ロボマインド・プロジェクト、第465弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
ここ最近のテーマは右脳と左脳です。
ずっと考えてたおかげで、右脳と左脳の具体的な処理の違いはかなりわかってきました。
ただ、まだ分からないのが、なぜ、左脳にだけ意識が宿るかです。
こういうと、「えっ、意識って、左脳にしか宿らないの?」って疑問が出てくると思います。
もちろん、根拠はあります。
それは、第463回でも取り上げた分離脳患者の実験です。
分離脳患者というのは、右脳と左脳をつなげる脳梁を切断した人のことで、重度のてんかんの治療で行われることがあります。
この分離脳患者に対して右脳と左脳に別々に質問するって実験が行われたんです。
どうやるかって言うと、右の視界は左脳、左の視界は右脳の担当なので、左右のスクリーンに画像を映すことで左または右の脳だけに情報を渡すことができます。
例えば右のスクリーンに鍵の絵を映して、左脳だけに鍵を見せることができます。
そして、「何を見ましたか?」って質問します。
すると「鍵」って答えます。
次は、見たものを手で触って選んでもらいます。
右手は左脳が担当なので、右手で選んでもらいます。
すると、ちゃんと鍵を選びます。
これで、左脳は目で見て、質問に答えて、手で選ぶことができることが確認できました。
次は、これを逆にします。
つまり、右脳に鍵の絵をみせて「何が見えましたか?」って質問するんです。
そしたら、「一瞬、ぴかっと光っただけで何も見えなかった」って答えるんです。
そこで「じゃぁ、あてずっぽうでいいので、左手で見たものを選んでください」っていうと、ちゃんと鍵を選ぶんです。
「どうしてわかったんですか?」って聞くと、「触った時、『あれ?』って思ったんです」とかって答えます。
今、質問に対して「見える」とか「見えない」って答えてたのは左脳です。
つまり、左脳は、自分が何を知ってるか認識しています。
これが意識です。
一方、右脳は、見えたかどうか答えられないけど、見たものを選ぶことはできました。
右脳にあるのは、手で触った時「あれっ」って感じるだけです。
ここから、意識は左脳に宿るといえそうです。
別の実験も紹介します。
被験者の好きなバナナの絵を右脳だけに見せました。
「何が見えましたか?」って質問しても「何も見えませんでした」って答えます。
でも、「それじゃぁ、好きか嫌いか、今の気持ちを答えてください」って質問すると「好きです」って答えます。
何を見たか認識できないけど、好きか嫌いかは答えられるんです。
つまり、右脳は感じることはできるけど、何を見たか自覚できないんです。
自覚するのは意識ですよね。
右脳は自覚できないので、右脳には意識は存在しないと言えます。
つまり、意識は左脳のみに宿るってことです。
そして、この意識がどうやって生まれるのか、それがようやくわかったんです。
これが今回のテーマです。
意識は、なぜ左脳にしか宿らないのか?
それでは始めましょう!
さて、前回、第464回では右脳の処理はニューラルネットワークと同じだって話をしました。
たとえば、これは犬っぽさを学習したニューラルネットワークです。
これはヘビ柄っぽさを学習したニューラルネットワークです。
これはにょろにょろっぽさです。
これらのニューラルネットワークが反応して、「うわ、ヘビや!」って感じるんです。
そして、そんな風に感じるのは右脳です。
ニューラルネットワークは、大量の画像データから特徴パターンを学習します。
パターンというのは、似たような画像があった場合、その共通点を抜き出したものです。
たとえば三つのリンゴを見たとします。
三つのボールも見ました。
これらから共通点を抜き出して示すとこうなります。
これが「3」です。
漢字だと「三」です。
ローマ数字だと「Ⅲ」です。
何かが三つあることを示してるわけです。
これは言ってみれば見たものの形を変形したわけです。
でも、数字の3の意味となるとちょっと違います。
数字は足したり引いたりできます。
まぁ、足し算、引き算ならリンゴやボールで表現できます。
でも、たとえば「√3」とかなったら、リンゴやボールで表現できないですよね。
数字の3があるいのは、足し算とか引き算、累乗とか平方根とかが定義される数学世界です。
この数学世界にある「3」が3の意味です。
これは、たとえば3個のリンゴから、「3」って概念を取り出したわけです。
これは、3個のリンゴを三つの黒丸に変形したのとは違いますよね。
ニューラルネットワークや右脳が行ってるのは形の変形です。
一方左脳の処理は抽象的な概念を抽出する処理です。
それは意味を取り出す処理とも言えます。
別の例を紹介します。
これは脳梁を切断した分離脳患者じゃなくて、脳卒中で脳梁が損傷した人にひっ算の計算をしてもらったものです。
右が右手で計算したもので、左が左手で計算したものです。
つまり、右は左脳の計算、左は右脳の計算です。
右の左脳の計算は正しくできてますけど、左の右脳はめちゃくちゃです。
ここから、計算は左脳の処理だって分かりますよね。
紙に書いた数字は現実世界にあります。
それを左脳は数字の意味を取り出して計算するわけです。
でも、右脳は計算できません。
右脳ができるのは、見た目だけです。
この人は、左手だと「6が書けて仕方ない」って言います。
たしかに、左にはやたらと6が出てきます。
見た目の数字を書くのが右脳です。
それから、パッと見、ひっ算らしく書いてます。
これが右脳の処理です。
普段は右脳と左脳は協力して働いていますけど、脳梁が分断されたり損傷すると右脳と左脳が別々に働くようになるわけです。
このことをもっと端的に示した症状がエイリアンハンドです。
エイリアンハンドというのは、自分の意志と関係なく手が勝手に動く症状です。
これを見てください。
ケースから薬を取り出して飲もうとします。
左手でケースの蓋を開けたと思ったら壁に投げつけました。
さらに左手は右手に持ったケースを叩き落とします。
床に散らばった薬を右手で集めます。
集まったところを左手がまた散らかします。
これがエイリアンハンドです。
エイリアンハンドが起こるのも、脳梁が損傷した場合です。
そして、自分の思い通りに動かないのは左手、つまり右脳です。
いま「自分」って言いましたよね。
この「自分」が意識です。
自分である意識が体を動かすわけです。
その意識は、左脳にあるわけです。
さっき、左手は、持った蓋を壁に投げつけてましたよね。
その後、薬のケースを床にたたき落としました。
右手で集めた薬を、左手が散らかしました。
右脳が制御する左手は自分の意識に逆らって動いてるように見えます。
さて、右脳は本当に自分に逆らっているんでしょうか?
これ、右脳の処理から考えると、別の見方が見えてきます。
右脳の処理はパターンの学習です。
これは動きでも同じです。
おそらく、右脳は物を投げるってパターンを学習したんでしょう。
ものを持った時、右脳はこのパターンを思い出すんです。
普通は、右脳が投げるって思い出しても、全体を制御する左脳が不要と判断したら抑制するので投げることはありません。
でも、右脳と左脳が分離してると、思い出した右脳がそのまま行動して投げつけてしまうんです。
ものを手に持ってるのを見ると、それをたたき落とすってパターンを思い出して実行するんです。
集まってるものをみたら散らしてしまうんです。
こうして見ると、エイリアンハンドがなぜ起こるのか分かってきましたよね。
もう一歩踏み込んで考えます。
じゃぁ、左脳は、なぜ体を制御できるんでしょう。
だって、左脳も勝手に動いてもいいんじゃないでしょうか?
なんで、左脳は好き勝手に動かないんでしょう。
というか、好き勝手に動かないっていうのは、どういうことなんでしょう?
それは、何らかの目的があって、それに従って行動することです。
目的に沿って行動するように制御してるのが左脳、つまり意識です。
ここで左脳の処理、抽象化を考えます。
左脳は現実世界にあるものを抽象化して、意味や概念として扱います。
たとえば、海辺に住む人が魚がいっぱい獲ったとします。
「これを、山にいって、木の実と交換してもらおう」って思ったとします。
こんな風に考えられるってことは、まず、獲った魚は自分のものだという概念を理解できないといけません。
それが所有権です。
所有権って概念は、現実に存在する「自分の魚」から、「自分の持ち物」って概念を抽出したわけです。
そういった抽出処理をするのが左脳です。
抽象的な概念を扱うのが数学世界とか所有権世界です。
数学世界には計算とか、所有権世界は交換とかって操作が存在します。
操作するには、操作する主体が必要ですよね。
そこで左脳は、操作する主体って概念も生み出しました。
それが何かわかりますか?
それが「自分」です。
つまり、自分っていうのは、左脳が生み出した抽象概念です。
現実世界に存在する肉体から抽出した概念です。
抽出した概念とは、そのものの意味とも言えます。
左脳は、現実世界にあるものと、そのものの意味とをセットで世界を認識する仕組みをもってるわけです。
「3」は、現実世界では紙に書かれる記号です。
3の意味が、数字としての3です。
自分も同じです。
現実世界の体と、その概念として自分とをセットで認識するわけです。
概念としての自分のことを、心とか意識というわけです。
または、自我とか魂と呼んでもいいです。
いろんな呼び方があると思いますけど、重要なのは、現実世界にあるものを、そこから抽出した概念とセットで認識する機能があることです。
その機能をもってるのが左脳です。
ここにきて、哲学の問題が一つが解消しました。
それは、心身問題です。
心と体は別だって考えが心身二元論です。
それに対して、心は存在しなくて、あるのは脳という物質だけだって考えが一元論です。
一元論は、いってみれば現実の物理世界だけしか認めない立場です。
それに対して、物理世界以外の抽象世界、たとえば数学世界とか所有権世界を含めた世界を認めると二元論が成立します。
二元論といっても、魂を認めるってことじゃなくて、数字とか、所有権とか、お金とか物理世界にない概念を認めるってことです。
それが科学に含まれるかどうかは議論の余地がありますが、少なくとも、左脳はそのような抽象概念を扱います。
他にもいろいろな抽象概念があります。
たとえば、時間です。
そして、時間の中に自分って概念を位置づけると、生まれてから死ぬまで続く自分ってものを想定できますよね。
これぞまさに自分です。
どこの小学校に行って、どこの中学校に行ったって記憶が自分を作り出します。
記憶とか思い出は、目の前の現実じゃないですよね。
現実世界っていうのは目で見て手で触れるものです。
記憶や思い出の中の世界は抽象世界です。
抽象世界を扱える左脳が自分を生み出し、自分を感じるわけです。
体を制御して行動するのも自分です。
「獲った魚と木の実を交換しよう」って目標を考えるのも自分です。
目標に向かって行動するのも自分です。
これが左脳が生み出した意識です。
目標といった長期的視点を持つとか、生まれてから死ぬまで続く自分とかって抽象的な概念を扱えるのも左脳です。
右脳はそうはいきません。
右脳ができるのは、現実世界のデータの変形です。
データをどれだけ変形しても現実世界に属します。
右脳が感じるのは、現実世界に今存在するデータだけです。
取り得る行動は、今、ふと、思いついた行動だけです。
長期的視点を持てないので、死ぬまで続く自分って概念なんか持ち得ません。
だから、右脳には自分や意識は生まれないんです。
左脳は現実に存在するものから抽象的な意味や概念を抽出する機能を獲得しました。
この機能を獲得した時点で、現実の肉体から、本質的な意味を取り出すことは必然となりました。
それが意識です。
これが、左脳にしか意識が宿らない理由です。
以上、証明終了。
はい、今回はここまでです。
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それから、よかったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!