ロボマインド・プロジェクト、第485弾!
こんにちは、ロボマインドの田方です。
前回から読んでるのがこの本『自閉症だったわたしへ』です。
作者は、ドナ・ウィリアムズ。
自閉症の人が内側から見た世界を丁寧に書かれています。
当時、自閉症の人が初めて書いた本として世界的にベストセラーとなりました。
前回は、ドナの幼少期の話を紹介しました。
ドナは、母親から愛されず、虐待されていました。
先天的に自閉症を持っていたうえで、母親の虐待から自分を守るために、ドナは別の人格を手に入れました。
このあたりの描写も、ものすごく丁寧に書かれています。
僕は、人と同じ心をコンピュータ・プログラムで作ろうとしています。
そのために、人の心はどんな情報処理をしてるのかを解明しようとしています。
だから、自分と違う心を持った人が、内側からの視点で書かれた本はものすごく参考になります。
よく自閉症の人は、他人の気持ちが理解できないって言います。
ところが、僕がよく紹介してる自閉症のテンプル・グランディンは、動物の気持ちはよく分かるそうです。
動物が何を感じて、何を考えてるのか、誰よりも理解できます。
その特性を利用して、家畜施設の設計で成功しました。
でも、人が何を考えてるのかとなると、よく分からないって言います。
複雑な人間関係のドラマとか、さっぱり理解できないっていいます。
テンプルがどうやって動物の気持ちを理解するかっていうと、その動物になりきって感じるそうです。
このことで思い出すのが、第426回で紹介したレベッカです。
レベッカは知的障害とされて、うまくしゃべることもできなくて、動きもぎこちないです。
ところが、演劇をすると見事に演じます。
曲に合わせて踊ると、滑らかに動きます。
その役になりきると、勝手に体が動くそうです。
よく似た話は、第346回でもしました。
これは、僕の友達の支援学校の先生から聞いた話ですけど、自閉症の子がクリスマスで劇をすることになったそうです。
クリスマス・キャロルのスクルージって悪役です。
その子は役に選ばれたら、「俺は今日からスクルージや」って言って、普段からスクルージになりきって、おっさんみたいに振る舞ってたそうです。
そして、ドナです。
ドナは、母親と戦うために、新しい人格を手に入れました。
というか、別人格が乗り移ったんです。
憑依したと言ってもいいです。
共感するとか、他人の気持ちを理解するとかとは違います。
これが今回のテーマです。
プログラムで解説
憑依と共感の違い
それでは、始めましょう!
ドナはお母さんから虐待されてましたけど、お父さんとは仲良しでした。
お父さんはドナのことを愛していて、ドナのこともよく分かっていました。
いつも、ドナの好きなキラキラした光る物を見せて、ドナはうっとりしていました。
でも、3歳の時、お父さんはドナを棄てました。
正確には、母親の説得でドナの養育権を祖父母に渡したんです。
それで、父親はドナに会うこともできなくなりました。
何年か後にドナはお父さんに会いました。
でも、それがお父さんとは分からなかったそうです。
その人のことは好きでしたけど、それが小さいときにドナをかわいがっていた父親と理解できなかったそうです。
その二人が全くの同一人物だとわかったのは、それからさらに数年してからだったそうです。
さて、ここです。
ドナは、なぜ、お父さんと分からなかったのでしょう?
ここに、脳の情報処理の違いがあります。
同じようなことは、自閉症の作家、東田直樹さんも言ってました。
同じ人物でも、別の場所で会うと、同じ人だと気付かないって。
第277回でフランスの心理学者、ジャン・ピアジュの赤ちゃんの実験を紹介しました。
テディベアのぬいぐるみを動かしてついたての後ろに隠します。
赤ちゃんは、ついたての反対側から出てくると思ってそっちを見ます。
この時、ついたての反対側から消防車が出てくると、1歳ぐらいの赤ちゃんは驚くそうです。
でも、生まれたばかりの赤ちゃんは驚かないそうです。
つまり、0歳から1歳の間に、物体は見えなくなっても変化しないってことを学習したわけです。
0歳の赤ちゃんは、見たままの世界しか認識できないわけです。
見えていない間も世界が存在すると思ってないわけです。
それが、1歳ぐらいになると見えていない間も物や人は存在し続けてるって理解するわけです。
こうやって頭の中に世界が作られていきます。
見えないけど、普遍的に存在する世界を感じるわけです。
今見えてるのは、その世界の一部だと理解するわけです。
目に見えないけど、存在すると認識してる世界、それは一種の仮想世界といってもいいです。
仮想世界は3DCGで作られた世界を想像してもいいですけど、本質はデータ構造です。
空間とか時間をもった世界の中にオブジェクトとしての「もの」が存在するデータ構造です。
重要なのは、脳はどのようなデータ構造を使って世界を認識するかって見方です。
全て見えないけど広大な世界というものがあるわけです。
その世界には時間が流れていて、どこまでも広がっています。
その内、たまたま、「今」、「ここ」という断面で切り取ったものが、今見えている世界です。
こういったデータ構造で脳は世界を認識してるってことです。
生まれたばかりの赤ちゃんは混沌とした世界にいます。
それが、だんだん、このデータ構造で世界を認識するように脳が発達します。
テディベアがついてたの後ろで見えなくなっても、ついたての後ろにはテディベアが存在する世界を脳内に作りだすわけです。
だから、反対側から消防車が出てきたらびっくりするわけです。
別の場所で会っても、同じ人だと認識できるわけです。
自閉症の人は、このデータ構造をうまく構築できないようです。
だから、別の場所で会うと、同じ人だと分からないんです。
ドナは、10歳ぐらいになって、ようやくこのデータ構造ができたんでしょう。
つまり、時間と空間でつながった巨大な世界を頭の中で作り上げることができたんです。
それができて、ようやく、幼いときに遊んでくれたお父さんと、数年後に出会ったお父さんが同一人物だと理解できたんです。
このタイプの情報処理は左脳で行っています。
このタイプというのは、世界と、そこに配置されるオブジェクトという関係で認識するデータ構造のことです。
だから世界と物、世界と自分とを区別します。
一方、右脳は世界と物、世界と自分といった区別をしません。
自分と世界とは一体と考えます。
今見えてるものが全てです。
だから、記憶にあるお父さんと、目の前にあるお父さんが同じだとは思えないわけです。
情報処理の仕方が違うとは、こういうことです。
自閉症の人は、左脳より右脳が優位となっているので、そんな風に世界を認識するわけです。
それから、自閉症の人の特徴に、指差しが理解できないというのがあります。
よく、「あれ見て」って指差ししますよね。
そしたら、指差す先を見ますよね。
ところが、自閉症の人は、指先を見るそうです。
このことを情報処理の違いから考えてみます。
指差しを理解できるプログラムを考えてみます。
プログラムは関数で作ります。
関数というのは何らかの処理を実行してその結果を返すプログラムです。
例えば足し算をするadd関数を考えてみます。
add(A,B)
このプログラムは、A,Bに何か数字を渡すと、A+Bを計算してその結果を返してくれます。
関数に渡したAとかBを引数とかパラメータと言います。
今、パラメータに数字を渡しましたよね。
一般に、パラメータは数字とか文字といったデータです。
ところが、データでなくて関数を渡すこともできるんです。
それを、コールバック関数といいます。
ちょっとややこしいので、分かりやすい例で説明します。
レストランに食事に行ったとします。
エビフライ定食に決めて、ウェイターに注文します。
その時、ウェイターに「食事が終わったらデザートのメニューを持ってきて」と頼んだとします。
すると、ウェイターは、その客が料理を食べ終わってお皿を下げる時、デザートメニューを持ってきます。
さて、ここで、ウェイターをプログラムとします。
ウェイターの処理は、注文を聞いて厨房に伝えたり、料理を運んだりすることです。
受け取るデータは、注文というデータです。
そこに、「食事が終わったらデザートメニューを持ってきて」と言われました。
これはデータでなくて関数です。
つまり、パラメータとして関数が渡されたわけです。
ウェイターの処理内容は、注文を伝えたり、お皿を下げたりすることですよね。
この処理内容に、渡された関数を追加するんです。
つまり、お皿を下げるときに、「デザートメニューを持って行く」って関数を追加するんです。
この追加された関数がコールバック関数です。
さて、今度は、「指差し」をプログラムで考えてみます。
今、相手が「あれ」って指差したとします。
指差してるのは、相手が注目してるものです。
これは、相手が行ってる処理です。
さて、世界にはオブジェクトが配置されています。
自分も相手もオブジェクトです。
オブジェクトは何らかの動作や処理を行う一種のプログラムです。
そして、処理の一つが、注目です。
そこで、オブジェクトに対して、「あなたの注目するものを教えて」という関数を渡します。
ウェイターに「デザートメニューを持って来て」って言うのと同じです。
つまり、コールバック関数を渡すわけです。
すると、相手はコールバック関数を実行して結果を返します。
それは、相手の指先の延長上にあるものです。
それを受けとって、指先の延長上をみると、きれいな花が咲いていました。
つまり、相手が注目してるのが、「花だ」ってわかるわけです。
これが指差しを理解するということです。
整理します。
まず、大前提としてあるのは、世界の中にオブジェクトが配置されるという左脳の世界観です。
次に、相手の立場になって考えるとき、コールバック関数を使います。
世界とオブジェクトで構成されたデータ構造。
さらに、オブジェクトはコールバック関数を実行できる。
これだけの仕組みがそろって、初めて、指差しが理解できるわけです。
他人の気持ちを理解するのも同じです。
こんなことを言ったら、相手はどんな気持ちになるのかって想像するときに使うのもコールバック関数です。
だから、ドロドロした人間関係のドラマでは、コールバック関数を使いまくります。
親切な振りをして相手を陥れるとか。
泣いてるふりして、心の中でほくそ笑むとか。
こう行動すれば、相手はどう思うかって想像できないと理解できませんよね。
見たままの世界しか理解できない右脳には、こんなドラマ、全く理解できないわけです。
さて、こっからが本題です。
自閉症のテンプル・グランディンは家畜施設の動物の気持ちが分かります。
テンプルは、施設で牛が歩く通路に降り立って、牛が何におびえて、何を怖がってるのか理解します。
それは、単に牛に共感するってことじゃありません。
牛そのものになりきって感じているんです。
同じ事はドナにも言えます。
前回、第484回で、ドナは過酷な世間に立ち向かうために、架空の生物、ウィリーになったって話をしました。
ウィリーは、ベッドの下に住む毛むくじゃらのお化けです。
ドナは、普段は心の内にある平安な自分の世界にいます。
でも、外の世界に出る時、ウィリーが出てきます。
ウィリーになったドナは、憎々し気な目であたりをにらみつけます。
口を一文字に結んで、全身を硬直させて、ぎゅっとこぶしを握り締めます。
歩くときは足を踏み鳴らして、気に入らないことがあるとつばを吐きます。
これが5歳の頃のドナです。
これじゃぁ、うまく世間を渡っていくことなんてできませんよね。
ところが、ドナは、新たな人格を手に入れました。
それは、キャロルです。
キャロルは実在する女の子です。
公園で偶然に出会って、一緒に遊びました。
いつもニコニコしてて、誰からも愛されるかわいい女の子です。
ドナはキャロルの家にいって、お母さんにおやつをごちそうになって、幸せな時を過ごしました。
次の日、ドナはキャロルを探しましたけど会えませんでした。
来る日も来る日もキャロルを探しました会えません。
そんな、ある時、キャロルが鏡の中にいることに気づきました。
鏡に映る自分の目をみると、キャロルの目だと気付いたんです。
でも、鏡の中のキャロルは、自分の真似ばかりします。
「なんでキャロルは鏡から出てこないのだろう」って悩みました。
ある日、押し入れの中でうずくまってキャロルのことを考えてた時、自分がキャロルになったことに気付きました。
その日から、ドナは変わりました。
みんなの前で、いつもニコニコするようになりました。
これが自閉症の他人の理解の仕方です。
共感なんて生易しいものじゃありません。
乗り移るとか憑依といった方が正しいです。
じゃぁ、これをプログラムで実現するとすると、どうなるでしょう。
これは、ゲームでたとえたらドラゴン・クエストみたいなロール・プレイング・ゲームです。
主人公は、最初に騎士とか魔術師とかってキャラクターを選びますよね。
選んだキャラクターによって、武器とか杖とか、身に付ける装具がごっそり違います。
憑依というのは、それと同じです。
人格そのものを装備するわけです。
ゲームのキャラクターなら、使える武器とか術が変わります。
違う人格が乗り移ったら、世界に対する態度が変わります。
相手のにらみつけるウィリーと、誰にでもニコニコ笑いかけるキャロルと全然違うみたいに。
自閉症の人にとって、他人を理解するっていうのは、その人になりきるってことなんです。
これは思い出すときも同じです。
東田さんは、過去の出来事を思い出すとき、その時の感情まで含めてありありと思い出すっていいます。
まるで、今、その時のことを経験してるかのようにありありと感じるそうです。
これをフラッシュバックっていいます。
普通の人は、こんな思い出し方をしません。
あのときは辛かったなぁって、軽く思い出すだけです。
この思い出し方は、過去の自分オブジェクトにコールバック関数を渡して、その時の気持ちを聞き出すったやり方です。
「辛かったよ」ってデータだけ受け取るわけです。
いってみれば他人事って感じで思い出すわけです。
自閉症の人はこれができないんです。
同じ事は、第467回で紹介したういさんも言っていました。
ASDの診断テストで「昔の嫌な思い出が突然蘇ることがある」って質問に、「えー、みんなそうじゃないの?毎日ある」って答えてました。
同じ世界を同じように生きていても、脳の中の情報処理が違うと、全く違う世界を感じてるわけです。
はい、今回はここまでです。
面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、よかったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!
第485回 『自閉症だったわたしへ』ドナ・ウィリアムズ② 〜プログラムで解説 憑依と共感の違い
