ロボマインド・プロジェクト、第395弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
前回、第394回「小学生でもわかる心の哲学①」で心の哲学を分かりやすく解説しました。
心の哲学というのは、心や意識を扱う哲学の分野で、主に20世紀後半に出てきたものを指します。
心を哲学で扱うなんて、ギリシャ時代からありましたけど、なんで20世紀後半に新たに出てきたんでしょう?
それは、コンピュータと人工知能の発明です。
それまでは、知的な活動ができるのは人間だけでした。
それがコンピュータが発明されて、人工知能が生まれると、チェスができるようになって、人間のチェスチャンピオンにも勝つようになりました。
最近だと、ChatGPTは、自然な会話ができるようになりました。
こうなったら、「心や意識って人間だけが持つもの?」って疑問が当然出てきます。
実際、ChatGPTは、もうすでに心や意識を持ってるんじゃないかって思ってる人もいます。
そこまで言わなくても、ChatGPTは言葉の意味を理解してると思ってる人は結構います。
ただ、僕が知る限り、そう言ってるのはAI業界の人だけのようです。
哲学とか、認知科学、脳科学、言語学、心理学をやってる人で、ChatGPTが人間と同じ心や意識を持ってると言ってる人は聞いたことがありません。
まぁ、どう思うかはその人の勝手ですけど、心や意識を科学的に解明する方法を考えておく必要があると思うんですよ。
ただ、心や意識は科学だけに収まる話じゃありません。
そこで、前回は、心の哲学で取り上げられる意識の問題を整理したわけです。
そして、今回は、いよいよ、これらを、どうやって科学で解明するかの話となります。
今回の話、最後に、面白いものをお見せします。
これを見れば、なるほど、意識を科学で扱うって、こういうことかって、誰もが納得すると思います。
これが今回のテーマです。
小学生でもわかる心の哲学②
科学で解明編
それでは、始めましょう!
まず、前回のおさらいです。
最初に取り上げたのが心脳同一説です。
これは、神経細胞単位で全く同じ脳を作れば心が生まれるという考えです。
これ、正しいとは思いますけど、脳からしか心は生まれないってのが、ちょっと厳しすぎます。
そこで、もうちょっと緩くして、同じ機能を持てば心といっていいんじゃないかって考えがでてきました。
これが機能主義です。
機能主義は、同じ機能が生まれれば心といってもいいので、プログラムで意識や心を作ることも含まれます。
さて、心や意識のプログラムを作ってロボットに搭載したとします。
ただ、人間と同じ反応をしたからと言って、本当に意識があると言えるのかって問題があります。
たとえば、ロボットが「痛い」と言ったからと言っても、痛いと感じてないかもしれません。
痛いと感じる意識がなくても、つねられて「痛い」というロボットは作れます。
これが、デイヴィッド・チャーマーズのいう哲学的ゾンビです。
チャーマーズが言いたかったのは、意識があるかどうかは見た目だけじゃわからないってことです。
意識が感じるものをクオリアといいます。
赤いとか痛いとかがクオリアです。
意識がクオリアを感じることが主観的な経験というわけです。
じゃぁ、意識は、具体的に、どんな処理をしてるんでしょう?
それを考えるのが、コウモリになった思考実験です。
コウモリは口から出した超音波の反射音を耳で聞いて、周りの状況を把握します。
人間なら、周りの状況は目で見て把握しますよね。
この思考実験で分かるのは、目で見たことか、耳で聞こえたことかって知覚はそれほど重要じゃないってことです。
それより重要なのは、ものがあるって感じることです。
もっと言えば、世界が存在するって感じることです。
目や耳の知覚は、意識が認識する世界を作るための手段に過ぎないってことです。
以上が前回取り上げた話ですけど、あと一つ、重要な問題を追加します。
それは、意識の統一性です。
たとえばリンゴを見たとき、赤いとか丸いとかって感じますよね。
これは脳の中で色を分析したり、形を分析したりしてるからです。
脳は、こうやって知覚情報を分解して分析します。
でも、僕らがリンゴを見たとき、赤い色だけとか、丸い形だけを感じることはないですよね。
必ずリンゴの赤、リンゴの丸い形って統一して感じられます。
これが意識の統一性です。
それから、今見えてる光景は、全体をまとまって感じられますよね。
たとえば、見えてる世界の右半分だけ経験して、左半分は経験しないでおこうなんて思ってもできません。
いくら思っても、左の世界だけが消えることはないです。
自分が経験することなのに、右だけとかって選べないのは、考えたら不思議なんですよ。
これが意識の統一性の問題です。
さて、以上の問題を踏まえて、意識を科学で扱えるか検討していきます。
その前に、科学とはどういうものかから考えます。
科学で最初にするのは観測です。
そして、観測結果から仮説やモデルを考えます。
たとえば、地球は太陽の周りをまわってるって仮説が地動説です。
次に、その仮説をつかって予測します。
そして、予測が正しければ、その仮説が正しいと言えます。
天体の動きを正しく予測できれば、地動説が正しいと証明されるわけです。
それから重要なのは、誰でも観測できないと意味がありません。
誰でも再現できること、これが客観性で、これが科学で一番重要なことです。
さらに、その仮説を数式で記述できれば完璧です。
ガリレオは、「自然は数学の言葉で書かれている」と言いました。
数式というのは完全な客観ですよね。
つまり、数式で記述することで客観性がさらに担保されたわけです。
誰でも検証できて、さらに数式で記述する。
こうやって、可能な限り客観性を重視します。
これが科学の考え方です。
ただ、意識はそう簡単にはいきません。
なぜなら、心の中で感じてることなので、外から観察できません。
客観的に観察できないんです。
客観的に観測できない限り科学の対象にすらなり得ません。
これが一番の問題です。
それじゃぁ、意識を科学で扱う方法はないんでしょうか?
実は、方法が一つだけあります。
それを、構成論的アプローチと言います。
構成論的アプローチというのは、一言で言えば、仮説モデルをコンピュータ・シミュレーションで動かして解明する科学の手法です。
今の場合、観測したいのは、意識がどのように感じてるかですよね。
これは、客観的に観測できません。
でも、意識モデルをコンピュータシミュレーションで動かすことは可能ですよね。
コンピュータで動かすってことは、どんなデータを受け取って、どんな処理してって観測することができるわけです。
つまり、客観的に観測できるわけです。
これが、意識を科学で扱う唯一の方法、構成論的アプローチです。
さて、それじゃぁ、具体的に見ていきましょう。
まずは、モデルを作成するための仮説が必要です。
ここでは、僕が提案している意識の仮想世界仮説を使います。
人は、目で見た世界を頭の中で仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して世界を認識します。
これが意識の仮想世界仮説です。
これを組み込んだシステムを図にするとこんな感じです。
目の前にリンゴがあるとします。
これが現実世界です。
それをカメラなどの知覚センサーからのデータを基に仮想世界を生成します。
生成するのは無意識です。
仮想世界は、たとえば3DCGで作ります。
三次元空間に3Dオブジェクトのリンゴを生成するわけです。
意識プログラムは、このリンゴオブジェクトを受け取ります。
これが、意識がリンゴを認識したということです。
意識プログラムは、リンゴを認識して、どうしようかと考えることができます。
手でつかむと決めれば、体を制御して、リンゴを手でつかみます。
さて、このシステムを実際に作って、意識問題を検証していくとします。
意識プログラムは、仮想世界のオブジェクトを認識しますよね。
オブジェクトは色とか形、位置といったデータを持ってます。
これは無意識が知覚センサーからのデータを基にして作るわけです。
知覚センサーはカメラだけでなくて超音波距離センサーや触覚センサーもあります。
カメラからの画像データを画像解析して色や形を分析します。
距離センサーから位置を分析します。
そして、これらを基にリンゴオブジェクトを生成します。
オブジェクトというのは、オブジェクト指向プログラミングのオブジェクトと同じでプロパティを持ちます。
リンゴオブジェクトなら、プロパティとして、色が赤いとか、形は丸いとか、目の前1mの位置にあるとかってなります。
それではこれを心の哲学で取り上げた意識に当てはめてみましょう。
まず、仮想世界に作られたオブジェクト。
これは意識が認識するものなのでクオリアに当たりますよね。
それからオブジェクトは、色や形、位置といったデータをまとめたものです。
これらのデータは別々に解析されたものですけど、最終的にオブジェクトとして一つにまとめられます。
そして、オブジェクトが配置されるのは仮想世界です。
目の前の現実世界を認識するときは、背景となる仮想世界は三次元空間です。
三次元空間にオブジェクトが配置されるというのは、三次元空間がオブジェクトの位置関係を管理してるわけです。
心の哲学の問題で意識の統一性の問題ってありましたよね。
意識が認識するものは、なぜ、一つにまとまって認識されるのかって問題です。
これも、今、解決しましたよね。
色や形は別々に解析されたとしても、意識が認識するのはオブジェクトです。
オブジェクトのプロパティだけ取り出して認識することはできません。
たとえ色を認識するときも、かならず、リンゴの色という形でオブジェクトの一部という形でしか認識できないからです。
それから、仮想世界は背景の三次元空間にオブジェクトが配置されますよね。
目の前の世界全体を認識するとき、背景となってる三次元空間を通して認識するわけです。
だから統合された全体として認識されるわけです。
仮想世界を作ってるのは無意識です。
無意識が作った世界を意識が変更することはできません。
たとえば、今見てる世界の右半分だけ経験したいと思っても、左半分を消すとかできないわけです。
なんでできないかっていうと、そういう風にシステムが作られてるからです。
そういったシステムだから、意識の統一性が起こるわけです。
つぎは、コウモリの思考実験を考えましょう。
コウモリは超音波で物体の位置を判断します。
無意識は知覚情報を基に仮想世界をつくって、意識はそれを認識します。
ただし、意識は、仮想世界がどの知覚から作られたかどうかは分かりません。
できるのは、オブジェクトのデータにアクセスするだけです。
だから、壁オブジェクトの位置データを見れば、3m先に壁があるとかってわかるわけです。
これがヒトがコウモリになったとき感じる意識です。
もしかしたら、なんか違うなぁと思うかもしれませんけど、たぶん、すぐに慣れます。
それは、世界があるって認識する意識の認識の仕方がコウモリも人間も同じだからです。
最後は哲学的ゾンビについて考えます。
触覚センサーは痛みも感じます。
無意識が痛みを検知すると仮想世界に痛みオブジェクトを生成して、意識はこれを感じます。
仮想世界には自分の体も作られていて、痛みオブジェクトは痛みを感じた体の位置に生成されます。
オブジェクトは色などのプロパティを持っていますよね。
意識はこのプロパティを受け取って、赤い色とかって感じます。
これが赤のクオリアです。
同じように痛みのクオリアもあるわけです。
たとえば10段階の痛みの度合いがあって、痛み1が、ちょっと痛いぐらいで、痛み10は我慢できないぐらいの痛みとかです。
痛みの種類も針でさしたようなチクっとした痛みだとか、ヒリヒリする痛みとかいろんな種類があるわけです。
これは、赤とか青とかいろんな色があるのと同じです。
重要なのは、意識が、これらの色や痛みの種類を区別できるってことです。
これが主観的な経験です。
そして、痛みの度合いが大きいと、それを取り除きたいと思うわけです。
たとえば、手の甲をつねられて、痛いと感じたら、「痛い!」と叫んで、思わず手を引っ込めたりします。
今、意識プログラムが痛みを感じて行動したわけですよね。
ちゃんと内側に意識があるわけです。
つまり、このシステムは哲学的ゾンビじゃないんです。
しかも、これ、全て観測可能です。
プログラムは開発環境を使って開発します。
開発環境にはデバッグモードっていうのがあります。
これがデバッグモードです。
Dim 痛み = New Itami()
ってありますよね。
ここで「痛みオブジェクト」を生成したわけです。
この「痛み」のところにカーソルを持って行くと、「痛みオブジェクト」の中のプロパティが見れます。
見てみると、痛みの「度合い」が3で、痛みの「種類」が「チク」っとなっていますよね。
いま、何を見てるか分かりますか?
これ、意識プログラムが受け取った痛みの中身を観測したんですよ。
つまり、主観的な経験を、客観的に観測したわけです。
これの意味、わかりますか?
主観的な経験って、今まで、観測不可能だったじゃないですか。
それを、「痛みの度合い」は3って客観的に観測できるようになったんですよ。
しかも、コンピュータのシステムなので、これ、誰が実行しても同じ結果となりますよね。
誰もが観測、検証できるわけです。
科学の最も重要な客観性をクリアしてますよね。
さらに、これらはプログラムで記述されています。
ガリレオの言葉を借りれば、「心はプログラム言語で書かれている」と言えます。
プログラムが心の客観性を担保してるわけです。
科学に必要なステップを全て備えていますよね。
ねぇ、今まで扱えなかった意識を科学で扱えるようになったでしょ。
これって、考えたらすごいことです。
17世紀に始まった科学は、主観を排除することで発展してきました。
その時から、科学と哲学が分離したわけです。
そのおかげで科学は発展しましたけど、心や意識といったものが置いてきぼりになりました。
それが、今、科学と哲学が、再び融合したんです。
科学の持つ精密さで意識や心を解明することができるようになったんです。
これが、21世紀の科学です。
新しい科学の誕生です。
これをやってるのがロボマインド・プロジェクトです。
ぜひ、ロボマインド・プロジェクトを応援してください。
はい、今回の動画がおもしろかったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、今回取り上げた意識の仮想世界仮説に関しては、こちらの本で詳しく解説していますのでよかったら読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!