ロボマインド・プロジェクト、第403弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
よく、心が奪われるっていうでしょ。
これ、比喩じゃなくて、本当に奪われるんですよ。
統合失調症の人は、美しいものとか、うっとりさせるものを極端に恐れるっていいます。
なんでかって言うと、美しい物に心が吸い寄せられると、自分が消えてしまいそうだからだそうです。
それが怖いそうです。
それから自閉症の作家の東田直樹さんは、こう言ってます。
「美しいものを見ると、それが目に入るだけで胸がいっぱいになる」
「満開の桜を見ると、あまりの美しさに動けなくなる」って。
だから、そうならないように視界の端っこに少し入れるだけにするって。
僕も満開の桜はきれいだと思いますけど、そこまでは思わないです。
でも、面白い映画とか、ドラマとかに夢中になることはありますよね。
これならわかります。
これを、脳とスピリチュアルから解明しようと思います。
これが今回のテーマです。
心が奪われるとは?
脳とスピリチュアルから解明!
それでは、始めましょう!
僕らは、心をコンピュータで再現するマインド・エンジンを開発しています。
最近、ようやく、自分とか自我をどうやってつくり出すかがわかってきました。
ベースとなる考えは意識の仮想世界仮説です。
人は、目で見た世界を頭の中に仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して現実世界を認識します。
これが意識の仮想世界仮説です。
これを基に自分を考えると、三階層になってることが分かります。
一番最下層が、この体、肉体としての自分です。
この肉体が現実の物理世界に存在するわけです。
頭の中では、この現実世界を仮想世界として構築して、そこに自分の体もつくり出します。
仮想世界っていうのは、コンピュータなら3DCGみたいなものです。
言いたいのは、3DCGってことじゃなくて、情報だってことです。
物理的な物体を、位置とか色の情報に変換して、脳内に仮想的に再構築するわけです。
仮想世界に、自分の身体モデルがつくられます。
これが中間層の自分です。
中間層の自分は感覚とか感情を持ちます。
痛いとか、美味しいって感じるのは中間層の身体モデルってことです。
そして、最上層が意識とか精神です。
ここが心の中心です。
今、自分が痛いと感じてるって客観的に自分を認識してるのが意識です。
考えて行動を決定するのも意識です。
ここが、本来の自分です。
中間層の身体モデルって、脳内のどこにあるのかはほぼ分かっています。
脳のてっぺんには左右に中心溝って溝が走ってて、その後ろに感覚野があります。
感覚野には体がマッピングされています。
たとえば、手を触ると、手に対応する感覚野が反応します。
中間層の自分って、この感覚野にあるかと思うかもしれませんけど、そうじゃないんです。
感覚野って、身体的な感覚だけで、情動とかは感じません。
感覚野からの情報がどこに行くかというと、それは、島皮質です。
島皮質というのは、側頭葉と前頭葉、頭頂葉の間の溝の奥に隠れてる部分です。
感覚野からの情報は島皮質の後ろに集まって、ここで自分の身体感覚が作られます。
島皮質の前の部分は、前頭葉とか偏桃体、海馬などにつながっていて、情動や記憶に関連します。
つまり、島皮質で身体的な感覚とか情動とか過去の記憶とか、自分に関するあらゆることがまとめられて、一つの自分ってものが作られるわけです。
ここで、痛みについて考えてみましょう。
痛みについては、このチャンネルで何度も取り上げてきましたけど、今まで勘違いしてたってことに今回気づいたんですよ。
今まで、手を針で刺したら痛いって感じて、手を引っ込めるって説明してきました。
この説明は間違いじゃないです。
何が間違いかというと、ここには二種類の感覚が含まれてるってことです。
一つは、手が痛いという感覚です。
もう一つは、それは不快だってこと。
その不快を取り除きたいって情動です。
じつは、この二つは別なんですよ。
たとえば、島皮質が損傷しても感覚野が機能してたら手が痛いって感じるんです。
でも、情動を感じないんです。
つまりね、痛いと感じても、それが不快と感じないんです。
つまり、手を針で刺しても、差したとこが痛いってわかるけど、手を引っ込めようとしないんです。
そう考えたら、痛みって、感覚と情動の組み合わせでできてるってわかりますよね。
そして、感覚と情動を伴った身体モデルが中間層の自分です。
じゃぁ、最上層の自分の意識ってどんなものでしょう?
たとえば、街を歩いているとするでしょ。
これは、街の中を自分が歩いてるって仮想世界を作るわけです。
観光とかで、初めて来る街の場合、きょろきょろとあちこち眺めます。
このとき、意識は体の中に入っていて主観的な視点で、周りを注意して見てるわけです。
一方、通勤とか、通いなれた街を歩くときは、ぼぉ~っと考え事しながら歩いたりします。
そんな時は、意識は体の中に入り込んでるわけじゃなくて、ちょっと上にあるって感じです。
リラックスしてるときは、自分の体から抜け出て、客観的に自分を認識してるって感じです。
こんな風に、意識は自分の中に入ったり、抜け出たりします。
別の例で考えます。
たとえば、他人の気持ちを理解する共感ってありますよね。
共感にはミラーニューロンが重要な役割をはたしています。
ミラーニューロンは、サルの脳を調べてるときに偶然、発見されました。
研究者が、アイスクリームを食べようとしたら、それを見ていたサルの脳が激しく反応したそうです。
サルは見てるだけなのに、食べてるときに反応する脳細胞が活性化してたんです。
つまり、自分の行動でなくても、他人の行動を見るだけで、自分が行動したときと同じよう脳が反応することが分かったんです。
これ、分かりますよね。
お腹が空いてるとき、目の前で他人がおいしそうに食事をしてたら、思わず、ごくんってつばを飲み込んだりしますけど、これも同じです。
これを三階層のモデルを使って説明します。
仮想世界には自分だけじゃなくて、他人もいます。
意識は、自分に入った時、感覚や情動を感じるわけです。
じつは、意識は仮想世界の自分だけじゃなくて、他人にも入ることもできるんです。
他の人が食べてるのを見たとき、意識は、仮想世界のその人に入り込むんです。
だから、美味しそうってつばが出てきたりするんです。
この時、島皮質が反応してるんです。
これは食べ物だけじゃなくて、相手の気持ちを感じるのも同じです。
悲しい人を見てたら、自分も悲しいって感じます。
嬉しくて跳びはねてる人を見てたら、自分も嬉しくなってきます。
これが共感です。
共感で重要なことは、これは意識して行ってることじゃないってことです。
無意識が自動で行う処理です。
その時、島皮質の身体モデルが悲しいとか嬉しいって反応するわけです。
無意識は、相手の体から意識を引き戻す処理もします。
引き戻されると、意識はいまの状況を客観的に認識します。
つまり、相手は悲しんでるとか、喜んでるとかって客観的に認識します。
それがわかったら、相手に声をかけます。
「どうしたの?
何か悲しいことがあったの?」って。
この相手の体に入る機能がうまく働かなくなると共感力がなくなります。
それが自閉症です。
自閉症の人は、相手の気持ちが読めないとか、空気が読めないとかっていわれます。
こう言ったら、相手はどう感じるかってことを感じ取れないからです。
相手の身体モデルに意識が入って、相手の感情を感じられないってことです。
共感力がないって、こういうことです。
さて、次は統合失調症について考えてみます。
統合失調症の症状に幻聴があります。
頭の中で誰かの声が聞こえるわけです。
これ、じつは、自分が頭の中で考えたことが、誰かの声として聞こえるんです。
脳には、自分の行動と他人の行動を区別する無意識の機能があります。
統合失調症の場合、この機能がうまく働いていないようです。
たとえば、わきの下を自分でくすぐってもくすぐったくないですよね。
これは、自分と他人の行動を脳が区別してるからです。
ところが、統合失調症の場合、自分でくすぐってもくすぐったいそうです。
つまり、自分の行動が、他人の行動のように感じられるわけです。
これと同じことが頭の中で起こってるんです。
頭の中で言葉で考えたとします。
そのとき、頭の中で言葉を発するのは、自分の身体モデルです。
このとき、無意識は身体モデルに「自分」って印をつけるわけです。
ところが、統合失調症の場合、それができません。
そうなると、自分じゃなくて、他人がしゃべってるように感じます。
これが幻聴です。
次は、映画を夢中になって見てるときの心の状態について考えてみましょう。
たとえばゾンビ映画を見ていたとします。
街のあちこちからゾンビが現れて、主人公が恋人と逃げるわけです。
二人は廃墟に逃げ込みました。
ドアを閉めて、「これでひとまず安心だ」っていって恋人の方を振り返りました。
そしたら、恋人もゾンビになっていました。
思わず、「ギャー」ってなります。
これが映画に夢中になってるってことです。
じゃぁ、逆に夢中になってない状態ってどういう状態でしょう。
「あれ、家、鍵かけたかなぁ?
ガス、付けっぱなしにしてなかったかなぁ」
そんなこと考えてるときって、映画に入り込んでないですよね。
つまり、意識は完全に現実世界にいますよね。
夢中になってたのが、現実世界に戻ることが我に返るです。
意識が主人公の中に入って、驚いたり、怖がったりして、あたかも自分が経験してるように感じてるときが夢中になってるときです。
意識が、主人公の身体モデルに入り込んで、出れなくなってる状態が映画に引き込まれて夢中になってるってことです。
さて、自閉症の人は、共感力はないですけど、満開の桜に魅了されて、動けなくなるのはどうしてでしょう。
僕らだったら、花びらが舞って、きれいだなぁって思うだけです。
以前、第33回「クオリアってなんだ④」で万華鏡の話をしました。
僕が小学校1年のとき、先生がおみやげで万華鏡を買ってきて、教室の後ろに置いていました。
みんな、きれいって見てるので、僕も、同じように覗いて見たんですけど、なんか、ゴミみたいなのが動くだけで、よく分からなかったんです。
それが、半年ぐらいたって、久しぶりに覗いてみたら、ようやくわかったんです。
中のビーズが鏡に反射してどこまでも続くんです。
しかも、それが一斉にかちゃ、かちゃって動くんです。
「わぁ、きれい」って思いました。
ようやく、みんなが見てたものが見れたんです。
じゃぁ、半年前は何を見ていたんでしょう?
だって、同じ光景を見てたはずです。
たぶん、その半年の間に、万華鏡のクオリアを獲得したんだと思います。
クオリアっていうのは、意識が感じる感覚です。
万華鏡のクオリアって言うのは、一斉に同じ動きをするパターンです。
そのパターンに当てはまったから、「うわぁ、きれい」って感じたんやと思います。
僕らは物を見るとき、なんらかのパターンに当てはめてみるわけです。
そのパターンを感じ取ってるわけです。
そのパターンを持ってないと、何も感じないわけです。
万華鏡と同じで、花びらが舞うパターンもあるんやと思います。
そのパターンを介して満開の桜をみてるから、「わぁ、きれい」って思うんです。
でも、自閉症の人は、そういう見方をしてないと思うんですよ。
自閉症の人は、キラキラ光ったり、花びらが舞ったり、きれいなものを見ると、その一つ一つに入り込んでしまうんです。
僕らが、他の人の身体モデルに自然と入り込むのと同じです。
自閉症の人は、きれいなものを見ると、それに入り込んで、美しさを体で感じるんです。
自分が入ろうと思って入るんじゃなくて、無意識が勝手に行うわけです。
だから、吸い込まれるって感じるんです。
一つの花びらに入ったら、次の花びらって、次々に入るんです。
舞ってる花びらって無限にあります。
これ、プログラムで言えば、無限ループです。
よく、パソコンが反応しなくなってフリーズしたとか、固まったとかっていいますよね。
あれは、プログラムが無限ループにはいって、マウスやキーボードに応答しなくなった状態です。
自閉症の人は、きれいなものを見ると、その世界に入って戻ってこれなくなるんでしょう。
美しさに圧倒されて動けなくなるって、こういうことなんだと思います。
統合失調症の人が、美しいものを恐れるっていうのも同じです。
美しいものに入り込んでしまうんでしょう。
しかも、統合失調症の人は、自分と他人の区別がつかなくなっています。
対象に入り込んだら、そこから二度と戻れなくなるんじゃないかって感じるんでしょう。
それを感じるから、美しいもの、うっとりさせるものを極端に恐れるんです。
さて、自分の本質は最上層の意識プログラムです。
最下層が、物理世界に存在する肉体です。
物理的な肉体と、精神をつなげるのが身体モデルです。
身体モデルは脳の島皮質につくられます。
意識プログラムが、仮想世界の身体モデルに入って、現実世界を経験します。
よくスピリチュアルな話で、魂が輪廻転生するとかっていいますよね。
そう考えたら、この意識プログラムが魂と言えるのかもしれません。
魂が、この地球という現実を経験するための仕組みが仮想世界です。
輪廻転生の考えによると、肉体が死ぬと、魂は肉体から離れて天に戻ります。
そして、次に生まれてくる赤ちゃんの魂となって、生まれ変わります。
これが魂の目的だそうです。
さて、そう考えたら、魂が肉体と結びついてるのは一時的で、いずれ肉体から離れないといけません。
統合失調症の人や自閉症の人が、美しいものに吸い寄せられるのが怖いとか、美しいものを見ると動けなくなるのが怖いっていうのも、なんとなくわかります。
それは、この現実の地球に引きずり込まれて、本来の自分がいるべき場所、天に戻れなくなるかもしれないって根源的な恐怖なのかもしれません。
さて、どうなんでしょうねぇ。
はい、今回の動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、よかったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!