ロボマインド・プロジェクト、第439弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
今回も、神経科医、ハロルド・クローアンズの『失語の国のオペラ指揮者』からの話です。
ある時、ハロルド先生のとこにテレンス・ヘネシーという教授が診察に来ました。
ヘネシーの専門は文学で、64歳になった今でも、かなりの量の本を読んでいました。
それも、英語の他、フランス語、ドイツ語など何か国語も読めます。
ヘネシーが言うには、ある日、目が覚めたら突然、文字が読めなくなったそうです。
朝起きて、新聞を読もうとすると、何が書いてあるのか全く読めなくなってたそうです。
それが新聞だということも、どこに文字が書いてあるかも分かります。
でも、いざ、読もうとすると、さっぱり読めないんです。
読めないですけど、会話はできます。
ちゃんと言葉の意味も理解してます。
さらに、文を書くこともできます。
それなのに、書かれた文だけ読めないんです。
自分で書いた文でも読めないんです。
後に分かったのですけど、英語やフランス語、ドイツ語は読めないんですけど、なぜか、ヘブライ語は読めるんです。
これ、いったい、どういうことなんでしょう?
今回の話、めちゃくちゃ面白いですよ。
テーマは、言葉と文字です。
言葉と文字って、ペアになっていて、どっちも似たようなものだと思いますよね。
でも、この二つは決定的に違うんです。
人類が言葉を話すようになったのは7~10万年前です。
でも、文字の歴史って、たかだか5000年です。
それも、長い間、文字を読み書きできる人なんて、特権階級の一部の人だけです。
一般の人が文字を読み書きできるようになったのなんて、ほんの200年ぐらいです。
これって、単に、歴史の長さの違いってことじゃないんですよ。
一番の違いは、進化です。
つまり、人間が言葉を話すのは、これは進化によって獲得したものです。
つまり、脳に刻まれてるものです。
でも、たかだか5000年の歴史しかない文字は進化で獲得したものじゃないんです。
文字は、生まれた後に学習したものです。
脳の進化からみたら、文字は単なるオマケです。
これが今回のテーマです。
脳の進化
文字は言語のオマケ説
それでは始めましょう!
今回の話のキーは、進化生物学者のスティーブン・ジェイ・グールドにあります。
グールドの科学エッセイはめちゃくちゃ面白くて、たとえば僕も、第113回「ミッキーとかわいいの進化論」でも紹介してます。
これが今のミッキーです。
かわいいですよね。
こっちが昔のミッキーです。
うわ、怖っ!
つまりね、かわいさは進化してて、これは生物も同じなんです。
なかなか面白い話なので、ぜひ、第113回をみてください。
さて、グールドは、ダーウィンの進化論を、いつもちょっと違う角度から語ります。
たとえば、今回取り上げる話は、建築をつかって、進化の複雑性について語ります。
これは、イタリアのヴェネツィアにあるサンマルコ大聖堂です。
天井の丸いドームが印象的な見事な立派な教会ですよね。
建物の中に入ると、キリスト教の宗教画で飾られているのがわかります。
ドーム状の天井は神が作った完璧な宇宙を表しています。
そして、その下の四人の天使は、福音書を書いたマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの四人の伝道師を表しています。
四人の伝道師が神の世界を支えてるわけです。
この教会は、そういった神の世界をたたえるために作られたんでしょう。
でも、「はたしてそうか?」ってグールドは問いかけます。
天使が描かれてる三角形の部分のことを、建築用語でスパンドレルって言います。
ドームは四方から丸いアーチで支えられていますよね。
そうなると、ドームとアーチの間には四つの三角が生まれます。
これは、建築構造から必然的に生まれた形です。
そこに四人の天使をかいたわけです。
何が言いたいかと言うと、この三角形は四人の天使をかくために作られたわけじゃないってことです。
そうじゃなくて、ドームをアーチで支えようとしたら仕方なく三角の隙間ができたわけです。
「隙間をそのままにしとくのは味気ないので天使をかこう」
「そうだ、四つあるなら、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの四人をかこう」
そうやってかかれたのが四人の天使です。
たぶん、これが正解です。
そんなことを考えてたグールドは、「これって、進化にもあてはまるよなぁ」って思ったわけです。
なかなか面白そうな話でしょ。
さて、本題は、こっからです。
クローアンズ先生は、文字もこれと同じ、スパンドレルじゃないかって言うんですよ。
言語は、7万年以上かけて進化で獲得したものです。
だから、脳の構造としてしっかり根付いています。
サンマルコ大聖堂で言うと、ドームと、それを支える四つのアーチです。
それに比べて、たかだか5000年の歴史しかない文字は、後から付け足したおまけみたいなものです。
ところが、現代から見ると、言語と同じぐらい素晴らしいものに見えるわけです。
あたかも、人類は進化によって文字を獲得したんじゃないのかって。
でも、「いやいや、そうじゃないよ」とクローアンズ先生は言います。
「ドームとアーチの間にできた三角の隙間に、おまけとしてかかれた天使が文字だ」っていいうんです。
クローアンズ先生は、さらに脳の構造から読み解いていきます。
こっから面白くなってくるんですよ。
まず、これが脳内の視覚の処理経路です。
眼球から入ってきた視覚情報は、後頭部にある一次視覚野に送られます。
目の前にスクリーンがあるとして、青い部分が右側の視界で、赤い部分が左側の視界です。
目は左右に二つありますよね。
脳も右脳と左脳に分かれてます。
そして、眼球は、右側の視界担当、左側の視界担当って左右二つに分けられます。
そして、右側の青い視界は左脳、左側の赤い視界を右脳の一次視覚野に送られます。
これが進化で獲得した脳の構造です。
サンマルコ大聖堂なら、ドームとアーチのことです。
次に、眼球について詳しく見てみます。
眼球の奥に視神経が張り巡らされた網膜があります。
網膜の中心部分に、直径1.5~2mmぐらいの黄色い部分があって、それを黄斑と言います。
じつは、網膜のうち、物の形をはっきり認識できるのは、この黄斑の部分だけなんです。
その周りのほとんどの部分は、ぼやっとしてて、物の形より動きに反応します。
だから、人は何かを認識するとき眼球を素早く動かして黄斑で捉えます。
さて、人は利き手ってありますよね。
たいていの人は右利きです。
見た目は同じですけど、右手と左手じゃ、全然、使うときの感覚が違いますよね。
その原因は、右脳と左脳にあります。
脳には優位半球というのがあって、たいていの人は左脳が優位半球となっています。
左脳が処理するのは右半分で、右脳が処理するのは左半分です。
だから、左脳が優位半球となってる人は右利きになるんです。
それと同じように、視覚処理も左右の視界で優位さが違います。
左脳優位だと、右の視界が優位となります。
さっきも言いましたけど、一つの眼球は左右二つに処理が分かれましたよね。
それから、眼球の網膜のうち、物がはっきり見えるのは中心の1~2㎜の黄斑でしたよね。
つまり、この小っちゃい黄斑も左右二つに分けられるんです。
こっからようやく文を読む時の話に入ります。
英語は左から右に横書きで書かれますよね。
だから、文を読むとき眼球を左から右に動かして読みます。
左脳が優位の人は右の視界が優位になります。
つまり、文を読むとき、右の視界に入ってきたとき読むって処理が働くんです。
文字って小さくて細かいでしょ。
だから文字を見極めるのは直径約1㎜の黄斑に入ったときです。
直径1㎜の黄斑がさらに左右に分割されて、そのうち左側に文字がはいってきたとき文字を読んでるんです。
かなり細かい話でしょ。
だから、普段を読んでるとき、どっちが優位かなんか気づきません。
利き手みたいに、どっちを使ってるかなんか意識してないんです。
でも、実際の脳の中だとこうやって役割分担がされてるんです。
さて、左脳優位の人は言語野も左脳にあります。
言葉の意味を理解するウェルニッケ野が左脳にあるわけです。
言語は進化で獲得した立派な構造の部分です。
それに対して、言葉を文字や文で書くのは、後から付け足したおまけです。
元々あるの脳の構造のうち、使えるものをつかって付け足したわけです。
言葉を覚えるのも、読み書きを覚えるのも、15歳ぐらいまでにほぼ完成します。
英語だと、左から右に読んで、右側視界で左脳に文字が入ってきたとき、それを順にウェルニッケ野に送る経路がつくられるわけです。
これが、生まれてから学習で獲得する部分です。
さて、ようやく冒頭で紹介した文学教授のヘネシーの話に入ります。
ヘネシーは、ある朝、突然、文字が読めなくなりました。
ヘネシーは、糖尿病を患っていました。
そのため、脳の動脈にコレステロールの沈殿がたまっていたと思われます。
それから、前立腺肥大で尿が出にくくなっていたので、前の晩、夜中に目が覚めてトイレに行ったとき、いつものようにお腹に力を入れて用を足しました。
お腹に力をいれることでお腹に血圧が使われるので、一時的に脳の血圧が下がったんです。
それで、溜まっていた脳の動脈のコレステロールが脳の血管を塞ぎました。
つまり、脳梗塞が起こったんです。
幸いなことに、脳梗塞はほんの一部で起こったので、ほとんど生活に支障が出ませんでした。
調べてみると、ほんの1cmほどの脳梗塞でした。
ただ、場所が悪かったんです。
それは、読み取った文字をウェルニッケ野に送る経路で起こってたんです。
だから、読むことだけができなくなったんです。
でも、しゃべったり、書いたりすることはできました。
それじゃか、なぜ、ヘブライ語は読めたんでしょう。
それは、読む方向です。
英語は左から右に読みますけど、ヘブライ語は右から左に読みます。
英語文化圏で育ったヘネシーは、眼球が左から右に動かして、右の視界に入ってきた文字を左脳で判定してウェルニッケ野に送る処理経路が形作られたわけです。
これは、先に視界に入ってきた方から処理するように最適化されていたとも言えます。
そして、ヘネシーは、この部分に脳梗塞が起こったから文が読めなくなったわけです。
さて、ヘブライ語は左から右に読みます。
すると、ヘネシーの脳は、右脳で文字判定したんでしょう。
そして、右脳で判定した文字を左脳のウェルニッケ野に送ります。
つまり、新たな処理経路がつくられたんです。
だから、ヘブライ語は読めたんです。
これがヘネシーの頭の中で起こった出来事です。
こう考えると、きれいに説明がつきますよね。
重要なのは、ウェルニッケ野に続く経路が生きてるか死んでるかです。
たとえば、ヘネシーは、文を読むことはできなくなりましたけど、耳から聞いた言葉は理解できましたよね。
これは、耳からウェルニッケ野に入る経路は脳梗塞で損傷しなかったからです。
このことで思い出すのは、第415回で紹介したヴァージルです。
ヴァージルは生まれつき目が見えません。
それが、50歳になって手術をして、初めて目が見えるようになりました。
それで普通の人のように見えるようになったかというとそうはなりませんでした。
その一つが文章です。
文字の形までは見分けることができるのに、文字がつながって単語になると、途端に分からなくなったそうです。
でも、会話もできますし、点字も読めます。
さらに、お墓に刻まれた墓碑も、手で触って読めます。
見て読むことだけができないんです。
これも、今回の話から考えると分かりますよね。
文字を読むという機能は、生まれつき持ってるものじゃありません。
生まれた後、学習することによって形作られるものです。
視覚処理で判定した文字をウェルニッケ野に送る回路を形成することで文を読めるようになるわけです。
視覚情報から形を認識する部分は、生まれつき持ってる機能です。
たとえば側頭葉では、こんな風に形を認識する機能があります。
だから、50歳になって初めて見えるようになっても文字の形を分析することはできるわけです。
でも、文を読むというのは文字を順につなげて単語として認識する処理です。
それは、生まれつき持ってる機能じゃなくて、15歳までに学習で獲得する機能です。
だから、15歳までに目で見ることで単語を認識する能力を習得しなかったら50歳になってから見えるようになっても単語や文を読めるようにならなりません。
これが進化からみた言語と文字の関係です。
基本となる構造があって、それを利用して後から便利な機能を追加していったんです。
それが文字です。
僕は、システム開発をしてるので、このことはよくわかります。
10年以上前に作ったシステムを、未だにバージョンアップを続けて運用してるものもあります。
0から作るなら楽なんですけど、後から機能を付け足すとき、元の機能を壊さないように、かつ、使えるものは元の機能をちょっと改良します。
脳の仕組みも、まさに、それと一緒なんですよ。
たとえば意識って、自分の体を制御する一番重要な仕組みに思えますよね。
でも、もしかしたら、余った材料を組み合わせてたまたまできた、単なるオマケなのかもしれません。
はい、今回はここまでです。
面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、よかったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!