ロボマインド・プロジェクト,第415弾
こんにちは,ロボマインドの田方です.
全盲の人が、50歳で手術して、初めて目が見えるようになったとしたら,その人は,何を見ると思いますか?
第274回で取り上げたS.B.氏も同じですけど,今回は,別の患者です.
今回の話は、オリバー・サックスの『火星の人類学者』からです。
サックス博士は,イギリスの神経学者で,映画「レナードの朝」の原作で有名ですけど,エッセイが面白いんですよ.
今回の主人公は50歳のヴァージルです.
幼少の頃全盲になって今に至ります.
そして,もうすぐ結婚します.
婚約者の勧めで医者に診てもらったら,手術したら,目が見えるようになるんじゃないかって言われたんです.
目が見えるようになって,最初に見るのが新婚の花嫁です.
こんなドラマチックな話ありませんよね.
まぁ、ドラマだったら,その後は,悪い予感しかしませんけど.
今回の話,ヴァージルを含めて,第274回で紹介したS.B.氏とか,その他,成人以降に手術で目が見えるようになった症例がいっぱい紹介されています.
どれも同じような経験をして,同じような結果を辿ります.
さて,ヴァージルは,幸せになれたでしょうか?
これが今回のテーマです.
手術した全盲者は,世界を見れるのか?
それでは,始めましょう!
ヴァージルは,無事,手術が成功しました.
包帯が外されたとき、こう叫びました。
「なんだこれは! これが世界か! なんて美しいんだ!」
って劇的なことは起こりませんでした。
本人曰く,何を見てるのかよく分からなかったそうです.
光があって,動きがあって,色が合って,すべてがごっちゃになって意味をなしていなかったそうです.
ぼんやりした塊が動いて,「どんな具合です?」と言ったそうです.
それが,主治医の顔だったそうです.
見るって経験をしてなかったので,何が何だか分からなかったようです。
ただ,成人後に手術して,生まれて初めて見た人は,みな、同じことに感動するそうです.
それは,色です.
今まで,手で触って理解してたので,色ってものを感じたことがなかったわけです.
だから,みんな色を見たとき感動するんです.
そして,見えるって経験に,最初,誰もがワクワクして,心躍らせるそうです.
サックス博士は,ヴァージルが手術後、少したってから会いました.
その頃には、ヴァージルも,見える世界にだいぶ慣れていたようです.
たとえば,時計を見たとき、最初から時間を読めたそうです.
なんでかっていうと、それまで,懐中時計の蓋を外して,指で触って時間を読んでいたからです.
今まで,触って理解してたものは,目で見ても,すぐに理解できるようになったそうです.
色はすぐに理解できるっていいましたけど,意外と,形の理解は難しかったそうです.
見ただけだと,丸と四角の区別もできなかったそうです.
ただし,手で触れれば分かります.
手で触れて感じてた形と,目で見ただけの形がうまく結びつかないそうです.
ただ,それも訓練することで,だんだん,見ただけで形が分かるようになってきたそうです.
ここからわかるのは,生まれてから今まで見るって経験してなくても,色とか形は識別できる能力があるってことです.
脳の中には,色や形を識別する脳細胞があって、それは使っていなくても消えないようです.
あるとき,ヴァージルが公園で「わっ」っと驚いて,急に後ろに飛びのいたそうです.
「どうしたの」って婚約者が聞くと,急に小鳥が近づいてきてびっくりしたと言いました.
でも,近くに小鳥なんかいなくて,かなり離れたとこにいただけです.
どうも,距離の感覚が持てないらしくて,近くなのか遠くなのかが分からないようです.
目が見えない人の空間感覚ってどういうものかというと,たとえば,廊下を歩くとするでしょ.
廊下の端まで歩くと階段があったとします.
目が見える人なら,たとえば3mの廊下の先に階段があるって見て認識しますよね.
これが,目が見えない人の場合だと、10秒歩いたら廊下が出現したって感じるんですよ.
つまりね,空間っていうのは,時間に関連して作られるんです.
廊下の途中に障害物があって,廊下の端に階段があったとして,それはずっとそこにあるわけじゃないんですよ.
その場にだとりついたとき出現するんです.
それから,向こうから歩いてくる人とすれ違うとするでしょ.
目が見える人なら,遠くにいる人がだんだん近づいてきて,すれ違って,遠くに去っていくって感じますよね.
でも,目が見えない人は足音だけで判断します.
だから,近くに来たとき,ぼぉっと世界に人が出現して,離れるとその人は世界から消えるって感じるそうです.
人とか物がずっと存在するんじゃなくて,近づいたら出現するって世界なんです.
ずっとそんな世界で暮らしてきたのに、急に、目で見て空間を把握するようになったわけです.
そりゃ、とまどいますよね。
まず,歩く前から廊下の端までの距離がわかるってことが,うまく理解できないそうです.
今までは,空間というのは,時間経過で順に立ち現れるものでした。
それが,見る世界は、あらゆるものが同時に出現するんです.
一瞬でいろんなものが出現するって世界を受け入れるのは難しかったそうです.
初めてスーパーに行ったとき,棚にいろんな商品が並んでるのを見て,クラクラしたそうです.
今までは,手に取った瞬間,その商品が現れる世界です.
次の商品を手に取ったら,前の商品は世界から消えます。
意識の科学の分野で、主観的な経験のことをクオリアっていいます。
「赤い」とか「痛い」って感じるとき、この感じがクオリアです。
クオリアって、細かく分けると二種類あります.
一つはアクセス意識で,もう一つは現象的意識です.
アクセス意識っていうのは,意識が注目してるものです.
リンゴをみて,「リンゴがある」と思ってるときのリンゴのことです.
言葉にして報告できるクオリアのことです.
現象的意識というのは,たとえば、今,部屋でYouTubeを見てたとするでしょ。
YouTubeの画面以外に、机があったり,壁や天井もありますよね.
でも,言われないと気付かないわけです.
でもそこにあることは,知っています.
こんな風に,意識にのぼらなくてもあることを知ってるクオリアのことを現象的意識っていいます.
哲学的ゾンビって有名な思考実験があります.
哲学的ゾンビは,見た目も会話しても全く人間と違いがありません.
ただ一つ違うのは,そのゾンビは現象的意識をもってないんです.
現象的意識って,言葉で報告できないクオリアです.
この思考実験,何が言いたいかというと,人間そっくりのAIロボットを作ったとして,それは,人と同じ意識をもってるわけじゃないってことを言いたいんです。
哲学的ゾンビが,いくら「リンゴがある」とか,「痛いって感じる」って言っても,それはアクセス意識です.
現象的意識は言葉で報告できないので,確認できないんです.
だから、そのAIロボットは現象的意識をもってるかどうか分からないわけです。
今回の話読んでて,ヴァージルは現象的意識をもってないんじゃないかって思ったんですよ.
だって,手で触れたり,体で感じるまで,そこに何かがあるって思わないんですから.
これって,アクセス意識だけで,現象的意識をもってないってなりますよね.
もしそうなら,ヴァージルは哲学的ゾンビになりますよね.
哲学的ゾンビかどうかはおいといて、サックス博士は、ヴァージルのおかしな様子に気づきました。
それは、ヴァージルは、ものの端とか,色とか,動きとか,部分しか見てないってことです。
ヴァージルは動物が好きなので,一緒に動物園に行きました.
そしたら,シマウマとかカンガルーとかってちゃんと見分けることができたそうです.
でも,どうも,これも部分の特徴だけを見て判断してるようでした.
例えばシマウマなら縞模様,カンガルーなら跳びはねる動きです.
さっきも言いましたけど、脳には、側頭葉に形や動きに反応する脳細胞があります.
こんな風に四角や縞模様って形に反応する細胞があるわけです.
それから,この黒い部分では,いろんな動きに反応する脳細胞が見つかってます.
カンガルーがわかったのも,跳びはねる動きに反応する脳細胞があるからでしょう。
こんな風に,脳には,色や形を識別する脳細胞が生まれつきあります。
でも、それらを合成して全体を認識する脳細胞は生まれつきは持ってないんです。
全体の認識は,生まれてからの経験で学習して脳内に作り出されるんです.
ここで、目が見える人と見えない人に違いが生じるんです。
目で見て世界を経験する人は、見た光景から全体を作り上げることができます.
目が見えなくて、触覚と聴覚だけで世界を経験した人は,触ることで全体を作り上げるんです。
だから,「見る」って経験から全体像を作り上げることができないんです.
ヴァージルは,動物を触って確かめようとしたんですけど,触ることはできませんでした.
あるところに,実物大のゴリラの像があって,それは自由に触れました.
ヴァージルはそれを存分に触ると,満足して,「ゴリラは人間とはだいぶ違うなぁ」って言ったそうです.
ヴァージルは、触ることで,全体像を組み立てることができたみたいでした.
同じ話は,S.B氏も言ってました.
S.B.氏は機械が好きで,旋盤を見たくて博物館に連れて行ってもらいましたけど,見ただけじゃ,よくわからなかったそうです.
そこで,頼んで触らせてもらったそうです.
十分触ってから,旋盤から一歩下がって,旋盤に向き合って,こういったそうです.
「さぁ,触ったから,これで見えるぞ」って.
部分を組み立てて全体を把握するのは,物に対してだけじゃありません。
意外なことに,ヴァージルは目で見て文章を読めるようにならなかったそうです.
アルファベットの一文字一文字は見て分かります.
でも,それをつなげた単語や文は理解できなかったそうです.
でも,ヴァージルは点字は読めるんです.
点字だけじゃなくて,墓石とかに刻まれた文も,指で形を読み取って読めるんです.
でも,目で文字を見たら,途端に単語として理解できなくなるんです.
部分と全体って,脳内では全く別だってことです.
10歳ぐらいまでに経験してないことを,大きくなってから学習して獲得しようとしても脳は獲得できないようなんです。
同じような話は,弱視でもいえます.
弱視は,10歳までに焦点を合わしてはっきり見るって経験をしてないことが原因で起こるそうです.
その後,いくらメガネをかけて焦点を合わせたとしても,一生,はっきりとした視覚は獲得できないそうです.
10歳まで,ぼやけた世界しか経験してないと,脳は,世界とはぼやけたものだと学習するんです.
だから,そのあと、メガネをかけて、はっきりした像を脳に送っても,その像は間違ってると判断して,ぼやけた像で世界を作り出すんです.
だから,メガネじゃ弱視は矯正できないんです。
日本人がRとLの発音を聞き分けられないのも同じですよね.
10歳までに,RとLの違いが存在しない世界で生きてきたから,後からRとLを聞かされても,区別がつかないんです.
それから,ヴァージルは,写真も,いつまでたっても分からなかったそうです.
写真の中の人も物も見分けがつかなかくて,ただ,まだらな色としか感じなかったそうです.
同じことは,S.B.氏も言っていました.
風景写真を見せても,それが川であるとか,水が流れてるとか,橋が架かってるってことが理解できなかったそうです.
どちらが手前で,どちらが奥かもわからなかったそうです.
別の患者で,何が映ってるかは理解した患者はいたそうです.
ただ,その人は,映ってるものと,写真のつるつるした肌触りとが違うことに混乱してたそうです.
どっちの肌触りが正しいのかって質問したそうです.
ヴァージルは,写真に比べてテレビの方が,まだ,理解できるようでした.
ヴァージルは野球が好きで,いままでラジオで野球を聞いてましたけど,テレビを見るようになったそうです.
サックス博士が,試しにテレビの音声を切って映像だけにしたそうです.
そしたら,どっちが勝ってるかも理解できなくなったそうです.
テレビを見ているようで,実は,耳で聞いて理解してたわけです.
ヴァージルは,最初は目が見えることに喜んでましたけど,やがて,なかなか思うようにならなくて,気分が落ち込むようになりました.
そりゃそうです.
今まで感じてた世界が,ガラッと変わって,今いる世界に確信が持てなくなってきたんですから.
世界の中に自分はいます.
その世界システムが不確かなものになったら,その中で生きている自分も崩壊してしまいます.
成人してから目が見えるようになった人を調査したところ,すべての人は遅かれ早かれ,この苦悩に直面してるそうです.
そして,それが重くなると鬱になります.
S.B.氏は重度の鬱になって,最後は自死を選びました.
それでは,ヴァージルは,どうなったでしょう?
ヴァージルは,時々,目が見えなくなったといって盲人のように振る舞うことがあったそうです.
ただ,見えないといってもバナナを掴んだり,モニターの光の点を目で追う動きをしたりしてたので,本当に見えないのかどうかわかりませんでした.
そうしてるうちに、ヴァージルは,重い肺病にかかりました.
いっとき,かなり重体だったのですが,何とか回復したそうです.
ただ,肺病からは回復しましたけど、なぜか,再び目が見えなくなっていて、今度は回復しなかったそうです.
サックス博士がフルーツをもって見舞いに行くと,ヴァージルは,一つ一つ手に取りながら,これはブドウですね,これは桃ですねって嬉しそうに言い当てていたそうです.
それは,目が見えていた時には見ることがなかった,生き生きとした、幸せそうな表情だったそうです.
はい,今回の動画が面白かったらチャンネル登録,高評価お願いしますね.
それから,動画で紹介した意識の仮想世界仮説に興味があれば,こちらの本を読んでください.
それじゃぁ,次回も,おっ楽しみに!