第457回 長さの存在しない空間 見えるの不思議


ロボマインド・プロジェクト、第457弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。

ものが「見える」って考えたら不思議です。
まず、「見える」って感じるってことは、見てる「意識」があるわけです。
逆に言えば、意識がなかったら「見る」必要もありません。
これは、目がなくてもいいって言ってるわけじゃないですよ。
「見える」って感じなくてもいいってことです。
どういうことかって言うと、「見える」って感じずに、視覚情報から自動で動くだけでも生きていけるわけです。
たとえばライントレーサーはラインを検知する目がありますけど、意識はないです。

つまり、ライントレーサーは「ラインがある」とか「世界がある」とかって感じてません。
世界は物質でできています。
世界を見る「眼」も物質です。
物質と物質の関係だと、世界を「見る」って感じるんじゃなくて、世界に反応するだけです。
それが、ライントレーサーです。

でも、僕らは「リンゴがある」って感じますよね。
これは、リンゴに反射した光に反応してるんじゃなくて、受け取った光を情報処理して「りんごがある」と感じてるわけです。
つまり、「ものがある」と感じるのは反応じゃなくて情報処理です。
そして「ものがある」と感じるのは意識です。
ということは、意識も意識が感じる世界も情報ということです。
たとえて言えばビデオゲームです。

世界も自分も赤や黄色のドットでできた世界にいるわけです。
マリオがブロックやキノコにぶつかるのは、同じドットでできた世界にいるからです。
僕らの「見る」って経験もこれと同じです。
ビデオゲームと違うのは、僕らは現実世界を変換してることです。

たとえばヘッドマウントディスプレイを装着してるとこを想像してください。

そのヘッドマウントディスプレイにはカメラが埋め込まれていて、あなたが普段見る視界を撮影しています。
撮影した光景はリアルタイムで3DCGに変換されます。
たとえば、目の前にリンゴがあるとしたら、リアルタイムで3Dのリンゴオブジェクトに変換されて、目の前にそっくりに表示されます。
だから、あなたはCGを見てると気付きません。
さて、こっからさらに想像力を働かせます。
今度は、ヘッドマウントディスプレイを脳の中に埋め込むんです。
ヘッドマウントディスプレイが脳に接続されて、あなたの意識は、3DCGのデータを直接読み取ります。
つまり、意識はリンゴオブジェクトにアクセスして、目の前30cmのところに赤くて丸いリンゴがあるって感じるわけです。
こんな風に感じるのは、意識も世界も、同じ3DCGの世界にいるからです。
これが世界を「見る」ということです。

これは、僕が提唱する意識の仮想世界仮説の根本的な考え方です。
ただ、これ、僕が勝手に思いついて言ってだけじゃなくて、同じようなことは、脳神経科医は昔から言っています。
山鳥先生の『脳からみた心』にも同じようなことが書かれています。

今回は、祖の紹介です。
今回も、奇妙な患者がいっぱい登場します。
精神は正常ですけど、存在しないピラミッドや猫が見えたり、次々に人が通り過ぎる光景が見える人がいます。
中には、こっちをみてお辞儀する人もいます。

それから、第455回で、見えるけど形が分からない人を紹介しましたよね。
あれも意味が分からなかったけど、今度は、二本の線分を見せて、どっちが長いかわからない人が登場します。
それも、2倍も3倍も長さが違う場合ですよ。
これらの症状を、意識の仮想世界仮説を使って解明していきます。
これが今回のテーマです。
長さの存在しない空間
見えるの不思議
それでは始めましょう!

48歳の男性、Aさん(オーストラリア人)は左後頭葉が脳梗塞になって右の視野の一部が見えなくなりました。
ところが、翌日、見えない視野にピラミッド、彫刻、ローマ兵士などが現れるようになったそうです。
しかも、自然に見えるよりもずっと明るくて、鮮明に見えるそうです。
二日後、見えるものが線やギザギザに変わったそうです。
三日目には、猫ばかり見え始めたそうです。
親猫、子猫、猫の群れが始終右の視界に現れたそうです。
ただ、その数は次第に減って、最後に一匹だけとなって、1っか月後、その一匹もいなくなって、ようやく真っ黒な視界だけとなったそうです。

62歳の女性(オーストラリア人)のBさんは、右後頭葉が脳梗塞になって左の視界の半分が見えなくなりました。
ところが、4か月後、突然、見えない視界に等身大の人々が左から彼女の方にやってくるのが見えたそうです。
重々しい表情で、特徴のない顔をしていたそうです。
通り過ぎる時、彼女の顔を見る人もいたし、お辞儀をする人もいたそうです。
一週間後、彼らは突然、姿を消したそうです。

さて、これらはどう読み解いていったらいいでしょう?
この現象、意識の仮想世界仮説で考えたら説明できます。
まず、重要なポイントは見えなくなった視界に像が現れたと言うことです。
これ、見えなくなった視界に現れたと考えるんじゃなくて、見えてる視界にも像が現れてると考えるんです。
像というのは3Dオブジェクトのことです。
意識が見ているのは仮想世界です。
仮想世界を作りだしてるのは無意識です。
無意識は、目からの情報に基づいて3Dオブジェクトを生成して仮想世界を構築します。
このとき、目から情報が入ってこないと、無意識は何を作り出していいのか分からなくて適当な像を作り出すんです。

この話、夢で考えてみます。
僕は、たまにハシゴを登ってる夢を見るんです。
何も考えずに登ってるときはいいんですけど、ふと、思ってしまうんですよ。
「本当にハシゴがあるのかな」って。
そう思ったときはもう遅いです。
足元にハシゴが消えて、気が付いたら「あぁ~」って落ちていくんです。

これ、どういうことかと言うと、夢って無意識が作り出してる世界じゃないですか。
さっきも言いましたけど、起きてるときも無意識が世界を作り出してます。
違いは、起きてるときに作ってる世界は現実世界を基にしてることです。
つまり、起きてるときに見てる世界は現実世界に近づけるように作ります。
やり方としては、現実世界からのフィードバックを受けて現実世界に一致させるんです。
ハシゴだったら、足元にちゃんとハシゴを感じるかって確認しながら作るんです。
もし感じなかったら作ったハシゴは間違いなので消さないといけません。
だから、夢の中でハシゴを確認したとたん、ハシゴは消えて、僕は落ちていくんです。

さて、起きてる間、無意識さんは、視覚情報に基づいてオブジェクトを作っています。
それが、ある日、突然、視界の一部から視覚情報が消えたらどうなるでしょう?
無意識さんは、きっと焦ります。
「あれ、この部分、何も情報がはいってこないぞ」って。
無意識さんの役目は世界を作ることです。
情報が入ってこないからって世界を作らないわけないわけにはいきません。
「とりあえず、適当なオブジェクトを作っとこ。いずれ、現実世界からのフィードバックで修正されるやろう」
そう思ったんでしょう。
まずはピラミッドかな。
次は、ローマ兵や。
次は猫や。
ところが、いくらオブジェクトを作っても、それを修正する視覚情報が入ってきません。
だから、意識は見えない視界にピラミッドやローマ兵が見えるんです。

それから、もう一つ注意してほしいのは、これらの像は、不自然に明るく鮮明に見えたことです。
周りの景色からは浮いて見えたそうです。
それから、いろんな猫が現れたそうですけど、どれも見覚えのない猫だったそうです。
Bさんも同じです。
次々にいろんな人が通り過ぎます。
どれも特徴のない顔をしています。
誰ひとり、知った人はいません。
中には、こっちを見てお辞儀する人もいましたけど、それも知らない人でした。
さて、これはどういうことでしょう?

これも仮想世界の作り方から考えたら分かります。
頭の中にはいろんなオブジェクトの原型があるわけです。
無意識は、視覚情報を基に、似てる形の原型からオブジェクトを作ります。
おじさんとかおばさんの原型です。
その後、視覚情報から実際の顔を原型に貼り付けて細部を整えて仕上げるんです。
ところが、視覚情報がこないものだから、原型そのままです。
だから、どれも特徴のない顔をしてるんです。
光とか影も分からないので、不自然に明るく鮮明に見えたんです。
ねぇ、仮想世界で考えたらきれいに説明がつくでしょ。

山鳥先生も同じことを言っています。
見えてる世界は、パターン化した像の鋳型から作られてるって。
これって、まさに仮想世界と同じことです。
山鳥先生が参考にしたのは、シドニーの神経科医、ジェームズ・ランスの40年以上前の論文です。
その頃から、神経科医の人たちは、意識が見てる世界は無意識が作りだした仮想世界だって気づいてたわけです。
それをそのままコンピュータで再現しようとしてるのがロボマインド・プロジェクトです。

次の症例は、もっと分かりにくいです。
イギリスに住むCさんは、27歳のとき、後頭部に手榴弾を受けて入院しました。
彼の目の前に鉛筆を出して「掴んでみて」といってもうまくつかめません。
手を伸ばしても鉛筆の右や左、または上や下にそれてしまいます。
次は、同じ大きさの緑の紙と白い紙を机に並べて、どちらが右でどちらが左かと尋ねてもよく分からないって言います。
それから遠近もわかりません。
二本の鉛筆を、目の前で手前と奥に15センチほど離して見せても、どっちが近くでどっちが遠いかわからないっていいます。
どっちが近いか見極めようとすると、二つの距離が入れ替わるそうです。

それから二本の線分の長さも比較できなかったそうです。
特に、線分をバラバラに置いたら、2倍~3倍も長さが違っても、どっちが長いか間違うそうです。
見えてる線の長さだけじゃなくて、「1cmとか1mってどのくらいの長さですか?」って聞いても、ちゃんと答えられません。

さて、こうれはどういうことでしょう?
どうもこの人は、空間の把握ができなくなってるようです。
ただ、空間の把握ができないってのが、想像するのが難しいんです。

たとえば、何もない空間を想像することはできますよね。
でも、何もないようにみえて、そこには距離とか上下とかがあるんですよ。
本当に何もない空間を想像することって、ほとんど不可能なんですよ。
そこで、なんとか近い状況はないか、考えてみました。
そこで、思い出したのが明晰夢です。
明晰夢っていうのは、夢の中で「これは夢だ」って気づくことです。
僕の場合、夜中にふと、目が覚めることがあります。
そのとき、寝てるってことは分かるんですけど、どんな姿勢で寝てるのか全く分からなくなるんですよ。
軽い金縛りの状態です。
無理に動こうとしたら動けるのは分かってるんですけど、しばらくその状態を観察するんです。

横向きに寝てる気がするんですけど、どっちを向いてるのかすら分からないんです。
普段なら感じるはずのベッドの感覚を全く感じないからです。
おそらく、皮膚感覚が遮断されてて意識が感じ取れなかったんだと思います。
右が下かと思うとそう思えますし、左が下かと思うとそう思えます。
頭が下かと思うとそんな風にも思えてくるんです。
無重力空間に浮いてる感じです。
空間が存在しないってこういうことじゃないかと思うんですよ。
自分が存在するってのはわかるんですけど、自分の外に現実世界があるって思えないって感じです。

Cさんもこれと同じ感覚だったんじゃないかって思うんですよ。
自分が、現実の三次元世界に属してないって感覚です。
別次元にいる感覚なんでしょう。
だから右とか左とか聞かれても答えれないんです。

これは何とかギリギリ想像できました。
でも、まだ想像できないのが、線分の長さがわからないってとこです。
2倍も3倍も長さが違う線を見て、どっちが長いか短いかわからないってどういうことなんでしょう。
空間とか距離のない世界だから長さが存在しないと言われても、その線分は目で見えてます。
見えてる限り、長さがないってことないじゃないですか。
これも、何とか無理やり考えてみました。

たとえば、赤い線を想像してください。
想像したのは、言ってみれば、赤い線の概念です。
じゃぁ、その赤い線の長さは何センチですか?
そんなの分からないですよね。
概念としての線に長さなんか存在しないわけです。
何が言いたいかと言うと、概念としての線分を想像することは可能なんです。
現実世界の紙に赤い線を引くことも可能です。
それは、現実の赤い線です。
それは、紙の上の赤い線に概念としての赤い線を投影したわけです。
現実世界には長さがあります。
だから、紙に引いた赤い線には長さがあります。
Cさんは、目に見えるものを現実世界に投影することができないんだと思います。
目に見えてる線が概念としての線としか認識できないんです。

Bさんの例だと、概念としての人が見えてたわけです。
だから無表情で特徴のない顔をしてたわけです。
それに、実際に見える人の顔を張り付けることで、現実の人として認識するわけです。
これが、現実世界で、実際に目の前に人がいるって感じることです。
Cさんは、その逆バージョンです。
目の前にある線分を、概念の線分としか認識できないんです。
現実世界と統合することができないんです。

自分の体もです。
概念としての自分の体と、現実世界の自分の体を統合できないんです。
僕が夜中に目覚めて、どんな姿勢で寝てるのか分からないのと同じです。

現実世界での自分の位置がわからないから、鉛筆を掴もうと思っても空振りするんです。
どっちが長いか比べようにも、概念としての線分として認識してるから長さの比較ができないんです。

興味深いことに、Cさんは長方形と正方形の違いは分かるんです。
長方形と正方形の違いって、辺の長さの違いですよね。
長さの違いがわからないのに、長方形と正方形の区別はつくんです。
これは、脳の視覚処理を考えれば分かります。

側頭葉には形に反応する脳細胞があって、ここで形の判別をします。
長辺と短辺の長さを比較して長方形か正方形か判別してるわけじゃないんですよ。
長方形と正方形のパターンに合致するかどうかで判断してるんです。
だから、長方形と正方形の区別がつくんです。

「見る」って、本当に複雑な処理をしてるって分かってきましたよね。
頭の中の概念を現実世界に一致させて、それを意識が感じてるわけです。
その機能が損傷して、初めて、無意識さんがそんな処理をしてたってことに気づくんです。
最後に、また、ジル・ボルト・テイラーの話を思い出しました。
ジルは、脳卒中で倒れて8年もかけて元の感覚を取り戻しました。
赤ちゃんと同じ感覚から学習しなおしたって言います。
その中で積み木の話が印象的でした。
丸や三角の積み木があります。
積み木には、一面だけ赤や黄色の色が塗られています。
積み木の形も、赤や黄色の色もちゃんと見えていました。
でも、最初、色と積み木をバラバラに認識してたそうです。
どういうことかと言うと、積み木のある場所に、たまたま色があるって感じてたそうです。
それが、ある時、色は積み木の表面だって気付いたそうです。
色と積み木は一体なんだって理解したそうです。
頭の中には概念として立体とか色があるわけです。
それを現実の三次元空間に合成して生成したものを認識してるわけです。
色、形、大きさ、距離。
これらは本来バラバラな概念として頭の中にあるわけです。
それらを合成して、僕らが感じる世界が作られるわけです。
まるで、球体は立方体の3Dオブジェクトから3Dゲームの世界が作られるみたいにです。
そんな世界を感じられるってことは、僕ら自身もゲームの3D世界にいるってことです。
同じ世界にいるから世界を感じて見ることができるんです。
「見る」っていうのは、世界を作ることと同じなんです。

はい、今回はここまでです。
面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから今回紹介した意識の仮想世界仮説に関しては、こちらの本に分かりやすく書いてありますのでよかったら読んでください。
そらじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!