第492回 神は、人にどこまで意志を与えたのか


ロボマインド・プロジェクト、第492弾
こんにちは、ロボマインドの田方です。

人間には自由意志はないといいうのが現代科学の主流です。
ただ、自由意志の定義は曖昧で、自由意志の議論は雑なものが多いです。
そこで、まずは、どの分野で自由意志を扱うべきかを決めようと第483回、487回で提案しました。
そして、それは体を制御する話なのでシステム工学です。
その中でも、心で考えることなので、システム心理工学という新たな分野を提案しました。
そして、システム心理工学で自由意志とは何を指すのか、厳密に定義しました。

自由意志を厳密に定義すると、次々にいろんなことを定義する必要がでてきました。
たとえば「意志」とは何かとか、「意志」は誰が持つかとかです。
自由意志がないシステムの例として、たとえばライントレーサーを取り上げます。
(ライントレーサーの動画)
ライントレーサーはラインに沿って走るマイコンロボットです。

センサーでラインからのずれを測定して、ずれを修正するようにマイコンでタイヤを制御します。
ライントレーサーはマイコンのプログラムで動いています。
ここで、ラインに沿って走りたいというのがライントレーサーの意志だとします。
ライントレーサーは、その意志を自由に持てません。
だって、ラインから外れて自由に走りたいって思わないですよね。
だから、ライントレーサーには自由意志がないわけです。

じゃぁ、ラインに沿って走りたいっていうライントレーサーの意志は誰が与えたんでしょう?
それは、ライントレーサーの設計者、またはマイコンのプログラムを書いたプログラマーですよね。
つまり、ライントレーサーの意志はライントレーサーの外にあるわけです。

人間も何らかのプログラムで動いています。
第487回で人間は、行動プログラムを自由に変更できると定義しました。
僕は、このことを指して人間には自由意志があるとしました。
ただ、これは自由意志をそう定義したからで、自由意志がないように定義することも可能です。
重要なのは自由意志の定義じゃなくて、心を整理したことです。
ある環境で動く身体を持つ生物またはロボットがあったとして、その身体を制御するプログラムを心とします。
心は、次の三つの条件を満たします。
一つ目は、外部環境に基づいて体を制御する行動プログラムがあること。
二つ目は、基本的な行動プログラムは最初、外部から与えられたこと。
そして、三つめは、人間は行動プログラムを変更することができること。
ここまで整理すると、次の質問が出てきます。
それは、「人間は行動プログラムをどこまで変更できるか」です。

ここで、人間の行動プログラムを設計した者を「神」と呼ぶことにします。
また、行動したいと思うのは意志です。
そうすると、この質問は次のように言い換えられます。
神は、人にどこまで意志を与えたのか
これが今回のテーマです。
それでは、始めましょう!

ライントレーサーは、ラインからずれをセンサーで検知して、中心に戻るようにマイコン・プログラムでモーターを制御します。
さて、このとき、マイコンは、「3ミリ右にずれた」とか思ってるでしょうか?
思ってないです。
思うんじゃなくて、ずれに反応してるだけです。

次に野球でボールを打つ時を考えます。
時速150キロでピッチャーが投げたボールがキャッチャーミットに収まるまで0.4秒かかります。
ところが、人が見てものを認識するのに0.5秒かかります。
だから、ボールを認識してから打ってたら間に合いません。

じつは、脳には物を見て認識するのとは別に、物の動きに反応する処理経路があります。
これだと0.5秒もかかりません。
つまり、バッターはボールを見て打ってるんじゃなくて、動きに反応して打ってるんです。
もっといえば、バッターがボールを打つとき、「見る」という経験をしていません。

そして、動きに反応する脳内処理は原始的で進化的に古いプログラムです。
つまり、原始的な生物は「見る」という経験をしてないと言えるんです。
ライントレーサーも動きに反応する原始的なプログラムを使っていると言えます。

これを別の観点から説明します。
ボールを打つためには、周りの風景とか、観客とかの情報はいらないですよね。
必要なのは、ボールの軌跡だけです。

視覚情報を、こんな風に画像処理して、この動きに合わせてバットを振るように行動を最適化するわけです。
つまり、目的が決まると、余計な情報は排除されます。
これは、「世界が消える」とも言えます。

ライントレーサーのプログラマーは、ラインに沿って走るだけの車に、周りの景色を見せても意味ないって思ったわけです。
だから、ライントレーサーは三つ、四つのセンサーで十分なんです。

これが最も原始的な生物です。
何に反応して、どう行動するかまで、すべて神が決めるタイプの生物です。

ある時、神は、すべて自分が決めていてはダメだと思いました。
そこで、今まで自分が行ってたことを、本人に譲ることにしました。
そうして選ばれた生物が人間です。

まず譲ったのが、何に反応してどう行動するかの部分です。
ただし、根本となる生きる目的は神が与えます。
それは、出来るだけ長生きすることと、子孫を増やすことです。
これは個体保存の本能と、種の保存の本能とも言えます。
これが生物です。
逆に言えば、これを持たないと生物とはいえません。

さて、神は、「人間よ、これからは、何に反応して、どう行動していいか自分できめなさい」と言いました。
ところが、人間は動こうとしません。
というのも、「何に反応してもいい」といわれても、「何」が分からないんです。
だって、今まで決められた動きに反応することしかしてなかったからです。

「これはうかつじゃった」
そう思った神さんは、人間が「今」、「何」を見てるのか理解できる仕組みを与えることにしました。
「見る」とは、見たままの世界を認識することです。
今まで目からの視覚処理は余計なものを削除することです。
つまり、世界を消してました。

このやり方を止めて、外の世界をそっくり認識できるようにしました。
そのために、脳内に外の世界をそっくりそのまま再現するようにしました。
コンピュータでいえば、3DCGの仮想世界です。
これによって、どこにどんなものが存在するのかって三次元空間として認識できるようになりました。

ただ、これだけじゃまだ足りません。
それで分かるのは見た目だけです。
何が見えたか、内容まで理解しないと行けません。

それは生物か、非生物か。
食べられるものか、食べられないものか。
美味しいのか、美味しくないのか。
「何」かわかるとはこういうことです。
それには、過去に経験した記憶を組み合わせる必要があります。
そうして、赤くて丸いって見た目から、「これは、以前食べた『リンゴ』という甘酸っぱい果物だ」とかって理解するわけです。
「果物」とか「甘酸っぱい」というのは見た目でなくて、過去に経験したことです。
そしてこれは、「意味」とも言えます。
つまり、「ものを見る」とは、「見た目」と「意味」の両方を認識するということです。

そうやって完成したのが、視覚情報から「見た目」と「意味」をもった「もの」を作り出す仕組みです。
「もの」を使って外の世界をそっくり頭の中に仮想世界として再現する仕組みです。
神さんはいいました。
「さぁ、人間よ、これで『もの』が見えるようになったぞ。あとは、自由に行動を決めよ」

ところが、それでも人間は動こうとしません。
まだ、何か足りないようです。

「しまった。頭の中に仮想世界を作っても、それを認識して行動する仕組みをつくってなかったわい」
ここで、「リンゴ」って認識と、「素早く食べる」って行動プログラムを結び付けたら今までの生物と同じです。
今回は、自分で行動を決めさせないといけません。
はて、困りました。

「行動を決めるには、何が必要じゃ?」

そこで思いついたのが、行動を決定する主体です。
それを意識プログラムと呼ぶことにします。
意識プログラムは世界を認識して行動を決めます。
世界を認識するとは「もの」の「意味」の部分を認識することです。

「意味」には、危険とか安全とか、食べられるとか、果物とか甘いとってデータが含まれています。
意識プログラムは、これらのデータを読み取ります。
読み取ると言うか、僕らの感覚だと「感じる」です。
ヘビをみて「怖い」って感じるとか、リンゴを見て「美味しそう」と感じるとかです。
これは、意識プログラムが、「もの」の意味データを読み取ってるってことです。

意識プログラムは仮想世界を見て、いろんなことを感じます。
逃げた方がいいとか、取って食べようとか。
はい、ここです。
行動を考えることができましたよね。

ここまで作って、ようやく、人間は動き出しました。
ところが、また、問題が起こりました。

誰もが同じ行動しかしないんです。
自分で行動を決めさせたつもりでも、「美味しいものを見たら食べる」ってプログラムしかなかったら、それしか行動しません。

「そうじゃ、行動プログラムをいくつか用意して、選択させるのじゃ」

たとえば、リンゴも好きだけど、ブドウはもっと好きとします。
そんな場合、リンゴをみても、ブドウを見つけたらブドウを食べます。
ブドウがなければ、ブドウを探すって行動も用意しときます。
そして、いろんなパターンを頭の中でシミュレーションする仕組みも用意します。
すると、頭の中でいろいろ考えて、その人に応じた最適な行動を選びます。
これで、自由に行動を選択できるようになりましたよね。

でも、神さんはまだ納得しません。
「行動を自由に選択できるようになったけど、その行動プログラムはわしが書いたら意味ないしなぁ」

そこで、行動プログラムを自分で書ける仕組みを作りました。
それは、「もし、AならBする」とか「CとDの条件を満たしたらEを実行するとか」といったものです。
これって、コンピュータプログラムですよね。
意識プログラムが、自分で行動プログラムを書いて、それを自分で実行するわけです。
かなり複雑です。
でも、このぐらいのこと、現在のコンピュータ技術なら実現可能です。
詳しい説明は省略しますけど、スクリプト言語と仮想マシンという仕組みを使えば可能です。

それから、もう一つ、この時使うのは「もの」の「意味」です。
「赤い」とか「美味しい」とか「怖い」とかって意識が感じるデータを持っているのは「もの」の「意味」の部分です。
つまり、意味を自由に組み合わせたプログラムを書ける仕組みを作ったわけです。

「AしたらBになるけど、そうしたらCができなくなるから、AでなくてDにしよう」とかってプログラムです。
これって、普段、僕らが頭の中で考えてること、そのものですよね。
つまり、言葉です。
「意味」を組み合わせた文、それが言語です。
言語を使ってじっくり頭の中で考えて、その結果を行動に移します。

ここまでできて、ようやく神さんは満足しました。
人間の心の完成です。

はい、今、重要なことがいっぱいでてきましたよね。
忘れないうちに整理していきますよ。

今完成したのは、言葉を使って自由に考えて行動を決定できる人間の心です。
まず、神さんから譲ってもらったものと、そうでないものがありましたよね。

譲ってもらわなかったのは生きる目的です。
個体保存の本能とか、種の保存の本能とかです。
譲ってもらわなかったということは、これは人間の意志で変えることができないということです。

譲ってもらったのは、自分の意志で自由に行動を決めることです。
その具体的な仕組みとして、「もの」を認識する仕組みとか、「もの」には「見た目」と「意味」の両方があるとかありました。
さらにこれらを使ってシミュレーションしたり、言語とかもありましたよね。
ただ、これらは「自分で行動を決める」という機能を実現するための要素です。
この機能のことを「意志」ともいいます。

そして、その意志がどれだけ自由かが、自由意志の問題と言えます。
この場合だと、人が自由に考えられるのは言葉で考えられる範囲に限ります。
ウィトゲンシュタインは、「語り得ぬことについては、沈黙せねばならない」と言いましたけど、まさにそれと同じです。

言葉とは「もの」の意味の組み合わせです。
目で見た現実世界から仮想世界を作ります。
仮想世界は「もの」で出来ていて、「もの」を認識して意味を理解するのが意識です。
そして、「もの」や仮想世界を作り出すのは無意識です。
逆に言えば、現実世界にあっても意味をなさないものは、無意識は「もの」として作り出しません。
ということは、現実世界にあるのに、無意識がつくりださないものがあるかもしれません。

たとえば、赤ちゃんが何もない空中を見つめたり、犬が何もない空中を見て吠えたりすることがありますよね。
言葉を話さない動物や赤ちゃんは、生の現実世界を直接見てるから、僕らが見えないものが見えてるのかもしれません。
もしかしたら、このあたりに自由の限界があるのかもしれません。

それはともかく、今回説明した内容は、すべてコンピュータで実現可能です。
そして、それを実現しようとしてるのが、僕らが今つくってるマインド・エンジンです。
マインド・エンジンを搭載したAIが自由意志をもって生きるメタバースを作るプロジェクトがプロジェクト・エデンです。
プロジェクト・エデンのプロトタイプは着々と進んでいます。
完成まで、もう少しお待ちください。



はい、今回の動画が面白かったらチャンネル登録、高評価お願いしますね。
それから、よかったらこちらの本も読んでください。
それじゃぁ、次回も、おっ楽しみに!