第43回 解決!意識のハードプロブレム① 〜解決!意識のハードプロブレム①


ロボマインド・プロジェクト、第43弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
今回のテーマは、「意識のハードプロブレム」です。

前回までのテーマが自由意志、その中でもリベットの実験。
その前はフレーム問題。
ちょっとヘビーなテーマが続いてましたけど、たぶん、今回が一番キツイと思います。

僕のブログで一番炎上してるのが「フレーム問題」って言いましたけど、その次に炎上してるのが「意識のハードプロブレム」なんです。
「ハードプロブレム」をグーグルで検索すると、一位がWikipediaでその次が僕のブログとなってます。

「意識のハードプロブレム」の荒れてるコメントとか見てたら、なんで、みんな、こんなとこで悩んでるんやろうって思ってたんですけど、考えたら、当たり前なんですよね。
僕は、20年以上、こんなことばっかり考えてて、自分ではとっくに解決してたんですけど、世間では、まだ、解決してなかったんですよね。
そこで、今回は、そのことを丁寧に説明していこうと思います。

あの、オッカムのカミソリって言葉、聞いたことありますか?
これは、科学の基本的な考えなんです。
物事を説明するのに、いろんな説があるとき、最もシンプルな説が正解だって考えです。

分かりやすい例でいうと、天動説と地動説です。
その昔、全ての星は地球を中心に回ってるって考えられていました。
でも、だんだん星の動きを正確に観測できるようになってくると、金星が逆行することがわかってきて、これは、天動説じゃぁ、説明できなくなりました。
そこで、天動説は、地球の周りの軌道があって、さらにそれをまわる周転円ってモデルを作って説明しはじめたわけです。

どんどんモデルが複雑になってきたわけです。

ところが、太陽を中心に地球が回るって地動説で説明すれば、あっさり金星の動きが説明できたわけです。

単純な説と複雑な説があるなら、単純な説の方が正しいって考え方。
これが、オッカムのカミソリです。
意識についても、これと同じことが言えるわけです。
多くの人が考える複雑な意識の説、それって、本当かなぁってことです。

まずは、意識のハードプロブレムの説明から入りましょう。
「意識のハードプロブレム」っていうのは、第一回のツーソン会議で提唱されました。
「ツーソン会議」っていうのは、意識に関する国際会議で、第一回は1994年に開かれました。

そこに登場したのが、当時、まだ20代の哲学者デイヴィッド・チャーマーズです。
(哲学者 デイヴィッド・チャーマーズ 1966年~)
彼が言ったのは、意識の問題は、イージープロブレムとハードプロブレムの2種類があるってことでした。

イージープロブレムっていうのは、簡単な問題っていう意味で、神経細胞の信号とか、物理科学で検証できる問題です。
ハードプロブレムっていうのは、それとは別の次元の話で、意識で感じること、主観で感じてるレベルの話ってことです。
こうやって説明しても、なかなかわかりにくいですよね。
これが、ハードプロブレムの難しさなんです。

ハードプロブレムと切っても切れなものに、クオリアがあります。
クオリアって、赤の赤らしさがクオリアとかって説明したりします。
赤は、700nmの波長の電磁波だってのが物理科学での説明です。
そうじゃなくて、意識で感じる赤がクオリアなんです。
こんな説明じゃ、わからないですよねぇ。

でも、言おうとしてるのは、ものすごく当たり前の話なんです。
意識の世界と、物理科学が扱ってる世界は全然別だっていいたいわけです。

たとえば、映画を考えてみましょう。
映画って、映写機でスクリーンに映し出しますよね。
映写機とか、フイルムとか、ライトとか、スクリーンとか。
これが物理科学が扱う領域です。

それと、映画の中の世界は、全く別物ですよね。
映画の中では物語が展開されます。
ある日、転校生がやってきましたとかね。
主人公は、目立たない女子高生ですとかね。
転校生は、クールでスポーツ万能なんですよ。
ある日、主人公の女の子が、転校生に、放課後の教室に呼び出されるんですよ。
「えっ、何かしら」とがドキドキして行くと、転校生が待ってるわけです。
ほんで、転校生が振り向くと、突然、顔が開くんですよ。
ギーッ、ガシャ、「グワハハハ、愚かな地球人ども」
とかなるわけです。

こっからが面白いんですけど、話が大分それそうなんで、ここで止めときますわ。
言いたいのは、転校生が誰かっとかの話じゃなくて、システムの話です。
映写機とスクリーンの関係と、転校生と女子高生の関係って、もう、全然、別の次元の話ですよね。

「ねぇ、あの映画みた?」とかいって、
「うん、見た見た!
映写機、黒かったよねぇ」
とか言う人、いないですよね。

「えーと、自分、映画見るときって、いっつも、そっち見てんの?」
ってなりますやん。

そんなヤツ、会ったことないっしょ。
もう、ホンマに、あったり前の話、してるだけですよ。

主人公の女子高生とかと、
それと映写機とをごっちゃにして話す奴なんか、いないっしょ。

ところが、それをごっちゃにするとこがあるんですわ。
それが、意識の議論なんですよ。
ほんで、その事を指摘したのが、哲学者のチャーマーズです。
かっこつけて、イージープロブレムとハードプロブレムっていってるだけですけどね。

イージープロブレムの方が映写機とかスクリーンのことで、ハードプロブレムの方が、女子高生とか、転校生の宇宙人のことですわ。
ここまで分かりやすく説明すれば、さすがに、わかるでしょ。
ギーッ、ガシャ、「愚かな地球人どもよ」
失礼しました。

まっ、宇宙人は置いといて、
科学者は、映写機から出る光の波長とかを調べて、「この女子高生は、なんで、こんなに驚いてるんだ」とか、解明しようとしてるわけです。
「いや、そこ調べても、女子高生の気持ちなんか、分からんでしょ」
ってなりますよね。

まぁ、映画の例は、分かりやすく説明するためのたとえです。
意識は、映画とはちょっと違います。
映画の中の世界と、現実世界とは完全に分離していますよね。
映画の中の人物が、現実世界の人に話しかけてくることはないです。
たとえば、映画の中の宇宙人がパッと振り向いて、
「次はお前の番だ!」
とか言ったりしないですよね。

でも、意識は、現実世界と関わります。
だから、意識のたとえとしては、映画より、コンピュータの方が近いんです。
脳と意識の関係は、コンピュータのハードウェアとソフトウェアの関係って感じです。

たとえば、マイクロソフトのワードで何か文章書いたとしましょ。
それを印刷するとき、プレビュー画面で確認して、印刷ボタン押すでしょ。
そしたら、プリンタから印刷されてでてきます。

ワードで書いた文章は、ソフトウェアの中身の話です。
それが、紙に印刷されて出てくるわけです。
現実世界に形となって現れるわけです。
ソフトウェアが意識とすると、意識の世界が、現実世界に現れてきたわけです。
これが、脳と意識の関係が、コンピュータのハードウェアとソフトウェアの関係に近いってことです。

目からの信号は、神経細胞を伝わって脳内で処理されるわけです。
そうやって、見た光景の意味を理解して、びっくりして心拍数があがったり、叫んだりするわけです。

目で捉えた映像、上昇した心拍数、叫び声、どれも物理的に分析できます。
だから、科学者は勘違いしてしまうんです。
これら、全部、繋がるはずだって。
あとは、脳内の細かい処理が解明できたら、意識の謎が解明できるって信じてるんです。

たとえば、ツーソン会議の主催者の一人のスチュワート・ハメロフ博士はこういってます。
(麻酔医 スチュワート・ハメロフ 1947年~)
「意識は、脳細胞のマイクロナノチューブの超分子レベルの振る舞いによってもたらされてる」とか。
ほんで、理論物理学者のロジャー・ペンローズもこれに賛同して、こんなこといってるんです。
(理論物理学者 ロジャー・ペンローズ 1931年~)
「脳内で起こってるのは量子力学的な現象で、それは、波動関数の収縮過程だから、アルゴリズムでは書き下せない」とか。
もう、何言ってるのか、全然、意味わからないですよね。
でも、とにかく、脳細胞をもっと細かく調べたら意識のことが分かりそうって、信じ切ってますよね。

こんな考えを、僕は、オッカムのカミソリで、バッサリ切り捨てるわけです。
量子とか、波動関数とか、そんなのは、天動説だってことです。
地動説で考えれば、もっと単純ですよって。

科学は、長い歴史のなかで、何度も大きな変革をしてきました。
これを、パラダイムシフトって言います。

天動説から地動説への変革もパラダイムシフトです。
ニュートン力学から量子力学への変革もパラダイムシフトです。

パラダイムシフトのたびに、科学は、大きなものを取り込んできました。
天動説から地動説になることで、聖書で扱ってた世界を科学に取り込むことになりました。
量子力学によって、原子より小さい世界を取り込みました。

さて、意識科学は、今までの科学が扱ってない分野を取り込むことになります。
それは、言語とか、感情とか、心とかです。

そのために、根本的な考えを変えなくてはいけません。
それが、意識は、脳というハードウェアの上で動くソフトウェアって考えです。

意識はソフトウェア。
この新しい視点から、意識科学、心の哲学といった分野を読み解けば、スッキリと読み解けるんです。

次回から、心の哲学の難問を読み解いていきますよ。
興味がある方は、ぜひ、チャンネル登録、しておいてください。

では、次回もお楽しみに!