ロボマインド・プロジェクト、第475弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
今回も、橘玲の『テクノ・リバタリアン』の続きを読んでいきます。
この本で語られているのは、いってみればテクノロジー至上主義です。
イーロン・マスクやピーター・ティールが影響受けてるのはSFやファンタジー、アメコミです。
アイアンマンのモデルはイーロン・マスクだそうですけど、イーロン・マスク自信は、X-メンに強く影響を受けています。
イーロン・マスクが創業したオンラインん銀行はX.comですけど、これはX-メンからとってます。
X.comは後に、ピーター・ティールのペイパルと合併しました。
それから20年経ってマスクが買収したtwitterは、X.comに改名しました。
それから人類の火星移住を目的にマスクが設立した会社はスペースXです。
それほど、イーロン・マスクがはX-メンに憧れてるわけです。
ピーター・ティールはトールキンの『指輪物語』を暗記するほど読んだそうです。
ティールが創業した情報分析企業パランティアは、『指輪物語』に出てくる魔法の石の名前ですし、ティールが投資するAIドローンの軍事会社、アンドゥリルは、『指輪物語』に出てくる剣の名前です。
これは、テクノ・リバタリアンの前の世代、アップルのスティーヴ・ジョブズが西海岸のヒッピー・ムーヴメントとか東洋思想の影響を受けたことと対比して考えると興味深いです。
SFとかアメコミに影響をうけるなんて、子供じみてるなぁっておもってたんですけど、よく考えたら、これ、人類にとって必然なんですよ。
どういうことかというと、ジョブズの時代までは、人類の中心は宗教や政治でした。
テクノロジーは、生活を便利にする単なる道具でした。
たとえば、「死」です。
人はいつか死にます。
死を決して免れることができません。
その恐怖を少しでも和らげるのが宗教です。
死んだ後に天国に行けるとか、輪廻転生を繰り返すといった物語を生み出しました。
これは、言ってみれば、死の恐怖を和らげる方便です。
でも、死を回避する唯一の正しい方法は死なないことです。
不死です。
もし、不死が手に入れば、宗教も思想もいらなくなります。
そして、それが実現するとしたらテクノロジーしかありません。
たとえば、肉体をサイボーグに置き換えるサイボーグ化とか。
または、意識をサーバーにアップロードする全脳エミュレーションとかです。
テクノロジーで人類を超えることをトランスヒューマニストといいます。
これは、SFやアメコミのおなじみのテーマです。
トランスジェンダーっていうのは、自認する性と生物学的性が異なっていて、「間違った性に囚われている」と考える人のことです。
それと同じで、トランスヒューマニストは、「死すべき肉体」という間違った肉体に囚われてると考えてるわけです。
そして、それをテクノロジーで克服しようとするわけです。
たとえば、未来学者マックス・モアは「アルコー生命延長財団」を運営しています。
この財団は、永遠に生きる技術が確立するまで死体を冷凍保存します。
ピーター・ティールも死後、冷凍保存するように既にアルコー財団と契約してるそうです。
その他、グーグルの創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンも延命医療の会社を設立しています。
何が言いたいかというと、政治や宗教は人類を本当に幸せにするんじゃなくて、ほどよい妥協点を探ったり、安心させる物語を提供するだけで、根本的な解決はできません。
根本的な解決ができるとしたら、それはテクノロジーしかありません。
これが今回のテーマです。
人はなぜ、不死を望むのか。
トランスヒューマニスト
それでは、始めましょう!
恐怖というのは危険を知らせる感情です。
ヘビを見たときとか、ビルの屋上から下を見下ろしたら怖いと感じます。
でも、ヘビのいないところや、落ちる心配のないところまで避難すれば安心します。
つまり、恐怖という感情は死を避けるためにあるわけです。
これは動物でも持ってる基本的な感情です。
ところが、動物は持ってなくて、人間しかもってない恐怖の感情があります。
それは、自分はいつか死ぬかもしれないという恐怖です。
高い所から落ちるかもしれない恐怖は、その場を離れたら感じなくなります。
でも、人はいつか死ぬかもしれないという恐怖は、逃れる術がありません。
自分がいつか死ぬかもしれないという恐怖のことを存在論的恐怖といいます。
じゃぁ、なぜ、存在論的恐怖は人間しか持ち得ないんでしょう。
それは、言葉に関係します。
どういうことかというと、たとえばヘレン・ケラーで説明します。
ヘレン・ケラーの話は、このチャンネルでも何度もしてるのでかいつまんで説明します。
ヘレンは、サリヴァン先生と散歩に行って運命の井戸に出会います。
左手に冷たい井戸の水を感じながら、サリヴァン先生はヘレンの右手にwaterと素早く綴ります。
その瞬間、ヘレンは気付きました。
waterというのは、今、左手に流れてる冷たい水の「名前」だということを。
この世の全てのものには名前があるということを。
言葉というものを理解した瞬間でした。
その後、家に辿り着くまで、ヘレンは、30以上もの単語を覚えたそうです。
そして、自分の部屋に入った時、足元に何かを感じました。
それは、今朝、癇癪を起して床にたたきつけて壊した人形の破片でした。
その人形は、サリヴァン先生にもらった大切な人形です。
それを自分が壊したことを思い出したんです。
もう二度と元に戻らない壊れた人形。
それを手に取ると、自然と涙が出てきました。
生まれて初めて流した後悔の涙です。
さて、ここです。
ヘレンは、なぜ、言葉を理解しただけで、後悔の感情を感じたんでしょう。
物に名前を付けるというのは、物理的に存在するものを記号として認識することです。
別の言い方をすれば、現実世界にあるものを客観的に認識することと言えます。
その機能を獲得したヘレンは、人形の破片を感じたとき、今朝の自分を思い出したんです。
今朝の自分を思い出すというのは、客観的に自分を認識したということです。
これは別の言い方をするとメタ認知です。
今の自分は、現実世界にあるこの肉体です。
それとは別に、過去の自分を認識したわけです。
つまり、過去から現在まで続く自分という存在に気づいたんです。
言葉というものを理解することで、ずっと続く自分という存在に気づいたんです。
そして、それは、未来へも続きます。
生き物はいつか死にます。
つまり、自分という存在はいつか死んでなくなります。
言葉を理解して、ずっと続く自分という存在を認識できるようになって死の本当の意味を理解したんです。
存在論的恐怖を感じるのは、言葉を話す人間だけだというのはこういうことです。
それじゃぁ、本当に存在論的恐怖といういものは存在するんでしょうか?
この本には、興味深い心理実験が紹介されていました。
それは、売春婦に科す保釈金を決定する判事を被験者にした実験です。
被験者となった判事は、保釈金決定の前に「死」を思い起こさせるアンケートに答えます。
たとえば、「自分の死を考えたとき、どんな風に感じますか」といった質問です。
ある判事は、「私がいなくなって寂しい思いをする家族のことを考えると、とても悲しい気持ちがする」と答えています。
また、「自分の肉体が死んだあと、自分に何が起こると思うか、出来るだけ具体的に書き出してください」との質問に、「光の中に解き放たれて、私の魂は天国に渡り、そこで救い主に出会う」と答えました。
その後、判事は昨夜逮捕された25歳の売春婦の保釈金を決めます。
その女性はショートパンツにハイヒールで街角に立って客を誘っていました。
この種の違反に対する保釈金は通常50ドルです。
ところが、先のアンケートに答えた判事が決定した保釈金は平均で455ドルだったそうです。
じつに標準の9倍以上です。
いったい、なぜ、こんなことになったんでしょう?
これを説明するのが存在脅威管理理論です。
存在脅威管理理論というのは、私たちは常に、「自分はいつか死ぬ」という死の恐怖を管理して生きているという理論です。
そして、その脅威を脅かす出来事が起こると、無意識で排除しようと攻撃的になるというわけです。
存在脅威管理理論を調べてみると、面白い記事を見つけました。
それは、ベビーカーに向けられる敵意を存在脅威管理理論で説明する記事です。
電車にベビーカーで子連れで乗った若いお母さんに敵意が向けられるって話、よく聞きますよね。
「ベビーカーをたため」って怒鳴られたり、ベビーカーを蹴られたりって話です。
これは、公共交通機関でのマナーの話でなくて、存在論的恐怖にさらされた人の防御だというんです。
存在論的恐怖というのは、自分はいつか死ぬかもしれないということを思い起こさせるものに対する恐怖です。
自分という概念は、肉体とは切り離された一種の情報とも言えます。
一方、肉体としての自分は、いつか必ず死にます。
それは動物としての自分です。
だから、動物としての自分を意識させられたとき、人は存在論的恐怖を感じるんです。
このことは、様々な実験で証明されています。
たとえば、人間と動物の共通性を意識させたあと、デミ・ムーアを表紙にした二冊の雑誌を見せてどちらが好きか選んでもらいます。
一冊は妊娠してる表紙、もう一冊は妊娠してない表紙です。
そしたら、妊娠してる写真の方がいいといった人はいなかったそうです。
また、母乳哺育の実験もあります。
被験者は、事前に存在論的恐怖を感じさせるアンケートに答えます。
その後、隣の部屋に赤ん坊を連れた母親がいて、今、赤ん坊の世話をしてると知らされます。
このとき、半数の被験者には赤ちゃんは哺乳瓶でミルクを飲んでいると言われて、残りの半数は、赤ちゃんは母乳を与えられてると言われます。
その後、今から母親を呼んできて、その母親と会話してもらうので、椅子を並べておいて欲しいと依頼します。
並べる椅子の距離が近いと相手に好意をもっていて、遠いとあまり好意をもってないとわかるわけです。
結果、存在論的恐怖を感じてる人は、母乳を与えた母親にあまり好意を感じてないことがわかりました。
ちなみに、最初のアンケートで、存在論的恐怖を感じる質問の代わりに歯の痛みを感じさせる質問に答えた被験者の場合には、母乳と哺乳瓶で好感度の違いはなかったそうです。
これらの実験からわかるのは、自分がいつか死ぬという存在論的恐怖を感じてるとき、それを刺激する対象に対して嫌悪することが分かります。
存在論的脅威を刺激するとは、人間の動物としての一面を示すものです。
それが、赤ちゃんとかベビーカーってわけです。
たしかに、ベビーカーを敵視する人たちって高齢者が多いです。
つまり、自分の死を身近に感じてる人たちです。
普段は、そのことを忘れているのに、ベビーカーに乗った赤ちゃんを見たとき、無意識で自分の死を感じるわけです。
そして、それを感じさせたベビーカーや母親に敵意を向けるわけです。
こう考えたら、なぜ、年よりがベビーカーを敵視するのかわかりますよね。
売春婦の保釈金を高く科した判事も同じです。
その直前のアンケートで、存在論的恐怖を感じさせられた判事は、人間と動物の共通性を示すものを嫌悪するわけです。
その一つが性行為です。
だから売春婦に通常の9倍以上もの保釈金を科したわけです。
なぜか分からずイライラしてベビーカーを蹴る高齢者と同じ心理です。
それほどまでに、存在論的恐怖というのは、誰の心の中にも持ってるものです。
そして、それは意外なほど簡単に浮上してきます。
その時、その恐怖を和らげようとする社会的な仕組みがあるわけです。
その一つが宗教です。
死んでも天国があるとか、生まれ変わると言った物語です。
もう一つは、簡単に死なないようにする社会システムです。
たとえば健康保険とか、戦争を避けるとかです。
これは政治の役割ですよね。
でも、どちらも根本的な解決にはなっていません。
死んでも大丈夫だと根拠のない物語を提示したり、みんな平等だと示すだけです。
じゃぁ、存在論的恐怖を根本的に解決する方法はないのでしょうか?
ここで、存在論的恐怖がどうやって生まれたか思い出してください。
それは、言語を獲得して、自分をメタ認知することで生まれたんでしたよね。
自分を記号として認識することで、過去から未来に続く自分を感じるんです。
つまり、この時感じてる自分は肉体の自分じゃなくて、ソフトウェアとしての自分です。
ソフトウェアとしての自分なら、永遠に存続させることができるかもしれないです。
たとえば、脳の中の意識をコンピュータの中で生きながらえさせるとかです。
コンピュータの中で3DCGの体を手に入れて、永遠に生きるわけです。
これは、天国という名のメタバースで生きるといってもいいです。
または、サイボーグの体を得て、現実世界で生き続けることもできます。
サイボーグの体が老朽化したら、別の体に乗り換えればいいだけです。
これぞ、まさに生まれ変わりです。
宗教が言葉巧みにだましていた永遠の魂を、テクノロジーで実現できるんです。
政治ができるのは、せいぜい、平等に医療を受ける権利です。
政治や宗教、思想、哲学など、人類は幸せに生きるためにいろんなものを生み出してきましたけど、どれも根本的に問題を解決していません。
目先の問題から目をそらすだけです。
それを、根本的に解決できるのはテクノロジーだけです。
SFやコミックで描かれてきた世界が、本当に実現できるようになってきたんです。
それを実現するのが、テクノ・リバタリアンです。
はい、今回はここまでです。
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それから、よかったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!
第475回 『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』橘玲④ 〜人はなぜ、不死を望むのか。 トランスヒューマニスト
