第448回 言語学の新仮説発表! ホッピング理論


ロボマインド・プロジェクト、第448弾
こんにちは、ロボマインドの田方です。

ロボマインド・プロジェクトは、自然な会話ができるAIを作るプロジェクトです。
だから最初は、中学の文法の参考書に載ってる文法を順番にプログラムで書いていったんですよ。
たとえば助動詞「ない」は動詞の未然形に付くって文法をプログラムにして、「食べる」と「ない」をつなげると「食べない」って変形させるとかです。
こういうの、中学で習ったでしょ。
文法をプログラムにしたら、最後に、ランダムに単語を選び出してつなげたら、意味は分からなくても文法的には正しい文が生成されます。
ところが、文法全部入れてもたまにおかしな文ができるんですよ。
もっと本格的な文法書に載ってる文法を入れても、やっぱりおかしな文ができます。
それで、自分等で独自の文法を見つけて、新たに登録したりしていったんですけどキリがなかったです。
こんな風にコンピュータで文法を検証するとかって、誰もしてこなかったんですかねぇ。
こんなやり方で文法を見つけること自体に問題があるんじゃないかって思ったんですよ。

どういうことかって言うと、言語学者は文を研究しますよね。
そこから導き出された文法が、「こ・き・くる・くる・くれ・こい」とか、未然・連用・終始・連体・仮定・命令とかです。
このやり方で分析できるのは、書かれた文までです。
でも、その文は脳の中で作られたんですよね。
脳は、何らかの状況を認識したり、考えて、それを文にするんですよね。
つまり、文になる前に脳の中でどんなふうに処理されたかは、書かれた文をみただけじゃわからないんですよ。
文の意味を理解するには、文そのものを分析するんじゃなくて、文が出力される処理の過程を含めて分析しないとだめなんですよ。
つまり、脳の中で世界をどんなふうに認識するかとか、それをどんなふうに処理するかとかを先に解明しないといけないんです。
でも、脳の中の処理なんて、どうやったらわかるでしょう?

そのヒントになるのが失語症です。
失語症患者は、どんな風に文の意味を理解できなくなるのかわかれば、脳の中でどうやって文を処理してるのかの手掛かりになりますよね。
それで、前回から読み進めてるのが山鳥先生の『脳からみた心』です。

この本には、失語症患者が、どんな風に文の解釈を間違うのかって事例がいっぱい出てきます。
そこから、今までの言語学からは見えなかった文の理解の方法が見えてきました。
今回、久しぶりに大発見しましたよ。
言語学の理論を根本から覆す新仮説です。
これが今回のテーマです。
言語学の新仮説発表!
ホッピング理論
それでは始めましょう!

前回は単語の意味が理解できない失語症を紹介しました。
たとえばえんぴつを指差して、「これは何ですか?」って聞くと、鉛筆で書く動作をしながら「け、消しゴムですか・・・」って答える人がいました。
それが何かわかっても、名前だけがきれいに分からなくタイプの失語症です。
今回は、単語はわかるけど、文になると分からないタイプの失語症です。

Aさん(おっさん?)にこれは何ですか?って質問すると、「それは鉛筆です」「それは櫛です」って正しく答えられます。
ところが、「鉛筆で櫛に触ってください」っていうと、とたんに戸惑うんですよ。
悩みながら右手に鉛筆を持って、左手に櫛をもって持ち替えたりするんです。
「それは違います」っていうと、今度は、鉛筆を櫛の横に並べたりします。
鉛筆と櫛をつかった何かをしないといけないってことは分かってるみたいですけど、何をどうしたらいいかが理解できないみたいです。

そこで、今度は「鉛筆に触ってください」っていうと、これはできます。
「櫛に触ってください」っていうと、これもできます。
もう一度「鉛筆で櫛に触ってください」っていうと、やっぱりできません。
単語が二つ出てくる文になるとできなくなるようです。

別の患者も見てみます。
Bさん(60ぐらいのおばあさん)は、自分で話す分には問題なく話せます。
ただ、うまく聞き取れないことがあるので筆談で話します。
山鳥先生が、「拍手をしますから、数を数えてください」と書いた紙を見せて、拍手をします。
でも、何も答えようとしません。
意味が通じてないと思って紙にかいてある「数を数えてください」というところを指で指し示したりします。
そしたら「数を数えるって、1,2,3言うの? なんでそんなこと言うの?」とかいいます。
しまいには「その字は下手やなぁ」とか言ったりします。
どうも、自分が何をしなければいけないのかが分からないようです。

別のときに、Bさんに「この部屋に何人の人がいるか、教えてください」って紙に書いて示します。
Bさんは、まず、「この部屋に何人の人がいるか、教えてください」って声に出して読み上げます。
でも、それで終わりです。
数えようとも答えようともしません。
先生は、ヒントを示そうと、一人一人指差しながら数えるふりをします。
それでも反応しません。
まだ分からないようなので、もっと大げさに数えるふりをします。
そしたら「7人やろ。さっきから何回数えてんの?」って平然と答えます。
数を数える能力に問題があるわけではなさそうです。

さて、これらはどう解釈したらいいんでしょう?
こっからは、僕の解釈です。

「鉛筆で櫛に触ってください」って文を理解できないAさん。
文の意味は分かるけど、自分に言われてると思っていないBさん。
一見、関係ないように思えますけど、ここには、同じ問題が隠れてるんです。
それは、人が持つ世界の認識の仕方です。
おそらく、それは人間のみが持ってるものです。
そして、その認識機能を使うことで文の意味を理解するんです。
言語学に欠けてるのはここです。
人はどんなふうに世界を認識するかって視点です。

人は、いろんな方法で世界を認識します。
それを無意識で自動で切り替えるんです。
文法というのは、その切り替え指示なんです。

これだけじゃわからないと思うので、具体的に見ていきます。
まずはAさんです。
Aさんは、「鉛筆に触る」や「櫛に触る」は理解できてましたよね。
でも「鉛筆で櫛に触る」となると、途端に理解できなくなりました。

触るっていうのは、自分の行動ですよね。
つまり、自分の行動に関する文は理解できるわけです。
手や指は自分の体で、自分の体は自分で自由に動かせます。
だから、指で鉛筆や櫛に触ることはできるわけです。

では、次は「鉛筆で櫛に触る」です。
今度は、鉛筆が触るわけです。
動きというのは、まずは、自分の身体で理解してるわけです。
だから、自分以外のものの動きを理解するには、自分がその立場に代わる必要があるんですよ。
この文の場合だと、まず、自分が鉛筆になったとします。
そして、その自分が櫛に触るわけです。
それは、鉛筆の先が櫛に触れてる状況です。

そんな状況を頭の中に思い浮かべて、また、自分に戻るんです。
自分に戻るって言うのは、自分が行動するってことです。
それは、今、思い浮かべてる「鉛筆が櫛に触れてる」状況を自分が作り出すってことです。
それをするには、自分が鉛筆を持って行動するってことですよね。
そこまで理解できたら、「鉛筆で櫛に触れる」ができます。

つまり、「鉛筆で櫛に触れる」って文を理解するには、鉛筆になったり、自分に戻ったりって、自分というものを自在に移動させる能力が必要なんです。
普段は、それを無意識が一瞬で切り替えてるのでそれに気づくことはありません。
そして、無意識にそれを示してるのが「鉛筆で」の「で」とか、「櫛に」の「に」とかって文法なんです。
この文法に従って、自分があっちへ行ったり、こっちへ行ったり自在に飛び回るわけです。
この自分が自在に飛び回る理論のことをホッピング理論と名付けました。
これが今回発見した新理論です。

ただ、これに似たことは今までも考えていました。
たとえば、人間社会には善悪とかってルールがありますよね。
僕は、「善」とは、相手が喜ぶことをするって定義してます。
困った人を助けるとかです。
この「善」を理解するには、相手の立場にならないといけませんよね。
相手の立場になるってのがホッピング能力です。
人類は、この能力を獲得することで複雑な人間社会を築き上げたんです。
複雑な人間社会を作り上げるてるルールが善悪ってことです。
それ以外に、感謝とか、恥とか人間社会を作り上げる目に見えないルールはいっぱいあります。
それらを支えるのが相手の立場になって考える機能です。
それがホッピング能力です。

人間社会って複雑ですけど、一瞬で判断して対応しますよね。
たとえば、今、目の前にいる子供は、うちの息子の友達でもあり、上司の子どもでもあるから、どう接すべきかとかって難しい判断を一瞬でするじゃないですか。
この時使ってるのがホッピング能力です。
人類はホッピング能力を獲得することで、複雑な人間社会を生み出したんですよ。

そして、人類はホッピングの対象を人から物に拡張しました。
いろんなものに次々に乗り移って世界を認識するようになったんです。
その能力を持ってるから、「鉛筆で櫛に触る」って状況が理解できるようになったんです。
これが言語です。
表現された文だけから文を解析するより、脳内でどんな風に世界を理解してるのかってとこから文を解析するほうが正しいやり方だと思うんですよ。

それじゃぁ、このやり方でBさんも考えてみます。
Bさんは、「拍手をしますから、数を数えてください」って紙を出されるとそれを読んで理解しました。
でも、拍手をしても数を答えようとしません。

「この部屋に何人いるのか、教えてください」って紙に書いた文も声に出して読み上げることはできます。
でも、それだけで数えようとしません。
数えるの意味も分かってます。
分かってないのは、自分が何をしないといけないかです。

この場合、考えないといけないのは、自分が何をするかってタスクです。
文を示されると、それを読んで理解するというのが一つのタスクです。
Bさんは、そのタスクを成し遂げたわけです。
だから、Bさんはそれ以上何もしないわけです。

でも、もう一つタスクが残ってますよね。
それは、文に書かれたことを実行するってタスクです。
具体的には、拍手の数を数えるとか、部屋に何人いるかを数えるとかです。
Bさんに分からなかったのは、そのタスクを実行するのが自分だということです。
まさか、自分に向けられたタスクとは思ってないわけです。
だって、自分のタスクは文を読んで理解することです。
そのタスクは既に果たしました。
だから、それ以上何もないわけです。

じゃぁ、文に書かれた内容を実行しないといけないと思うには何が必要なんでしょう?
まず、先生に紙に書かれた文を示されました。
これは、先生から自分に対する指示です。
それは文を読んで理解しろってタスクです。
次に、その内容を実行するには、今度は、紙が自分に指示を出してると理解しないといけません。
Bさんは、それができなかったんです。
これを理解するには、指示を出すのが先生から紙に移ったってことを理解しないといけません。
つまり、先生が、先生の体から紙に乗り移って、紙が自分に指示してるって状況を想像するわけです。
そしたら、「拍手の数を数えて」とか、「部屋の人数を数えて」って自分への指示として感じられるんです。
そして、それがまた先生に戻るんです。
つまり、紙に書いてあることを先生は自分に指示してるって理解するんです。

先生自身が紙に乗り移ったり、また先生に戻ったりしながら何かを伝えてるわけです。
それを理解できないと、拍手を数えて先生に答えたり、部屋の人数を数えて先生に答えたりできなんです。

こう考えたら、ものすごく複雑な処理をやってるでしょ。
この複雑な処理を実行するときにつかってるのがホッピング能力です。
この場合は、先生自身が紙に乗り移って指示を出すとかです。

文の意味の理解って、文の意味を理解するだけじゃないんですよ。
その文を書いたのは誰か、誰から発せられてるかって状況込みで理解しないといけないんですよ。
それを理解するには、紙とかってものが自分に指示を出してるって感じれる仕組みが必要なんです。
それがホッピング能力です。

世界には自分以外に、相手や物があります。
そして、自分や相手は、物に乗り移って動作してり、自分に指示を出したりします。
こんな風に世界を認識する仕組みを持ってないと文の意味を理解することも出来ないんです。
これがホッピング理論です。
言語学をひっくり返す新たな仮説を作ってしまいました。
たぶん10年後の中学の教科書には、ホッピング理論が載ってるはずです。
ここ、絶対試験に出るんで、今の内から覚えておきましょう。

はい、今回はここまでです。
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それから、良かったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!