ロボマインド・プロジェクト、第441弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
脳のどこでどんな処理をしてるかについては、分かってることと分かってないことの差が結構大きいです。
たとえば視覚処理は、側頭葉で四角や十字とかの形を分析してるってとこまで分かっています。
言語に関しても、左脳のウェルニッケ野で言葉の意味理解をしてて、ブローカー野では発話処理をしてるとか分かっています。
ただ、意外と分かってないのが音楽です。
脳科学の本を読んでも、音楽は脳のどこで処理してるって、あんまり出て来ません。
こんなとき、ヒントになるのが脳障害です。
脳の一部が損傷して、どんなことができなくなって、どんな機能が残ったかを知ることで、脳のどこでどんな処理をしてるのか推測できます。
ただ、音楽の場合、被験者は誰でもいいってわけじゃなくて、楽譜を読み書きしたり、作曲や演奏できないと意味がありません。
そこで、今回の主人公のチェザロ・ロタの登場です。
チェザロは、ミラノの現役のプロの指揮者です。
それが、脳梗塞で失語症になりました。
それも全失語です。
全失語というのは、ウェルニッケ野とブローカー野の両方を損傷するかなり大きな脳障害です。
それが、今でも指揮を続けているんです。
これは、かなり興味深い事例です。
今回も、ハロルド・クローアンズの『失語の国のオペラ指揮者』からの紹介です。
今回の話、この本のタイトルにもなってるとおり、失語症の指揮者の話です。
左脳が脳梗塞になったので、チェザロは右半身をうまく動かせません。
だから、左手で指揮をします。
それも、かなり見事な指揮だそうです。
じゃぁ、チェザロは何ができないのか?
楽譜は読めるのか?
新しい曲を覚えることができるのか?
歌は歌えるのか?
こう言ったことを一つ一つ分析することで、音楽は脳のどこで、どんな処理をしてるのか、かなり細かいことまで分かってきました。
これが今回のテーマです。
脳は、音楽をこんなふうに理解してた!
それでは、始めましょう!
まずは、言語と文字の関係からおさらいします。
サンマルコ大聖堂は大きなドームが特徴のヴェネツィアの教会です。
中に入ると丸いドームを四方からアーチが支えてるのが分かります。
丸いドームとアーチの間の三角の隙間には天使が描かれています。
丸いドームは神が作った完璧な宇宙です。
それを支える天使は、福音書を書いたマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの四人の伝道師を表しています。
この教会は、一見、四人の伝道師を称えるために建てられたように見えます。
でも、それは逆です。
丸いドームを四方からアーチで支えると、必然的に三角の隙間が生まれます。
三角をそのままにしておくのがもったいないから天使をかいたってのが正解です。
つまり、ドームとアーチは教会の重要な構造ですけど、三角の隙間や天使はオマケってわけです。
何が言いたいかって言うと、言語と文字の関係と同じだってことです。
言語は進化で獲得した脳の構造ですけど、文字は、脳の構造の隙間に付けたしたものってことです。
言い換えると、言語は持って生まれた機能なので自然と身に付くけど、文字は生まれてから学習しないと身に付かない能力ってことです。
さて、それじゃぁ、音楽はどうなんでしょう?
音符は文字と同じで生まれてから学習で習得するものでしょう。
それは何となくわかります。
じゃぁ、音楽の理解って、進化で獲得したものなんでしょうか?
それとも、これも生まれてから学習するものなんでしょうか?
それを、失語症になった指揮者、チェザロから考えていきます。
チェザロが脳梗塞となったのは3年前です。
CTスキャンで見てみると、左脳の三分の二がやられていました。
ブローカー野とウェルニッケ野の両方がやられて全失語となっています。
全失語でしたけど、単語は理解できました。
絵を見て正しい単語を選ぶことはできます。
それから、一つの指示までなら理解できます。
たとえば「左手を上げて」とか「目を閉じて」といった一つの指示に従うことはできます。
でも、「左手を上げて目を閉じて」といった二つ指示をだすと、戸惑ってできなくなります。
言葉の理解はこの程度です。
チェザロが倒れてすぐに見舞いに来たのは、古くからの音楽仲間のジョバンニでした。
彼は、右半身がほとんど動かないチェザロを車いすに乗せて病院の音楽室に連れ出して、チェザロがいつも指揮してた曲をピアノで弾きました。
そして、「指揮しろ」と言いました。
でも、右手はうまく動きません。
そこで、「左手で指揮しろ」と言って、ピアノを弾くのを止めてチェザロみ見上げました。
これは、指揮者の出だしの一振りを待っている状況です。
チェザロは、ゆっくりと左手を持ち上げると、次の瞬間、テンポよく手を振り下ろします。
ジョバンニは、それに合わせてピアノを弾きます。
チェザロの指揮は、テンポ、音量、フレージング、すべて完璧でした。
つまり、音楽は完璧に理解していたんです。
言葉は、ほとんど理解できませんけど、音楽の理解は完璧です。
オーケストラの指揮ができるんですから、長い交響曲全部を理解してます。
どうやら、言語の理解と音楽の理解は、別の場所で行われてるようです。
チェザロは左脳のほとんどを損傷してるので、音楽を理解するのは右脳といえるでしょう。
それから、チェザロはうまくしゃべれないですけど歌は歌えます。
じつは、失語症でも歌が歌えることはよくあるそうです。
ただ、チェザロの場合、オペラを完璧に歌います。
それも、6重奏のオペラだったらい、六つのパートを全て完璧に歌えます。
それから、チェザロが指揮できるのは脳梗塞になる前に演奏してた曲に限ります。
新しい曲は覚えることができないそうです。
それと、チェザロは指揮はできるようになりましたけど、楽譜は読めなくなりました。
新しい曲を覚えられないというのは、楽譜が読めないことに関係がありそうです。
オーケストラの指揮をするには、すべてのパートの楽譜を完全に読めないと指揮できませんから。
ところが、新しい歌は歌えるそうです。
これははどういうことでしょう?
おそらく、歌と楽譜の関係は、言語と文字の関係と同じだと思われます。
音楽や歌は進化で獲得したものです。
世界中の民族で言葉を持たない民族はいないのと同じように、歌を持たない民族もいません。
つまり、歌は進化で獲得したものなので、誰もが苦労せず歌えるようになります。
でも、楽譜をもたない民族はいっぱいいます。
それに、楽譜は学校で習ってるはずですけど、楽譜を読めない人の方が多いですよね。
つまり、楽譜は生まれた後、かなり苦労して学習してようやく読めるようになるものです。
さて、ここまでが本に書いてあることです。
ここからは、僕の考察になります。
僕が知りたいのは、音楽と言語とはどう違うのかってことです。
本題はこっからです。
まず、言語は左脳で処理してるのは間違いないです。
チェザロは左脳のほとんどが脳梗塞になったので全失語となりました。
でも、音楽の能力は残っていました。
ただ、新しい曲は覚えられませんでした。
これは楽譜が読めないことが関係しそうです。
ここで、言葉の意味理解について復習しておきます。
人は目で見た世界を頭の中で仮想世界として構築します。
意識は、この仮想世界を介して世界を認識します。
これが、僕が提唱する意識の仮想世界仮説です。
仮想世界は、コンピュータなら3DCGでつくられます。
そうすると、仮想世界にあるものは3Dオブジェクトとなります。
オブジェクトは色とか形ってプロパティを持っています。
リンゴの色プロパティは赤で、形プロパティは丸です。
こういった要素は側頭葉で解析されます。
側頭葉で基本的な要素が解析されて、それらを使って仮想世界が組み立てられるわけです。
意識はそれを認識するので、「リンゴは赤い」とか「リンゴは丸い」って思うわけです。
これが言葉の意味を理解してるってことです。
または、仮想世界による世界の理解です。
ここで注意してほしいのは、仮想世界というのは頭の中につくられているってとこです。
つまり、現実世界と切り離されてるってことです。
だから、目の前の現実だけじゃなくて、昔のことを思い出したり、将来のことを想像したりもできます。
理論的な思考ってのは、仮想世界でオブジェクトを操作することです。
たとえば、レゴっておもちゃ、ありますよね。
レゴでアンパンマンを作るとします。
これは、頭の中にアンパンマンを想像して、レゴのパーツから組み立てるわけです。
目の前のパーツの山が現実世界で、頭の中の仮想世界にアンパンマンがあって、それに近づくようにレゴのパーツを組み立てるわけですよね。
こういった理論的な思考をするのが左脳です。
じゃぁ、右脳が得意なのはどんなことでしょう?
それは、音ゲーとかです。
たとえば、「太鼓の達人」ってゲームがありますよね。
ヒット曲に合わせて太鼓をたたくゲームです。
これは、YOASOBIの『アイドル』の太鼓の達人です。
これ、レゴブロックで遊ぶときとは、違う脳を使ってますよね。
レゴで使うのは仮想世界です。
もし、太鼓の達人で、仮想世界をわざわざ組み立ててたら、とても音楽に合わせて太鼓なんか叩けないですよね。
つまり、音楽は仮想世界を使うんじゃなくて、直接現実世界に反応してるんです。
左脳は、仮想世界を思い描きながら、目の前の現実のレゴブロックを変形させます。
それに対して、右脳が感じるのは現実世界だけです。
現実世界にはリアルに時が流れています。
音楽はそこにあります。
その流れをありのまま感じて太鼓を叩くわけです。
「この曲、誰の曲だったかなぁ」とか、余計なことを考えるとミスします。
余計なことを考えるってのは左脳です。
左脳を使うと、現実世界とずれます。
自分と音楽が完全に一体となったとき、音楽に完璧に一致した太鼓となります。
このときフル稼働してるのが右脳です。
ここで書き言葉と楽譜の違いについて考えてみます。
書き言葉は仮想世界の状況を文字で表現するものです。
楽譜は、音楽を音符で表現したものです。
どちらも紙に記号で書く点はおなじですけど、書き言葉で再現するのは仮想世界、楽譜が再現するのは現実世界の音の流れです。
文字や記号を扱うのは左脳です。
左脳は仮想世界を扱うのには慣れてるので、書き言葉から仮想世界を再現するのは比較的スムーズにできます。
ただ、左脳は、現実世界の音の流れを扱うのは慣れていないので、楽譜から音楽を再現するのは、言葉の理解より苦労するんです。
だから、子どものころからピアノを弾いたりとか楽器にふれてないと、なかなか楽譜を読めるようにならないんだと思います。
どうやら右脳と左脳では、情報処理が異なるようです。
このことは、第426回、427回で異なる二つの知性として説明しました。
426回で紹介したレベッカは、知的障害とされて、うまくしゃべれないし、ぎこちない動きをします。
でも、音楽合わせて踊ることはできるし、劇をすると、セリフをちゃんと喋れます。
第427回のマーチンも知的障害と言われていましたけど、音楽を完璧に理解していました。
僕は、これを二種類の知性に分けました。
一つは静的な知性、もう一つは動的な知性です。
静的な知性というのは、理論的に思考するタイプで、言語やレゴブロックを組み立てるときに使う知性です。
または、仮想世界を使うタイプの処理で、これは左脳が行います。
もう一つは、動きとか流れを使う知性です。
それは仮想世界を使うんじゃなくて、現実世界と一体となった処理で、これは右脳が行います。
それから、左脳が脳卒中になったジル・ボルト・テイラーの話も思い出します。
ジルは、左脳が脳卒中になって、右脳だけの世界を感じました。
脳卒中が起こった時、最初、体の境界が分からなくなってきたそうです。
体がどんどん膨張するのを感じて、やがて世界と一体となったそうです。
その時、今しか感じられなかったとも言います。
そこにあるのは、今、この瞬間だけだったそうです。
脳卒中になる前は、自分と世界がはっきりと分かれていたわけです。
おそらく、そう感じさせてたのは左脳でしょう。
左脳は、仮想世界を作ります。
仮想世界の中にオブジェクトを作ります。
オブジェクトの一つが自分です。
だから、左脳で考える自分は、世界との境界がはっきりしてて、世界から切り離されているわけです。
それが、左脳が停止すると仮想世界が消えたわけです。
だから、自分と世界の境界が分からなくなってきたわけです。
優位な左脳の処理が停止して、裏に隠れてた右脳が優位になってきました。
意識はそれを感じたわけです。
右脳は、仮想世界を使いません。
それより、世界と一体となろうとします。
世界の動き、世界の流れと一体となろうとします。
それから、ジルは、こうも言っていました。
世界と一体となった時、この上ない幸福を感じたって。
たぶん、太鼓の達人を一心不乱で叩いてるときもおなじ幸福を感じるんだと思います。
それは、自分が消えて、世界と一体となる幸福感です。
オーケストラが一体となって、一つの曲を演奏するときもおなじ感覚を感じるのだと思います。
それが右脳の幸せです。
それが音楽です。
ただ、左脳でも幸福を感じるはずです。
レゴブロックでアンパンマンを完成させたときも嬉しいですよね。
でも、右脳の幸福とは種類が違います。
アンパンマンを完成したときの幸福は、頭の中に思い描いた理想に近づいた幸福です。
それは理想の自分が確立された幸福です。
その自分は、世界と完全に切り離されてるわけです。
他人とは違う、確固たる自分を感じたときの充足感です。
これが左脳の幸福です。
右脳で感じる幸せは、世界との一体感です。
そこでは、逆に自分が消えてるんです。
自分が消えて世界と一つになる幸福です。
左脳と右脳は、求めるものが違うわけです。
そして、それぞれで味わう幸福も違うようです。
左脳的な幸せは、自分と世界、自分と他人と分けます。
他人を前提として自分が幸せになるので、誰もが幸せになることはありません。
でも、右脳的な幸せは自分が消えて世界と一体となることです。
誰もが幸せになる世界のヒントは、このあたりにあるのかもしれません。
はい、今回はここまでです。
面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、動画内で紹介した意識の仮想世界仮説に興味がある人は、こちらの本を読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!