第418回 完璧な記憶をもつ画家の奇妙な物語


ロボマインド・プロジェクト,第418弾!
こんにちは,ロボマインドの田方です.

今回も,オリバー・サックスの『火星の人類学者』から取り上げます.

今回の主人公は,フランコ・マニャーニというイタリア出身で,サンフランシスコに住む画家です.
まずは,彼の絵を見てください.
これです.

これは,彼の生まれ故郷,イタリアの小さな村,ポンティトを描いた絵です.
こっちは,窓から見えるポンティトのです.

石造りで風情があっていいですよね.
こういう絵,ぼくは結構好きです.

実は,この絵,実際に見て描いたわけじゃないんです.
なんと,彼の絵は全て記憶を元に描かれています.
だから,「記憶の画家」って呼ばれています.
ある写真家が,どこまで正確かを確認するためにポンティト村にいって写真を撮ってきました.
これがその比較写真です.

どうです?
左が記憶で描いた絵で,右が現地で撮った写真です.
いや,スゴイでしょ.
かなり正確ですよね.
もう一枚はこれです.

これもかなり正確ですよね.
左が絵で,右が写真です.
もう,どっちが絵で,どっちが写真か言われないと分からないレベルです.
これを記憶だけで描くなんて,トンデモない話です.
でも,よく見ると,若干違うところもあります.
たとえば,この絵

右の写真の屋根は,崩れていますよね.
それからこっちの絵.
 

塀の石,写真の方が明らかに古びていますよね.
実は,これには訳があります.
フランコが描いてるのは子どもの頃に暮らしたポンティトです.
だから,彼の描く絵は,実際の建物より新しいんです.
しかも,彼はポンティトを離れて30年以上,一度も帰っていないんです.
記憶だけでこれだけの絵を描き続けているんです。

ポンティト村を訪れたカメラマンは,絵を見ながら,どこから描いたか探したそうですけど,どれも,ぴったりってポイントが見つかったそうです.
ただ,中には確認できなかった絵もあります.
たとえば、これです.

これ,ポンティトの村を上から俯瞰してますけど,村を見下ろせる高い塔とか建ってません.
確認するにはヘリコプターで撮影しないといけないのであきらめたそうです.
いまならドローンを飛ばせばいいんですけど,これは,1988年の話です。

それにしても,何十年も前に育った村を,記憶だけでこれだけ精密に描けるってどういうことなんでしょう?
これが,今回のテーマです.
完璧な記憶をもつ画家の奇妙な物語
それでは始めましょう!

サックス博士が初めて会った時,フランコは54歳でした.
彼は、自宅でポンティトの絵を前にして,説明してくれたそうです.
一枚ごとに,当時の思い出が押し寄せてくるようでした.
ここは昔何が建っていたとか.
「この教会の庭に忍び込んだら,牧師さんに通りまで追いかけられて」とか.
そんなことを夢中でしゃべるんですけど,脈略も焦点もなくただしゃべり続けます.
しばらくして,ハッと我に返って気まずそうな顔をしたそうです.
どうも,これはいつものことのようです.
フランクは,ポンティトの話題しかせず,その他の話は一切出てこなかったそうです.
まさに,ポンティトに取り憑かれていました.

サックス博士は,フランクのお兄さんにもあって話を聞いたそうですけど,昔はそうじゃなかったそうです.
会うと,いろんな話をしたそうです.
いつからこうなったかというと,病気になってからとのことでした.

1965年,31歳のとき,フランクはサンフランシスコに移住しました。
ただ、数年後に奇妙な病気になったそうです.
高熱が出て,錯乱状態になって発作も起こしたそうです.
結核とも,精神病とも言われましたけど,結局,何だったのかはっきりしなかったそうです.
重体に陥った時,脳が興奮と熱に冒されたためか,毎晩,異常に鮮明な夢を見たそうです.
それがポンティトの夢でした.
何かの出来事とかの夢じゃなくて,通りや家,建物だけがでてくる夢です.
それも細部まではっきりと見えたそうです.

目が覚めてからも,その夢は継続してて,壁や天井にありありと建物の像が浮かび上がったそうです.
それは,目の前に精密な模型が置いてあるように立体的に見えたそうです.

そのはっきりしたイメージを,彼はメッセージとして受け取りました.
ポンティトの村の神からのメッセージです.
「私を描きなさい.私に実体を与えなさい」というメッセージです.

村の神っていうと,普通は老人とか女神とか,人の形をしてるじゃないですか.
でも,ポンティトの村の神は,村その物なんです.
建物とか通りとか,村その物です.
それ以来,彼はポンティトの村の神に取り憑かれたんです.

退院した後,絵筆を買ってきて,生まれて初めて絵を描いたそうです.
初めて描いたときから,線に迷いはなかったそうです.
どう書くべきか,はっきりと分かったそうです.
絵を描き上げたとき,「すばらしい.どうしてこんなことができたんだろう」って思ったそうです.
それは,25年以上経った今でも,絵を描き終えるたびに思うそうです.
今でも,自分が描いたというより、誰かに描かされてるって感覚だそうです.

描こうとする建物は立体的に目の前に浮かび上がります.
それも,建物の右に回れば右側が見えるし,左に回れば左側が見えるし,上から見下ろすこともできます.
まさに,三次元の立体映像です.
だから,村を上空から見下ろした絵も描けるんです.
しかも,30年以上前にみた光景を正確に思い出して描いているんです.
だから,どの建物は実際に存在します.
驚くべき記憶力です.

ただ,そのイメージは自由に思い出せるわけじゃないそうです.
突然,目の前に出現するそうです.
食事をしてたり,散歩してたり,シャワーを浴びてるときとか,いつ出現するか分かりません.
しかも,出現したら,それは幻か現実かの区別もつかないそうです.

サックス先生と話してるとき,急に,黙り込んで宙を見据えたことがあったそうです.
そしたら,ゆっくりと立ち上がって何もない宙を見ながら,そのまわりを歩いたり,のぞき込んだりしたそうです.
ポンティトの幻が現れたようです.

ポンティトの幻は,視覚的なイメージだけじゃありません.
協会が見えてるときは,鐘の音が,まるでその場で鳴っているかのように聞こえるそうです.
それから、当時,ポンティトで栽培されてたナッツやオリーブの匂いも感じるそうです.

精神発作で芸術的な才能が開花した例はいくつかあります.
有名なのは,てんかんをもっていた大作家ドストエフスキーです.

てんかんは全身が痙攣して意識がなくなる発作が突然起こります.
発作の中には恍惚感を伴う発作もあります.
たとえば第302回で紹介したザックもそうでした.
「その発作が起こると,世界がくっきり鮮やかになる」とか,
「まるで映画のスクリーンから,突然,3D映像が飛び出してくる感覚」とも言ってます.

ドストエフスキーの作品『白痴』の主人公,ムイシュキン公爵も,発作がはじまると,恍惚感を感じるといいます.
「心と頭が一瞬にして目覚め,力と光がみなぎってくる」といってます.
ドストエフスキーも,こんな恍惚感をもったてんかんを患っていたのは間違いないようです.
この発作が,数々の傑作のエネルギーになっていたわけです.

それからゴッホもてんかんを患っていました.
精神発作の研究によると,患者の多くは感情が激しくなって,宗教的,宇宙的な事柄への関心が高まるそうです.
患者の中には驚くべき創造性を発揮するものも多くいて,際限なく日記を書き続けたり,強迫的に絵を描いたりする人もいるそうです.
まさに,フランコがそうですよね.

発作から芸術的才能が開花することを「ドストエフスキー症候群」ともいうそうです.
こうした発作の場合,「意識の二重性」が起こることがあります。
フランコの場合だと,自分の部屋にいるのと同時に,ポンティトにも同時にいる感覚です.
何の前触れもなく,突然,過去の思い出の中に飛ばされるそうです.
神の啓示のように力強くて,それに逆らうことはできません。
ドストエフスキーやゴッホとか,多くの芸術家が体験していたんでしょう.
その感覚に襲われると,作品を創らずにはおれなくなるんでしょう.

フランクの場合,さらに特徴的なのは,記憶です.
記憶って,普通,はっきりしたものじゃなくて,だんだん薄れていくものですよね。
そもそも,記憶に残るのは,印象とか漠然としたものです.
子どものとき見た光景を,そっくりそのまま,鮮明に覚えておくことなんかできるんでしょうか?
できるとしたら,これも精神発作が原因でしょうか?

フランクが病気になったのは30過ぎてからです.
でも,子どもの頃の記憶は,病気になる前からあったわけです.
つまり、病気になったから鮮明に記憶できるようになったんじゃなくて、元々、鮮明に記憶してたとえいるんです。
と言うことは、誰でも,フランクと同じぐらい鮮明に記憶できるってことですよね。
フランクとの違いは、それを読み出せるかどうかの違いってことになりますよね?
本当でしょうか?

このことは,実は,脳科学の研究から明らかになっています.
僕もよく紹介しますけど,ペンフィールドの脳地図ってありますよね.

これはカナダの脳神経外科医,ワイルダー・ペンフィールドが作ったものです.
脳外科手術って,切除していいかどうか決めるのに,手術中に患者に直接確認するんですよ.

脳って神経の塊ですけど,実は,痛みは感じないんです.
痛みを感じるのは神経の末端で,それが集められる脳自体は痛みを感じないんです.
だから,ペンフィールドは,脳外科手術するとき,いろんなとこに電極をさして,何か感じますかって質問して、切除していいかどうか確認したんです。
せっかく頭蓋骨開いて手術するので、ついでに、いろんなとこに電極さして、脳のどこで何をやってるのか調べたんです。
そうやって作られたのがペンフィールドの脳地図です.

でも,こんなこと,今じゃ倫理的にできません.
100年以上昔は,おおらかな時代だったので,好きなだけ調べられたわけです.

さて,ペンフィールドは,側頭葉を電極で刺激すると記憶がよみがえることに気づきました.
それも、同じ患者で、同じ場所なら,必ず,同じ場面の記憶が蘇ります.
まるでその場にいるかのように蘇るんです.
患者は,今,手術中で手術室にいるってことは分かっています.
でも,それと同時に,過去のその場所にいると感じてるそうです.
「ダンスホールの入り口を見てる」っていう人もいれば,「雪まみれのひとが部屋に入ってくるのを見ている」っていう患者もいました.
側頭葉には記憶への扉が合って,それをあけると,過去の出来事が寸分たがわず蘇るようです.
普通は,その扉は閉ざされていて,うっすらと記憶が蘇るだけなんでしょう.
それが,フランクの場合,その扉がパッカーンって,突然開くみたいなんです.
それも,いつ開くか,全く予測できません.

さて,フランクはポンティトにあれほど執着してるのに,長いことポンティトに帰っていません.
今まで,何度か帰郷する機会がありましたけど,頑なに拒んでいました.
理由は明らかです.
今のポンティトは,彼が覚えているポンティトとは違うってことを知ってるからです.
今のポンティトを見たら,何が起こるか怖いんです.
もう,二度とポンティトの幻が見えないんじゃないかって不安になるんです。
そうなったら,もう,二度と絵が描けなくなるんじゃないかって恐れてたんです.

それで,サックス先生は自分一人でポンティトを訪れたそうです.
そしたら,今もちゃんとポンティトはありました.
昔と同じ石造りの建物もありました。
ただ,フランクの絵の印象とちょっと違ったそうです.
それは,建物が,思ってたより小さかったそうです.
フランクが見てたのは子供の頃です.
子どもの視点からみた建物なので,実際より大きく見えたんでしょう.
逆に言うと,それほど記憶が正確だとも言えます.

さて,フランクは「記憶の画家」と呼ばれて,だんだん有名になってきました.
世界中で個展が開かれるほどになりました.
そんな中,ポンティトの市長から、ぜひ来てくれと招待されたそうです.
それは断るわけにもいかず,意を決してポンティトに行くことにしました.

行ってみると,子どもの頃と印象はかなり変わっていましたけど,今も昔ながらの石造りの建物があって安心したそうです.
恐れていたようなことは何も起こらなかったようです.

ただ,それは帰ってから起こりました.
恐れていたのは,もう二度と,ポンティトの幻が見えないんじゃないかってことです.
ところが,その逆のことが起こったんです.

逆というのは,ポンティトの幻が二つ見えるようになったそうです.
一つは,子どもの頃のポンティト.
もう一つは,現在のポンティトです.
その二つの幻が同時に現れるんです.

フランクは混乱して絵が描けなくなりました.
最も恐れていたことが起こったんです.
ただ,この現象も10日ぐらいたつと,少しずつ薄れてきました.
古いポンティトの幻の方がだんだん薄れてきたんです.

そして,新しいポンティトの幻が残ったんです.
残っただけでなくて,新しいポンティトは,さらに進化していきました.
進化したといっても,石造りの建物が鉄筋コンクリートになるとかじゃないです.
ポンティトの幻がイタリアの片田舎にとどまるんじゃなくて,宇宙にまで進出していったんです.
何を言ってるかよく分からないと思うので,実際のフランクの絵をお見せします.
これです.

それから,こんなのです.

う~ん,どうなんでしょう.
たしかにポンティトではあるんですけどねぇ.
僕は,あの,懐かしい感じが好きだったんですけど,それが消えちゃいましたよねぇ.

これ,よくアーティストがなるやつですよね。
何を悩んでたのかわからないですけど,「えっ,そっち?」って方に急に方向転換するやつです.
今まで,小汚い恰好でフォークとかやってた連中が,急に,ビジュアルバンドになるとかです.

ただ,フランクの場合,フランク自身の悩みか,ポンティトの神の悩みかどうか,よく分からないですけどね.
神でも,方向性に悩むことがあるみたいです.

はい,今回はここまでです.
面白かったらチャンネル登録,高評価お願いしますね.
それから,よかったらこちらの本も読んでください.
それじゃぁ,次回も,おっ楽しみに!