係とかあらゆる関係の世界を再現できます。
これは、言ってみれば、世界の背景にある論理構造を再現してるわけです。
ロゴスとは、このことを指してるわけです。
キリスト教が考える世界の基盤がロゴスというのは、まさに、仮想世界のことです。

キリスト教も仏教も、どちらも世界の基盤を仮想世界としているわけです。
そのうち仏教は、仮想世界が生成される直前に注目して、キリスト教は、仮想世界の論理構造に注目してるというわけです。

どちらも、「ある系」の最も重要な概念、仮想世界に重きを置いてるのは間違いないです。
だから、今日まで続く世界宗教となれたんでしょう。

最後に三つのポイントを整理します。
第一のポイントは、「脳内には、『ある系』と『反応系』の二種類の情報処理がある」です。
第二のポイントは、「意識が『~がある』と認識するには、現実世界を写し取った仮想世界が必要だ」です。
第三のポイントは、「構成論的アプローチによって、意識を科学で扱う」です。

この三つのポイントで、宗教から哲学、科学まで全てきれいに整理できました。
何千年とバラバラになっていたものが、こうして一つに統合されました。

おそらく、専門家からは、細かい反論があるかもしれません。
でも、広い視点を持ってる方なら、いろいろ気づきがあると思います。
こういった話に興味がありそうな人がいたら、ぜひ、この動画を紹介してもらってください。
いろんな人の意見を聞きたいと思っています。

はい、今回の動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、今回の話の中心となってる意識の仮想世界仮説に関しては、こちらの本で分かりやすく説明してますので、よかったらこちらも読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!