第455回 見えるけど形がわからない 見えるってどういうことか?


ロボマインド・プロジェクト、第455弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

さて、ちょっと空いてしまいましたけど、山鳥先生の『脳からみた心』の続きです。

今回は、見るとはどういうことかについてです。
今回、ちゃんと見えるのに形が分からないって人が登場します。
視力は普通にあってちゃんと見えます。
でも、形が分からないんです。
ちょっと意味が分からないですよね。
「形がない世界」って、想像できないですよね。
じゃぁ、「愛のない世界」ならどうでしょう。
そんな歌もありましたし、これなら、何か想像できそうです。
同じ世界を生きて、同じ経験をしてるのに、その人は愛を感じることができないんです。
なんか、ちょっと切ないですよね。
それと同じです。
同じ景色をみてるのに、その人には形が感じられないんです。
「これが三角よ」っていっても、「えっ、三角ってなに?」「形って何?」ってなるんです。
切ないと言うより、「この人、何言ってるの?」ってなりますよね。
う~ん、やっぱりよくわからないですよね。
この人には、一体何が見えて、どんな風に感じてるのか。
これが今回のテーマです。
見えるけど形がわからない
見えるってどういうこと?
それでは始めましょう。

Aさん(25歳男アメリカ人)はシャワー中にガス漏れで意識を失いましたけど、運よく、発見されて蘇生しました。
その後、順調に回復したんですけど、視覚障害だけが回復しなかったそうです。
ただ、Aさんは車いすで廊下を動き回るし視力がないとは考えにくいです。
ところが、鉛筆や櫛とか見せても、それが何か分かりません。

Aさんをさらに検査してみると、色の名前を言うことはできました。
それから、直径3ミリの点の動きを追うこともできます。
やっぱりちゃんと見えてるようです。
じゃぁ、Aさんはいったい何が見えないんでしょう?

目からの視覚情報はまず後頭部の一次視覚野に送られて、そこから二つに分かれます。

一つは位置や動きを処理する経路で、これは「どこの経路」と呼ばれています。
もう一つは色や形を分析する経路で、これは「何の経路」と呼ばれています。
点の動きを追跡することができるってことは「どこの経路」は問題ないってことです。
ただ、色は分かりますけど、物の形を認識するのが難しいとのことなので、どうやら「何の経路」の一部が損傷してるようです。
じゃぁ、どのくらい形が区別できないか調べてみました。

Aさんに左の文字や図形を真似て描いてもらったのが右です。
似ても似つかないですけど、よく見ると近いところはあります。
たとえば「A」とか「X」を真似た文字をみてみると、傾きを真似ようとしてるのがわかります。
右のひし形を見ても、斜めに描こうとしてるので、傾きは分かるようです。
どうも、形はわからなくても、線の傾きは分かるようです。

視覚情報が最初に処理されるのが一次視覚野でしたよね。

一次視覚野には角度に反応する多数のカラムがあります。
カラムというのは神経細胞が集まった円柱状のまとまりです。

一つのカラムは水平とか、45度とかって、特定の角度に反応します。
Aさんが傾きを認識できたと言うことは、一次視覚野の角度を検出するカラムは正常に機能してたからでしょう。
ただ、傾きはわかっても形は認識できないようです。
そこで、どこまでなら形がわかるか究極に簡単な問題で試してみました。

左の図形と同じ形を右の4つの中から選ぶというものです。
さすがに、この問題なら解けるでしょう。
そう思って答えの図形に線を引いて選んでもらったんですけど、なんと、全滅です。
三角を丸と選んだり、エックスをOって選んだりしてます。
これはどういうことでしょう?

視覚処理は「何の経路」に沿って処理されて、徐々に複雑な要素を分析していきます。
一番最初の処理が、一次視覚野の線の傾きです。
さらに進むと、形を分析するカラムがあります。
ここには、こんな風にいろんな形に反応するカラムがあります。

Aさんの場合、この部分が損傷してたんでしょう。
だから、形が認識できなかったんです。

じゃぁ、線の傾きが分かって形がわからないってどういう感じなんでしょう?
つまりね、形って線から作られるじゃないですか。
だから線がわかれば形も分かると思うんですよ。
でも、Aさんを見ると、そうじゃないんです。
何が言いたいかと言うと、線と形とは次元が違うってことです。

たとえば二次元平面の紙があるとします。
その紙を折り曲げて立体を作ったとします。
二次元から三次元が作られたわけですよね。
でも、そう思うのは、僕らは三次元世界にいて、三次元から見てるからです。
二次元平面の中で生きてる人がいたとします。
その人からみたら、いくら紙が折り曲げられても三次元になりません。
相変わらず二次元平面で暮らしていて、世界は二次元だと思ってるはずです。

全体は、部分の総和以上だっていいますけど、それと同じです。
部分を集めるのと、全体を見るのとは別だってことです。
そのことを、別の患者で診ていきます。
Bさん(50歳ぐらいの日本男性)は、目がよく見えないと言います。
でも、付き添ってきた奥さんは、見えてるはずだっていいます。
Bさんは新聞も読むし、テーブルに落ちてる髪の毛を拾い上げて「ちゃんと掃除してるのか」って怒るそうです。
奥さんの話を聞く限り、ちゃんと見えてるようです。
文字は読めますし、視力は1.0ありました。
ただ、顔を見ても誰だかよく分からないそうです。
試しに家族の写真を見せて、誰か分かるかテストしてみると、
「髪の毛を真ん中でわけてるから息子かなぁ」とか、
「口紅を塗ってるから女やなぁ。家内か」とかっていいます。
顔を見てるんじゃなくて、部分の特徴から推測するんです。

次にこれらの絵をみせて何か答えてもらいました。

そしたら、左のハサミ、鍵が分かりましたけど、右の指、木の枝は分かりませんでした。
左と右で何が違うかと言うと、左は物全体の絵です。
それに対して右は、手の一部とか木の一部とか、全体の一部の絵です。
どうも、部分から全体を想像することができないみたいなんです。

次にこの絵をみせて、何をしてるか答えてもらいます。

もちろん、凧揚げしてる子どもです。
Bさんも子どもということはわかります。
でも、何をしてるとこなのかはさっぱり分からないようです。
上に伸びてる紐を指して「この棒はなんやろなぁ」って悩むんです。

確かにこの絵のどこにも凧は描かれていません。
それなのに、僕らは一瞬で「凧揚げだ」って分かります。
つまり、僕らは、部分を集めた以上の全体が見えてるわけです。

Bさんは、目や鼻や口を集めたら顔になるってことは知ってます。
でも顔写真をみても誰かわかりません。
髪型とか部分でしかとらえることができないからです。
顔って顔全体から感じ取るものですよね。
それは目と鼻と口を集めたレベルじゃなくて、その上のレベルにあります。
僕らは、顔って上のレベルで認識するから一瞬で誰かって判断できるんです。

ちょっと前に電車にのってたとき、そっくりの双子の姉妹が前の席に座ってたんですよ。
女子大生ぐらいの美人姉妹でした。
見ただけじゃ、見分けがつかないぐらいそっくりでした。
ただ、よく見るとお姉さんらしい方は、ちょっとだけ歯が出てたんですよ。

(一瞬だけ見せる)
いや、そんなにも出てないですよ。
ほんのちょっとだけです。
たぶんね、街で姉妹のどちらかに声かけられたとき、みんな、まず、ちらっと口元を見るんですよ。
それで、「あっ、お姉さんの方だ」って心の中で思うんですよ。
お姉さんも、「今、口元みたな」って思うんですよ。
でも、どちらもそんなこと、どちらもおくびにも出しません。
人の優しさというか、そんなことを電車の中で考えていました。

まぁ、お姉さんの話はいいです。
今はBさんです。
Bさんからわかるのは部分を集めたものと全体は違うってことです。
じゃぁ、部分の集合と全体とはいったい何が違うんでしょう?

そこで、今度は錯視を見てもらうことにしました。
ちなみに、錯視とか錯覚というのは実際に存在するものが別のものに見える脳内現象です。
存在しないものが見える脳内現象は幻覚です。
この二つは区別されて、発生のメカニズムも異なります。
今の場合は錯視です。
まず、Bさんにこの錯視を見てもらいました。

まっすぐな二本の直線の真ん中が膨れてみえますよね。
ところがBさんはまっすぐに見えるそうです。

じゃぁ、なんで僕らは真ん中が膨れて見えるんでしょう?
それは、背景に放射状にの線があるからですよね。
放射状の線が、周りからずっと奥の一点に伸びてるように感じるんです。
言ってみれば、無限に伸びるトンネルのように見えるわけです。
そこを横切る直線があるとしたら角度はこうなるはずって無意識が計算します。
その角度から判断すると、今見えてる二本の直線は両端が近づいてるはずって無意識は計算します。
計算するというより、そんな風に見える世界を無意識がつくり出すわけです。
つまり、無意識は三次元世界をつくって意識に見せたわけです。
Bさんの場合、この機能が壊れてたんでしょう。
逆に言えば、僕らは、二次元平面にかかれた図形とわかっていても、三次元として捉えようとする機能をもってるわけです。
全体を捉えると葉、一つ上の次元で見ることといってもいいようです。

もう一つ見てみましょう。
今度はこれです。

これも有名な錯視です。
奥に線でかかれた三角形があって、手前に白い三角形があるように見えますよね。
でも、よく見たら手前に三角形なんかかかれていません。
そう見えるだけです。
なんでそう見えるかと言うと、黒丸の切り欠きと、直線の端の位置関係が一直線になって線があるように見えるからです。
そう見えると言うのは、逆に言えば、そう見えるように無意識が作ってるわけです。
二次元平面にじゃなくて、前後に奥行きがある三次元世界に無意識が三角形を配置したわけです。
これが全体を見るってことです。
全体を理解するとは、一つ上の次元で見てるわけです。

この図をBさんに模写してもらったのがこの絵です。

たしかに、途中が切れた直線の三角と、切りかかれた三つの円はかかれています。
でも、これじゃぁ、手前の白い三角が見えないですよね。
つまり、Bさんには手前の白い三角が見えてないってことです。
Bさんに見えるのは、見たままの二次元の形だけです。
無意識が、奥行のある三次元世界を作りだしてないってことが分かりますよね。

目から入ってくる情報は同じです。
でも、意識が見てるのは、無意識が作りだした世界です。
「見る」と一言で言っても、無意識がどのレベルの世界を作って見せてるかで、意識が感じる世界は全く違うものになります。

最後は、普通の人でも、錯視が消える現象を紹介します。

これも、有名な錯視です。
中央のオレンジの円、右も左も同じ大きさです。
でも、明らかに左の方が大きく見えますよね。
これは、周りのグレーの円の大きさに引っ張られて錯視がおこってるわけです。

さて、この錯視図形をタイルで作って見ました。
そして、中央の円のタイルを指でつまんでもらう実験をしました。

ものを掴むとき、対象の大きさに合わせて指を開きますよね。
この時の親指と人差し指の間隔を正確に測定します。
すると、左の円をつまむときも、右の円をつまむときも全く同じ大きさだけ指が開いてたんです。
つまり、錯視が起こってないんです。
これ、どういうことか分かりますか?
視覚の処理経路は「何の経路」と「どこの経路」の二種類があるって説明しましたよね。

見えてるものが何かを認識する処理をするのが「何の経路」です。
一方、「どこの経路」は、動く点を指差したり、物をつまんだりと外界に対して動作するときに使う処理経路です。
つまり、丸いタイルをつまむときに使ったのは「どこの経路」です。
どうやら、「どこの経路」は錯視が起こらないようなんです。
じゃぁ、錯視が起こる原因は何でしたか?
それは、無意識が世界を作るからでしたよね。
無意識が作る世界も段階があって、二次元世界から三次元世界、さらには見えてない凧まで感じる世界全体を作り出します。
僕は、これを仮想世界と呼んでいます。
ただ、仮想世界を使うのは「何の経路」です。
「どこの経路」が対象とするのは外の世界です。
だから、仮想世界はつかいません。
だから、錯視は起こらないんです。
「何の経路」をもってるのは進化的に新しい生物だけです。
今回、この仮想世界は何段階もレベルがあることが分かりました。
レベルが上がると、より上の視点で世界全体が見えてきます。
生物は進化することで、より上のレベルで世界を見ることができるようになりました。
だから、全く同じ光景を見ても全然違う世界を見ることもあり得るんです。
同じ光景を見ても、形が見えてない人もいるわけです。

はい、今回はここまでです。
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それから、意識の仮想世界仮説に関してはこちらの本を参考にしてください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!