第400回 時間を持たない民族 アモンダワ族


ロボマインド・プロジェクト、第400弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

記念すべき、400回です。
さて、最近、時間についてずっと考えています。
時間と言えば、このチャンネルの人気動画で、第139回で取り上げた、過去も未来も持たない民族、ピダハンを思い出します。

時間に関して調べていたら、他にも、時間って概念を持ってない民族が見つかりました。
アモンダワ族っていいます。

アモンダワ族は、アマゾンの熱帯雨林に住む先住民で、1986年まで西洋文明と接触がなかったそうです。

彼らは時間という概念を持ってなくて、「来週」や「去年」って言葉をもってないそうです。

強いて時間に関する言葉をあげれば、昼と夜、雨季と乾季の区別があるぐらいだそうです。
でも、よく考えたら、これは時間を表す言葉じゃないですよ。
昼は太陽がでて明るい時間帯で、夜は太陽が沈んだ暗い時間帯です。
雨季は雨が降り続ける状態で、乾季は雨が降らない期間です。
メインの意味は、明るいか暗いか、雨が降るか降らないかって具体的な状態です。

時間って概念、そのものがありません。
「もうすぐ試験だ」とか「ずっと忙しい」なんて言い方ができません。
ピダハンもそうでしたけど、時間って概念を持ってないから、時間に縛られることがありません。
ものすごく自由に生きています。
正直、羨ましいです。

じゃぁ、彼らは時間を理解できない脳の構造をしてるんでしょうか?
いや、そういうわけじゃありません。
他の言語を学ぶと、ちゃんと時間を理解できます。

別の見方をすると、言語が思考を決めていると言えますよね。
これ、言語学では、サピア=ウォーフの仮説っていいます。

この仮説、言語学で長年議論されてていまだに結論がでていません。
これが今回のテーマです。

時間を持たないアモンダワ族とサピア=ウォーフ仮説
それでは、始めましょう!

サピア=ウォーフ仮説は、エドワード・サピアと、その弟子、ベンジャミン・リー・ウォーフが唱えた説です。

言語が思考を決めるという考えは古くからあって、たとえばヨーロッパを統一したローマ皇帝、カール大帝は、「第二の言語を持つと言うことは、第二の魂をもつことだ」って言いました。
これ、まさに言語が思考を決めてるって考えですよね。

その逆の考えも古くからあります。
たとえばシェイクスピアはロミオとジュリエットで、ジュリエットにこう言わせてます。
「名前って何? たとえバラを別の名前で呼んだところで、美しい香りはそのままだ」って。
これは、言語で思考が変わることはないってことを言ってます。

つまり、言語が先か、思考が先かって議論で、サピアとウォーフは言語が先だと主張したわけです。
それが、1950年代に入ると、この説が否定されるようになりました。
その急先鋒は、言語学者のチョムスキーです。
チョムスキーは、「人間が生まれつきもっているのは文法だ」といって普遍文法を唱えました。
つまり、言語以前に文法を持っているというのがチョムスキーの考えです。
ただ、最近は、普遍文法を支持する人は少なくなってきています。

その一方、サピア=ウォーフの仮説を支持する証拠が世界中で発見されています。

たとえば、オーストラリアのアボリジニ、グーグ・イミディル語には右と左って言葉がありません。
そのかわりに、全て、東西南北で表現します。
つまり、右手左手の代わりに、東側の手、西側の手って言い方をします。
だから、後ろを向いたら、こっちが東側の手、こっちが西側の手となります。

これはややこしいですよねぇ。
この人たちに面白い実験をしました。
まず、木の右に人が立ってる本を見せます。

そして、「人はどこに立っていますか?」って質問します。

すると、「木の東側」って答えました。
次に、本を90度回転させて、同じ質問をします。

すると、今度は「木の南側」って答えるんです。

いやぁ、たしかに、言語が思考を決定してますよね。

他の例も紹介します。

これはどれも青色ですよね。
でも、ロシア人にとったら、左側の薄い青と、右の濃い青じゃ、別の名前がついてるんですよ。
左から順番に見せていくと、真ん中で、はっきりと、色が変わったって感じるそうです。
これは、脳を観察しても観測されるそうです。

じゃぁ、なんで、僕らが感じない色の境界を、なんでロシア人は感じるんでしょう?

それは、色に名前を付けたからです。

つまり、名前を付けることで、はっきりと意識するようになったわけです。
名前を付けることで、思考できるようになったんです。
つまり、言語が思考を決定してるわけです。

ここで、注意してほしいのは、僕らも、色の変化には気付いてるはずです。
ただ、名前を付けてないから区切りを意識しないってことです。

ここで、ピダハンを思い出します。
ピダハン語に「イビピーオ」という言葉があります。
これは、たとえばカヌーで遠くから村に人がやってきたとき、カヌーが見えたとき、子どもたちが「イビピーオ」って叫びます。
帰るときも、村から見えなくなるとき「イビピーオ」って叫ぶそうです。

ピダハンは、過去とか未来とかって概念を持ってなくて、今、この世界しか認識しません。
ピダハンが認識する世界って時間的な今だけじゃなくて、空間的なここでもあるんです。
しかも、はっきりと境界があるんです。
その境界がイビピーオなんです。
ピダハンに取ったら、自分らの世界か、そうでないかってことがものすごく重要なんです。
常に、どこが自分らの世界の境界かってことを気にしてるんです。
だから、境界を越えて、自分等の世界に入ったり、出たりするとき、「あっ、境界を超えた」って思うんです。
それが「イビピーオ」です。

僕らは、どこまでがこの世界かとかって、考えたことないでしょ。
というか、見えなくても世界はずっと遠くまで続いてるって思っています。
同じ光景を見ても、ピダハンには、はっきりと境界があるって感じてるんですよ。
なんでそんな境界を感じるかっていうと、「イビピーオ」って名前を付けたからです。
名前を付けることで、今まで意識してなかったものがはっきりと意識されるようになるんです。

そんな名前を付ける天才が、松本人志です。
「逆切れ」とか、「ドヤ顔」って言葉を生み出したのはまっちゃんです。
怒られてる側が、「なんで、俺ばっかり怒られなあかんねん!」とかって逆に怒り返してくることは昔からありました。
これ、なんかおかしない?ってもやもやしてたわけです。
それに「逆切れ」って言葉を名付けたんです。

体育の時間とかで、クラスの人気者が、サッカーとかバスケで得点を決めたとき、やってやったって顔するわけです。
あれ、なんかむかつくなぁって思ってたわけです。
それに「ドヤ顔」って名付けたわけです。

無意識で感じてたもやもやに名前を付けることで、「それや」ってすっきりしたわけです。
この瞬間、新しい言葉が生まれたんです。

何が言いたいかというと、何でもいいから名前を付けたらいいってわけじゃないってことです。
はっきりと意識されないけど、無意識で、なんか感じてたものがあるわけです。
それがあるから、名前を付けたとき、「それや」ってなるんです。

重要なのは、無意識で感じてたものです。
意識は、世界を認識してるわけです。
言葉になる前に認識する世界があるわけです。
そして、認識した世界のうち、どこかに線引きして切り出して名前を付けるわけです。

サピア=ウォーフの仮説っていうのは、まず言語があって、言語が思考を決めるって考えです。
チョムスキーの普遍文法は、まず文法があって、文法が言語を作りだすって考えです。
僕の考えは、そのどちらでもありません。
僕の考えは、言語とか文法とか、それよりももっと先にあるものがあるって考えです。
それが何かというと、世界です。
意識が認識する世界です。
これこそが、人類が共通して持ってる普遍的なものです。

文化によって異なるのは、その世界をどんなふうに区切って名前を付けるかです。
そして、それが、言語というわけです。

じゃぁ、意識が認識する世界って、どういう仕組みでできてるんでしょう?
これに対して、僕は、意識の仮想世界仮説を提唱しています。

人は、目で見た現実世界を頭の中で仮想世界として構築します。
意識は、仮想世界を介して現実世界を認識します。
これが意識の仮想世界仮説です。

分かりやすく説明すると、仮想世界というのは、コンピュータなら3DCGで作るのと同じです。
カメラでリンゴを撮影したら、画像解析して3Dオブジェクトのリンゴを生成します。
リンゴオブジェクトは、形とか色といったデータを持っています。
だから、リンゴオブジェクトを認識する意識は、リンゴを見て丸いとか赤いと感じることができます。

ピダハンは時間だけでなくて、色とか抽象的な言葉も持っていません。
かといって、色を認識できないわけじゃありません。
じゃぁ、赤とか緑を表現するとき、どうするでしょう?
それは、赤なら「血みたいな色」って言います。
緑なら、「熟してない実の色」って言います。
つまり、「血」とか「実」とか具体的な物から色を説明するわけです。

これ、意識の仮想世界仮説で説明できますよね。
意識が認識するのは仮想世界のオブジェクトです。
それが具体的なものです。
色はオブジェクトに付随するデータです。
それが抽象的な概念です。
僕らは、オブジェクトの色に名前を付けることで、色だけ取り出して認識できるようになったわけです。
ピダハンは、それをしなかったので、必ず具体的なオブジェクトを介して色を指定するんです。
オブジェクトに付随するデータを切り出すことで、抽象的な「色」って概念を持てるようになったわけです。

色を切り出したとしても、どこで線引きするかは文化によって違います。

これ、僕らは、どれも青ですけど、ロシア人は、薄い青と濃い青の間に線を引いて、別の名前を付けたわけです。
こうやって、同じ世界を見てても、どこで線を引くかで言葉が変わるわけです。

逆切れとか、ドヤ顔も、ある状況を仮想世界の中で線で囲って、名前を付けたわけです。
名前を付けることで、意識はそれをはっきりと認識できるようになりました。

ねぇ、仮想世界を使うことで、言語と思考の関係がきれいに説明できたでしょ。

さて、ようやく今回のテーマ、時間です。
じゃぁ、時間を認識するって、どういうことでしょう?

今までの話だと、時間を認識するには、仮想世界の中のどこかを線で囲って切り出さないといけません。
じゃぁ、それはどこでしょう?

たとえば、リンゴがあるって認識するのは、仮想世界に三次元世界を設定して、そこに3Dのリンゴオブジェクトを生成することです。
つまり、「ものがある」って理解するには、三次元世界を使うわけです。
ただ、三次元世界には、時間がありません。

そこで、時間を理解するために、時間世界というものを用意します。
時間世界というのは時間軸を持ってます。
時間軸っていうのは、スクロールバーみたいなものです。

時間世界に花の種を置いて、時間軸のつまみを左から右に動かすと、種から芽がでて、成長して、やがて花が咲きます。
つまみを右から左に動かすと、花から種に戻ります。
これが時間です。

こう説明して、理解できるのは、皆さんは時間って抽象的な概念を持ってるからです。
時間世界の時間軸に「時間」って名前を付けたから、時間を理解できるんです。
じゃぁ、時間って言葉をもってないと、時間は認識できないんでしょうか?
そんなことありません。
抽象的な概念を認識してなくても、具体的なものは認識できます。

今の場合、種から芽がでて成長して花が咲くって過程は具体的です。
具体的に成長する植物の背後に、時間の流れがあるわけです。
はっきりと意識してなくても、時間の経過してるって感じてるのは間違いないです。
「逆切れ」とか「ドヤ顔」って名前を付けてないときも、なんかもやもや感じてたのと同じです。

成長の背後に流れるものに、「時間」って名前を付けたとたん、時間をはっきり意識できるようになるわけです。
時間は1次元です。
それが時間軸です。

時間軸が意識できるようになったら、そこに目盛りを付けるのは簡単です。
それが時間とか、日とか週とか、月とか年です。

アモンダワ族は、昼と夜、雨季と乾季って言葉は持っています。
どれも具体的な状況を示す言葉です。
そして、この言葉の背後には、時間帯とか、時期って意味も含まれてますよね。
だから、時間の概念は理解できてるんです。
ただ、名前を付けてないので、その部分を取り出して、はっきりと認識できてないだけです。

さて、ここに人の成長を描いたイラストがあります。

成長の順に並べてというと、日本人や欧米人なら、左から右に並べます。
左が過去で、右が未来です。
つまり、時間は左から右に流れると感じてるわけです。
なぜ、そんな風に感じるかというと、文字を左から右に書くからです。

じゃあ、同じ質問を、さっきのアボリジニにしたら、どう並べると思います?
実際に試してみると、面白いことになりました。

南に向いてるときは、左から右に並べます。
北を向いているときは右から左に並べます。
東を向いているときは、向こうから手前に並べます。
分かりましたか?

答えは、東から西です。
つまり、彼らにとっては、時間は東から西に流れるんです。

ここで言いたいのは、時間は左から右か、東から西かってことじゃありません。
そうじゃなくて、重要なのは、時間って概念を空間って概念に置き換えてるってことがいいたいんです。

時間って概念を獲得したら、別の概念に置き換えることができるんです。
たとえ文化がちがっても、別の概念に置き換えるようになるってことは同じなんです。

名前を付けるってことさえできれば、その後に起こることは、どの文化でも同じなんです。

まとめます。

目に見える具体的な世界があります。
具体的なオブジェクトの背後にあるのが抽象的な概念です。
色とか時間です。

これらを含めて、世界にあるものに名前を付けるわけです。
それが言葉です。

言葉にすることで、それは、思考の対象となります。
これが、言語が思考を決めるというサピア=ウォーフ仮説です。

最後に重要な話をします。
名前を付けることで抽象的な概念を意識できるようになりました。
その一つが時間です。
時間って概念を獲得したわけです。
抽象的な概念は、時間以外に、お金とか学歴などもあります。

概念に名前を付けることで、別の概念に置き換えることができるようになりました。
さて、時間を別の概念に置き換えることができるとしたら、何に置き換えますか?
それは、どの文化でも同じです。
それは、お金です。

時は金なり。
タイムイズマネー。

時間をお金に置き換えると、時間そのものを価値として感じるようになります。
そう感じたら、生き方が変わります。
何もしない時間がもったいないと感じるようになります。
みんな、あくせく働くようになります。
そうやって、一生、時間に追われて生きていくようになります。

ところで、時間って概念を持たないピダハンは、何て呼ばれてるか知ってますか?
「世界一幸せな民族」です。
アモンダワ族も時間に追われることなく自由に生きています。

僕らは、抽象的な概念に名前を付けて、複雑な思考ができるようになりました。
そうやって、文明を発展させることができました。

でも、はたして、それで幸せになれたでしょうか?
結果的に、抽象的な概念を持ってない民族が世界一幸せと言われています。

はい、今回の動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、今回紹介した意識の仮想世界仮説に関しては、こちらの本で詳しくかいてありますので、良かったら読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!