ロボマインド・プロジェクト、第394弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
最近、心の哲学について、改めて調べてます。
単に心を扱う哲学ならギリシャ時代からありましたけど、「心の哲学」っていう場合、主に20世紀後半に現れた心や意識を対象とします。
たとえば、このチャンネルでも何度も取り上げた哲学的ゾンビの思考実験とかが有名です。
この心や意識って、哲学だけじゃなくて、科学でも、まだ解明されていませんよね。
そこで、まず、今までの心の哲学を整理してみたんですよ。
そうしたら、なぜ、意識は科学で解明できないのかが見えてきました。
そこがわかると、どうやったら意識を科学で解明できるかも見えてきます。
ただ、心の哲学って、ほんと、何を言ってるのか分からないのが多いんですよ。
でも、何を問題にしてるのかさえ見えれば、だいたい言いたいことは見えてきます。
そこで、今回は、今までの心の哲学を、超絶分かりやすく解説することにします。
これが今回のテーマです。
小学生でもわかる心の哲学①
何が問題か
それでは、始めましょう!
心の哲学といえば、スタートは心脳同一説です。
心脳同一説というのは、心と脳は一対一に対応するって考え方です。
つまり、心の機能は脳の神経細胞に対応してるって考えです。
このニューロンはおばあちゃんで、このニューロンが消えると、おばあちゃんの思い出が消えるとか。
このニューロンは痛みで、このニューロンは喜びとか。
心で感じることは、すべて脳細胞に一対一に対応するって考えです。
これって、まさに科学の考え方ですよね。
つまり、物質を要素に分解して解明するって考えです。
心の場合、それがニューロンってわけです。
または、心は、精密な機械時計ってイメージです。
ただ、この考え、すぐに否定されました。
もし脳が精密な機械時計なら、全ての人の脳が脳細胞レベルで同じはずです。
歯車一つ違うと、違う動きになってしまいます。
でも、脳細胞レベルで見たら、一人一人の脳は違いますよね。
でも、同じように感じます。
それどころか、人間の脳とかなり違うイヌやサルも、ヒトと同じ痛いって感覚を持っています。
脳細胞は同じでなくても、同じ機能は持っているようです。
そこで次に考えられたのが機能主義です。
これは、脳には、痛みの機能とか、喜びの機能があると考えるわけです。
これだと、脳が違っても同じような感覚を持てますよね。
イヌやサルの脳でも痛みを感じられるわけです。
ただ、この機能主義にも問題があります。
たとえば、こうやって手の甲をつねると痛いって感じますよね。
「痛い」といって、手を引っ込めたりします。
同じように「痛い」といって手を引っ込めるゾンビがいたとしましょう。
見た目は全く同じ動きをしますけど、ただ一つ違うところがあります。
それは、そのゾンビは意識がなくて、痛いとも感じていないことです。
でも、「痛い」といったり、痛そうな顔をします。
これが哲学的ゾンビという思考実験です。
何が言いたいかというと、機能主義で「痛い」とか「嬉しい」を実現するロボットを作ったとしても、それだけじゃ、本当に意識があるとは言えないってことです。
これ、昔は単なる思考実験でしたけど、今は、かなり現実味を帯びてきました。
たとえばChatGPTです。
ChatGPTって、大量の文書を学習して、文が入力されたら、それに続く自然な文章を出力します。
まるで言葉を理解して会話してるように感じます。
このChatGPTを拡張してロボットに搭載したとしましょ。
人間のあらゆる行動を学習させたら、まさに、哲学的ゾンビができますよね。
手の甲をつねられたら、痛そうな顔をして、「痛い」って言いながら手を引っ込めます。
でも、そのロボットは、動作を真似ただけで、痛いとは感じてないんです。
つまり、意識をもってないロボットです。
じゃぁ、意識を持ってるといえるには何が必要なんでしょう?
ここでもう一つの思考実験を紹介します。
それは、哲学者トマス・ネーゲルの1974年の論文「コウモリであるとはどのようなことか」です。
コウモリって、口から超音波を出して、反射音を聴いて障害物を検知します。
目の前に壁があるとか、音で感じるわけです。
でも、僕らは、壁があるかは、目で見て判断しますよね。
じゃぁ、もし、コウモリになったとしたら、壁は聞こえるものなんでしょうか?
それとも、見えるものなんでしょうか?
これが、コウモリの思考実験です。
コウモリになった最初は戸惑うと思いますけど、たぶん、だんだん、慣れてくると思います。
これ、適当なこと言ってるわけじゃないです。
逆さ眼鏡の実験ってのがあります。
上下逆さまに見えるメガネをかけて過ごすんです。
ペットボトルから出た水は下から上に上がって見えます。
最初は、誰でも戸惑って、まっすぐ歩くのも難しいそうですけど、1週間もかけてたら慣れて、自転車にも乗れるようになるそうです。
だからね、たぶん、コウモリになったとしても、1週間ぐらいで慣れると思うんですよ。
次に、この実験の意味を考えてみます。
哲学的ゾンビの思考実験で言いたかったのは、意識が感じる内面が重要だってことです。
それは、痛いとか、赤いって意識が感じる感覚です。
意識が感じる感覚をクオリアといいます。
でも、哲学的ゾンビは、クオリアを感じません。
つまり、クオリアを感じなくても見た目、人間と同じように行動するゾンビやロボットは作れるっていうことです。
コウモリの思考実験は、この内面で感じることを、より具体的に考えさせるものです。
コウモリになった人が、当たり前のように空を飛べるようになったとします。
その頃は、もう、人間時代、どうやってたか思い出せないわけです。
「昔は、壁があるって、目で見てたよなぁ。
あれって、どうやってたんやろ?」とかって思うんです。
さて、今、何が起こったか分かりますか?
意識は、人間時代も、コウモリになってからも、同じように感じてるわけです。
じゃぁ、何を同じように感じてるんでしょう?
それは、壁があるってことですよね。
じゃぁ、変わったのは何でしょう?
それは、昔は目で「壁がある」って感じてたのを、今は、耳で感じてるわけです。
つまり、人間もコウモリも「壁がある」って感じるのは同じです。
ただ、何で感じるかが違うわけです。
「壁がある」とか「ものがある」とかって、どういうことかというと、一言で言うと「世界が存在する」って感じてることですよね。
世界があって、その中に壁とか机とかあって、自分は、この世界にいるって感じてるわけです。
目で見るか、耳で聞くかは知覚です。
そこから、「ものがある」って世界が作られるわけです。
これは、言ってみれば低次の知覚から高次の世界が作られたとも言えます。
そして、意識が認識するのは、この高次の世界と言えそうです。
整理しますよ。
心脳同一説は、心と脳は一対一に対応するって考えです。
脳細胞レベルで心を組み立てるってイメージです。
これは、物理法則で完全に説明できます。
これを、第一段階の心のモデルとしましょう。
次の機能主義は、心の機能をコンピュータプログラムで実現するイメージです。
言い換えたら、心は情報処理といえます。
物理世界から一段、上に上がりました。
これを、第二段階の心のモデルと呼ぶことにします。
さて、第二段階の心のモデルでロボットを作ったとしましょ。
見た目は人間と全く同じように動きます。
でも、意識が有るタイプと無いタイプの二種類ができました。
じゃぁ、意識のあるなしの違いはなんでしょう?
それは、感覚を感じるかどうかです。
単に外の世界をセンサーで知覚するだけじゃ、意識のあるなしの違いは生まれません。
センサーからの知覚データで、モーターを動かすだけのロボットが意識がないロボットです。
知覚データで直接モーターを動かすんじゃなくて、知覚データを、一旦、感じるプログラムを置くんです。
そのプログラムが意識です。
そして、意識プログラムが受け取る知覚データのことをクオリアといいます。
たとえば、痛みのクオリアです。
そして、次の思考実験がコウモリです。
コウモリになったとき、意識は、何を感じましたか?
それは、超音波で「壁がある」って感じましたよね。
超音波って音なので、「壁がある」って耳で感じるわけです。
それは、人間時代、目で見て感じてたものですよね。
ただ、どちらも、最終的には「壁がある」って感じるわけです。
「ものがある」「世界がある」って意識は感じるわけです。
つまり、ヒトもコウモリも、最終的には「世界がある」って感じるわけです。
逆に言えば、世界があるって感じるように知覚からの情報を処理してるわけです。
世界が音を基にして作られるか、光を基にして作られるかは、それほど重要じゃありません。
重要なのは、それらを基に世界を作るってことです。
だから、いずれの方法でも、意識は、「世界がある」って感じられるんです。
これが第三段階の心のモデルです。
じゃぁ、第二段階と第三段階の本質的な違いは、何かわかりますか?
たとえば、手の甲をつねったら、手の甲に痛みを感じるでしょ。
それと同じように、まぶしいって光は目で感じるでしょ。
だから思わず目をつむります。
大音量でうるさいと感じたら、耳をふさぐでしょ。
これが第二段階の意識の感じ方です。
でも、ここに壁があるって見えても、壁が眼球に張り付いてると感じるわけじゃないでしょ。
壁をコンコンって叩いて音が聞こえても、耳から音が聞こえると感じないでしょ。
壁から音が聞こえるって感じるでしょ。
壁があるとか、壁から音が聞こえるとかって、これ、どういうことか分かりますか?
これは、直接知覚してるわけじゃないってことです。
だって、直接知覚してたら、眼球とか鼓膜で感じるはずです。
そうじゃなくて、離れたとこに壁があるとか、音が出てるって意識が感じるのは、現実を直接知覚してないってことです。
意識が感じてる壁は、頭の中に仮想的に作られた壁です。
それは、頭の中の仮想空間に作られた壁です。
でも、そんなこと、思ったことないでしょ。
直接知覚じゃなくて、知覚から仮想的に作られた世界を認識する仕組み。
それが第三段階の意識です。
そして、頭の中で作られた世界って、もう、物理世界じゃありません。
でも、科学が対象とするのは物理世界ですよね。
こう考えると科学が扱えるのは第一段階、つまり物理法則に完全に則った心にかぎりますよね。
たとえば、今、AIの主流はディープラーニングです。
ディープラーニングはニューラルネットワークを基にしています。
ニューラルネットワークは、ニューロンをモデルにした数理モデルです。
そして、心はニューロンレベルで解明できるとするのが心脳同一説でしたよね。
つまり、ディープラーニングで実現できる心は、第一段階の心となります。
そして、これは旧来の科学で解明できるものです。
ただし、ディープラーニングをいくら学習させても、第三段階の意識にはなりません。
ということは、第三段階の意識を解明するには、旧来の科学から離脱しないといけないってなりますよね。
かといって、魂とか霊とかもちだしたらオカルトになってしまいます。
それは、もう科学じゃありません。
じゃぁ、どうすればいいんでしょう?
いいですか。
今、問題となってるのは、旧来の科学じゃ、第三段階の意識は解明できないってことですよね。
なぜかというと、旧来の科学が対象とするのは自然界に物理的に存在する世界だからです。
でも、第三段階の意識が認識する世界は、情報で作られた仮想世界です。
ということは今必要とするのは、扱う対象が自然界でなくても対応できて、かつ、科学の手法を使って解明する方法です。
はたして、そんな方法が存在するのでしょうか?
それは、一つだけあります。
ただ、ちょっと長くなりましたので、その方法は次回、詳しく説明します。
はい、今回の動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、意識が認識する仮想世界に関しては、こちらの本で詳しく解説してますので、よかったら読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!