ロボマインド・プロジェクト、第461弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
みなさん、2025年の予言は知ってますか?
都市伝説業界じゃ有名な話です。
2025年7月5日、大地震が起こるって予言です。
発端は、東日本大震災を見事予言した漫画家「たつき諒」さんです。
それが、この漫画『私が見た未来』です。
表紙をアップしますよ。
「大災害は2011年3月」って書いてあるでしょ。
この漫画、出版されたのが1999年です。
つまり、東日本大震災を12年前に予言してたんです。
そのたつき諒さんが、22年ぶりに出版したのがこの本です。
『私が見た未来 完全版』です。
ここには、新たな予言が追加されました。
それが、帯にも書かれてる「本当の大災難は2025年7月にやってくる」です。
正確には、「2025年7月5日4時18分、巨大な津波が発生する」と書かれてあります。
場所は、日本とフィリピンの中間地点だそうです。
その他、アメリカ・インディアンのナバホ族の予言に「2025年青い星が接近する」というのがあったり、2025年7月5日に隕石が地球に衝突するとのうわさもあります。
まぁ、こんな話は、ノストラダムスの大予言とか過去にもいっぱいありました。
今回は、2025年7月に何が起こるのかってことじゃなくて予言とか未来が見えるとはどういうことかってことを脳から読み解いていこうと思います。
前回から、山鳥先生の『脳からみた心』の記憶の章を読んでいます。
ここには脳が損傷して、時間の感覚がおかしくなる症例がいっぱい紹介されています。
Aさん(若い女性?)は、てんかんで入院しています。
発作が起こったら枕元のボタンを押すとすぐに看護婦が駆け付けます。
ある晩、ボタンが押されたので看護婦さんが急いで駆け付けました。
すると、Aさんはこう言ったそうです。
「発作が起こることも、あなたが懐中電灯を持って駆けつけてくることも、全部分かっていました。
今起こってることは、前に起こったことです。
すぐに、もっと人がやってくるでしょう。
それも見えています。
先のことが全て見えるんです」
Aさんは、未来が見えるようなんです。
Aさんも、予言者になったんでしょうか?
これが今回のテーマです。
2025年7月5日
地球滅亡の大予言を脳から読み解く
それでは始めましょう!
まず、基本的な考えからおさらいします。
今、あなたの目の前にスマホとか机とか、何かものが見えますよね。
ただ、目があればものが見えるってわけじゃありません。
もしそうなら、カメラはものを見てることになりますけど、そんなことはないですよね。
「見える」って経験は、意識が感じるものです。
それを心のモデルを参考に説明します。
感じると言うのは、何らかのデータ処理をしてるわけです。
「ものがある」なら、「ものがある」ってデータ処理をしてるわけです。
具体的には、現実世界を目で知覚して、それをそっくりそのまま仮想世界を作ります。
意識は仮想世界を認識するプログラムです。
意識プログラムが仮想世界のデータにアクセスすることが「見る」って経験です。
仮想世界は、3DCGのようなものを想像してください。
たとえば、これ、ゲーム開発環境のUnreal Engineで作った世界です。
そして、僕らは、ゲームのキャラクターとしてこの世界にいるわけです。
「木がある」とか「木の葉っぱは緑だ」って僕らが感じるのは、意識プログラムが木オブジェクトのデータにアクセスしてるってことです。
見えてるものは全て3Dオブジェクトです。
3Dオブジェクトを配置することで、自由に世界を作り上げることができます。
ゲームと違うのは、目の前の現実世界を3DCGで表現してることです。
ただし、無限に続く現実世界を全て作ってるわけじゃなくて、作ってるのは目に見えるとこだけです。
それでも、見えるとこは完璧に作られてるので、僕らは仮想世界を見てるとは気づきません。
この完璧な仮想世界を作ってるのが無意識です。
重要なのは、意識が注意を向けたとこだけ完璧な世界を作ることです。
意識プログラムが色とか形ってデータを受け取ることが「見る」って経験です。
だから意識は色とか形を認識するわけです。
意識が感じるのは視覚だけじゃなくて、聴覚とか触覚もあります。
手をつねったら痛いですよね。
これは、痛さのデータを意識が受け取ってるからです。
これがゲームだったら、ダメージ3とかって数字で表現されます。
でも、僕らは「痛さ」って感覚で痛さのデータを受け取ります。
これが、僕らも仮想世界の中にいるってことです。
ゲームを外からプレイしてるとこを想像したらだめですよ。
コントローラーでキャラクターを操作して、パンチを受けて「ダメージ3」とかって表示されてるってイメージじゃないです。
自分がパンチを受けて、「いったぁ」って感じる世界にいるんです。
そういう世界を想像してください。
それから、意識が感じるデータのことを脳科学や意識科学ではクオリアと言います。
色とか形とか距離とか痛みとか、すべてクオリアです。
これが僕らがいる世界です。
さて、次は、時間です。
時間も意識が感じますからクオリアです。
ただ、時間は他のクオリアとちょと違います。
たとえば赤って色は波長700nmの可視光とかって物理世界に存在します。
それをカメラが検出して、意識プログラムで扱える形式のデータに変換したわけです。
それが赤のクオリアです。
ただ、時間って、光とか音と違ってセンサーで検出できるものじゃないんです。
時間は、過去と現在の間とか、現在と未来の間にあるものですよね。
これはセンサーで検出できるものじゃありません。
物理データというより、仮想世界の中で定義されるデータです。
ここで、現在の現実世界を認識するときに使う仮想世界を現実仮想世界と呼ぶことにします。
そして、過去や未来を想像するときに使う仮想世界を想像仮想世界と呼ぶことにします。
これらを使って時間というデータを定義していきます。
たとえば動物園に行くとします。
これは、現実仮想世界の動物園に入るのと同じです。
そして、その中で象を見たりします。
これを文章で書けば、「動物園に行って象を見る」ってなりますよね。
そして、この文章を保存します。
次の日、昨日のことを思い出すとします。
まず、保存してた「動物園に行って象を見る」って文章を読み出して、それを、今度は想像仮想世界で再現します。
つまり、文章を基に、動物園オブジェクトとか像オブジェクトを3D空間に生成して、動物園に行って象を見てる光景が再現するわけです。
これが思い出すってことです。
前回、記憶というのは一冊の本みたいなものだって話をしました。
何か出来事を経験するたび、それを文章にして順番に保存していきます。
これが本の本文になります。
その時、出来事に日付を付けて、その日付を目次に書きます。
たとえば、昨日の出来事を思い出すとき、目次の「昨日」の章のページ数を確認して、本文からそのページを読み出して再現するわけです。
それから、目次は、随時書き換えられてて、今日の出来事は明日になれば昨日の出来事になります。
この目次が時間のクオリアです。
昨日とか10年ぐらい前って意識が感じるのは、目次を感じ取ってるわけです。
前回、頭を強く打って意識を失った時、必ず現在を起点にして過去の記憶が消えるって話をしました。
それは、レコードをかけてるとき、振動でレコード針が飛んでレコードを傷つけるのと同じです。
レコード針があるのが目次の現在の位置で、そこを起点に過去が傷ついて読み出せなくなるってことです。
今回は、頭を強く打つんじゃなくて、脳動脈瘤破裂で意識を失ったBさん(女性)が登場します。
Bさんは、当時57歳で、山鳥先生がいる姫路の病院に入院していました。
Bさんは、20年前、神戸の病院で腰の手術で入院したこともありました。
次は、頭の手術の3か月後、山鳥先生とBさんとの会話です。
「どこの手術をしましたか?」
「腰です」
「頭に傷跡がありますけど、頭の手術もしたのですか?」
「はい」
「いつしましたか?」
「去年の夏です」
「なんで頭の手術をしたのですか?」
「足が悪いから」
「ここはどこですか?」
「神戸です」
「今、いくつですか?」
「37です」
どうも20年前の手術と今回の手術の記憶がごちゃごちゃになってるようです。
つまり、記憶の本の目次がごちゃごちゃになったわけです。
頭を強く打った場合は、現在を起点として記憶障害がおこりますけど、今回は、脳動脈瘤破裂なので現在の起点とかじゃなくて、目次自体がぐちゃぐちゃになったようです。
先生の質問を聞いて答えるのはBさんの意識です。
意識は、質問されると、無意識さんに聞きます。
たとえば、「ここはどこですか」って先生に聞かれると、意識は無意識さんに「ここはどこ?」
って聞きます。
「ここ」とは今いる場所です。
無意識さんは、目次の今を探しますけど、目次が壊れててすぐに答えられません。
ただ、目に見える光景は病院なので、病院にいることは確かです。
そこで、本文から病院を検索します。
すると、神戸の病院で腰の手術したって出来事が見つかりました。
だから、「神戸」って意識に返して、Bさんは「神戸です」って先生に答えたわけです。
先生から「なんで頭の手術をしたのですか?」って聞かれると、無意識さんは、本文から病院に入院した理由を探し出して、「足が悪いから」って理由を見つけてそれを意識に返したわけです。
意識は、無意識さんの回答を信じ切っています。
無意識さんが嘘をつくなんてありえませんから。
たとえば、「昨日、何食べましたか?」って聞かれて、牛丼食べたとこを思い出して「牛丼」って答えとします。
この時、まさか、牛丼食べた記憶が嘘だって疑わないですよね。
それと同じです。
さて、記憶の目次について、もう少し考えてみます。
目次には、昨日とか、10年ぐらい前とか、小学校のころとかって章があります。
ただ、これはあくまでもたとえで、言葉で書かれてるわけじゃありません。
言葉じゃなかったら、じゃぁ、どうやって小学校のころって意味を伝えるんでしょう?
それは、感覚です。
さっき、意識が感じるのは全てクオリアって説明しましたよね。
色とか音から、時間とか痛みまで、意識が感じるものはすべてクオリアです。
そして、時間に関するクオリアにもいろんな種類があります。
たとえば、懐かしいとか、ついさっきとかって感覚です。
これを分解してみます。
まず、何らかの出来事を経験したとします。
例えば、「動物園に行く」とかです。
出来事を経験するとは、無意識が現実仮想世界で再現することです。
その時、無意識は、それが初めての出来事か、以前も経験したことか判断して印をつけます。
その印が、意識が読み取って感じるクオリアです。
さらに、以前に経験したことがあることなら、それがいつごろかってクオリアも追加します。
それが、たとえば小学校の頃ってクオリアです。
意識は、これらを感じ取って、「そういえば、小学校の頃、動物園に来たよなぁ」って思うわけです。
これが「懐かしい」のクオリアです。
この本にはイギリスの神経学者ジャクソンが集めた症例も紹介しています。
Cさんは、てんかんの発作が起こった後、目に入ったものが、以前に一度見たことがあるののように思えてくる感覚を感じるそうです。
たとえば、始めた入った診察室にあるストーブの囲いを指差して「今、急に、これが前にも見たことがあるように思えきました」って言います。
たぶん、発作が起こったとき無意識さんがバグって、現実仮想世界の出来事になんでも「懐かしい」のクオリアを貼り付けてしまったんでしょう。
だから、初めて見たものでも、前にも見たって感覚を感じるんでしょう。
これ、僕らでもたまに起こりますよね。
旅行で初めて行った街なのに、前に来たことがあるって感覚です。
いわゆるデジャヴュです。
これも、懐かしいのクオリアを間違った貼り付けてしまったから起こるんでしょう。
この現象、カナダの脳神経科医、ワイルダー・ペンフィールドは手術中に人為的に起こすことができることを発見してます。
てんかんの手術は脳の一部を切除しますけど、切除しても問題ないかどうか確認するために患者が意識がある状態で脳に電気刺激を与えます。
もし、それで言葉をしゃべれなくなると、その部分を切除したら言葉がしゃべれなくなるから切ったらダメって判断できるわけです。
そうやって確認してると、ある個所に電気を流すと、患者が、「この手術、前にも経験したことがある」って言い出したんです。
初めての脳手術だったので、そんなわけありません。
どうも、電気刺激した場所が、「懐かしい」のクオリアだったようです。
さて、冒頭で紹介したAさんの話です。
Aさんも、現在、起こってることが「以前に経験したことがある」って感じていました。
だから、発作が起こって駆け付けてきた看護婦さんを見て、「あなたが来ることは分かっていました」って感じたんです。
これは、現実仮想世界の出来事に、「懐かしい」ってクオリアが貼り付けられたからでしょう。
Aさんは、看護婦さんが慌てて駆けつけてきたのを見て、もっと多くの看護婦さんが駆け付けてくるのを想像したんでしょう。
想像するときに使うのは想像仮想世界です。
そして、Aさんは、想像仮想世界にも「懐かしい」のクオリアが貼り付けられたんです。
そしたら、意識は、未来に起こることを私は既に経験しているって感じるんです。
これが、未来が見えるって感じです。
たぶん、予言者の脳の中で起こってるのもこんな現象だと思います。
ノストラダムスは、天から大魔王が降りてくるところを想像したとき、想像仮想世界に「恐怖」とか「懐かしい」ってクオリアが貼り付けられたんです。
それが、「恐怖の大王が降りてくる」って予言です。
はい、今回はここまでです。
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それから、意識の仮想世界仮説に興味がある方は、こちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!